日が落ち始め、村への道もあと僅かとなった。岩場はもうすぐ終わり、後は荒野と林を抜ければ集合場所である翼岩へと辿り着く。ここまでくれば道を確認する必要もないのか、キララさんはあれから一度も振り子を使っていなかった。ただ前を歩くキュウゾウさんの背中をしっかりと見つめている。けれどその瞳にはもう、警戒心や敵意はなかった。何かを言いたげな様子ではあったが、私はなんと声をかければ良いか解らず。こうして時々キララさんの様子を窺っては、私もまた、前を歩くキュウゾウさんの背中を見つめてみるのだった。そして。
 
「キュウゾウ様」
 
意を決したように、キララさんが口を開いた。その呼びかけで、キュウゾウさんは足を止める。後ろを歩いていた私達も止まった。私とシチロージさんは、キララさんの様子を見ながら、言葉を待つ。キララさんは、僅かにためらいを見せてから言った。
 
「…先程は、危ない所をありがとうございました」
 
すぐに、それが言いたかった事ではないと悟る。もしそうだとしたら、ここまで躊躇する理由がない。それはキュウゾウさんも察しているのか、まだ立ち止まったまま、黙っている。キララさんはぐっと顔を上げ、真剣な表情でキュウゾウさんの背中を見る。
 
「キュウゾウ様は何故、カンベエ様を討ちたいと思われたのでしょうか」
「…サムライ、故に」
 
キュウゾウさんは短く答えた。端的過ぎるその答えは、キララさんだけではなく、私の心にも疑問の跡を残す。ホノカさんをゴロベエさんが慰めて居た時にも浮かんだ疑問。
 
サムライとは、何か。
 
侍は、戦の為の兵。主君や主家の為に仕える者。そのくらいの事は、覚えている。けれど、この世界のどこを見ても、戦が行われている様子はない。式杜人の里で見つけた戦艦や、雷電を説明してもらった時も、先程の兎跳兎の時も。
 
『大戦時に―…』
 
皆、そう言っていた。戦はもう、既に終わった事なのだろう。ではこの世界、この時代…サムライの定義とは、一体。悶々とする私を余所に、キュウゾウさんは再び歩き出す。キララさんは今の答えを自分なりに受け止めようとしているのか、複雑な表情を浮かべてはいたものの、それで一応は満足したらしかった。結局、私はこの時も何も聞けないまま、その歩みに足を合わせ歩き始める。シチロージさんは私の躊躇いや戸惑いを察してくれているのか、なんとなく後ろからの視線を感じながらも、特に声をかけられる事はなく、私達は夕暮れ前に翼岩へと辿り着いた。
 
「なるほど、これが翼岩」
「本当に翼みたいに見えますね…」
 
シチロージさんの隣で、その岩を見上げながら言う。どうすればこんな形になるのか解らないが、それは確かに鳥の翼のような形をしていた。キララさんが辺りを見回す。
 
「…他の方々は、まだのようですね」
 
それを聞くと、キュウゾウさんは一人でどこかに向かって歩き出した。どうかしたのかとその背中を目で追っていると、キュウゾウさんは少し離れた場所まで行き、そこにあった手頃な岩に腰を降ろした。待つ間に休むつもりなのか、それとも、ここでも見張りを務めるつもりなのか、その背中からは判断が付かない。じっとキュウゾウさんを見つめる私に気付き、シチロージさんが言う。
 
「気になるなら、話してくると良い。アタシらはここで皆を待つさね」
 
その言葉に顔を上げ、シチロージさんを見る。まだ僅かに迷いがあったけれど、私は小さく頷いて、キュウゾウさんの元へと歩いて行った。
 
「…キュウゾウさん」
 
少し後ろの方から声をかけると、キュウゾウさんは僅かにこちらへと顔を向けた。
 
「あの、お邪魔しても、良いですか…?」
 
無意識に、言葉が途切れ途切れになってしまう。キュウゾウさんは何も言わずに、ただ前へと向き直ってしまった。否定とも肯定とも取れるその反応に戸惑いながらも、私はおずおずと隣の岩に腰を降ろした。だがここまで来て、何と切り出せば良いか分からなくなってしまう。聞きたい事は、色々ある。けれど、どれも問い掛け易いものではない。私がなかなか踏み出せずにいると、不意にキュウゾウさんの方が口を開いた。
 
「…お前は、何故ここに居る」
 
それは、今の私にとって、辛い質問だった。ただ経緯を聞いている訳ではないという事を察しながらも、私はそれに気付かない振りをしてそのままの答えを返す。
 
「記憶が、無いんです。気付いたら街に居て、行く所がなくて…そしたら、カンベエさんが一緒に来ないかって、言ってくれたんです」
 
キュウゾウさんは、何も言わない。私は思わず、ずっと抱いていた疑問を口にした。
 
「あの、キュウゾウさんは、私の事をご存じなんですか?」
「…何故」
「蛍屋で初めてお会いした時、驚いた顔をなさっていたように思えたので…」
 
それは、私の勘違いかも知れない。けれど度々向けられる視線から、何かを知っているのではないかという疑問は募るばかりだった。キュウゾウさんは暫くの間黙っていたが、やがて短く答えた。
 
「お前の事は、知らぬ」
 
その一言に、私は打ちひしがれた思いになる。やっと自分の事がなにか分かるかも知れないという期待が、少なからずあったせいだ。だがキュウゾウさんは、なおも言葉を続けた。
 
「…見掛けた事なら」
 
その言葉に驚き、私はキュウゾウさんを見る。キュウゾウさんは、何処か遠くを見つめていた。
 
 
 
 
 
都より来ていた勅使が、何者かに殺された。御前は現場に残された刀から犯人はサムライだと決め、サムライ狩りを行うよう命じる。そしてカムロ衆が動き出す前に、俺とヒョーゴにも街へ行くよう言った。カムロでは手に負えないような奴を、先に始末しておくように、と。
昼間でも薄暗い路地を進む。既に何人かは斬った後だった。夜に動く奴等は、日中はどこかにその身を潜めている。だが、街の構造やその様な輩の好みそうな場所を知っていれば、場所を探り当てる事など容易。そうして見つけた奴は、ほとんど自分が手を下すまでの者ではなかった。
 
虚無感。
 
この仕事につき、何度感じたのか解らないその感情。何度刀を振るっても満たされない心が、また虚ろになって行く。ふと立ち止まり、空を見上げる。細い路地裏から見えるそれは、狭く小さく。あの頃のように心を奮わせ、やがて訪れる戦いに思いを馳せ、この血を滾らせる。そんな空は、もう見えない。そんな感傷に浸っていた自分を刹那に現実へと引き戻す、気配。いくら気を抜いていたとは言え、ここまでの距離になるまで気付けなかった事に僅かな驚きを覚える。だが、一瞬感じた期待を裏切るかのように、視線を向けた先に居たのはまだ幼い娘だった。ずるずると、壁に凭れかかる様にしてその場に崩れ落ちる娘。その娘越しに見えた物に、僅かに目を細める。朱塗りの、刀。いや、朱と言うよりそれは、もっと暗い色。まるで血のような、紅色。余りにも不釣り合いなその様子から、何故か目を離せなくなる。娘はしばらく、その場から動かなかった。呆然と、力の抜けたようにそのまま地面に座り込んでいるその様子から、到底サムライではないと判断する。ならばなぜ、刀など持っているのか。
あまりにも目立つ色合いをしたそれは、ただの飾り刀にも見えた。だが、僅かに感じるこの違和感は、一体…。やがて、娘は立ち上がる。力が上手く働かない体を無理矢理動かすように、おぼつかない足取りで表通りへと向かっていく。始末すべきかと、思った。しかしすぐに、その考えを捨てる。あの様子ではすぐに警邏にあたっているカムロに捕まるだろう。そのまま、俺はまた任務へと戻った。
あの時の娘は今、自分のすぐ傍に座っている。

 
 
 
 
 
「見掛けた…?」
「街の、路地裏で」
 
その言葉に、私はハッとする。路地裏、それは記憶を失った私が初めて立っていた場所。あの時は周りを見る余裕などなかったが、その時、キュウゾウさんはどこかで私を見ていたのだ。
 
「そう、だったんですか…」
 
そう言うのが、精一杯だった。差配の命によりサムライ狩りが行われている中、その部下だったキュウゾウさんも、捕縛の任にあたっていたのだろう。それはきっと、カムロ衆とは違うやり方で。私は、見逃されたのだろうか。それとも刀はただ持っているだけで、サムライではないと思われたのか。分らない、けれど、思わず安堵してしまう自分が居た。キュウゾウさんは、悪い人ではない。それは今回の旅路で、何となく解ったような気がする。でも、まだどうしても心に引っかかってしまう事。ヒョーゴさんの事が、頭を離れない。私は、まだ少し…キュウゾウさんを恐ろしく思う。
 
「ごめんなさい、可笑しな事を聞いてしまって…」
 
言いながら、私は立ち上がった。キュウゾウさんはまだ、遠くを見つめている。
 
「もうすぐ皆さんも来ると思いますし、私、キララさん達の元に戻りますね」
 
そして、振り向き、歩き出そうとした時だった。
 
「お前は、サムライか」
 
小さく、呟くように、キュウゾウさんが問う。私は思わず立ち止まる。
 
「…解りません」
 
私には、解らない。サムライとは、一体何なのか。どういう者の事を指すのか。私は…サムライなのか。キュウゾウさんは私の答えに、何故か納得したような呟きを零した。
 
「…刀に、生かされているだけか」
 
咄嗟に振り返った私が何かを言う前に、別の声が飛ぶ。
 
「ナマエさん、キュウゾウ様。皆さんがお着きになりました」
 
向こうで、キララさんが呼んでいる。その後ろには私達が話している間に着いたらしい、カンベエさん達が居た。後ろから、スッとキュウゾウさんが私を追い越し歩いて行く。私は少しの間動けずに、その背中をただ見つめていた。キュウゾウさんは、気付いている…?
 
≪…さぁ、どうだかな…≫
 
唐紅の声は、低く静かだった。コマチちゃんが私を急かす様に呼ぶ声が聞こえ、私は慌てて駆け出す。こうして、一行はついにカンナ村へと辿り着いた。私は、新たな疑問と不安を抱えながら、皆の元へと戻って行った。
 
 

― 第一章 ―
<終>

 
第二章 第六話、惑う!
番外編 第五話、化ける!
 
 
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