第四章 1967年 9月12日 午後9時 菫亭 『紙媒体に残ってる資料がまるで当てにならん程に改竄されているとは、大失態だな成瀬……』 額に手を当て、大仰に困り果てた表情を作る北条。 『喧しいわ!部屋の中を官憲に散々漁られて不機嫌なトコロに傷口を抉る様な事を平気で言うのか、馬鹿者!』 いざ調査してみれば、資料が何者かにダミーと交換されていたり、抜き取られていたりと惨澹たる結果だったので、言ってみればこの集まりは反省会である。 『しかし簡単に言えば、成瀬の資料に直接手を加えられるとなると相当の精神病患者、さらに言えば犯罪に手を染め続けた前科持ち……と言ったところだろうな。』 西蓮寺も分析を試みるが虚しくも答えには辿り着かない。 『逆算か……悪くないかもしれないね。 ほら、そう言うのは君の特技だろう?失態を取り返す為に思考し給えよ、成瀬。』 突き放す様な言葉と、せせら笑う様な笑みに尋常ならざる怒りを覚える成瀬。 『全く、何で私が……仕方ないな。 まず、大体以って私を誘拐するなり殺すなりすれば話は早かっただろうに、 それをしなかったと言うのはどう言う事かって所がポイントだよ。 逆に言えば、敢えて資料の昏睡に関連する内容のみを手の混んだ手段で処理したのは何故かと言う事なのだが……』 そこまで言うと口籠る成瀬。 日中に調査に来た警察の応対で疲れ果てているのだろう、 脳のキャパシティが追い付いていないらしい。 『何故、逆説にしたんだい?』 弱り目にサラリとかましたトドメ…… 勝ち誇った微笑みからも声の主は明らかである。 『北条!あまり馬鹿にするとッ!バカにするとなッ!』 まさかの成瀬先生、半泣きです…… 『いい加減にそっとしてやれ、 お前が数分程黙れば、円滑に説明が済むんだからな。』 西蓮寺が流石に口を挟む。 しかし、彼も彼で余程にならないと止めに入らない癖がある… 遊んでいるのだろうか? 『お前に言われちゃ、逆らう事も出来んな。 どうぞ、お嬢さん?』 素直に促しているが、どさくさに紛れてこの男、謝らない。 『ぉ、おぅ済まないな西蓮寺。 まず、資料のみを狙う点、それもピンポイントに狙っていると言う点が恣意的だ。 しかも、昏睡と言うキーワードに関わる物のみをと言う事は、あの時点での警察の捜査状況を知り得た人物。 しかも赤羽と北条、君達の関連性を良く知った人間だよ。』 成瀬が真剣に語る。 それを聞いて満足気に眼を瞑り頷く北条。 やがて目を開くとグラスを傾けながら静かに口を開いた。 『良い子だ、ちゃんと名誉挽回出来たじゃないか成瀬。 よし、要は貴族高官の中で、手癖が悪くて、少々頭がおかしくて、人形もしくは死体コレクターな奴に当たりを付ければ良いんだろう?』 『んで、そこまで分かっても私達では此処で行き止まりだぞ? そんなものどうやって炙り出すんだ?』 今度は思考でどうにかなる範疇を越えたせいなのか、頭を抱えてギリギリと悲鳴の様な声を上げる成瀬。 『そんなもの決まってる、狩りの常識…… 貴族の狩りでは自ら獲物を追う様な無様な行為は決して行わない。 猟犬を放し、獲物が俄に湧き始めるのを待つのが狩りの真髄だろう……』 毎度の綺麗な締めにオチを付けるとすれば、妙に静かだった西蓮寺がコースターに成瀬の泣き顔を模写していて大騒ぎになった事だと此処に明記しておこう。 1967年 9月13日 午前7時 事務所内 北条私室 頭脳が微睡む中で、アールグレイを楽しみながらルソーを読み耽っていた土曜日…… そんな時に一騒ぎ起こるのが、 世の中の摂理である。 ほら、もう外が騒がしい。 『音々君!年貢の収め時かもしれないぞ!!』 桜木 美和子だ、このビルの管理人。 簡単に言うと行き遅れである…… 『桜木さん、家賃ならちゃんと今月分払ったじゃないですか…… それに9時から良家のお嬢様ごっこ 兼 望み薄の婚活 兼 書庫整理のアルバイトでしょう?』 突然の年貢の納め時宣言にはこのくらいの返しが必要では無いかと私、北条音々は考える。 一人称なのは寝起き故だ。 『んー、歳上のお姉様相手にその暴言。 目覚めて二時間未満か徹夜明けと見たが如何?』 『喧しいわ、と昨日の成瀬の様に叫びたいけれどそうもいかないか…… 悔しいけど後者で正解ですよ、美和子さん。 で、一体何の騒ぎなんです?』 思い出したかの様に美和子が眼を見開き、目の前に手で謎のトライアングルを作りながら最悪の知らせをもたらす…… 『玄関に警察のお姉さん来てるわよ? そりゃもう貴方のトコの三つ子ちゃん引き千切ってマトリョーシカにしちゃいそうな勢いでブチ切れてるわ…… で、何したのよ、音々ちゃん?』 女性特有の魅惑的な笑みだが、幾分か距離が近い。 『それなら早く言って欲しかったな…… 因みに、心当たりなら37位はあります。 で、バイトは間に合うのですか、美和子さん?』 『そういやそうね…… んじゃ、健闘を祈るぞ!好青年!』 そう言って、嵐は去った。 しかし、この扉を開けたすぐそこに次の嵐が待っている…… ポーカーフェイスが活きるタイプの舞台だ心して掛かろう。 そう心の中でテーマを決めて、扉を開け放す…… 『何で夜明け近くから此処で珈琲啜ってるか判るか、北条?』 ドぎつい睨みを効かせながら此方を一通り観察すると、手にしていたソーサーを握り潰した上でこう続けた。 『勝手に私の上司に貴族調査をけしかけた末に、成瀬の前で私の事を猟犬呼ばわりしてくれたらしいな……』 彼女はこれが言いたくて、 夜明け時、北条が眠ってる内から此処で待ち続けて居たらしい。 (7/7) |