美味しいレシピの隠し味
アスファルトを焼き尽くさんとする強い日差しは一変して、紅葉の色に染まった街路樹を美しく照らす季節を迎えた。
長かった夏休みも終わってしまえば、あっという間だった。あんなにうるさくて仕方なかった蝉の鳴き声も、今なら少しだけ懐かしく感じてしまう。
作物が実り、収穫の季節。近頃の朝と晩は空気も冷たくて、肌寒さを覚えるようになった。その内どこかから、冬の忍び足が聞こえて来るだろう。秋の夜長か食欲の秋かと問われれば、私にとっての秋は、一つしかない。
「えっ、沖矢さん行けなくなってしまったんですか!?」
「そうなんです。丁度その日に、大学の研究員メンバーと集まることになりまして……。すみません。せっかくに誘ってくれたのに」
「そうですか……。残念ですけど仕方ないですね」
お裾分けにどうぞ、と大量に頂いたシチューの鍋を返しに、隣の工藤邸へ出向いた時のことだった。
丁度来週の日曜日、叔父の知り合いの方の畑で、子供達を連れて芋掘り予定なのだ。叔父は発明品の発表会があるとかで、代わりにお隣の沖矢さんを芋掘りに誘っていたのだ。
私と沖矢さんがこうして話すようになったのは三週間前。
彼が叔父の家にお裾分けでシチューを持って来てくれた時だった。大きな鍋に並々と入ったシチューは、どう考えても叔父と哀ちゃんの二人分以上ある。作り過ぎてしまったので、良ければ子供達と一緒に食べて下さいと言っていた。
お気遣いありがとうございます、と受け取ったシチューを子供達と一緒に昼食で頂いた。
哀ちゃんは、開口一番に「野菜が生煮えじゃないの!」と手厳しく言っていたっけ。それ以降沖矢さんは、お裾分けと称して何度もシチューを作っては叔父の家に持って来てくれるようになった。
沖矢さんが、何故そんなにシチュー作りに駆り立てられるのか解らなかったが、図らずしも彼は最初に比べて徐々に料理の腕を上げていった。最近では、哀ちゃんのお小言も減っているのが証拠だ。
「芋掘り、楽しんで来てください」
「はい!いつもお裾分け頂いてばかりなので、サツマイモ持って来ます」
「楽しみに待ってます」
他愛ない会話をした後、私は工藤邸を辞した。
さて、この後はどうしようか。夕方から家庭教師のバイトが入っているが、まだ時間に余裕がある。バイト教材の重さが鞄越しに肩へのし掛かった。今日の授業範囲と課題を確認しておかないと。
このまま自宅に戻るのは面倒だった。そう思った私は、あの花火大会以降に行きつけになっている喫茶店・ポアロへと足を向けた。あそこなら駅チカだから、利便性も良い。
米花駅前の大通りは休日ということもあり、車も人も割と多い。
空は高く澄み渡り、静かな雲が斜めに流れる。ひゅうっと冷たい風が吹いて、私は寒さで身を縮こませた。
そろそろマフラーしても良いかもしれない。気持ち急ぎ足のまま、扉を開けるとカランカランと可愛らしい鈴の音が鳴った。
「いらっしゃいませ」
「――こんにちは、安室さん」
「名前さん、こんにちは。空いた席にどうぞ」
カウンターには、安室さんが慣れた手つきてコーヒーを淹れていた。にこりと柔らかな笑みを浮かべながら席へ促される。
珍しくお客さんの入りは疎らで、窓側の客席に腰を落ち着けることが出来た。鞄から教材をガサゴソ出していると、コーヒーの香ばしい香りに包まれた安室さんがお水を持って来てくれた。
「お勉強ですか?」
「あ、これは家庭教師のバイト教材です。課題の確認をしようと思って」
「熱心ですね。メニューはいつもので良いですか?」
「はい、温かいカフェラテでお願いします」
「畏まりました」
温かい飲み物が美味しい季節だ。安室さんは伝票に注文名を書き込み、カウンターへと戻って行った。
それから程なくして、安室さんがお盆に温かいカフェラテを乗せてやって来た。御礼を言って、さっそく一口飲む。
焙煎された香ばしい豆の香りが、鼻腔から抜ける。苦味の中にミルクのまろやかさが相まって、優しい味だ。思わずホッと一息してしまう。さて、目の前の教材に集中しなければ。
店内は穏やかな時間が流れているおかげで、私の集中力は途切れることなく無事に課題の確認は終わった。
区切りが良いところで、安室さんに声をかけられた。
「これ、良かったらどうぞ」
コトッとお皿の音がしたので見てみれば、クッキーが二枚重ねられている。サービスです、と言う彼に思わず確認してしまう。
「えっ、良いんですか?」
「ええ。頑張っていらしたので」
「あ、ありがとうございます……」
恐縮しながらも、私の手はちゃっかりクッキーに伸びている。集中したおかげで、脳は糖分を欲しているらしい。
「……美味しいです」
「ふふ、それは良かった」
クスクスと小さく笑う安室さんは、おもむろに向かい側に腰を降ろした。
「そうだ。名前さんにもお聞きしたいんですが……」
「な、何でしょう?」
固唾を飲み、少しだけ居住まいを正す。人気ウェイターの安室さんから、畏まって何を聞かれるのだろうか。
「今、新作デザートメニューを梓さんと考えてるんです。何か食べたいもの、あります?」
「新作――、デザートですか」
ドキドキしてしまった自分が少し恥ずかしかった。
もしかしたら、安室さんにバレているかもしれない。私は誤魔化すために鸚鵡返しする。目の前にいる安室さんは、にこにこしていた。
「うーん……、そうですねぇ……。期間限定になってしまうかもですが」
いつの間にか季節は秋も深まりつつある今日この頃。せっかくなら、この時期に美味しい旬のものが食べたい。
「お芋とか、どうでしょうか?……あまり代わり映えしませんね」
「サツマイモですか」
なるほど、と呟きながらメモを取る安室さん。主な材料はサツマイモ。あ――。
「実は来週の日曜日、子供達と一緒に芋掘りに行くんです。もし空いてたら一緒にどうですか?新作デザート作りに良いかなって……」
「芋掘りですか、懐かしいな。子供の頃やりましたよ」
「実は一緒に行く筈だった沖矢さんに予定が入ってしまったみたいで」
「……。あぁ、阿笠さんの隣家に住んでいるあの大学院生ですか」
安室さんは些か声を低くして、沖矢さんの名前を口にする。お知り合いですかと聞けば、とある事件でご一緒しただけですと濁されてしまった。地雷を踏んでしまったのか定かじゃないが、安室さんから不穏な空気が出ているのは気のせいだろうか。
沖矢さんは東都大学の大学院生だ。
確か学部は工学部だと伺っている。私も同じ大学に通っているが学部は違うし、そもそも院生ではないので彼には殆ど構内で会うことはない。
沖矢さんが叔父の隣家である工藤邸に住んでいるのは、元々住んでいたアパートが放火で焼けてしまったからだという。
彼の第一印象は、物腰が柔らかい理知的なお兄さん。言葉尻は丁寧だけど、眼鏡の奥にある細目からは何を考えているのかあまり読み取ることが出来ない。だけど決して怖くはない、何だか不思議な人――と、私は認識している。
丁度目の前にいる安室さんも、私にとっては沖矢さんと似たり寄ったりな雰囲気を感じている。それを口にしたら、ちょっと怒られそうだなと思ったので、言わないでおいた。
「当日は、どうやって行くんですか?」
私が沖矢さんと安室さんについて考えていると、不意に問いかけられた。
「電車で行こうと思って。私、恥ずかしながら運転免許持ってないんです」
「……それなら、僕が車を出しますよ。丁度ここのシフトもお休みですし、探偵の仕事も入ってないので」
「良いんですか?」
「ええ。新作デザートのアイデアが浮かぶかもしれないので」
そうとなれば話は早い。さっそく私達は、当日の待ち合わせ場所と時間を打ち合わせすることにした。
芋掘り当日。空気は若干冷たいものの、天気は気持ち良い秋晴れ。米花駅のロータリーで安室さんと待ち合わせだ。
今日はコナン君と哀ちゃんは他に予定があるようなので、歩美ちゃん、光彦君、元太君と一緒に行くことになっている。
ロータリー前で安室さんを待っていると、子供達が何かに気付いたようで、「あっ!」と声を上げた。そして、白いスポーツカーが私達の前に停車した。
「おはようございます。お待たせしました」
安室さんは人好きする笑顔で車から出て来た。
「おはようございまーす!!」
子供達が元気良く安室さんに挨拶する。子供達の気分は、既に美味しいサツマイモを手に入れる腹積もりだ。
早く早くと、三人に急かされ、安室さんの車に乗り込む。行き先の住所をナビに入力して貰って、安室さんは車を発進させる。独特なエンジン音が身体に響いた。
車を走らせること一時間程。車窓からの景色は空に聳えるビル群から、いつの間にか長閑な田園風景に変わっていた。
目的地は車であればすぐ行ける近郊地だ。
「元太君、お菓子全部食べちゃったの!?」
「あははは、わりぃわりぃ!」
「帰りの分はお預けですからね!」
歩美ちゃんと光彦君からの批難に、助手席の元太君は笑いながら躱す。
「そんなに食べてお腹大丈夫?」
「芋掘りのための腹拵えだよ!」
私の質問に、豪快な回答が返って来た。そうこうしている内に、目的地に着きましたとナビ終了の音声が鳴った。
「着きましたよ」
安室さんはそう言って、車を駐車場に停めた。
・
・
「阿笠さんから話は聞いてます。こちらの畑で芋掘りをして下さい。獲れたサツマイモは、それぞれ持ち帰って結構ですよ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、終わったら声かけて下さい」
今回の芋掘りでお世話になる方――小川さんに、畑を案内して頂いた。お互い簡単にご挨拶をして、いざ芋掘り開始。子供達は待ってましたと言わんばかりに、持参した軍手を嵌めて、スコップで土を掘り始めた。
「君達、ちょっと待って。美味しいサツマイモの掘り方を教えます」
「教えて、教えて!」
三人の子供達に混じって私も安室さんのレクチャーを受ける。
「チェックするポイントは、ここ。茎と葉が黄色っぽくて、ちょっとシナっとしているかどうか」
安室さんはおもむろに、地中から延びている葉っぱと茎を優しく持ち、それらの状態を確認する。
お手本にスコップで軽く土を掬った後、残りの土は手作業で掘った。ほんの僅かに、有機物が混じった土の独特な匂いがする。すると、地中からひょっこりと紫色が顔を出す。
「サツマイモが育っているかチェックを忘れずに。大きいサイズならそのまま収穫しても良いですよ――うん、これ位の大きさなら大丈夫でしょう」
土の中の栄養分を沢山蓄えて育った立派なサツマイモが獲れた。安室さんが掘り出したサツマイモに、光彦君も歩美ちゃんも元太君も目を輝かせている。
「わあ、大きいですね!」
「焼き芋にして食べた〜い!」
「早く俺もそれくらいの芋を掘りたいぜ!」
三者三様でさっそく芋掘りに取りかかろうとすると、安室さんが注意点を付け足した。
「あっ、くれぐれもツルを引っ張ることはしないように!他のサツマイモが傷付いてしまいますからね」
「はあ〜い!!」
元気いっぱいの返事が返って来た。
「あんまり遠くに行ったらダメだよ!」
僕はこっち、私はあっち、じゃあ俺はあそこ、とそれぞれ掘りたい場所を決めて、漸く芋掘りが始まった。
「僕達もさっそく始めましょか」
「はい!」
私も軍手を嵌めてスコップを持ち、掘りやすいように周りの土を取り除く作業から始めることにした。
そう言えば、初めて出会った夏の花火大会で、射的のコツを教えて貰ったことを思い出す。
人混みの中、着崩れてしまった浴衣を直して貰い、心臓がドギマギとうるさくて仕方なかった。
別れ際、彼の大きな手で手首を掴まれた。手首には暫く熱が残っていて、どうしようか持て余した。花火と共にキラキラ瞬き、夜空に消えていった夏の夜。
あの夜の邂逅を、私はこれからも忘れないだろう。
「安室さんって何でも知ってるんですね」
「せっかくの芋掘りなので、事前に色々調べました。美味しいサツマイモで新作デザートを作りたいので」
そう言って彼はちょっとだけ照れ臭そうに笑った。
その照れ笑いが、少年みたいな純粋さだったので私も釣られて笑ってしまった。普段は柔和に微笑む安室さんでも、こんな風にはにかんだりするんだな。何だか新鮮だ。
安室さんの可愛らしい一面を垣間見れた。
「何にしようかもう決まったんですか?」
「ええ。何となくですが、イメージは湧いてますよ」
そう言いながら、ずっしりしたサツマイモを掘り当てた安室さんは、丁寧に泥を払ったそれを籠に入れる。
「教えてく――、」
「ふふふ、秘密です」
「……ですよねぇ」
問答無用で即答だった。それから私達は、黙々と芋を掘り続けた。
芋蔓式とは良く言ったもので、一つ掘り当てればその名の通り、サツマイモが何個も連なって出て来るのだ。ちょっと嬉しかったりする。
近くで子供達が、きゃいきゃいと楽しそうに芋掘りをしている。
「見て下さい!このサツマイモ、面白い形してると思いませんか?」
「本当だ!何の形に似てるかなぁ?」
米花駅から車でたった一時間程度の場所なのに、長閑な時間が流れている。
都心と比べて広い空と、美味しい空気。耳障り悪い喧騒のかわりに、鳥達の囀りが心地良い。
私は彼らが楽しんでいる姿を見て、今日ここに来て良かったなと思った。
そろそろ腰が痛くなる頃、籠の中には沢山のサツマイモが詰まっていた。収穫は上々――と言ったところだ。
「せっかくだから焼き芋はどうですか?」
頃合いを見計らって、小川さんが母屋からやって来た。やったあ!!と子供達も大喜び。
落ち葉と枯れ木をこれでもかと大量に掻き集めた後、収穫したばかりのサツマイモ達を水で洗ってからアルミホイルで包む。火を起こし、燃える焚火で出来た灰の中に投入すれば、あとは焼き上がるのを待つだけ。
暖かい焚火の周りを一時間程囲み、焼き芋が完成した。火の勢いが徐々に弱くなり、灰の中からサツマイモ達を掻き出せば、いい塩梅に焼き上がっているようだ。軍手で熱々のアルミホイルの包みを受け取った。
早く食べたいとせがむ元太君に、火傷しちゃうから冷ましながら食べるようにと言っておいた。
「元太君。はい、どうぞ!」
アルミホイルを半分剥がすと、サツマイモからほわほわと美味しそうな湯気が上がる。熱々のそれを半分に割れば、中身は温かみのある山吹色に染まっていた。甘くて美味しそうな匂いが、ふんわりと漂う。
「うんめぇ〜!!」
「甘くて美味しいです」
子供達も美味しそうに焼き芋を頬張っている。
私は安室さんから熱々の焼き芋を受け取る。ふうふうと冷ましながら一口かぶりつくと、自然の甘みが口の中に広がった。まさに大地の恵みが齎らした優しい味に、私も舌鼓を打つ。やっぱりレンチンするよりも、焼いた方が比べるまでもなく風味も豊かだ。
「うん!美味しい」
「美味しいですね。やっぱり適度にねっとりした食感は残したいな」
安室さんも焼き芋を頬張りながら、ポアロの新作デザートについて考えているようだった。
外は冷たいが、熱々の焼き芋のお陰で心も身体も暖まることが出来た。
焼き芋をお腹いっぱい食べた後は、落ち葉の燃え滓に水をしっかりかけて灰の後処理をした。
季節柄、空気は乾燥し始めているので火の後始末は抜かりなくやらなければならない。
最後にお世話になった小川さんへ御礼を言って、私達は安室さんの車で米花駅へと出発した。時刻は、あっという間に午後三時を少し過ぎていた。
お腹も満腹。心も満たされた。心地良いエンジン音が身体に響くと、次第にやって来るのは睡魔。出発して三十分程で、後ろの座席が静かになった。
助手席から確認すると、三人の子供達はすやすやと眠ってしまっていた。彼らの膝の上には、本日の収穫物が入ったビニール袋がしっかりと鎮座している。
「疲れたのかな?寝ちゃってる」
「本当だ。結構はしゃいでましたからね」
延々と変わり映えしない風景が車窓を流れる。
行きに比べて帰りの車内は静かだ。子供達の寝息と踏み込むアクセル音。それからエンジン音が車内を包む。私は手持ち無沙汰だったので、膝の上にあるサツマイモが入ったビニール袋の紐を無意味に弄った。
チラリと横目で運転中の安室さんを盗み見る。
前方を見据え、慣れた手付きでハンドルを操作する安室さんは、喫茶店で見る姿とまた一味違ったカッコ良さがある。
彼氏と車で遠出デートって、きっとこんな感じなのだろう。
まるで、安室さんとデート帰り――のような錯覚を覚えてしまう。
いやいや、何を考えてるのだ。妄想も大概にしないと。そもそも、ポアロ常連の女子高生達にこの状態を見られたら――。梓さんと同様に、ネットで有る事ない事好き勝手に書き込まれてしまう。
背筋がゾワッとした。今更だけど、安室さんを誘うリスクを考えてなかった。
「一人で百面相ですか?」
「えっ……、あっ」
見られていた。
私が考えている内容なんて露程も知らない安室さんが、面白そうにクスクスと笑っている。
「もう!そんなに面白いですか?」
「すみません。コロコロと表情が変わる名前さんが、とても可愛らしかったので」
「……安室さん。そういうところですよ」
指摘したものの、彼は意味が解らないと言わんばかりにキョトンとしていた。無意識ほど
質が悪いものはない。
私は気を取り直して、今日の御礼を言った。
「あの……安室さん。今日はありがとうございました。お忙しいのに、時間を作ってくれて」
「いえ、御礼を言われる程ではありませんよ。寧ろ御礼を言うのは僕の方です。お陰で新作デザートが決まりました」
「そうですか!良かったです」
歩美ちゃんの足元にダンボールが一箱置いてある。デザートの試作品を作るために、収穫したサツマイモが詰まっているのだ。
「良ければ試作品を味見していただけますか?」
「良いんですか!?私で良ければ……是非」
「決まりですね」
スムーズに取り交わされる約束。私は新作デザートの試作品に心躍らせ、安室さんが柔らかく笑った。
私達を乗せた車は渋滞に巻き込まれることもなく、無事に米花駅前に到着した。
・
・
叔父の家に寄った時。インターホンが鳴ったので玄関に行くと、お隣の沖矢さんの姿があった。
両手に大学芋が入ったタッパーを持っている。
「こんにちは、名前さん。この間頂いたサツマイモで大学芋を作ってみました」
「わあ、こんなに!?」
「少し作り過ぎてしまいまして。お裾分けです」
タッパーには、黄金色の蜜がとろりと掛かった美味しそうな大学芋が沢山詰まっていた。今回も叔父や哀ちゃんの二人分のお裾分けにしては、やはり量が多い気がする。
「……逆に気を遣わせてしまってすみません」
「いいえ、そんなことないですよ。新しい料理に挑戦出来て楽しくて、つい作り過ぎただけです」
「美味しく頂きますね」
そう言って、沢山の大学芋が入ったタッパーを受け取った。
「ほお〜、美味しそうな大学芋じゃな」
「博士、あまり食べ過ぎるとメタボに良くないわ。一日三個よ」
さっそく頂いた大学芋を哀ちゃんがお皿に取り分けてくれた。私もありがたく頂くことにした。
一足先に食べ始めた哀ちゃんは、思案顔で芋を咀嚼する。そして、暫く黙ってからポツリと呟いた。
「……まぁまぁってところかしら」
「哀君は素直じゃないのぅ」
叔父の言葉に私も頷いた。大学芋はとても美味しかった。
芋掘りから一週間ちょっと経った。
家庭教師のバイトが終わると、太陽はとっぷりと暮れていた。最近は日が短い。寄り道がてら、喫茶店・ポアロに顔を出すことにした。
何となく、新作デザートの試作品が気になっていたのだ。外から店内を見ると、お客さんはいなかった。
「こんばんは!」
「名前さん、いらっしゃいませ。カウンターへどうぞ」
カウンターの席に座ると、安室さんが思い出したかのようにバックヤードに向かった。
「そうだ、例の新作出来たので食べてみて下さい」
「えへへ。実は試作品を出来たかなと思って今日来ました」
「そうなんですか!丁度良かった」
バックヤードから安室さんの弾んだ声がする。そして、小皿を持ってカウンターに戻って来た。
試作品です、と目の前に置かれたのは黒胡麻生地のパウンドケーキだ。仄かに甘いサツマイモの香りが鼻腔を擽り、私の腹の虫が鳴った。
「サツマイモのパウンドケーキです。付け合わせのクリームを付けて食べてみて下さい」
「わあ……!いただきます!」
一口頬張る。しっとりした生地は舌触りが良い。ほんのりとサツマイモの甘さが口の中に広がり、黒胡麻の香ばしさが後からやって来た。
甘いものは疲れた時の万能薬だと思う。フォークを口に運ぶ動作が止まらない。
「しっとりしてて、甘過ぎないので幾らでも食べたいです」
「気に入って頂けて良かったです」
美味しいものを食べると、どうしても口許が綻んでしまうのは仕方ない。
「ふふふ、名前さんっていつも美味しそうに食べますよね」
「そ、そうですかね……?何か恥ずかしいです」
自分では良く解らないが、カウンター越しの安室さんは目尻を弛ませて、楽しそうにこちらを見ていた。
「試行錯誤して作った甲斐がありました」
探偵と喫茶店アルバイトの二足の草鞋は大変じゃないかと質問すれば、安室さんのブルーグレイの双眼はどこかに想いを馳せるように瞬く。彼の真意を、私は窺い知ることは出来ない。
自分が作ったものを、お客さんが美味しそうに食べてくれる。
それがある意味で息抜きにもなり、自分のやりがいに繋がっている――と、安室さんは言った。
「だから安室さんが作るご飯は、いつも優しい味がするんですね」
「優しい、味……ですか。ははは、そんなこと初めて言われましたよ」
安室さんは幽かに泣きそうな顔をした。だけど瞬きと同じくらい一瞬の出来事だったから、見間違いかと思った。だって――カウンター越しにいる安室さんは、いつもの柔和な笑顔で私を見ていたから。
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