世界は未完のまま終わる | ナノ


Long novel


 世界は未完のまま終わる
 ―想いに終わりなんて、ない。
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03


「…………」
 姉弟の間に沈黙が続き、舗装された石畳を歩く二人の足音だけがやけに大きく聞こえる。レナスがちら、と後方を振り返るとウィスタリアが暗い表情のまま俯いている。
「姉上」
足を止めウィスタリアに優しく声を掛ける。その声音におずおずと顔を上げると、弟の表情も優しく柔らかい微笑みをたたえていた。
「……はい」
「姉上の言う通り、少し休憩をとりますね」
「!」
この子は私を心配させまいとしている。ウィスタリアは直感的にそう思った。ならばこれ以上の心配は、弟に余計な心労をかけることになりかねない。
「ええ、その方がいいですよ」
暗い表情を隠して、微笑み返しながら頷く。
「疲れていると、仕事の効率も下がってしまいますよ」
「あぁ、それもそうですね。皆にも声を掛けましょう」
そう言うとレナスは近くにいた一人の団員に声を掛け、休憩をするように告げた。レナスの指示を受けた団員は、小走りで別の団員の所まで行きそれを伝える。指示は波紋を描くように広がっていく。

「レナス」
指示がきちんと広がっている事を遠目で確認していたレナスの背中に、ウィスタリアの手がそっと触れる。暖かい感触にレナスは視線を姉に向ける。
「姉上?どうしたのですか?」
「ふふ、実は私、宿の調理場を借りてメロンパンを焼いたんです」
ウィスタリアは楽しそうに言った。姉の出し抜けな言葉に目を丸くする。
「メロンパン……ですか?」
「はい。休憩の時に皆に召し上がって頂こうと思って」
「そのメロンパンを消費させる為に、僕に休憩を勧めていたのですね?」
やれやれといった風に、両手の平を空に向けて軽く肩を上げてみせた。
「もう、それだけじゃありませんっ」
呆れているレナスを見て、少し怒ったように腰に両手を当てる。コルセットで締められた腰は美しく縊れている。
「レナス、メロンパン好きでしょう?」
「………………」
虚をつかれたレナスは思わず黙ってしまう。
「隠しても駄目ですよ?この間ベテルギルウスの老舗ベーカリーで、メロンパンを購入していたでしょう」
それも3個も、とその時の様子を思い出しながらくすくすと笑みを漏らす。
「……見ていたのですか?」
「はい。偶然です」
バツが悪いレナスが眼鏡を直しながら問うと、ウィスタリアは首を縦に振る。
「それまでは知らなかったです、レナスはメロンパンが好きだったなんて」
「……いけませんか?」
「いいえ」
そっと目を伏せてレナスの両手を握る。
「好きな物にまで家柄を気にしていては息が詰まってしまいます。それに」
一度言葉を切るウィスタリア。外気に触れて少し冷えてしまったウィスタリアの手に包まれた自分の手を見つめながら、レナスは先の言葉を待つ。
「私は嬉しかったんです」
「嬉しかった?」
その言葉に顔を上げる。ウィスタリアは自分よりも少しばかり高いレナスの視線に合わせる。
「ええ。普段から自分を押し殺してばかりのあなたが、自分の好きな物を好きな様に選んでいたのですから」
メロンパンが入った紙袋を受け取った時のレナスの顔は、本当に嬉しそうだった。
「姉上……」
「これからも好きな物は好きって、胸を張って声を大にして言って下さいね」
「大声でメロンパンが好きだなんて、子供っぽくて言えないですよ」
居心地悪そうに身を捩りながら苦笑した。
「あら。いいじゃないですか、可愛らしくて」
「可愛いって……。姉上、僕はこれでも男なんですが」
心外だと言うように姉の手を払って、休憩を取る為メロンパンの待つ宿に向かって歩き出す。その背中をウィスタリアも追う。先程までは寂しそうに揺れていた赤いリボンは、今は嬉しそうに弾んでいる様に見える。
「ふふ、幾つになっても私にとっては可愛い弟なんですよ」
ウィスタリアは穏やかに微笑んでレナスの背中に声を掛けた。

……―…――!

遠くの方から団員の声が聞こえた。言葉は聞き取れなかったが怒りを孕んだ叫び声の様だった。それから物々しい金属同士がぶつかる音。
「何でしょう、今の怒号……何かあったのでしょうか?」
ウィスタリアが足を止め声が聞こえてきた方角に視線を向ける。喧嘩にしては派手過ぎる。
「そうですね、何かあってからでは遅いですから。急いで様子を見に行ってみましょう」
二人は頷き合って足早にその場から移動する。





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