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※名前ありのモブをハニトラする組織夢主をハニトラするバーボン夢(の予定だったもの)
中編として書き途中でしたが中途半端に終わってます。ヤマもオチもありません。
もう続きは書けないので、供養のために不必要な描写は削って掲載します。色々ふわっとした設定なので、適当に流してください。
※名前変換は偽名・コードネーム箇所で設定してください。



 琥珀色の液体に浸った丸い氷が、グラスにぶつかってカランと心地良い音色を立てた。
「バーボンはNOCじゃなかったわ――ベルモット」
 私は、トウモロコシがベースのウィスキーを一口含み、甘くてまろやかな味わいを舌の上で楽しむ。同時に、このお酒の名に相応しい一人の男のことを考える。無骨で男性的ともいわれるバーボンウィスキーは、相反する二面性を持つ彼にぴったりな名前だと思う。
 都内の一等地に建つ高級ホテルのバーラウンジ。ウッディ調のデザインで統一された空間は温もりを与え、間接照明の演出のお陰で落ち着いた雰囲気に仕上がっている。ゆったりと寛げるチェア。客の会話とお酒を嗜む時間を邪魔しない、クラシックミュージックが心地良い。カウンターには数名のバーテンダー達がシェイカーを振り、客達にアルコールを振舞っている。
 窓の外へ視線を向ければ、コンクリートジャングルのオアシスの如く、眼下に広がる御苑の緑を見ることが出来る。昼間であればの話だが。
 私の目の前には、ハリウッド女優のシャロン・ヴィンヤードがワインを嗜んでいた。美しいプラチナブロンドは栗色のウィッグで覆い隠されており、蒼い瞳にはブラウンのカラーコンタクトを付けている。流石は千の顔を持つ魔女だ。どこからどう見てもシャロン・ヴィンヤードには見えない。彼女は葡萄の芳醇な香りを愉しんだ後、赤い液体を口にした。
「お疲れ様」
「それは任務のこと?それとも……バーボンのことかしら」
 私は、白いテーブルクロスの上に超小型の録音器を置く。ベルモットはそれらを満足気に一瞥するだけだった。ベルモットが何も言わなくても、彼女の形が良い唇が弧を描くだけで何となく答えが解ってしまうのだ。
「両方よ。さっそく後で確認させてもらうわ」
 ベルモットは録音器を掌で弄ぶ。
「彼のスマホと車に盗聴器と発信機を着けて様子を見ていたけど、行動に不審な点はなかった。任務もそつなくこなしていたし、NOCじゃないわ。こんなことまでされないと疑いが晴れないなんて、バーボンも可哀想ね」
「組織では中立の立場を貫いている貴女が彼の肩を持つなんて……もしかして絆された?」
「ただの皮肉よ」
「あら、拗ねたの?冗談も通じないのね」
 私の答えに、ベルモットはつまらなそうに呟いた。
「それよりも気になるのは、ベルモット――貴女よ。わざわざ私を呼び付けてバーボンの行動を逐一監視しろなんて……。彼とタッグを組むことが多い貴女がやれば手っ取り早いのに」
「最初に言ったでしょう。別の任務が入ってるって」
「ふぅん、任務、ねぇ……。本当はボスからの依頼と見せかけて、実は貴女からの依頼なんじゃないの?」
「馬鹿ね、それならわざわざ貴女に頼む必要ないじゃない」
 ベルモットへ探るような視線を向けたけれど、彼女は愉快そうに笑っただけだった。
 ボスのお気に入りで他の幹部より自由が許されているからか、独断専行が多いベルモット。その行動が祟って、ジンが彼女の暗殺を何度か試みていると噂で聞いたことがある。秘密を着飾っていると言っても過言ではないこの女に、これ以上質問してものらりくらりと交わされるだけ。
 ここらで潮時だと感じた私は席を立った。
「用も済んだし、もう帰るわ。お酒は程々にね」
「御忠告、どうも」
 メニュー表を眺め、次のアルコールを品定めしている大女優様を一瞥した私は、バーラウンジを後にした。

 ホテルの地下駐車場に出ると、警備員達が空いた駐車場へ車を誘導していた。何台もの高級車が停まっている中、見慣れた白いスポーツカーを見付けたので、私はそちらの方へ駆け寄る。コンコン、と窓を叩くと運転席から一人の男が出て来た。
 つい先程、ベルモットとの間で話題になったバーボン本人である。
「待たせたかしら?」
「丁度今来たところですから、お気になさらず」
 そう言ったバーボンは、スマートな身のこなしで助手席のドアを開けて私を車に乗せる。エンジンがかかり、丁度良い振動が私の身体に伝わった。
「ところで、用事は済んだのですか?」
「ええ。このホテルのスパ、とても良かったわ」
「そうですか」
 私はベルモットとの邂逅を伏せ、何でもないような顔をして息をするように嘘を吐く。長い間後ろ暗い組織に所属している内に、それはすっかり私の身体に染み付いてしまっている。
「任務も無事終わりましたし、美味しいディナーを予約しているんですがこれから如何ですか?」
「……探り屋さんは私に興味でもあるの?」
「同じ組織の一員として、交流を深めておいて損はない。お互いを知る良い機会だと思いまして」
「貴方の本心が知りたいのだけど」
 赤信号になり、前の車の速度が落ちるのに比例して、こちらの車も徐々に速度を落とす。やがて、車は停車した。
「本心、ですか」
 グッと力強く腰を引き寄せられた私の身体は、バーボンと密着してしまう。耳元で、柔らかくも欲を孕んだ男の声が私の聴覚を刺激する。
「貴女と親しくなりたい――と言ったら、どうします?」

 ※

 ベルモットから指定されたのは、都内の国立公園だった。
 程良い緑の間からは、東都のオフィスビル群が垣間見える。都心部から程良い立地のこの場所は、ベッドタウンとしても人気だ。アヒルの形をしたボートが、何隻も池で泳いでいる。ベンチには、読書をする老人や寝そべっている若い男もいた。向こうの広場に何やらパフォーマーがやって来て、野次馬達が集まって楽しそうな雰囲気だ。小さな子供達が大噴水から噴き上がる水に大興奮している。何だか気が緩んでしまう程、平和な光景が広がっていた。
 いや、気が緩んでいる場合ではない。私は、ベルモットに面倒な仕事を押し付けられ――残念ながら断る選択肢を私は持っていない――こんな真昼間に国立公園にいるのだ。そろそろ例の待ち人が来る筈。そう思い、私は腕時計を確認する。
「こんにちは。貴女が……コードネーム、ですか?」
 ふいに、背後から若い男の声が聞こえた。一瞬の隙を突かれたため、私は一拍分反応が遅れてしまった。
「……ええ、そう言う貴方が――」
「始めまして。僕はバーボンと申します」
 そこにはミルクティー色のサラサラな髪と、健康的な小麦肌を持つ長身の男が一人いた。
「どうされました?僕の顔に何か付いてます?」
「いいえ、まさか貴方のように若い方が来るとは思っていなくて」
「すみません、期待外れでしたか?」
「そんなことないわ」
 私は素っ気なく答えた。
「外では安室と呼んで下さい」
 バーボンは、にこりと人好きする笑顔でそう言った。
 良く考えれば、街中でカタカナ名で呼び合っていたら目立つに決まっている。とは言え、彼の場合はそのままバーボンと呼んでもそんなに違和感はないだろう。
 日本人離れした彼の容姿は、既に人目を惹いていた。
 サラサラな金髪と小麦肌。日本人には珍しいアイスブルーの瞳がとても印象的だ。多分、ハーフなのだろう。すらっとしているが、シンプルなカーディガンとカットソーを着こなす身体は引き締まっている。手脚も長く、スタイルも良いから細身のブラックパンツも似合っていた。
「よろしくね、“安室さん”。私のことはなまえで良いわ」
“安室”という名前も、十中八九偽名だろう。人は見掛けよらないとは良く言ったものだ。こんなに人当たりの柔らかい男が、あんな後ろ暗い組織の一員という事実に私は内心驚いている。にこりと笑っているのに本心が見えない。この男も、秘密を纏ってあの組織の中で生きているのだと私は直感した。
「立ち話も何ですし……すぐ近くに車を停めてますので、ドライブがてら仕事の話をしましょうか」
「ええ、そうね」
 バーボンは駐車場までエスコートしてくれるようだ。

 私はポケットの中にある発信機を掌で転がす。ベルモットから頼まれた面倒な仕事とは、この男がNOCかどうか調べることだ。一月前、キュラソーが警察庁のサーバールームからNOCリストを記憶して、ラムに送った。そのメールには、キールとバーボンの名前があったらしい。その後、キュラソーから彼ら二人はNOCではなかったとメールが届いたため、事なきを得たもののキュラソーは組織を裏切った。表向き二人のNOC疑惑は晴れたことになっているが、真偽は不明のままだ。
 これは全て、ベルモットから聞いた話である。
「僕は貴女の仕事を手伝うようベルモットから言われているのですが、詳しく聞いていないんです。今、会員制高級クラブに潜入しているんですよね?」
 隣でハンドルを握っている男が裏切者かどうか、ポケットにある小さな機械で調べる算段だ。
「ええ、ホステスとしてね。ターゲットは佐武一晴……大手システム会社の社長よ」
「我々の狙いは?」
「彼、資金洗浄マネーロンダリングやテロ資金供与を防ぐ、新たな金融システムの構築に携わってるの。ボスはその設計図が欲しいそうよ」
「組織の資金繰りが難しくなることは必須……設計図があれば脆弱性も解るし、ウィルスソフトも開発出来ます」
「佐武の会社のサーバーやクラウドも探ったけれど、設計図はなかったわ」
「つまり、会社ではなく佐武個人に依頼された訳ですか」
 詳しく聞いていないと言っておきながら、飲み込みが早い。
 やはりベルモットの言う通り、彼は頭の回転が速いらしい。彼女がバーボンを一目置いているのも、何となくわかる気がする。
「私もそう思って、彼の交友関係を調べたの。金融庁長官秘書と旧友だと解ったわ」
「それで、僕は何をすれば良いですか?僕がいなくても貴女一人で十分な気がしますけど」
「貴方には、お店のボーイ黒服になってもらうわ。交渉材料を撮ってもらいたいの。既婚男性が社会的破滅に追い込まれるような材料よ」
「……可愛らしい顔してエグいことを言うんですね」
「ありがとう」
 明らかな皮肉に対して、私はにこっと笑顔で返しておいた。
 腹の中を探られないように、秘密のベールを纏わなければあの組織の中で生き抜くことは出来ない。ちょっとでも気を抜けば足元を掬われてしまうのだ。四年前は、スコッチという男がNOCだと露見して自殺したと風の噂で聞いた。最近だとピスコとアイリッシュが組織から切り捨てられ、キュラソーは裏切者として抹殺されたらしい。私だっていつどうなるか解らない。神経が擦り減りそう。
「今回の任務で私が集めた情報をまとめたものを送るわ。後で良いから目を通しておいて」
 私は慣れた手つきでタブレットを操作する。該当ファイルを添付して、バーボンのスマホへ送った。アイコンが透明タイプの遠隔操作アプリと共に。これでいつでも盗聴出来る。後は発信機を車のどこに仕掛けるか。
「ありがとうございます。後で確認しますね」
 車は渋滞に巻き込まれることなく、順調に都内を回っている。フロントガラスから見える景色は快晴だ。今日はこの後支度をして、ターゲットと同伴出勤の予定である。
「そろそろ支度をしないといけないから、この近辺で降ろしてくれる?」
「随分と早いんですね」
「この後ターゲットと同伴なの」
「もう少し貴女といたかったんですが……そういうことなら仕方ない」
 車はウィンカーを出して、ここから近い駅前のロータリーへ入るよう進路を変更した。
「思ってもない癖に」
「酷いなぁ」
 酷いと言う割に、バーボンの口調は戯けている。会話のやり取りを楽しんでいるようで、ますます本音が見えない。私は何も答えず、窓ガラスから都内の景色を眺めることにした。
 ロータリーに入った車が停車位置に止まる。ドアを開けようとすると、バーボンから僕が開けますよと言われたので私は大人しく彼に従った。その隙に、発信機を車の椅子の真下にくっ付け何食わぬ顔で車を降りる。
「僕は明日からボーイとして出勤します。それまでの間、色々と準備する必要がありますから」
「解ったわ。それじゃあ、明日ね」
 簡単な挨拶を済ませた私達は、ここで別れた。
 ロータリーから白いスポーツカーが見えなくなり、私はスマホを操作して発信機を起動させる。上手く作動しているかチェックだ。スマホ画面には簡易的な方角と距離が表示され、丸が点滅しながら東の方へ移動している。丸印がバーボンの車の位置だ。
「……誤作動なし」
 私はバーボンとも深く関わるつもりはない。コードネーム持ちの幹部とはある程度距離を置くのが私のやり方だ。いつものように任務を遂行することだけを考えれば良い。今までそうやって来て、失敗したことはないのだから。

「なまえさん。佐武様がいらっしゃいました」
「ありがとう、安室さん。……すみませんが少し席を外しますね」
 ホールの天井には大きなシャンデリアがキラキラと瞬き、アンティーク調の内装を更に豪華絢爛に魅せている。
 楽しそうに弾む会話。ホステス達が纏う香水の香り。苦い煙草の煙。
 今日も夜の世界の幕が上がり、煌びやかに着飾ったホステス達が客を癒す時間が始まった。ここは都内でも有数の会員制高級クラブ。ターゲットに近付くために、私は半年程前からここのホステスとして潜入している。目的は、彼が設計した金融システムの設計図を手に入れることだ。
 昨日からこのクラブでボーイとして働き始めたバーボンが、私の席に来てターゲットの来店を告げる。お客様に見送られ、私は彼の後ろに付いてターゲットが座っている席へ向かった。
「こんばんは、佐武様。お待ちしてました」
「やぁ、なまえちゃん。遅くなってすまないね」
 座り心地良い黒皮のソファには、髪の毛を七三に分けた働き盛りの男が一人座っていた。スーツや時計はブランド物で固めているが、ブランド物に着せられている感じがする。だけど嫌味な感じかない不思議な男である。
 私は佐武の隣に座り、温かいお絞りを渡す。彼はそれで顔を拭いた。
「お飲み物、どうします?」
 アルコールメニュー表を見せ、佐武は暫く悩んだ後「バーボンをロックで頼む」と言った。何だかこの任務の幸先は良さそうだ。
「安室さん。ロックグラス、お願い出来るかしら」
「かしこまりました」
 礼儀正しくお辞儀をしたバーボンが奥の方へ引っ込んだ。
「お仕事、忙しいの?」
「いやぁ、お陰様でね。仕事が大詰めで大変なんだよ」
「お疲れ様です。ここが佐武様の心の癒しになっていれば嬉しいのですが……」
「僕の癒しは君だよ、なまえちゃん。忙しくても君に一目会いたくて通っているようなもんさ」
 バーボンがロックグラスとチェイサーを持って戻って来た。私はそれらを受け取って、グラスに氷を三つ程入れる。マドラーでゆっくり氷を回しグラスを冷やした後、琥珀色の液体を静かに注ぐ。
「ふふふ、最初は素っ気なかったのに」
 マドラーで混ぜ合わせれば、バーボンロックの出来上がり。ちょっとした意地悪と共に、冷んやりと冷たいグラスを渡した。
「僕はこう見えて人見知りだ。決して素っ気ない態度を取っていた訳じゃないんだ」
 人見知りがこんな所に通う訳ないだろう。
 佐武は、女癖が悪いことでお店のホステス達の間で有名で、取り分け新人に目を付けるらしい。新人に素っ気ない態度を取ることで、相手がどんな反応をするのか見ているそうだ。それは私にとって都合が良かった。
 この半年間、ターゲットに気に入られるために――美味しいお酒の作り方や気配り、身のこなしや政治、経済情勢の吸収など――先輩ホステスのテクニックを目で盗んで実践して来た。功を奏したのか彼のお眼鏡に叶い、こうして指名してもらえるようになったのだ。
「右も左も解らない新人が戸惑う姿を見るのが、お好きなんでしょう?ホント意地悪」
「何だい、拗ねてるのかい?」
 無骨な掌で私の肩を抱き寄せる。
「ごめんなさい、冗談ですよ」
 もう十分機は熟したと思う。設計図を手に入れて、さっさとサヨナラしたいのが本音だ。
「そうだ、なまえちゃんさえ良ければ、明後日お店が終わった後にご飯でも食べに行かない?」
「ええ!行きましょう」
 アフターの申し入れに、私は笑顔で快く承諾する。何てタイミングが良いのだろう。ここまで来たら、もうひと踏ん張り。断る理由はない。
「佐武様が食べたいものは何ですか?」
「お寿司が食べたいね。美味い店があるんだ」
「あら、ステキじゃない」
 私達の会話に入って来たのは、この店のママだった。薄紫色の上品な着物を身に纏った彼女は、佐武に挨拶した。

「お疲れ様でした。近くまで送りますね」
 日付が変わった午前零時過ぎ。本日の営業が終了した。アフターがあるホステス達は客と眠らない街に繰り出し、ママは売上の勘定中だ。すると、バーボンが送迎すると申し出た。
「お店にとって大事なホステスを送るのもボーイの仕事ですから」
 瓶底眼鏡で素顔を隠しているバーボンはにこやかだ。私も彼と情報共有をしたかったので、丁度良かった。
 後部座席に乗り込み、バーボンが車を発進させる。彼の運転する車に乗るのは今日で二回目。疲れた身体に、車の振動が心地良い。窓ガラスには眠らない大都会の風景が次々と流れて消えて行く。
「こんな感じで良いですか?」
 バーボンから手渡されたタブレットには、私と佐武の隠し撮りデータが映されていた。ネクタイに仕込んだ小型カメラで彼が勤務中に撮影したものである。
「ええ、良く撮れてる」
 肩を抱かれた写真。耳元で何やら囁いている写真。右へスクロールすると、私と佐武の親しげな写真が何枚もある。それは、どこからどう見たって恋人同士に見える程親密なものだ。それもその筈。彼の彼女だと自身に暗示をかけながら接しているのだから。
「明後日、彼とアフターすることになったわ。身体の関係に持って行けそうだから、また写真お願いね」
「へぇ……随分と自信があるんですね」
「妬いたの?」
「驚いたな。コードネームも冗談を言うんですね。まともに冗談も言えないつまらない女だとベルモットから聞いていたのですが」
 バーボンが楽しそうに私をからかって来る。ベルモットは、私を愛想のない人間だと思っているのだろうが、余計なお世話にも程がある。私は深い溜息を吐き出して、バーボンの言葉を無視することにした。
 調子が狂う。
 私があしらっても、バーボンは全く気にすることなく話しかけて来る。私も無意識に応じてしまうから、タチが悪い。他の幹部相手には、こんなことないのに。
 ほんの少しだけ苛立ちが生まれる。きっと、バーボンの見張りを押し付けられたことへの不満だ。ジンは彼をNOCだと疑っていると聞いているが、それならジンが見張れば良いものを。
「彼の視線とか私に対する触れ方で、向こうもその気だって解るわよ」
 言葉では上手く表せられないが、佐武を取り巻く空気の波長が色欲に塗れているのを肌で感じ取っただけ。触れ方、視線の寄越し方。口調や言い回し。言葉にせずとも、それら全ては身体から滲み出るものだ。私はそれを敏感に察知しているだけなのだが、ここ暫くこういう任務ばかり回って来ることに今更ながら気が付いた。
「貴女はハニートラップ専門という訳ですか」
「諜報がメインだけど、内容によっては身体を使うこともあるわ。……たまにしんどくなるけどね」
「コードネーム、」
「そんなことより、いい加減瓶底眼鏡外したらどう?」
 バーボンが私の名前を呼んだ気がしたけれど、今日ずっと気になっていたことを指摘する。
「変ですか?」
「変装のつもりだろうけど……逆に目立つ」
 流れる動作で眼鏡を外したバーボンが、バックミラー越しに私を見つめて来た。私は、何故かアイスブルーの瞳から逃れるように視線を外す。
「ボーイはホステスより目立つのはNGですから、瓶底眼鏡コレを付けていれば大丈夫と思ったんですが……」
「数人の女の子が貴方のことチラチラ見てたわよ。今時そんな眼鏡かけてる人いないもの」
「僕の素顔のせいで貴女達の仕事が身に入らなくなってしまったら困るので、眼鏡をかけていたんですが本末転倒ですね」
「どこから出て来るの、その自信……」
 思いのほかバーボンは自信家らしく、それが言葉の節々に現れている。でも不思議なことに、嫌味な感じがしない。
 今夜の彼の出で立ちは、瓶底眼鏡をかけていても隠し切れないオーラが漏れており、良い意味で目立っていたのだ。元々スタイルも良く、体格だってしっかりしているお陰でスーツが似合うのだ。小麦色の肌が白いワイシャツに映え、ミルクティー色の髪と黒のスーツが馴染んでいる。全体的に上手く調和しているのだ。
「おや、そう聞こえましたか」
 私は彼と二言三言だけ言葉を交わした後、車はマンスリーマンション前に停車する。ここは、この任務のために用意したセーフハウスだ。ここから最寄駅まで徒歩五分、潜入先のクラブまで車で片道十分以内と交通の便も良い立地だ。私の本当の住まいは、都内近郊にある小さな古びたアパートだが殆どそこには帰らない。何だかんだ任務が入ってセーフハウスで暮らしていることの方が多いのだ。ベルモットのように、高級ホテル暮らしをしてみたい。
「明日のアフターだけど、終わるまで待ってなくて良いわよ。多分、明け方近いだろうから」
「待つか待たないか決めるのは、僕の自由ですよ」
「私なりの気遣いなのに察しなさいよ……」
「失礼しました。ありがとうございます」
 にこりと微笑む。その甘いマスクを一目見た世の女性はイチコロで彼に堕ちるだろう。
「それではコードネーム、お休みなさい。良い夢を」
 柔い声音で囁くバーボンに、私もつい返事をしてしまった。
「……お休みなさい」

 目が覚めたのは、十五時過ぎだった。バスタブにお湯を張り、身体を沈めればじんわりとした温かさが身体に広がる。寛ぎながら、私はスマホを操作する。目当てのファイルを見付けてタップすれば、バーボンの声が再生された。
『僕です。一昨日からコードネームの潜入先で黒服として働き始めましたよ。……任務は順調です。……ええ、……彼女ですか?』
 通話相手はベルモットらしい。
『貴女から聞いた印象と全然違いました。彼女は一匹狼気質なだけで、無愛想なんかではありませんよ』
 自分がいないところで自分の話をされるのは、良い気持ちがしない。録音した会話内容を最後まで聞けなくて、私は急いで音声を停止した。バーボンのスマホに遠隔操作アプリを仕込んでから、こうして何度か盗聴をしているものの――今のところ疑わしい点は浮かび上がってこない。車に付けた発信機も然りだ。
 今夜はターゲットと一夜を共にする腹積もりだ。たった一度寝ただけで、佐武は金融システムについて吐かないだろう。今までのターゲットも皆そうだった。客とホステスは、お互い弁えているから成り立っている関係性だと思う。私はこれからもう一歩踏み出そうとしている。何度も夜を共にすればする程、私の心は麻痺して行くのだ。 
- ナノ -