世界は未完のまま終わる | ナノ


Long novel


 世界は未完のまま終わる
 ―想いに終わりなんて、ない。
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06


 準備を終えて再びエルの屋敷に着いた時は、もう日が傾き始めていた。

コンコンッ
大きな深紅の扉を軽くノックする。
「んー開いてるよー」
中から間延びした少し高い声が聞こえてきた。
「失礼します」
声をかけて扉を開く。広い室内の一角に設えられた、執務席の椅子の背もたれに身を預けて座る大天使の姿が見えた。その手に何枚かの書類を握っている。椅子の前の机にも大量の書類が乗っている。
「あ、来たね。スィ」
少女の姿を見て、エルは手を振って出迎える。手に持っていた書類をぽいっと机の上に投げ置く。それを見て少女は部屋の中へと進む。
「人間界に降りる準備が出来たんだね?」
「はい」
スィの姿を頭の先から爪先までじっと眺める。小さな荷物を持っていること以外は、普段とあまり変わりない様に思える。
「……ちょっと軽装過ぎない?」
「そう……ですか?これが一番動きやすくて、慣れてるしいいかなー……って思ったんですけど」
自分で自分の姿を見て、その場でくるりと一回転してみる。
「2、3日だけ遊びに行くんじゃないんだから……まぁいっか」
少女の格好に大きな問題があった訳でもなかったので、そのまま行かせることにした。エルは椅子から降りて立ち上がる。
「じゃあ黄泉の門に向かおうか」
「えっ、エル様も行くんですか?」
少女は思わず声を上げた。
 『黄泉の門』とは、天界と人間界、そして魔界を繋いでいる特殊な空間のことで、各界へ移動する際は必ず通らなければならないのだ。少女の問いかけに、エルは片手をひらひらさせながら答える。
「違うよー。僕は君の見送り」
「そんな、わざわざ申し訳ないですよ!」
エルの申し出に、慌てて両手と首を横に振る。エルはにっこり笑った。
「いいのいいの。どうせ暇だったからね」
「……本当ですか?」
執務席の机に乗った大量の書類をちらりと見た。大天使と言う立場にある彼の仕事の量が窺える。視線に気付いたエルが言う。
「あぁ、あれは君の見送りが終わったらちゃんとやるから大丈夫!」
直接は言われないけれど、エルが自分を心配しているのだと感じて、くすっと笑みを漏らす。
「ありがとうございます。じゃあ一緒に向かいましょう」
「おー♪」
少女が言うと、エルは少年のように拳を天井に向かって突き上げた。

 黄泉の門には、この地区の隅に設置されている転移陣を利用して、移動することが出来る。転移陣の手前にある門の見張り台に、猫の耳と尻尾を持つ褐色の肌の少女が立っていた。彼女は門番で猫叉のハピィ。エルに命じられてここで門番の仕事をしている。スィの親友でもあり、一緒に暮らしている。門の外へ目を光らせている彼女は、天界内からやって来る二人に気付いていない。
「ハーピィ♪」
弾むような調子で、エルが見張り台のハピィに声を掛ける。猫耳をぴくりと動かし、声のした下方に振り向く。彼女の動きに合わせて一つに纏められたピンクの長い髪がふわりと揺れた。
「え…… エル様?」
エルの姿を見て驚いているハピィ。大天使であるエルが、直々に天界の入口まで来ることはあまりないからだ。
「それにスィも!」
次にエルの隣に居た親友の姿を赤い瞳が捉える。何事かと思い、しゅるりと身軽に見張り台から飛び降りてしなやかに着地する。短いスカートがふわりと動く。
「ちょっと、色々あってね」
降りてきたハピィを見て、スィは苦笑いを浮かべながら軽く肩をすくめてみせる。
「……?」
いつもより元気が無いように見えて、目の色を窺う。
「ハピィ、異常はない?」
エルはいつもの口調でハピィに尋ねる。
「はい、大丈夫です。不審な人や物は通ってません。……それよりも」
エルの目を見ながら何も異常が無いことを告げる。それ以外の報告もそこそこに切り上げて、気になっていることをエルに問い掛ける。
「二人揃ってここに来るなんて、一体どうしたんですか?」
「うん。スィが人間界に行くから、僕はその見送りだよ」
「えっ、人間界に?」
エルの言葉を聞いて、慌ててスィへ視線を向けるハピィ。
 数秒の間を置いたあと、心配を含んだ視線と声で続ける。
「……スィ、何かしたの?」
腑に落ちない態度の親友と、滅多に来ることの無い大天使が連れ立ってここに来たことで、明らかな異変を感じ取れた。そしてスィが人間界に行くことは珍しいことではないが、エルがそれを仕事とはっきり言わないことが引っかかったのだ。
「うーん、正確にはスィは何もしてないんだけどね。
でも結構急を用するんだ」
親友が何か起こした訳ではないとわかり、心の中でほっと息をついた。
「……そうなんですか……スィ、気を付けてね?」
「うん、ありがとハピィ」
スィはにっこり笑って礼を言ってから、ハッとする。
「あ、もし兄さんが帰って来たら、よろしく伝えておいてね。多分……しばらく帰って来れないから」
今は出掛けていて居ないが、一緒に暮らす兄が帰って来た時に心配してはいけないと思ったのだ。同じく一緒に暮らしているハピィに言付けをお願いする。
「そっか……うん、分かった。伝えとく」
しばらく帰れない、という言葉が気になったが、ハピィは快く承諾した。二人のやり取りを見守っていたエルが、声をかける。
「スィ、そろそろいいかな?」
少女は緩んだ表情を引き締めて、静かに頷いた。
「……はい」





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