センチメンタルな春
「名前せんせーい!歩美と一緒に写真撮ろうよー!」
「先生、僕とも撮りましょう」
「お前らだけずりぃぞ、俺とも撮ろうぜ!」
春の麗らかな優しい風が私の頬を撫で、薄桃色の可愛らしい花弁を攫う。太い幹から伸びるいくつもの枝には、束の間の栄華を謳歌するように桜が咲き誇り、一年で最後のイベントである卒業式にそっと彩りを添えてくれる。
気象庁から開花宣言がされてから数日。ほぼ満開と言って良いだろう。それはまるで、子供達の旅立ちの日に合わせたかのようなタイミングだった。
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繊細で華麗なピアノの旋律が奏でられる中、卒業生、在校生、教員による校歌斉唱を以って卒業式は閉幕した。
毒を持たない綺麗で透き通った子供達の歌声が、歌い終わっても体育館に残っている。彼らの歌声を聴いているだけで――大げさかもしれないが――これからの未来に、希望が持てるような前向きな気持ちにしてくれる。
大人になるに連れて忘れてしまった大事なものを思い出させてくれる音色だった。
今日は子供達にとって、六年間過ごした学び舎で過ごす最後の日。沢山の思い出を胸に抱いて新たな道へ進んで行く。大学卒業後すぐに帝丹小学校に赴任し、副担任として過ごした数年間が走馬灯のように流れては消える。無事に卒業してくれてホッとした反面、寂しさも覚える。出会いがあれば別れもある。別れがあるからこそ、新しい出会いが輝くのだと思う。
温かな思い出に満たされて涙腺が緩み、私もちょっとだけ泣いた。目尻に溜まった涙をハンカチでちょいちょいっと拭く。相変わらず私は涙脆いようで、いつまで経っても貰い泣きをしてしまう。ハンディカメラ片手に、我が子の成長に涙を流す保護者もちらほらいた。
温かな拍手が響く中、担任を先頭にクラスごとにまとまって体育館を去る。
教室に戻ると小林先生が最後のホームルームを行っている中、副担の私は教室の後ろでそっと見守っていた。歩美ちゃんが寂しそうな目で、誰も座っていない二つの座席を見つめていることに気が付いた。
その座席に座っていたであろう二人は、今頃何をしているのだろう。子供の割にはそのへんにいる大人よりも落ち着いており、私よりも歳上ではないかと何度も思ったものだ。
同じ青空の下、元気に過ごしているだろうか。卒業式という別れの場は、ついいつも以上に気持ちが感傷的になってしまう。センチメンタルに浸っていると、小林先生の明るい声で最後のホームルームが締めくくられた。
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達筆な書体で『祝卒業式 帝丹小学校』と掲げた看板前でそれぞれが記念撮影をしている。
帝丹小学校の周囲にはいくつかの中学校があり、住んでいる区域によって別々の学校に進学することになっている。泣いている子、笑っている子。卒業式には様々な人間模様が見える。
私が保護者の方々と談笑していると、歩美ちゃん、光彦君、元太君の三人がやって来て一緒に記念写真を撮ろうと言って来た。
「せっかくだから桜をバックに撮ろうか!」
「いやぁ、良い卒業式じゃったのう」
「……叔父さん!」
いつも見慣れた白衣姿ではなく、チャコール色のきっちりとしたジャケットを来た叔父がいた。
「博士、来てくれたんですね!」
「君達の晴れ舞台じゃからな」
「何泣いてるんだよ?学校卒業したってオレ達博士の家に遊びに行くぞ?」
「君達も中学生かと思うと感慨深くなったんじゃよ。なあ、名前」
叔父は、鼻をぐずぐずと啜っていた。おまけにちょっとだけ目も赤い。式中に、保護者席に混じって泣いていたのだろう。叔父は子供達三人の保護者的立場なので、感動もひとしおだったはずだ。
「名前先生と写真撮ったら博士とも一緒に撮ろうよ!」
「それじゃ儂がカメラ係をしよう。ほれ、君達前に並んで」
「はーい!!」
叔父が一眼レフを構えた。歩美ちゃんも光彦君も元太君も、正装姿だから余計に大人びて見える。五年前に比べたら随分と背が伸びた。成長期真っ只中なのだ。今では頭一つ分の差で、近い将来抜かされちゃうだろう。
柔らかな風が吹くと、桜の花弁がひらひらと舞う。
『春になったらお花見も良いですね』
私の言葉に否定も肯定もせず、にこりと柔らかく微笑んだあの人の姿が目に浮かぶ。さっぱりとした柑橘系の香りを、記憶から取り出す度に私はいつもときめいてしまう。優しい記憶に、胸が締め付けられる。
「先生、どうしたんですか?」
「え、」
「何だか心ここに在らずだったので……」
「光彦君達が卒業して、ちょっと寂しくなっただけだよ。心配してくれてありがとう」
思い出は儚くて脆い。
人間の記憶なんて適当なもので、時間が経てば経つ程輪郭がぼやけて曖昧になってしまう。思い出は美化されるとはよく言ったもので、正直記憶なんて当てにならない。かけがえのないこの瞬間と共に過ごした証を残すのなら、写真に納めた方が良い。
「おーい、撮るぞー。1+1は?」
「にーーっ!!!」
しんみりした空気を吹き飛ばすように、子供達が明るく弾んだ掛け声を上げる。カシャリと一眼レフの乾いたシャッター音が、咲き誇る桜と私達を切り取った。
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