第三章



『………成瀬ならもうとっくの昔に私があたっているが? 抑、彼女の見解でも解せないと言われ、わざわざ訪ねたというのに。』
赤羽はわざとらしく大きく溜め息を吐き、組んでいた脚を左右組み換える。
『それに、成瀬はお前さんの主治医だろう? 知りたい事があるならば自分で行けば良い話じゃないか。』
『私は公式の場を与えて欲しいと言っているのだよ。こんな情報を個人的に追及しても私にも、勿論、貴女方にも何の得もしないからね。』
北条はテーブルの下に隠していたスーツケースを取り出し、一流ソムリエがワインを注ぐような手つきで鍵を開け、中身を赤羽に見せた。その瞬間だけ赤羽の顔は強ばったが、直ぐに冷静になりスーツケースの中身を見つめた。
北条は赤羽の反応を楽しみつつも、話を続ける。
『…だからこそ、貴女に「敬意と激励、救済の意を込めて」頼みたいのだ。』
北条はぐいと前かがみになり、赤羽に迫る。『近い』と多少厳つい表情を崩さないまま赤羽は一つ咳払いをし、北条を遠ざける。
『全く…その額で動かない奴は人間じゃないからな。分かった、警視庁公安4課捜査室長官、赤羽 紫穂、快く引き受けましょう。』
赤羽が一礼すると、北条もそれに応えるかのように会釈をした。語尾だけ丁寧にしたのは北条に対する赤羽の形だけの礼儀の表れだった。
同時に西連寺も筆を置き、三人はその場を後にした。



1969年 9月 12日 午前10時 成瀬精神病院

『………ふぁ…眠い。』
白衣を纏った女は椅子にどかりと腰かける。小柄な体格には似合わぬ格好であるが、此れが何時もの風景であるため誰も突っ込まない。
『あの…もう10時ですよね…?』
『五月蝿い。さっさと話を終わらせないと帰すぞ。』
訪ねた、椎名 メルは身体を硬直させるが、北条が本を片手にやれやれと言わんばかりに苦笑し、指を鳴らした。
『は、はい…成瀬先生、先ずは植物状態となった者達のリストを拝見したいのですが、よろしいですか?』
『…あまり個人情報を提供すると法に触れて面倒だからな…北条、何処まで必要なんだ?』
成瀬は気だるそうに資料がぎっしりと詰まった棚をがさがさと漁り、北条の方を一切見ずに問うた。
北条は本の頁に目を落とした儘、その問いに答える。
『……「彼の住みたる場所に欠片有り」』
『すみません、住所まで詳しくお願い出来ませんか?』
『はいよ、私は出来る範囲でしてやるのが仕事だからな。勿論、赤羽長官からの苦情は受け付けないから上手くやりくりしてくれよ。…ああ、これだ……っ、このっ、くっ、』
成瀬はできる限りに手足を上段にある棚の方へ神経を集中させるが、ギリギリにラインで届いていない。
北条が依然として本から目を離す気配が全く無いので、見兼ねた椎名が手を差しだし、成瀬の代わりに透明なファイルを取り出した。
足りない高さのせいで仕事を取られたので、成瀬は若干不服そうに表紙が古びたノートとペンを椎名に押し付ける。
『私が丁寧に読み上げるなんて親切な真似はしないからな』
その言葉を合図に椎名はスラスラとペンを走らせ始めた。


執筆:KIYOKA

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