「ナマエ、ナマエはおるか?」
 
御前の呼ぶ声が聞こえ、私は背にしていた襖に向き直り、それを開ける。
 
「お呼びで御座いましょうか」
「うむ、入れ」
 
そう言われ、私は立ち上がり部屋に入る。襖を閉めて御前の前の床に跪く。御前の横には二人の用心棒、キュウゾウ殿とヒョーゴ殿が控えていた。話しがある、と呼び出されたものの、私はただの傭兵。このような顔触れで、何を話そうというのか。そんな事を考えながら、顔を伏せ、御前の言葉を待つ。御前は私をしばらく眺めてから、口を開いた。
 
「お主、この二人どちらかの嫁になる気はないかえ?」
「…は?」
 
思わず、顔を上げる。用心棒の二人も予想だにしなかったのだろうその発言に、驚いた顔で御前を見ている。御前はさして気にした様子もなく続ける。
 
「この二人は余に真良く尽くしてくれておるが、そのせいか未だに嫁も貰わぬ」
「は、はぁ…」
「お主、大層腕が立つのであろう」
 
御前付きの用心棒であるこの二人を前にして、誰がそれに同意出来るというのか。
 
「御前様のお付き人であるお二人には、遠く及びません」
 
私はそう言って、ちらりと二人を見やる。ヒョーゴ殿は未だに怪訝そうな顔をしている。彼とは面識がない訳ではない。何度か酒を交わし、話しをした事があった。が、その程度だ。もう一方のキュウゾウ殿とは、話した事もない。というより、話している所を見たことすらないような気がする。先程御前が私の事を、腕が立つなどと言ってから、彼の視線が鋭くきつい物に変わった気がする。まるで、獲物を狙う獣のようだ。視線だけで食い殺されては堪らない。私は、御前に目を戻す。
 
「先日、テッサイよりお主の働きを聞き、それほどの女子であればこの二人も気に入ると思ったのじゃが」
 
そこで御前は言葉を止め、用心棒の二人に問う。
 
「不満かえ?」
「い、いえ…」
「…」
 
ヒョーゴ殿は焦ったようにそう答え、キュウゾウ殿は黙っていた。御前は満足したように私に向き直る。
 
「お主にはこれより暫く、この二人と共に余の警護にあたる事を命ずる。数日の後、どちらと夫婦になるか決めるがよい」
「…有難き、お言葉。お心遣い、感謝致します…」
 
私は絞り出すようにそう言った。
 
 
 
その後一日、早速二人の後に続き御前の警護にあたった。しかし、我ながら大層無様な様子だったろう。万が一敵の襲撃があったとしても、あの時の私では何の対処も出来なかったと思う。それほどまでにあの話しの衝撃は大きかった。二人の後ろを付いて回ったせいで、その背中を見るたびに意識が向いてしまうのを止める事も出来ず。ただ悶々としているうちに、今日が終わってしまった。
 
「あぁー!もうっ!!」
 
やり場のない憤りを吐き出すと、私は乱暴に頭を掻いた。どうして急にこんな事になってしまったんだ。そういえば、テッサイ様が私の事を何か話したと言っていた。今の時間なら自室に居られるだろうか。私は足早に、テッサイ様の自室へと向かう。予想通り、部屋には明かりが灯っていた。戸の前に立つと、こちらから声を掛ける前に中から何用だ、と問われた。
 
「お話が御座います」
「…入るが良い」
 
すっと障子戸を開けると、テッサイ様は何やら書き物をしている途中だった。その手を止め、私の方に向き直る。私はその場で正座する。
 
「夜分、お忙しい所申し訳御座いません」
「構わん。して、話しとは」
「今日、御前様にお付きの者二人のどちらかと夫婦になれと言われました」
「む…」
「その折、テッサイ様より私の事を聞いたのだと」
 
そこまで話し、私はテッサイ様の言葉を待つ。テッサイ様は思い当たる節があるらしく、低く唸った。
 
「御前に、腕の立つ女子を知らぬかと聞かれ、そなたの事を話したが…まさかそのような理由があろうとは」
「知らなかったと?」
「初耳だ」
 
テッサイ様は深くため息をつく。
 
「して、どちらになったのだ」
「まだ決まっておりません。しかし、出来る事ならお断りしたく思います」
「気に入らぬのか?」
「そうではありません」
 
私は、少しだけ顔を伏せる。テッサイ様は、幼い頃両親に捨てられ、下層の歓楽街に売られようとしていた私を助け、育てて下さった恩人だ。刀も全てテッサイ様に教えて頂いた。私はあの時、一人でも立派に生きていけるようになる事を誓った。テッサイ様の恩に報い、そのお力となる事を。
 
「そなたももう年頃の娘。儂の事など気にせずとも良い」
「私は誰にも嫁ぐ気などありません。このままここで、テッサイ様の為に働きたいのです」
「しかし、御前のお心遣い。無下にする事は許さんぞ」
「…っ!」
 
テッサイ様が私の事を思って言って下さってるのは、分かっていた。だがどうしても納得出来ず、私は失礼致しました、と言ってその場を後にした。
 
これで良いのだ。若い娘が恩義の為に一生をかける事はない。あの二人なら、必ずやナマエを幸せに出来るであろう。テッサイは静かに、ナマエが去っていく気配を感じながらそう思っていた。
 
 
 
「ナマエか」
 
テッサイ様の元を後にし、自室に戻ろうとしていた途中。ヒョーゴ殿に会った。私は驚いて咄嗟に足を止め、その場で会釈した。なんと、間の悪い。
 
「今日は全く仕事に身が入って居なかったようだな」
 
しっかりと見抜かれていた。
 
「…申し訳御座いません」
「そんな事では困る、がしかし、あのような事を言われればな」
 
ヒョーゴ殿は少々気まずそうにそう言って、視線を窓の外へずらした。今宵は雲もなく、月が美しく光っている。
 
「久しぶりに、一杯どうだ」
 
それを断る理由も見つからず、私はうなずいた。庭に面した縁側で、ちびちびと杯を口にする。月明かりに照らされた庭には、蛍が舞うように飛んでいるだけで、他に誰も居なかった。横目で見ると、ヒョーゴ殿は勢いよく酒をあおっていた。
 
「お前は、もう腹を決めたのか?」
 
視線に気づいたのか、唐突に、ヒョーゴ殿はあの話しを切り出した。私は口にしようとした杯の手を止める。零れそうになった酒は寸での所で杯の中に留まった。
 
「…いえ」
「そうか」
 
それだけを言うと、ヒョーゴ殿はまた酒を飲む。今度は私がヒョーゴ殿に尋ねたくなった。
 
「ヒョーゴ殿は、どうなのです」
「御前の申しつけだ、断る訳にもいくまい」
「私がお聞きしたいのは、そういう事ではありません」
 
ヒョーゴ殿は手にしていた酒を飲み干すと、杯を横に置く。そのまま月を見上げて、しばらくの間沈黙する。その表情に真剣な何かを感じて、私も杯を持つ手を降ろした。
 
「妻を娶る、などという事は考えもしなかった。煩わしいだけだからな」
「…少し意外なお答えですね」
 
ふっと、ヒョーゴ殿は鼻で笑う。しかしふいに私の方を向くと、ごく自然に私の頬に手を添える。
 
「だが、お前ならば気にならんかもしれんな」
 
と。一瞬、意味が理解出来ずに固まる。その後すぐに、私は顔が赤くなるのを感じた。うろたえる私を見て、ヒョーゴ殿はすっとその手を放した。
 
「もう遅い、明日に備えて寝ておけ」
 
そう言って立ち上がったかと思うと、さっさと行ってしまう。残された私は茫然とその背中を見送った後、杯に残っていた酒を一気に飲み干した。そして咳き込んだ。
 
 
 
銚子と杯を下げ、ふらふらとした足取りで今度こそ自室へと向かう。飲み過ぎたという訳ではない、先程のヒョーゴ殿の態度が、ただでさえ靄の晴れぬ心に余計な影を落としたせいだ。夜もだいぶ更けてきた。いっそ考えるのを投げ出して、泥のように眠ってしまおうか。そんな事を思い、頭を抱えた時だった。ゆらり、と廊下の突き当たりから何者かが現れる。暗闇の中でも目立つ、真紅のコートと金髪。キュウゾウ殿だと、私はすぐに気付く。挨拶すべきだろうかと口を開き掛けた時、すっとキュウゾウ殿の手がその背中の刀に添えられる。嫌な予感を感じた。頭に添えていた手をゆっくりと降ろし、そのまま刀の方へ動かす。その手が刀に触れた刹那、キュウゾウ殿が飛び出した。反射的に私は刀を抜き、向かってきたキュウゾウ殿の刀を受け止める。
 
(キュウゾウ殿は二刀流…ッ!!)
 
そう頭で理解するよりも早く、死角から放たれた一閃を懐のドスで凌ぐ。金属同士のぶつかる乾いた音が、静かな廊下に響いた。そのままの状態で、どれだけの時間が経ったのか解らない。緊張から噴き出た汗が頬を伝う。なんとか一撃目は受け止められたが、この状態から更に切り込まれては防ぎ切る自信がない。慣れぬ二刀流に、ドスを握った手は早くも痺れ始めていた。眼を背ければ、確実に殺られる。それだけは、キュウゾウ殿から迸る殺気から確信していた。全身全霊で相手の動きに集中する。そんな私を、冷たく光る赤い瞳が見据えている。
がしかし、ふいにキュウゾウ殿は身を引いたかと思うと、刀を納める。そしてそのまま、訳も分からず動けない私にくるりを背を向け、歩き去ろうとした。咄嗟に、
 
「キュウゾウ殿…!」
 
私は、キュウゾウ殿を呼び止める。キュウゾウ殿はぴたりと立ち止まり、肩越しにこちらを振り返った。張り詰めた緊張感から解放され、無意識に止めていた肺は激しく酸素を求める。心臓の動悸も、全く治まる気配がない。そんな状態に突然放り込んで、そして突然去って行くとは何事か。
 
「何なんです…一体、何がしたかったんですか」
 
それ以外、もうなんと言えば良いのかも解らなかった。キュウゾウ殿は黙ったまま私を見つめる。何の感情も灯さない、その瞳。それを睨み返す内に段々と怒りが湧き上がってくる。
 
「何なのよ!」
 
ガンッと、ドスを持ったままの手を廊下の壁に叩きつける。溜まりに溜まった感情が、爆発する。
 
「突然、ほとんど知りもしない奴の嫁になれ!断る事は許さない!?ふざけんじゃないわよ!!」
 
一度吐き出してしまった言葉は、もう止まらない。次々と溢れ出した思いは、そのままの形で口から出てくる。
 
「ヒョーゴにからかわれたと思ったら、今度はキュウゾウにいきなり斬りかかられて!一体、あんた達、人を何だと思ってんの!?」
 
キッと睨みつけても、キュウゾウは表情を変えない。それが無性に腹立たしくて、悔しくて。私はぼろぼろと溢れ出す涙を抑え切れずに、その場にへたり込んだ。
 
「なんで、こんな目にあわなきゃなんないのよぉ…」
 
昨日までは、余計な事は考えず、ただ淡々と仕事をこなすだけの日々だったのに。それで良いと思ってたのに。それが良いと思ってたのに。突然やって来た非日常は、私の心を散々に掻き乱し、惑わせ、踏み躙る。その変化についていけない私は、ぼろぼろだった。ふと、キュウゾウが何かを呟いているのに気付く。嗚咽を殺し、それに耳を傾けてみる。
 
「…て、みたくなった」
「は…?」
「試して、みたくなった。何かが変わる事を、期待していた」
 
その意味が解らず、私はキュウゾウを見る。キュウゾウは、先程の体勢から一歩も動かず、ただ視線だけはどこか虚空に向けて言う。
 
「…悪かった」
 
とだけ。そのまま、静かに歩き去ってしまった。
 
 
 
それから数日が経った。あれ以来、ヒョーゴもキュウゾウも、私に対して何も言ってくる気配がない。その事に少し安堵しつつも、私は不安が募っていった。そしてついに、御前は決まったか、と私に聞いた。
 
「あれから暫くが経ったが、どうじゃ。どちらと夫婦になるのかは、決まったのかえ?」
「それは…」
「御前、お待ち下さい」
 
私の言葉を遮るように、ヒョーゴが口を開いた。
 
「何じゃ」
「恐れながら、私はこの女と夫婦になる気にはなれませぬ」
「…!?」
 
ヒョーゴの言葉に、私は驚きを隠せなかった。御前はヒョーゴを見ていて気付かなかったようだが。
 
「不満かえ」
「えぇ」
 
私を一瞥もせずに、ヒョーゴはそういう。ならばキュウゾウはと御前が問う前に、
 
「…俺も、断る」
 
と、キュウゾウが呟いた。御前はため息を付くと、無駄な計らいじゃったかと、私に下がるよう命じた。しかし私は二人のその態度に呆然とし、動く事が出来なかった。
 
「聞こえなかったのか、下がれと言っただろう」
 
ヒョーゴがそう強く言う。その目は、あの時。あの月夜に酒を飲み交わした時とは全く違う。私はよろよろと立ち上がり、必死にその足で体を支える。僅かに残った理性で礼をして、ゆっくりその場を後にする。襖を閉め、テッサイ様の元へと、今まで通りの生活に戻ろうと歩き出す。しかしその足は無意識に駆け出していて、気付けば自身の部屋に戻っていた。仮にも女なのだから、他の傭兵と一緒ではまずいだろうと、テッサイ様が用意して下さった小さな部屋。窓際まで行き手をついて、そこで足の力が抜けた。訳も分からず、涙が出る。今までずっと思い悩んでいた自分が、馬鹿らしい。最初からあの二人は断るつもりだったんだろう。なのに今まで黙っていて、私を見て面白がっていたに違いない。
 
「…っ、勝手過ぎる…っ!」
 
みんな、みんな、私の意志など関係なく。勝手に決めて、勝手に進めて、勝手に終わらせてく。それは幼い頃を思い出させ、さらに私を苦しめる。私は歯を食いしばって、ただひたすら涙を流した。
 
 
 
肌寒い風に、目を覚ます。どうやらあのまま、泣き疲れて眠ってしまったらしい。鏡を見ると、目元が赤く腫れていた。何と情けない。その姿に向かい自嘲気味な笑みを浮かべる。鏡の中の私も、私を笑う。全部全部忘れてしまおう。もう何も考えず、今までと同じように、ただテッサイ様の為に動く駒になってしまおう。そうすればもう、苦しまなくて済む。
私は顔を洗うためにそっと部屋を出た。今が何時かは解らないが、夜は更けていた。今宵も月明かりが美しい。けれど私はそれに目もくれず、ただ廊下を歩く。
 
 
その先で待つのは、
策士か、それともか。
 
 
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