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※1/1金カ夢文字書き24時間一本勝負にて掲載
お題:正月
お相手:誰でも
※名前変換なし


 もういくつ寝るとお正月。早く来い来いお正月。師走も十三日を過ぎると、どの家も正月を迎える準備で忙しくなる。鯉登家も例外ではない。ユキは門松の手配を済ませ、女中たちへ大掃除の段取りをてきぱき指示する。音之進は畳の上で寝そべり、口ずさみながら凧の準備をしていた。
 私は高い山から下界の様子を観察する。一日が終わる度に、人間たちは新年を迎えるために慌ただしく動き回る。煤払い。門松。しめ縄。鏡餅。祝い箸。これらは全て、私――年神様を迎えるため。
 さて、そろそろ山を降る支度をしなければ。せっかく人間たちが準備して、もてなしてくれるのだ。早めに降りて、様子を見ようではないか。うん、と身体を伸ばすと関節が鳴った。
 町の大通りは大層賑わい、お店を冷やかし歩く。今年も色々あったけれど、すれ違う人間たちの顔はどれも明るい。どうやら私も一年の役目をしっかり果たせたらしい。その事実が誇らしく、足取りは軽やかになる。一年ぶりの下界に気分も上がり、目的の場所へ到着するのが遅くなってしまった。
 立派な門構えの両脇に、既に目印は鎮座していた。斜め切りの竹。青々した松。華やかに彩る可憐な紅白の梅。そして、散りばめられた赤い南天。
「今年の門松も立派じゃな」
 出来栄えに満足しながら、当たり前のように鯉登邸に入った。台所へ行くと、女中たちはお重におせちを詰めている。そのまま居間に行くと、床の間には大きな鏡餅が用意されていた。ここなら家人たちの様子も分かるので申し分ない。鏡開きの日まで、私の依り代――居場所となる。
「姉さあ、誰?」
 くりっとした大きな瞳で、こちらを見つめる子供の存在に気がついた。しばらく無言で見たつめ合った後、子供は再び同じ問いかけをした。確か子供の名前は、音之進といったか。
「……音之進。私のことが見えるのか?」
「ないごてあたいん名前を知っちょっと?」
「私は神様だからな。音之進が生まれるずっと昔のことも、何でも知ってるぞ」
「あたいも姉さあのこと知ってもす。姉さあはいつもお正月に来っせぇ、知らん内におらんごつなっ」
 初めて言葉を交わしたのは今日だが、音之進はずっと前から私の姿を知覚していたらしい。口振りで、そう察することが出来た。そう言えば平之丞も子供の頃は、私のことが見えていた。
「私はお主らを一年間守護する神じゃ」
「神様…天照大神か?」
「惜しいが違うぞ! 私は年神様じゃ」
 天照大神は私の伯母に当たるが、今は置いておこう。
鏡餅これが私の依り代……住処みたいなものじゃな。鏡開きまで世話になる。よろしくな」
 すごいすごいと、無邪気にはしゃぐ音之進を平二とユキと平之丞は不思議そうに眺めていた。音之進が鏡餅の出来栄えに喜んでいると思ったのだろう。これが私と音之進の出会いだった。

 鯉登家の正月は一家揃って、地元の神社へお詣りに行く。普段は静かで厳かな境内も、正月の時期は大層賑わっている。お詣りの順番待ちは途切れず、既に長蛇の列と化していた。一体どこから、こんな大勢の人間が湧いてくるのだろう。一年の始まりの日に並んでまで神へお祈りしたいとは、人間とは難儀な生き物である。両手の皺を合わせ、お祈り中の音之進を眺めながら、私はそう思った。
「音之進は何をお祈りしたんじゃ?」
「内緒!」
 寒さで鼻の先を赤くする音之進はまるで悪戯っ子のように笑い、小さな両手で口元を覆った。どうやら、本当に教えるつもりはないらしい。人間の願い事を当てるのは、神にとって朝飯前だ。
「ならば当ててやろう! 家族みんなが元気に過ごせますように、じゃな?」
「な、ないごて分かったと!」
「私は年神様ぞ? 何でもお見通しよ」
 音之進は目を大きくして驚いた。まるで摩訶不思議な手品を見せつけられる観客みたいだ。申し分ない反応に、私も鼻が高くなる。ころころと表情が変わる子供は可愛らしく、見ていて飽きない。今年は楽しい正月が過ごせそうだ。
 すると音之進は、ぽつりと呟いた。
「姉さあは一人しかいなかて、あたいと一緒におって良かのか?」
「どういう意味じゃ?」
「ずんばいの人の願い事を聞っなんち、大変じゃなかと?」
 周囲を見渡して、音之進の質問の意図が分かった。
「私たち神様は八百万といってな、古くからこの国に住んでおる。お主ら人間よりもたくさんおるから、願い事を聞くのも容易い。だいたいは似たり寄ったりの願い事だが、稀に面白い願い事をする人間もおるなあ。信仰してくれる人間がいる限り、神もこの世に存在し続けるというわけじゃな」
 逆を言えば誰からも信仰されなければ、神であっても死んでしまうということだ。
「ちなみに、音之進には私が巫女装束の女に見えるだろうが、見る者によっては全然違う姿をしておる。そうじゃなぁ……じじ様に見える人間もいるぞ。美人な巫女風の女で良かったじゃろ?」
「じじ様姿ん方が神様んごたっち思う」
 時に子供の一言は、胸を深く抉るものである。
 お詣りを終えた一行は鯉登邸へ戻った。音之進は平之丞と羽子板に興じ、私は兄弟の様子を居間から眺めていた。二人はきゃいきゃいと笑いながら、楽しそうである。白熱した打ち合いの末、色艶の良い小麦色の頬には墨が塗られていた。
「音、布を持っくっから待ってろ」
「うん!」
 縁側に腰かける音之進のそばに、私も腰を下ろす。
「兄さあには見えんの?」
「……見える者と見えない者がおる。誰もが音之進と同じように、見えるわけじゃない」
 厳密に言えば、かつては平之丞にも私の姿が見えていた。七才までは神の子という言葉に則り、音之進が私の姿を知覚出来るのも七才まで。七才を過ぎれば私のことも見えなくなり――いつの日か、言葉を交わした記憶も忘れてしまう。大人たちに私は見えないし、立派に成長した平之丞も既に覚えていないだろう。
「音之進は特別じゃな。すごいぞ!」
「まこて? 嬉しか!」

 楽しい正月はあっという間に過ぎ去った。平二は軍務に戻り、平之丞も海軍兵学校へと戻って行った。少しずつ日常に戻りつつある中、遂に鏡開きの日を迎えた。
 鏡開きとは、年神様の依り代である餅を食すこと。即ち、私が山へ帰る日でもある。それは音之進と私の別れを意味する。いや、別れだなんて大層な言い方だ。また一年後、年末年始に会える。永遠の別れではないのに、音之進は鏡餅を割らせまいと木槌を持つユキの前を動こうとしない。餅好きな息子が泣きながらも、鏡開きを阻止しようと立ちはだかっている。その理由が分からないユキは、ほとほと困り果てていた。
 私は小さな子供の傍らへ屈み、諭すように言う。
「音之進、母を困らせてはならんぞ」
「……嫌じゃ。餅を割ったら、姉さあは消えっしまう」
「依り代の餅がなくなれば私は山へ帰る。そういう決まりじゃ、仕方なかろう? だけど永遠の別れではない」
 音之進は顔を伏せ、頑なに動こうとしない。これは完全に拗ねてしまったな。しかし鏡餅を食べてもらわなければ、年神様として役目が果たせないので困るのだ。
「私の力が宿った鏡餅を食べることで、鯉登家は一年間無病息災に過ごせる。鏡餅は供え、降ろし、開いて食べることに意義があるのだぞ。全て食べることが大事じゃ。音之進には一年間、怪我や病気もせず元気に過ごして欲しい。元気な姿を私に見せてくれ」
「……また来年も会ゆっとな? あたいに会いけ来てくるっか?」
 湿り気を含んだ音之進の言葉は、かつて平之丞にも問われたものと同じだった。
 そうだな。お前が七才を迎えるまでは会えるぞ――とは口が裂けても言えやしない。音之進の悲しむ顔が、容易に瞼の裏に浮かぶ。また来年、とは言えなかった。その【来年】は、残り二回で終わってしまうからだ。
 いずれ音之進は私のことを忘れてしまう。平之丞もそうだった。人間たちは常に神の存在を感じながら生きていない。神はいつもそばにいながらも、そばにいないものである。
「また会いに来る。ほら、笑え!」
「うっ、うん……、うん!」
 口角を人差し指で引き上げてやれば、音之進はぎこちなく笑った。泣くまいと我慢していた涙の粒は赤く染まった目尻から溢れ、まろい頬の上を滑り落ちていく。私が屋敷から外へ出ると、背後からパカンと餅を割る小気味良い音が響いた。

 四季は何度も巡りに巡り――乾燥した冷たい風と共に師走がやって来た。今や音之進は、立派な軍人へと成長していた。十数年ぶりに旭川から帰省した息子を、ユキは感慨深く出迎えた。
「かかどん。ただいま」
「音之進。お帰りなさい」
 初めて音之進と言葉を交わしてから、どれほどの月日が経っただろうか。精悍は顔立ちの音之進には、子供特有のあどけなさは見当たらない。それどころか左頬に刀傷まで拵え、武人としての箔をつけていた。
「音之進、久しぶりじゃなぁ! 元気だったか? ねえってば、ねえ!」
 音之進の前を横切ったり跳ねたり、大きな声を出しても全く反応なし。それは彼が大人になった証拠でもある。喜ばしいことだ。
 私のことが見えていた頃。平二は誰もいない空間で一人喋る息子について、幼い子供特有の言動だと思っていた節があった。大人には見えないお友達、もしくは空想の産物に過ぎず、長じるに連れそういった言動はなくなるだろうと気長な目で見守っていた。
「私だっておるのに。まあ……お主には見えないし聞こえもしないか」
 床の間に設置された鏡餅は、今年も私の依り代である。居間には母と息子、そして住み込みの女中が数人いるだけ。鯉登家も、だいぶ寂しくなってしまった。
 私は神だから、時の移ろいなど考えたこともない。過去、現在、未来の時間軸は常に一緒に存在しているからだ。ふと音之進と過ごした僅かな日々を思い出して、ちくりと胸の辺りが痛んだ。細い針先に刺された感覚は初めてだった。
 ああ、そうか。これが寂しいという感情なのか。
 年神様として、人間たちの幸福を願い続けて幾星霜。神とは常に孤独な存在であるから、まさか私が人間じみた感情を抱くとは思わなかった。音之進と言葉を交わし、交流した時間は温かな光だった。
 例え一年に一度、年明けから鏡開きの短い期間だとしても。退屈しない正月を過ごせて本当に楽しかったし、何よりも色んな話しが聞けて嬉しかった。立派に成長した音之進には、一切私の声は届かない。それどころか、ほんの僅かな期間に交流した記憶でさえすっかり忘れているはず。
「お帰り、音之進。大きくなったなあ」
 不意に音之進がこちらへ振り向いたので、どきりとした。彼の視線は、私の依り代である鏡餅から数センチ上の空間を彷徨っている。音之進の目に私は映らないのに――彼は今にも、泣き出しそうな顔をしていた。

 ※

 金塊争奪戦の後処理を終え、十数年ぶりに鹿児島へ帰省した。子供の頃の記憶と寸分違わぬ自宅の様子に、やっと私は長かった旅路が終わったのだと安堵感を覚えた。そんな時だった。
 お帰り、音之進。大きくなったなあ――。
 耳の奥で、とても懐かしい声が聞こえたのは。
 その声の主は誰だろうか。おやっどの渋くて深みのある声でも、かかどんの柔らかくて意志の強い声でも、兄さあの爽やかで優しい声でもない。子供みたいな軽やかさに、どこか威厳の混じる声だ。私の周りにいる人物に、そんな声の者は一人もいない。
 後ろを振り返っても、居間には誰もいなかった。片隅には床の間があり、掛け軸の前に立派な鏡餅が供えられていた。二段の真っ白な餅に、ちょこんと蜜柑が乗っている。何の変わり映えしない鏡餅なのに、何故か懐かしさを覚えてしまう。
 鯉登家では年の暮れに餅つきすることが恒例行事だった。おやっどと兄さあで餅をつき、かかどんと私が出来たての餅を丸める役目だった。兄さあとおやっどが亡くなった今、重労働の餅つきをかかどんだけでやるだろうか。
「あの鏡餅、どげんしたんじゃっと?」
「先日親戚が来てね、年末じゃっで作ろうって。ああ、そう言えば覚えちょっと? おはんがこどんの頃、鏡開きの日に餅を割っなって泣き出したこっがあってね」
「あたいが……? いえ、覚えちょらん」
「四、五才じゃったから無理むいないなあ。姉さあがいなくなるって、ほんのこて大変じゃったのよ。姉さあって一体誰じゃったのかしらねぇ」
 かかどんは懐かしそうに小さく笑う。お風呂沸かすで、待ってなせと言った。静かな居間には私と――。
「……姉さあ」
 久しぶりに、そう呼んだ。
 どうして、今まで忘れていたのだろう。
 彷徨う私の視線は、ようやく鏡餅を捉えた。静かな足取りで床の間まで行き、その場に腰を下ろす。一年の中で正月だけ姿を現す彼女は、年神様だったのかもしれない。私は彼女に会えるのが楽しみで仕方なかった。でもいつの間にかぱったりと姿を消し、兄さあが戦死して――。楽しかった記憶は全て、頭の片隅へ追いやってしまったのだ。
 幼い頃の記憶は温かく、心の柔らかい部分に鋭利な刃物を突き立てられた気分だった。再び耳奥から、声が聞こえた気がした。
 ほら、笑え。
 こんなにも近くで、彼女は見守ってくれていたのか。私は涙が零れぬよう、上を向いた。

年神様のおまじない
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