希望と不安の交錯

 巨人には人間の都合なんて関係ない。調査兵団が女型の巨人アニをストヘス区内で捕獲し、辛うじて人類終焉に歯止めをかけても、やつらは壁を突破して人間を捕食する。この世に巨人と人間がいる限り地獄は終わらない。
 巨人がウォールローゼを突破した。エレンたちへ巨人襲来の急報が届いたのは、アニ捕獲作戦決行から十二時間後だった。半ば叩き起こされたエレンは、十分に休息出来ないまま身支度して荷台に乗り込んだ。エルヴィンによって緊急部隊が編成され、エルミハ区に向かって出発したのは頭上に月が輝く刻限だった。急報が届いてから、ゆうに六時間は経過している。生ぬるい夜風はエレンの頬を撫でていった。
「何故ウォール教の司祭まで一緒に?」
 アルミンは男へ訝しげな視線を向ける。再び壁が突破されてしまった今、わざわざ非戦闘員のウォール教司祭を伴う理由とは何だろうか。エレンには考えても分からなかった。
「ニックとは友達なんだよ。ねぇ?」
 ハンジは妙に親しげだが、司祭は表情を強張らせて身じろぎ一つしない。どう見ても一般的な友人が纏う雰囲気とは思えず、ハンジが嘘を吐いているのは明白だった。
 馬は前方で等間隔に点る松明を頼りに、エレン達を乗せた荷台を引いて行く。荷台はガタガタ揺れるため、乗り心地はあまり良くない。エレンは頭の片隅で馬の方がまだマシかもしれないと思った。
「彼は壁の中に巨人がいることを知っていた。でも、今までずっと黙っていた。教団は壁の秘密を知っている」
「え、知っていた……?壁の中に巨人がいることを、この人は知っていたんですか!?」
 急に大声を出したせいか。それとも信じ難い事実のせいなのか。エレンは眩暈を覚え、少し気分が悪くなってしまった。
「エレン、大人しくして。まだ巨人化の後遺症が……」 
「彼は自ら同行し現場を見ても、なお原則に従って口を閉ざし続けるのか……自分の目で見て自分に問うらしい」
「何か知っていることがあったら、教えて下さいよ!人類の全滅を防ぐ以上に重要なことなんてないでしょう!?」
 一体、自分に何を問うのだ。こんな切羽詰まった状況なのに、悠長なことを言うなんてどうかしている。三分一の領土を失ってから今日まで大勢死んだ。目の前にいる男もストヘス区の惨状を目にしているはずなのに。ウォールローゼが陥落すれば、今度こそ狭い壁の中で人類同士が殺し合うかもしれない。巨人に攻められずとも勝手に自滅の道を歩むだけだ。そんな愚かな状態が起こって良いはずない。

 今この瞬間、巨人は侵攻し続けている。同期達は巨人の脅威に曝されながら、付近の住民へ避難を呼びかけ続けているだろう。武装解除したまま。壁の破壊を目論む諜報員アニの仲間を炙り出すためとは言え、エレンは彼らの中に裏切者がいると思うだけで気鬱になる。
「質問の仕方はいくらでもある。オレは今、役立たずかもしれんがコイツ一人を見張ることくらい出来る。くれぐれも……うっかり身体に穴が空いちまうことがないようにしたいな。お互い」
 エレンは肝を冷やした。リヴァイの懐から鈍い光を放つ小銃が覗いたからだ。
「脅しは効かないよ、リヴァイ。もう試した。私には司祭が真っ当な判断力を持った人間に見えるんだ。もしかしてだけど……彼が口を閉ざすのは、人類滅亡より重要な理由があるのかもしれない」
「まあ、コイツには少し根性があるらしいが、他の信仰野郎共はどうだろうな。全員が全く同じ志とは思えんが……。それはさておき、ハンジ。お前はただの石ころで遊ぶ暗い趣味なんてあったか?」
「これはただの石ころじゃない。女型の巨人が残した硬い皮膚の破片だ」
 石ころは硝子細工にそっくりで、松明の明かりに反射して煌めいている。エレンは自分の鼓動が早まっていくのを感じた。
「消えてない!」
「そう!アニが巨人化を解いて身体から切り離されても蒸発しない。消えてないんだ」
 石ころは壁の破片と比べて、構造と模様の配列が似ていたとハンジは言う。アルミンの仮説通り、壁は大型巨人が主柱となって硬質化した皮膚で形成されていたのだ。ウォール教の秘密もそれに由来しているのではないか。
「本当にアルミンも言っていた通り……」
「じゃあ……!」
 破壊されたウォールローゼを塞ぐには、穴に適した岩でもなければ困難だ。でもエレンが硬質化能力を習得出来れば――。
「元の材質は同じなんだ。巨人化を解いた後も蒸発せず石化した巨像を残せるのなら……!本当にそんなことが可能ならだけど。さっきまでそう考えてたんだ」
 アルミンは興奮を抑え気味に答えた。
「同じやり方が可能なら、ウォールマリアの奪還も明るいですよね。従来のやり方だと大量の資材を運ぶ必要があったから、それを支える人員や兵站を考えると……壁外に補給地点を設けながら進むしかなかった。およそ二〇年かかる計算だったけど、荷馬車を護送する必要もないなら、シガンシナ区まで最速で向かうことも可能だと思います」
 まさか壁に埋まっていた巨人と石ころの情報だけで、アルミンは今後の見通しを立てていたなんて。エレンには思ってもみなかった。
「夜間に壁外の作戦を決行するのはどうでしょうか?」
「夜に……?」
 ハンジはアルミンへ続きを話すよう促した。
「巨人が動けない夜に!松明の明かりだけで馬を駆けさせることは出来ませんが、人数さえ絞れば……!夜明けまでに、ウォールマリアへ行けるかもしれません」
 ハンジの掌で石ころは瞬く。まるで暗闇の中に灯る一筋の細い光明だ。
「状況は絶望のどん底なのに、それでも希望はあるもんなんだね」
 ただし、全てはエレンにかかっている。
「こんなこと聞かれて困ると思うんだけど……それって出来そう?」
 壁の中に住まう者は一蓮托生。万が一失敗したら全員揃って仲良く巨人の腹の中か、互いに殺し合って滅ぶだけ。両肩にのしかかる人類の命は、十五才の少年にとってあまりに重たい。ハンジの質問に対して、すぐに承諾出来るほどエレンは無神経でもない。全員の視線を一斉に浴び、緊張感で口の中が乾いていく。
 巨人の力に目覚めてからひと月半しか経ってない。アニと交戦して分かったけれど、まだ完璧にこの力は使いこなせていない。本当にアニと同じようなことが出来るのだろうか。
「出来そうかどうかじゃねぇだろ。やれ。やるしかねぇだろ。兵団もそれに死力を尽くす以外にやることはねぇはずだ。必ず成功させろ」
 ジャンも同じようなことを言っていた。人類はエレンに命を使う代わりに見返りを求めている。エレン自身が望むと望まざるに関わらず、強大な力を使ってそれに応えていかなければならない。
 アニが硬質化能力を使えたのなら、きっと出来るはずだ。
「はい!オレが必ず、穴を塞ぎます!」
 ウォールマリア陥落から五年経ち、故郷は見る影もなく荒廃しているだろう。もしかしたら朽ち果てているかもしれない。家も家族も思い出も時間も――何もかも壁の向こう側に置いてきてしまった。五年前の無力な子供は、そうせざるを得なかった。穏やかな日々は還らないが、取り返すことは出来る。
「地下室だ。そこに全てがあると言っていた親父の言葉が本当なら、そこに全ての答えが……あるはずだ」
 地下室の鍵を力いっぱい握り締める。これからやらなければならないことが見えてきた。ウォールマリアを奪還し、巨人を駆逐すれば自由になれる。

 エルミハ区には大勢の避難民が押し寄せ混沌を極めていた。住処と職を棄て逃げてきた人々は様々だった。陰鬱に沈む者、蒼ざめる者、諦観する者、そして憤怒する者。ある者は啜り泣き、ある者は嘆き、ある者は怒声を上げる。エレンはこの光景を嫌なくらい知っている。五年前、彼もその一部に過ぎなかった。ひとまず避難民は夜を明かし、心に余裕があれば――明日のことを考えるのだろう。
 立体機動装置のガス補給と馬に休息を与える間、エレンたちは目的の再確認を行った。推定される穴の位置は駐屯兵の先遣隊が確認中だ。最新の情報によると、巨人は南西の方角からやって来たらしい。ハンジは情報を整理した上で、トロスト区とクロルバ区の間ではないだろうかと予測した。
「ここから先は巨人の領域になるよ」
「エレン。馬には乗れそうかい?」
「はい。身体の力が戻って来ました」
 エレンは掌を硬く握り締めてみた。筋肉の突っ張り感や泥のような怠さは感じない。万が一、再び巨人化しても問題なさそうだ。死闘を繰り広げて一日しか経っていないのに巨人の治癒能力には驚くばかりだ。
「西側のリフトに用意してある。分隊長も急ぎましょう」
「モブリット、ちょっと待って」
 そこには悩ましげな表情の司祭が立っていた。避難民達の様子は、篤い信仰心から目を背くに値する光景だったのだろうか。
「何か気持ちの変化はありましたか?」
 司祭は黙り込み良心の呵責に堪え続けるだけだった。煮え切らない様子にハンジは痺れを切らした。
「時間がない!分かるだろ!?話すか黙るかはっきりしろよ、お願いですから!」
「私は話せない。他の教徒もそれは同じで変わることはないだろう」
「それはどうも!わざわざ教えてくれて助かったよ!」
 司祭は喉元から引き攣った声で信仰心を吐き出した。
「……それは自分で決めるには、あまりにも大きなことだからだ。我々には荷が重い。我々ウォール教は大いなる意志に従っているだけの存在だ」
「誰の意志?神様ってやつ?」
「我々は話せない。だが……その大いなる意志により監視するよう命じられた人物の名なら教えることが出来る」
「監視?」
 ハンジが訝しげな表情を浮かべる。
「その人物は、今年調査兵団に入団したと聞いた」
 エレンもミカサもアルミンも眼を見張った。司祭の言葉を信じるなら、渦中の人物は百四期生の誰かを意味する。
「その子の名は――」
「失礼します!百四期調査兵サシャ・ブラウスです!」
「あ、あいつが?」
「え……誰?」
「あの、分隊長殿。これを……」
「とにかく彼女を連れて来い。彼女なら我々の知り得ない真相さえ知ることが出来るだろう。私が出来る譲歩はここまでだ……。あとはお前達に委ねる」
 司祭は身体から緊張を放出した後、祈るように両目を固く瞑る。これ以上話すことはないと言外に匂わせた。どうやら彼の壁に対する信仰心は本物らしい。
「その子、百四期だから今は最前線にいるんじゃ……」
 まずいことになった。彼女が巨人に喰われたら壁の秘密と一緒に巨人の腹へ納まってしまう。
「とにかく現場に急がないと――!」
 エレンは素早く踵を返すと、勢い余って誰かに打つかってしまった。
「サシャ!?お前――」
「こんな所で何やってるの?」
 サシャは諜報員の容疑者として隔離され、破壊された壁の特定に駆り出されているはず。ミカサも予想外の相手へ驚いた声を出した。サシャは急ぎ飛び跳ねるように進み出て、ハンジへ書類を差し出した。
「先ほど兵団支部に事後報告に行ったところ、上官殿から分隊長宛の書類をお預かりしました!」
「書類?分かった、ご苦労さん!」
 燃え盛る松明の灯りの元で、調査兵団は急ぎ出立の準備に勤しんでいる。馬の準備と荷馬車へ積む備品の確認。巨人との戦闘に備え、立体機動装置の補給ガスも忘れてはならない。エルミハ区兵団本部は戦争が起きたようなていを成していた。
 エレンたちも出発の準備に取りかかる。腰に立体起動装置を取りつけると、身体に慣れ親しんだ重さが加わった。ハンジは最新情報を振り分けながら、渦中の人物について尋ねた。
「その百四期の子は誰なの?」
 百四期が入団してからひと月半。新兵の教育係であれば分かるだろうが、ハンジは普段から新兵と関わる機会がない。壁の秘密を知る百四期生の顔と名前が一致しないのは致し方ない。エレンだって巨人化しなければ、ハンジと関わる機会はなかったかもしれないのだ。
「あの一番小さい子ですよ」
「金髪の長い髪で……あと、可愛い!」
「ユミルといつも一緒にいる子です」
「え……?ユミル……?」
 ミカサの言葉にハンジの手が止まった。
「分隊長?どうしましたか?」
「いいや、何でもない。あと一時間以内に出発するよ。君たちも準備が整い次第、最終確認を行う!」
 ハンジの号令に従い、エレンたちは急ぎ支度を進めた。夜はまだ長い。

 四半刻が経った。全ての準備は終わり、あとは最終確認をするだけ。エレンたちは再びハンジの元へ赴いた。ハンジは書類を穴が開くほど凝視して固まっている。壁に空いた穴の場所は分かったのだろうか。エレンが呼びかけると、ようやくハンジは書類から目を離す。
 先ほどサシャが届けた書類はアニの身辺調査結果だった。役所の管理状態が杜撰で、今まで手間取ってしまったらしい。
「これによると君たち百四期に二名ほど、彼女と同じ地域の出身者がいるようなんだ。その二人は――」
 百四期の中にアニと同郷の者がいる。
 エレンはそれが誰なのか分からないけれど、何故か厭な予感を覚える。再びハンジは書類へ視線を落とし、該当する二名の名前を読み上げた。
「ライナー・ブラウンとベルトルト・フーバー」
 思いもよらぬ名前に、厭な予感が胸騒ぎへと変わっていく。
「五年前の混乱のせいで戸籍資料は大雑把でいい加減なものだ。ただ……この二人は先の壁外調査の時、誤った作戦企画書によってエレンが右翼側にいると知らされていたグループに所属していた」
「あ……!女型の巨人が出現したのも右翼側でした」
「え?どういうことですか?」
 サシャは素っ頓狂な声を上げた。
「二人がアニに情報を流した可能性があるって……いうことだよ」
「何でアニに?」
 女型の巨人や諜報員のことも知らないサシャは、取り残されないように必死だ。話についていくだけで精一杯らしい。
「おい。待てよ、アルミン!何言ってるんだよ、お前――」
「分かっているよ、エレン。当然それだけで何が決まるってわけじゃない。念のため、訓練兵時代の三人の関係性が知りたい。どう思う?」
 エレンたちは三年間の記憶を引っ張り出す。ついこの間まで訓練兵を卒団したばかりなのに、既に遠い過去のように思える。それほど今日まで起こった出来事が強烈すぎるのだ。
「ライナーとベルトルトが同郷なのは知っていましたが、アニと親しい印象はありません」
「オレも二人がアニと喋っているのはあまり見たことがないような……。アニは元々、喋らなかったけど」
「アニはご飯の時も、大抵は一人で食べていましたね」
「私は……覚えていません」
「あ!でもアニは、たまにナマエやミーナとご飯を食べているのを見かけました!」
 ナマエはミーナと幼馴染だったはずだ。エレンもナマエと話したことはある。ナマエは珍しくも調査兵団を志し、外の世界へ行くことを夢見ていた。ジャンはエレンを揶揄したが、何故かナマエを馬鹿にすることも揶揄することもなかった。それが何となく癪に触るのは、また別の話だ。
 彼女は五年前の惨劇で両親を失っているのに、その黒い瞳に巨人に対する憎しみはなかった。寧ろ熱心に巨人のことを勉強していたので、エレンにはナマエが何を考えているのか未だに理解出来ない。
「ナマエは誰とでも仲良かっただろ。八方美人というか……」
 だけどエレンはナマエに対して嫌な感情は持っていない。それが自分でも不思議でならなかった。ナマエは他人との距離を測りながら上手く立ち回っていた。アニから対人格闘術を教わるナマエを見たこともあったけど、エレンには彼女がアニと特別親しかったようには見えない。
「そのナマエって、巨人のことを熱心に調べている子だよね?彼女の出身地は三人と違う」
「同期として、その疑いは低いと思います。無口なベルトルトは置いといても、ライナーはオレたちの兄貴みたいなやつで……人を騙せるほど器用じゃありませんし……」
「僕もそう思います。ライナーは僕とジャンとで女型の巨人と戦っています。ライナーは危うく握り潰される直前で――」
 アルミンが小さく息を呑む。僅かな沈黙の後、思考を整理しながら慎重に口を開いた。
「ライナーは逃げられたんだけど、アニは急に方向転換してエレンがいる方向に走って行ったんだ。僕も……推測でエレンは中央後方にいるんじゃないかと話したんだけど」
 アルミン曰く、その会話は前方を走るアニに聞かれる距離ではなかったらしい。
「……ライナーがエレンの場所を気にしている素振りはなかった?」
 何か考え込むハンジがアルミンの思考を促す。全員がアルミンに注目すると、徐々に彼の顔色は変わっていく。エレンはその先の答えなんて知りたくない――聞きたくなかった。けれどもアルミンは明確な答えを紡ぐ。
「エレンの場所を話したのは、ライナーにそのことを聞かれたからでした。あの時、女型の巨人が凝視していた掌に刃で文字を刻むことも出来たかもしれない……。ライナーなら!」
 この場にいる全員が言葉を見失った。何と言ったら良いか分からなかった。まだライナーとベルトルトがアニの仲間裏切者だと確定してない。エレンはそう言い聞かせても、胸騒ぎが治まるどころか強くなる一方だった。アニがそうだった・・・・・から。

 もうこれ以上、勘弁したい。同期の中で最も頼りがいあるライナーを疑うとはどうかしている。
「は?何だ、そりゃ……?何でそんな話になるんだ、お前――っ、」
「エレン!いや……全員聞くんだ!もしライナーとベルトルトを見つけても、こちらの疑いを悟られぬように振る舞え。もちろんアニ・レオンハートの存在は一切触れるな。彼らがアニの共謀者であってもなくても、彼らを上手く誘導して地下深くに幽閉する必要がある。全員、分かったね!?」
 今後の方針は決まり、それぞれ出発に向けて広場へ駆けて行く。
「とにかく前線に!」
 今は時間が惜しい。一分一秒でも早くここから出発しなければ。エレンも馬の元へ駆け出そうとすると、背後からリヴァイに呼び止められた。
「お前らも聞け。オレと司祭はここまでだが、あとは任せたぞ。お前らはエルヴィンが決めた即席の班だ。今はお前らだけが頼りだ。分かっているな、アルミン。お前は今後もハンジと知恵を絞れ」
「はい!」
「ミカサ。お前が何故エレンに執着しているのか知らんが……お前の能力の全てはエレンを守ることに使え」
「はい、もちろんです!」
「それからエレン。お前は自分を抑制しろ。怒りに溺れて自分を見失うな。今度こそ、しくじるなよ」
「はい!」
 調査兵団は広場に集い、開門の時間を迎えた。重厚な門から覗く向こう側は暗闇が広がるだけで何も見えやしない。一体何が待ち受けているのだろう。南西の壁近くにある古城めがけて全員が馬に乗って飛び出して行った。
 前方に燃える松明を頼りに、エレンは馬を走らせる。深夜をゆうに回り、辺りは馬が駆ける音しか聞こえない。壁の中へ巨人が入り込んだとは思えないほど、嵐の前みたいに静かな夜だった。
 同期たちは無事だろうか。クリスタが壁の秘密を知る権利を持ち、ライナーとベルトルトがアニの同郷で――。あまりにも情報量が多く、エレンは頭の血が沸騰していくのを感じた。信じたくないことばかりだ。
 でもアルミンには正解を導く力がある。トロスト区攻防戦を成し遂げ、女型の巨人を捕獲出来たのもアルミンのおかげだ。エレン一人では今日まで辿り着けなかったと思う。夜風にはためく馬の立髪。馬上で風に曝され続けると少しずつ冷静になっていく。
 どれくらい馬を走らせただろうか。朧な薄明は広大な山裾に吸われ、上空は曇った銀のような明るさが広がってきた。月は深い夜を連れ去り、命の芽吹く光が目に沁みる。長い夜は終わりを迎え、また新しい一日が始まろうとしている。
「あれは……何だ!?」
 朝露に濡れて瞬く山と山の間から、何かがけぶっている。目を凝らして眺めると、どうやら霧ではないようだ。幽かに地響きのような音も聞こえる。すると前方で緑の煙弾と赤の煙弾が打ち上がった。エレンは瞬時に緊張の糸を張る。目的地のウトガルド城に巨人もいる。エレンは操作用トリガーを固く握り締めた。

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