純情、夜空を焦がす

梅雨が明け、本格的に夏がやって来た。外はジリジリと照り付ける太陽の熱気と湿気で満たされる。

連日の猛暑。室内にいても熱中症には気を付けて下さいと、アナウンサーがテレビの画面越しから注意を呼び掛けている。外から蝉の鳴き声がジワジワと聞こえている。

クーラーが効いた涼しいリビングで、五人の子供達が夏休みの宿題に取り組んでいた。夏休み最終日を平和に迎えるためにという叔父の希望で、私は家庭教師として呼ばれたのだ。バイトで家庭教師をしているので、その延長線みたいなものである。叔父としては、夏休みの宿題代行サービスという名の悪魔の取引は使わせない腹積もりのようだった。
熱を帯びた叔父の愛車・ビートルのボンネットで、目玉焼きが作れそうだなと元太君が呟く。

「腹減ったなあ〜」
「歩美もお腹空いたけど、あともうちょっとでお昼だから頑張ろよ」
「そうですよ!って、全然進んでないじゃないですか」
「腹が減っては戦が出来ぬ、ってやつよ」

元太君の算数ドリルは、半分まっさらだった。既に勉強することに飽きてしまい、食欲が高まっているのだろう。さてと、どうしよう。
宿題に飽きてしまった子供を机に向かわせるのは難しい。正午まであと三十分。早めにお昼にした方が良いか。午後から子供達は叔父と一緒にプールに行く予定で、きっと早く行きたくてウズウズしているに違いない。

「ちょっと早いけど、お昼にしよっか!」
「やったあ!!」
「博士〜、お昼は何ですか?」
「冷やし中華じゃよ。今から作るからもう少し待ってくれ。デザートは昴君から戴いだ西瓜じゃ」

まさかのデザート付き。早めに宿題から解放された子供達三人は嬉しそうだ。私は叔父の手伝いをしにキッチンに行った。




冷やし中華とデザートの西瓜を食べて満腹だ。

元太君は冷やし中華を五人前ぺろりと食してしまった。夏に食べる麺類は喉越しも良くて格別だし、西瓜も冷んやりしていて美味しかった。涼しい室内にいても身体は水分を求めているらしい。

「よし。それじゃあ少し食休みしたらプールに行くぞ〜」
「哀ちゃんもコナン君も、本当にプール行かなくて良いの?」
「ええ、私はパス。留守番してるから貴方達は楽しんで来なさい」
「お前らで楽しんで来いよ。オレは隣の昴さんに用が、」
「江戸川君は絵日記進んでないんだから、一緒に行った方が良いんじゃないかしら?後で写させて欲しいって言われても貸さないわよ」
「お、おい灰原、余計なこと言うなよっ!」
「灰原の言う通りだぞ、コナン!お前絵日記全然書いてないんだしよ」

宿題で出された絵日記。自由研究も何にしようか悩んだけど、絵日記も手強かった記憶がある。夏の風物詩と言えば、友達とプールや海水浴に、夏祭りで盆踊りと花火大会。後は祖父母の家にお泊まりして、親戚の子とテレビゲームして遊んだり、虫かごと網を持って昆虫採集。色々挙げればキリがないのに、毎日ぼんやり過ごしていたらあっという間に夏休みが過ぎてしまい、絵日記が終わらなかった思い出がある。今となっては懐かしい。

「プール楽しいからコナン君行って来なよ!」
「……はあーい」

哀ちゃんに痛いところを突かれてしまったコナン君は、些か不本意そうに返事をする。コナン君は、西瓜のお裾分けをしてくれた隣人の『昴さん』と仲が良いらしい。
私は『昴さん』が大学院生、ということしか知らない。今度会ってみたいなと思っているが、中々タイミングが合わないようだ。
私がそんなことを考えながらデザートの冷たい西瓜を咀嚼する。じゅわっと瑞々しさが口いっぱいに広がった。叔父がおもむろに質問して来た。

「そう言えば、名前。君は来年の教育実習先は決まったのかね?色々やることが多くて大変だと言っておったが……」
「うん。面接も終わって、来年の五月から母校で受け入れてもらいました!手続きも済ませたから、それに向けて準備しなくちゃいけなくて」
「そりゃあ大変じゃのう」
「名前お姉さんは、学校の先生になるんですか?」

私と叔父がそんな話をしていると、光彦君が会話に入って来る。どうやら興味津々みたいで、キラキラした瞳でこちらを見ている。

「そうなの。夢は小学校の先生だよ」
「そのじっしゅうってやつは、オレらの学校でやるのか?」
「ううん、私の母校でやるから帝丹小学校じゃないんだ」

残念だなあと歩美ちゃん言うが、こればかりは仕方がない。教育実習生の受け入れは、学校側の善意で成り立っている。

「でも、もし名前お姉さんが歩美達の学校の先生になってくれたら嬉しいなあ!」
「どうして?」
「だって優しいし、歩美達と遊んでくれるし!きっと楽しいと思うの。ね、哀ちゃんもそう思わない?」
「……、ええ。そう、ね」

歩美ちゃんが哀ちゃんに相槌するものの、当の彼女はこちらを見ることなくぽつりと呟いただけだった。
哀ちゃんは、たまに他人を寄せ付けないオーラを発することがある。今がそれだった。初めて会った時に比べたら、警戒心が薄くなり物腰も幾分柔らかくなったと思う。

昼食をお腹いっぱいに納めて少し食休み。子供達ははしゃぎながらプールセットを片手に叔父のビートルに乗り込み、早く早くと急かしている。


「それじゃあ儂らはプールに行くが、君達は留守番で良いのか?」
「あっ、ねえ哀ちゃん。これから来週の花火大会用に浴衣買いに行かない?」
「……わ、私が?何故かしら?」

哀ちゃんが訝しげに見上げて来る。堤向津川花火大会が来週に迫っている。叔父と子供達皆で行く予定なのだが、毎年買いそびれているので私は浴衣を持っていないのだ。季節柄、デパートや駅ナカの特設会場で、色とりどりの浴衣がずらりと並んだ光景を見かけることが多くなった。

「この間、浴衣持ってないって言ってたでしょ?私も持ってないから、見に行こうよ」
「花火大会なんて浴衣じゃなくたって――、」
「哀君、せっかくだから見に行ったらどうだ。夏休みの宿題も進んだことだし、一日家に篭りっきりも良くないと言うしのぅ」
「………はあ。仕方ないわね。良いわ、付き合ってあげる」

叔父に言われて何も言い返せなくなったのか、彼女は暫く黙った後小さな溜息を吐いて渋々了承した。哀ちゃんに似合う浴衣も見付けなきゃと、一人心の中ではしゃいだ。




堤向津川花火大会当日。天気予報は一日中快晴マーク。

夕方になっても、尚じりじりと空から照りつく太陽。アスファルトに伸びる日影の色が濃い。外にいるだけで、じっとりと肌に纏わりつく湿気のせいで肌がべたべたするが、あまり気にならないかった。
先日哀ちゃんと一緒に買った、白地で紫陽花のレトロ柄の浴衣を身にまとい、気分は上々だ。いつもと違う衣服を着るだけで、こんなにも気分が違うとは不思議である。電車内には、私と同じように浴衣を着ている人達がちらほらいる。きっと行き先は同じだ。
叔父の家に行くと、既に子供達が揃っていた。

「わあ、皆も準備したんだね!」
「夏だからな!やっぱ普段と違って涼しい気がするぜ」

歩美ちゃんは涼しげな金魚柄、哀ちゃんは大人っぽい撫子柄。元太君は甚平で、コナン君と光彦君は洋服だった。

「うん、やっぱり哀ちゃん撫子柄似合ってる」
「……褒めても何もないわよ」
「博士、場所取りも兼ねてそろそろ行きましょう!」
「良い場所なくなっちゃうよー」
「おーい、ちゃんと前を向かないと危ないじゃろう」

会場の堤向津川は、米花町と杯戸町近くに位置しており、ここからでも歩いて行ける。

飛び出すように走る歩美ちゃんと光彦君。二人に続く元太君に、後から歩くコナン君と哀ちゃん。叔父はまさに彼らの保護者のようなものだ。私も皆の後を小走りで追い掛けた。
会場までの道のりを、私は団扇でパタパタと仰ぎながら進む。生温い風がやって来るだけでちっとも涼しくない。

「見て見て!綿菓子みたいにふわふわした雲がいっぱいあるよ!」
「本当ですねぇ!あ、あそこの雲は亀にも見えますよ」

徐々にオレンジ色に染まり始めている空には、モコモコした形状の可愛らしい雲がいくつもある。子供達は、あの雲はあれに似てるとかそれぞれ言い合いながら楽しんでいる。確かに、ふわふわ加減が綿菓子のようだし、こんもりした部分が亀の甲羅部分にも見える。

「あれは積雲っていって大気の安定度で形が大きく変わるんだ。大気が不安定な時には縦に大きく成長して、場合によっては積乱雲になる可能性がある。今日はそんなに大きくないから、今のところ雨が降る心配はなさそうだぜ」
「へえ〜、コナン君って物知りだね」
「えっあっ、なっ、夏休みの自由研究で、雲について調べたんだ!」
「じゃあ、今日は花火日和ってとこかな」
「そ、そうだね」

コナン君が慌てたように言った。夏休みの自由研究にも着手している様子に、私は内心ホッとした。順調に行けば、最終日に泣きを見ることはなさそうだ。

花火大会の会場である河川敷には、既に場所取りのシートが敷かれつつあった。これから人手も多くなるから、少し遅れただけでも場所を確保するのに一苦労するだろう。早めに来て正解だった。
河川敷に沿って、ずらっと立ち並ぶ屋台の垂れ幕はカラフルで、それぞれが自分の店を主張していた。

垂れ幕には、老若男女問わず皆が好きな定番メニューを掲げている。

お昼に冷やし中華と、デザートの西瓜をぺろりと平らげたにも関わらず、食欲を唆る香ばしい匂いが鼻腔をくすぐって来た。あれもこれもと目移りしてしまい、ついつい食べたくなってしまう。

「おい、見ろよ!かき氷とたこ焼きと、お好み焼きに唐揚げ、チョコバナナだろ、後はリンゴ飴に……」
「皆で食べたい物買おうか!」

バイト代も入ったから、懐は余裕がある。やったー、と子供達がはしゃぐ。

「じゃあ博士はここで場所取りしてて下さい!僕達が屋台で色々買って来ますから」
「ええぇ、儂も屋台が見たいんじゃが……」
「そしたら場所取りはどうするの?せっかく早めに来たのに」
「しょうがねぇなあ。俺が博士と場所取りするから、お前らは楽しんで来いよ。取れたらコイツで連絡する」

私が場所取りしようか、と言い掛けると同時に、コナン君が探偵のようなアイコンの形をしたバッチの様なものを取り出した。歩美ちゃんにバッチのことを聞いてみると、ホラ見てと同じものを見せてくれた。
お互いに通信出来る優れもので、叔父の発明品だと教えてくれた。後ろで当の本人が肩を落とし残念がっているので、私は慰めるように声を掛けた。

「叔父さん、ごめんね。何か食べたいものある?買って来きますよ」
「それなら……お好み焼きが食べたいのう」




客を呼ぶ店員の活気良い掛け声。じゅうじゅうと食材を炒める音。

出来立てほやほやの熱い熱気。ソースの香りと、砂糖の甘い匂い。色とりどりのキャラクターモノのお面。沢山の景品のおもちゃとお菓子。水中にレースのような鰭を翻しながら泳ぐ金魚。プカプカと浮かぶヨーヨー。
一つ一つは何てことないのに、お祭り会場の屋台として並ぶと、心がときめいてしまうのは何故だろう。人混みも先程より増え、賑わいが増しつつある河川敷には、様々な模様の浴衣を着た人達で溢れている。

「仮面ヤイバーのお面だ!名前お姉さんも歩美とお揃いにしよ!」
「あー、僕もです!」
「俺もヤイバーの仮面欲しい!」
「すみません、仮面ヤイバーの仮面を四つください。哀ちゃんは?」
「私は良いわ」

子供達に大人気の特撮ヒーローのお面をそれぞれに渡す。お面を買うのは子供の時以来だ。キャラクターモノのお面を被ることが出来るのも、ちょっとだけ童心に返ってしまうのも夏祭りならではの魅力だと思う。きっと、これが心がときめく理由だろう。

「哀ちゃん見て見て!皆が仮面ヤイバーになっちゃったよ!」
「ヤイバーパーンチ!!」

水色の特撮ヒーロー顔が四つ。はたから見たら、この光景は不気味かもしれない。ケタケタと楽しそうに笑う子供達を見て、お面の裏では顔が綻んでしまう。心なしか哀ちゃんの顔も少し柔らかい。

「……ちょっと。皆同じ顔だから不気味なんだけど」

ワイワイ楽しんでいると、叔父から場所取りが出来たと連絡が入ったので、後少し屋台を見たら戻ることにした。
それから私達は屋台を見て回り続ける。元太君が肉巻きおにぎりが食べたいとせがむので、お店の人に注文した。ついさっきは、フランクフルトとジャンボフライドポテトを食べていた筈なのだが、既に形跡がない。
確かその前は、綿飴にたこ焼き。焼きそばとお好み焼きを完食した後、かき氷をぺろっと平らげていた。胃袋はブラックホールか何かで出来ているのか。空気を吸い込むように瞬時に食べてしまうので、彼のお腹具合が心配になって来る。あと、それに比例して私の懐が寂しくなって来たところだ。

「バイト代、足りるかな……?」
「小島君。程々にしないとお腹壊すわよ」
「大丈夫だって!」

ムシャムシャと美味しそうにおにぎりを頬張る元太君をよそに、光彦君が目を輝かせながら射的がやりたいと言う。

「大当たり行けるかな?」
「頑張ってやってみます!狙いはダーツセットです!」

私がお店の人にお代を渡すと、気の良さそうなおじさんが坊主頑張れよと声を掛けた。光彦君がコルク銃を構える。お目当てのダーツセットは大当たり十点以上の景品だ。一回で三発打てるようなので、狙いは五の的を二回当てれば良い。
パン、と軽やかな音と共に小さなコルクがぽんと飛び出す。そのまま的の方へ飛んで行き、一番大きな一の的にパチンと当たった。二回目は三の的に当たった。

「うーん、中々難しいですねえ」
「頑張って光彦君!」
「が、頑張ります!」

歩美ちゃんに応援されて、気合いを入れ直す光彦君。最後のコルク玉は二の的に当たり、合計5点の獲得となった。お目当てのダーツセットは手に入らず、当たりランクの景品の中から光彦君はヨーヨーを選ぶ。それでも、ちょっと残念そうな眼差しでヨーヨーを眺めていた。

「よし、私が代わりにダーツセット取ってあげる!」
「名前お姉さん射的得意なんですか?」
「小さい頃はね。でも今も出来ると思う!」
「……本当に大丈夫なのかよ?」

おじさんに代金を渡し、コルク銃を構える私の後ろで、元太君が呟いた。




「姉ちゃん下手くそだな!」
「うーん、おかしいなあ……」

元太君の読み通り、まともに当たることなく撃沈する結果となった。子供の頃の感覚が思い出せない。標準の合わせ方、引鉄を引くタイミング。どれも問題ない筈なのに、コルク弾は見当違いの方向へ飛ぶ始末。
悔しいが、こういう時に闇雲に撃っても良い結果は出ないもの。一人で悶々としていると、歩美ちゃんが声を上げた。

「あー!!安室さんだ!安室さんも花火見に来たの?」
「――、やあ。まさか君達も来ていたんだね」

柔らかい声が耳に入る。安室さんと呼ばれた人は、人好きするような笑みで私達の方へやって来た。ツンと浴衣が引っ張られる感覚がしたので視線を下に向けると、強張った表情をする哀ちゃんが早口でまくし立てる。

「――っ、私、先に博士と江戸川君の所に戻ってるから」
「えっ、哀ちゃん!?」

問答無用でバッと駆け足気味に走り出す小さな後ろ姿が、人混みに紛れて見えなくなるのに時間は掛からなかった。哀ちゃんへ伸ばされた右手は何も掴むことなく、虚しく宙を漂うだけ。確保した場所はここから歩いてすぐ近くだけど、大丈夫だろうか。

「こんな所で何してたんですか?あっ!もしかして、デートですか!?」
「あはは、まさか。友人と来る予定だったんだけど、急遽来れなくなったと連絡が来てね。せっかく来たから、屋台だけ見て帰ろうかと思ってたところだよ。君達は?」
「オレ達は花火を観に来たんだぜ!」
「場所取りはもう済んでるのかい?」
「うん!博士達が良いところを確保したって連絡が来たから」

子供達と親しげに話している様子を見ると、どうやら知り合いのようだ。

「おや?貴女は初めまして、ですね」
「あ、――初めまして!阿笠博士の姪の名字名前です」
「こちらこそ初めまして。僕は安室透です。毛利探偵の弟子をしながら、喫茶店ポアロでアルバイトしています」

小麦色の肌とミルクティブラウンの髪が良く馴染んでいる。暑さをものともせず、爽やかな雰囲気を持つ青年は私と歳が近いかもしれない。

見た目は目立つ風貌だが、物腰柔らかいので不思議と威圧感は感じなかった。

「射的をやってたんだね。懐かしいな」
「全然当たらなくて、撃沈しました」

私は情けなく笑うと、安室さんが腕組みをして何かを考える仕草をする。どうしたんだろう、と思った矢先にコルク銃を貸して下さいと言われた。

「……銃身もまっすぐ、コルク弾も問題なし。バネは緩んでない」

安室さんはコルク銃の状態を確認しながら、引鉄を数回引く。それから弾を銃口の奥深くに押し込み、コルク銃を渡された。

「ちょっと構えてみてください」
「えっ、えっと……、はい」

私は言われるがままコルク銃を構え、いつも通り銃を肩に乗せる。横から真剣な眼差しを感じる。安室さんがまじまじと観察して来るので、そわそわしてしまい落ち着かない。子供達も、これから何が始まるのかとワクワクしながら私と安室さんを見ている。
すると、ふわっと柑橘系の香りが近くから漂い、良い匂いだなと思っている内に耳元で柔らかく囁かれた。

「肘は台の上に着いて、脇を締めて下さい」
「あっ、あ、あの……、!?」
「肘を空中にプラプラさせながら狙うと、不安定でなかなか思うように狙えませんから」
「は、はい!こうですか……?」

言われた通り、長机に両肘を着けて腰を屈める。前のめりの態勢のまま、脇をきゅっと締めてみた。浴衣を着崩してしまうかもしれないと、ふと心配になる。だけど安室さんは気にもせず、レクチャーを続ける。

「うん、上手。次に、肩と頬で銃を固定して下さい。どうです、さっきよりも安定感が増したと思いませんか?」
「確かに、さっきよりは安定してると思います!」

肘を机に着いて、三脚代わりにする感じだ。安室さん曰く、銃身がブレブレだと狙えるものも狙えないらしい。ごもっともな意見を私の耳元で話すものだから、やたらドギマギしてしまう。
私の態勢を安定させるよう、両肩に軽く添えられた彼の掌。布越しから伝わる優しい感触。触れる部分が勝手に熱を帯びてしまう。きっと、意識しているのは私だけ。

「そのまま標準を維持して。狙いの的を当てる時は、真ん中ではなく角を狙って下さい。力み過ぎず、ど真ん中を狙わないという意識だけ持って狙うのがコツですよ」

狙いは五よりも上の的。カチッと引鉄を引くとパン、と弾が飛び出してそのまま一直線に飛んで行く。パチンと、小気味良い音と共に狙いの的がぽとりと下に落ちた。何度やっても当たらなかったのに、ちょっと工夫するだけで一発で当てることが出来た。狙いのダーツセットには届かなかったけれど、素直に嬉しくて思わずはしゃいでしまう。

「――やったあ!当たった!」
「上手ですね」
「安室の兄ちゃんすげぇ!大当たりイケるんじゃねぇか?」
「やってみてよー!!」
「僕も見たいです!」

子供達からの熱烈な後押しに負けて、一回だけだよと言う安室さん。五百円をおじさんに払い、私はコルク銃を安室さんへ渡した。

「せっかくなら、大当たりを狙いますね」
「頑張ってー!」

安室さんがコルク銃を構える。

その姿に、何故か私の心臓がドキドキした。青灰色の瞳が、狙いの的を捉えて離さない。さっきまでの笑顔は消え、真面目な眼差しだった。余計な光景は排除して、狙いの的だけに視界を絞る。
彼の周りだけが緊迫した空気に変わった。安室さんは厚紙の的に銃を向けているだけなのに。今すぐに、弾が飛び出して来そうな銃口を向けられているような錯覚に陥ってしまう。撃ち落とされる――、何故かそう思った。
高揚感と緊張感が混ざり合い、皮膚に汗がじわりと滲む。ごくりと生唾を飲み込んだ。

ぺろりと舌で唇を舐める仕草が色っぽい。瞳が肉食獣みたいにギラリと鈍く光ったかと思えば、安室さんはコルク銃を撃ち込んだ。三発とも全て十の的を撃ち落とし、光彦君が欲しがっているダーツセットを見事にゲットすることが出来た。光彦君はとても嬉しそうだ。

「はい。ダーツセットで良いんだよね?」
「安室さん、ありがとうございます!」

三発最高点数を叩き出した安室さんに、子供達もテンションが上がったようで、もう一回とせがむ。安室さんも満更ではなさそうだった。

「……あんちゃん。これじゃあ商売上がったりだよ」
「す、すみません!子供の頃を思い出してしまって、つい……」

ノリに乗った結果、屋台の大当たり景品は安室さんがごっそりゲットしてしまった。おじさんが情けない声を出して、所在なさげに立ち尽くしている。
安室さんは気まずそうに頬を掻いた。意外と熱中してしまうと、周りが見えなくなるタイプかもしれない。いつの間にか私達の周りにはギャラリーが出来ており、はたから見るとすこぶる目立っていた。注目の的である安室さんは、何だか居心地悪そうだった。
いつの間にか太陽は西に沈み、真上には群青と淡い紫が広がっている。そろそろ叔父達と合流した方が良いだろう。せっかく買ったお好み焼きも冷めてしまう。




「安室さん、射的得意なんですね!見ているこっちがドキドキしちゃいました」
「あははは……。夢中になってしまいました。お恥ずかしいです」
「安室さんとってもカッコ良かったよ!今度一緒に歩美とシューティングゲームしようよ!」

結局あの後、安室さんは大当たり景品を店に返して私達は店を後にした。すっかり空も暗くなり、煌々としたランプのお陰で昼間のように明るい。賑わいも最高潮だが、人混みが多くて中々前に進めない。
屋台巡りに時間を割き過ぎてしまったかもしれない。叔父とコナン君、そして哀ちゃんはお腹を空かせて待っているだろう。

「安室さん、良ければ僕達と一緒に花火見ませんか?」
「そうしたいんだけど、この後予定が入ってるから帰らないといけないんだ。君達を送り届けたら、帰るよ。ごめんね」
「ええぇぇ、残念!」

人混みの流れに合わせて、私達は河川敷を目指す。光彦君が、探偵バッチで少しだけ遅れそうだと連絡している。叔父達が待っている場所へ着く頃には、花火が始まっていることだろう。

「その浴衣、とってもお似合いですよ。夜だから白地が良く映えますね」
「あ、ありがとうございます。そう言ってくれて嬉しいです」

すると突然、パシッと手首を掴まれた。何事かと思い、私は目を丸くして安室さんを見上げる。

「わっ……!?安室さん?どうしたんですか?」
「ちょっと。こっちに来て下さい。君達も一旦端っこに寄って」
「はーい!」

子供達は、何があったのかと安室さんと私の顔を交互に見る。安室さんが言いにくそうに口を開いた。

「その……、衿元が緩んでます」
「あ……っ」

言われた通り、衿が弛んでしまい胸元が少し開いている。このままの状態で、人混みの中を歩いていたのかと思うと恥ずかしくてたまらなかった。私が黙っていると、安室さんが申し訳なさそうに声を掛けてくれた。

「すみません、今まで気付かなくて。多分、射的のレクチャーの時に着崩れしてしまったのかもしれません」
「えっと、安室さんのせいじゃないです……!和装に合った歩き方をしなかったから」

浴衣に着崩れは付き物と言って良い。和装に合った歩幅や歩き方が解らず、普段通りの歩き方をしたせいで帯が緩んだり裾が下がってしまうことが多いと聞く。

それにしても本当に困った。今日は、着付けが出来る友人にお願いしてやってもらったのに。

「どうしよう。私、着付け出来なくて……」
「失礼します」
「安室さん……!?」

着崩れてしまった浴衣の脇の下――身八つ口に、安室さんが手を入れた。下前の衿を引き締め、ついでに手際良く上前の衿も整えてくれる。私はマネキンのように微動だにせず、ただ安室さんにされるがままだ。
いやらしいことなんて全くしていないのに変に意識してしまう。安室さんの手つきばかりを目で追う私は、きっと顔を赤くしているに違いない。ごつごつと節くれ立つ指が浴衣の生地を滑る様は、手慣れているように見えた。頬に集まった熱を誤魔化すために、私は安室さんに話し掛ける。

「普段着慣れない物を着て、気持ちが上がっちゃったのかもしれません」
「女性にとって、浴衣はテンションが上がりますからね。歩幅は小さめで、内股気味で歩くと着崩れしにくいそうですよ」
「そうなんですか!やっぱり着るからには歩き方も気を付けないと駄目ですね」
「これでもう大丈夫。綺麗になった」
「……ありがとう、ございます、」

先程まで弛んでいた衿元がピシッと締まり、すっかり元通りになった。
ひゅううぅぅ、と空気の摩擦音が聞こえた後ドン、と空中を響かせる程の振動音がした。一瞬で宵の空に大きな花が咲いて、星屑のようにキラキラと瞬く。わあっと群衆から声が上がった。花火が始まってしまった。

「いえいえ、そんな大したことないですから」
「……っ、」

空には夏の象徴が次々と花開き、穏やかに微笑む安室さんを彩る。幻想的で美しい光景だと思った。視線を合わせるのが恥ずかしくなった私は、安室さんの頭よりも上の方へ目線を投げる。

夜空に彩られた花火は、じりじりじりと音を立てながら火花を散らし消えて行き、煙だけが残った。

「もうこの辺で大丈夫ですっ。近くに叔父が陣取ってると思うので!」
「早くコナン君達のところに行こう!」
「きっと僕達のことを待ってますよ」

子供達が口々に言う。私は安室さんに御礼を伝え、子供達と一緒に叔父達がいるところへ向かおう逃げるように踵を返す。このまま一緒にいたら、恥ずかしくて私の心臓が持たない気がする。すると、安室さんの大きな手が私の腕を掴んだ。掴まれた箇所に熱が集まる。

「名前ちゃんっ、良ければ今度ポアロに来て下さい。お待ちしてます」
「はっ、はい!」
「花火、楽しんで下さいね!それじゃあ、また」

安室さんはとびきりの笑顔を見せてくれた後、人混みの中に紛れて見えなくなった。
渡された名刺には、喫茶店と安室さんの名前が印字されている。私は、印字された文字をそっと触れるように撫でる。名刺を眺めながら、今度行ってみようかなと思った。

「名前お姉さん、安室さんとすっごくラブラブだったね!」
「ラ、ラブラブ!?」
「うん!とってもお似合いだったよ!ステキだった!」
「ほ、ほら!叔父さん達のところに行こ!きっと皆待ち草臥れてるよ」

小学一年生なのに、ラブラブという言葉を知っているなんて歩美ちゃんはおませさんだ。夜空に打ち上がる花火に、釘付けの元太君と光彦君の背中を押して歩を進める。
いくつもの花火がドンドンと打ち上がり、夏の夜空をバチバチと焦がす。安室さんの綺麗な青灰色に越しに映る花火が綺麗だった。思い出すだけで、掴まれた手首の熱が蘇る。恥ずかしさから誤魔化すように、私はそっと手首を撫でてみた。手首の熱が伝播して、私の心を余計に焦がすだけだった。
嗚呼――、暑い。
 -  - 

TOP


- ナノ -