良い子と悪い子

 ベルトルトは、口数が少ない。率先して意見は言わない。きっぱり否定する彼は珍しいと、ナマエは思った。ライナーとベルトルトの間に、奇妙な空気が漂っている。
「……何だそりゃ?“戦士”って何のことだよ?」
 ライナーは怪訝な顔をする。ベルトルトの眼差しは、哀憫の色を含んでいた。二人の会話は、上手く噛み合っていない。少しだけ、ずれている。僅かな歪みは、少しずつ大きくなっていく。
 戦士とは何だろう。兵士とは違うのか。同郷同士の合言葉だろうか。ナマエは不思議な感覚を抱いた。
「とりあえず、火薬の他に使えそうな物は集めておこうぜ。死ぬ時に、後悔しなくても良いようにな」
 颯爽とユミルは、階段を登って行く。
「……さすが調査兵団。他の兵士とは、ワケが違うってことか」
 彼女は窓から外を覗き、上官達の働きぶりに感心する。ナマエも倣って、外の様子を確認した。
 月は天辺から少しずれた。だけど夜が明ける気配はない。青白い月明かりは、戦場を照らし出す。既に古城は、ボロボロだった。崩れ落ちた箇所もある。地面に転がる数体の巨人。熱い蒸気は立ち昇り、ナマエの視界を覆う。目を凝らして、眺めてみた。
「さっきよりも、数は減っているわ」
「……すごい」
 調査兵団の手にかかれば、巨人なんて簡単に捻じ伏せられる。上官達の実力に、クリスタは感嘆の息を吐く。もしかしたら、助かるかもしれない。胸の中に、一縷の望みが灯る。もう少しの辛抱だ。ホッと安堵の息を零す前に、大きな揺れが襲ってきた。ガラガラと何かが崩れ落ちる音もする。
「何だよ、この揺れは!?」
 慌てるコニーは、屋上へ駆け登った。全員が彼の後を追う。半壊する屋上に出ると、ゲルガーとナナバの姿が目に入る。
「ダメだ。二人とも、即死だ」
 リーネとヘニングは、既に事切れていた。頭から血を流している。
「一体、何があったんですか!?急に揺れたので、急いで登って来たのですが……」
「気をつけろ。壁の方角から岩が飛んで来て、そいつにやられた」
 ナマエの問いに、ゲルガーは苦い顔で答えた。
「岩が飛んで来た……?」
 どういうことだろう。周囲を見渡すと、足元に小さな石の破片が散らばっている。破片の大元を辿ると、岩の塊が砕け散っていた。先ほどの揺れは、岩石が衝突したものだったのだ。焚火の燃え滓も散らばっている。
「あいつだ!一体だけ、壁の方に歩いて行った。獣の巨人の仕業に――」
 コニーの言葉に、ナマエも思い出した。
 巨人の大群を、引き連れた猿の巨人。他の巨人と異なり、こちらには目もくれなかった。ただの奇行種だと思っていたのに。猿の巨人は、こちらへ岩を投げたらしい。巨人は人間を捕食する。だから、人間は死ぬのだ。ナマエの仮説上、巨人に明確な殺意はない。
 岩を投げて、人間を殺す。その行為には、明確な殺意が宿っている。巨人の常軌を逸していた。巨人の項を開いても、証拠は何もなかったのに。胸の中に広がる、違和感の正体は何だ。
「どういうことなの……」
 巨人になれる人間。兵団組織に紛れる諜報員。一斉に駆け出した、奇行種の大群。ラガコ村に取り残された巨人。岩を投げて、人間を殺した猿の巨人。
 頭の中で壁外調査から、今日までの出来事が駆け巡った。女型の巨人は、人間を握り潰したり、地面に叩きつけて殺したらしい。ナマエは、その光景を目撃していない。だけど、ネスの遺体を見ている。あの遺体の手足は、あらぬ方向にひしゃげていた。
 点と点が結ばれ、やがて一本の線になる。厭な予感が形を成していく。
「もしかして――、」
「巨人多数接近!さっきの倍以上の数だ!!」
 コニーは大声で叫んだ。状況は最悪だった。巨人が互いに連携しながら、行動するなんて。今まで一度も聞いたことがない。次から次へと、瞬時に状況は変わる。どうやらナマエに、考える時間は与えてくれやしないらしい。
 辺り一面に響く獣の雄叫び。自分の存在を声高に主張している。まるでナマエ達を、嘲笑っているようだ。
「最初から遊ばれてるような気分だ……」
 ナナバが忌々しそうに吐き捨てた。
 脆い石造の塔へ体当たりする巨人。グラリと大きく横へ揺れる。ゲルガーとナナバは、巨人の項を刈り続ける。瓦礫は飛散し、辺りには蒸気が立ち籠める。まさに混戦状態だった。ナマエ達は、屋上から見守ることしか出来ない。

「やられた……」
 立体機動装置のガスと刃は底を尽いた。目の前に広がる光景は、まさに地獄だった。ゲルガーとナナバは、生きたまま巨人に喰われていく。巨人の大群に身体を毟られ、齧られ――跡形もなく死んで逝った。鼓膜に断末魔の叫びがこびりつく。コニーは膝から崩れ落ちる。
 このまま何も出来ないまま、ここで死ぬのだろうか。今にも塔の中に、巨人が侵入して来てもおかしくない。扉につっかえ棒を施しているが、気休め程度だ。突破されるのも、時間の問題だろう。一縷の望みも持てず、ただ喰われるのを待つのか。
 クリスタは、巨人へ石飛礫を投げた。
「よせ、クリスタ。もう塔が崩れそうなんだ。落ちてしまうぞ」
「でも、私達の身代わりに、ナナバさんとゲルガーさんが……!」
「あぁ、クソが!このまま、塔が崩されて喰われるのを待つしかねぇのか?何かやれることはねぇのかよ?こんな任務も、中途半端なまま全滅なんて……!」
 クリスタとコニーは、まだ諦めていない。絶望の中で、足掻いている。
 本当に手立ては、残されていないのだろうか。ナマエは改めて周囲を見渡す。ふと、ある物に目が留まる。出来る、出来ないを判断するより、手足は勝手に動いていた。リーネの遺体に近づき、立体起動装置の状態を確認する。
「ナマエ。何しているんだ?」
 ライナーは怪訝そうに、ナマエを眺める。彼女は無言で、立体機動装置の中身を弄っていた。
立体機動装置これを、動かせれば戦える。まだ終わっていない」
「何だと……?」
 リーネの立体機動装置は、押し潰されていた。蓋は開いており、中から導線が飛び出している。どこから見ても、明らかに故障している。替えの部品や専門工具がなければ、修理出来ない有り様だった。応急処置で、何とかなる状態ではない。技巧術が苦手なナマエでも、使い物にならないことは分かった。
「この状態じゃ無理だぞ。レールを交換しなきゃならない。例え動いたとしても、飛んでいる最中に壊れる可能性は高い。死んじまうぞ」
「じゃあここで、大人しく喰われて死ねっていうの!?そんなの嫌だよ、ライナー」
「ナマエ、他の方法を探そう。その装置は、もうダメだ」
「他の方法って何……?私達が生き延びる方法を教えてよ」
「そ、それは……」
「諦めない。諦めたくない。私達は……私は……っ、この世界のことを何一つ知らない!」
「おい、ナマエ!お前、いい加減に――」
「ライナーは、知りたくないの?壁の向こう側の世界は、どうなっているのか」
 ライナーはその言葉に口を噤む。彼女は装置の蓋を外して、応急処置を始めた。どうにか動かせられるだろうか。装置の外装を解体して、中の導線を引っ張る。
「私も戦いたい。他に武器があれば良いのに。そしたら、一緒に戦って死ねるのに……」
「クリスタ。まだそんなこと言ってんのかよ」
 ユミルは苛立ちを隠さず、クリスタに詰め寄った。腹の底から響く、低い声だった。
「彼らの死を利用するな。あの上官方は、お前の自殺の口実になるために死んだ訳じゃねぇよ」
「そんな、そんなつもりは――」
 ユミルはクリスタを嗜める。確信を突く言葉に、クリスタは力なく否定する。震える口調が、彼女の本音を物語っていた。
「お前はコニーやナマエ、上官達とは違うだろ。本気で死にたくないと思ってない。いつも、どうやって死んだら褒めて貰えるか。そればかり考えてただろ?」
「そ、そんなこと……」
 そんなことない――とは言い切れなかった。図星とも取れる言葉に、クリスタは動揺してしまう。ユミルは震えるクリスタを一瞥する。
「コニー。さっきのナイフを貸してくれ」
 ユミルはコニーから、ナイフを受け取った。ナマエは手を止め、ユミルとクリスタへ視線を向ける。
「何に使うんだよ、それ」
「そりゃあ、これで戦うんだよ」
 意味深な回答だった。ユミルの瞳に、不敵な光が差す。小振りなナイフで、どうやって巨人の大群と渡り合うつもりだろう。
「ナマエ。残念だが、装置そいつは修理しても無駄だ。使いモンになりゃしないよ。後は……私に任せときな」
「他に戦う方法を思いついたの?」
 ユミルの切れ長な目は、ナマエを捉える。ほんの一瞬だった。
 巨人達は、ナマエ達が避難する塔へ群がる。大きな手を伸ばし、登ろうとしていた。巨人に容赦なく体当たりされ、塔は大きく揺れる。空がいぶし銀のように、ぼんやりと明るくなっていく。
「クリスタ。お前の生き方に、私が口出しする権利はない。だから、これは……私の願望なんだがな」
 長い夜が終わる。山の端から、新しい一日を知らせる太陽が顔を出す。生命の象徴である暖かな光。明るくなるに連れ、破壊された痕跡が露わになる。ウドガルト城は、殆ど瓦礫の山と化していた。ナマエ達が避難する塔のみ残っている。
「もうこんな話し、忘れたかもしんねぇけど……多分、これが最期になるから……。思い出してくれ。雪山の訓練の時にした約束を」
 粗暴な物言いでも、ふざけた態度でもない。いつになく真剣なユミルに、クリスタは目が離せなかった。否、離せなかったのだ。最期という言葉に、厭な予感がして堪らない。

 ※

 クリスタは、不思議な体験をした。あれは確か――雪山登山での訓練だった。ユミルとクリスタしか知らない出来事である。
 雪山での登山は順調だった。同じ班員のダズが体調を崩すまで。クリスタは彼の身体を横たえ、ロープで縛る。それを自身の腰に巻きつけた。次第に天候は悪くなり、吹雪で視界は遮られた。方向感覚も失われた。日も暮れてしまい、心許ない松明の明かりだけが頼りだった。荒々しい吹雪に負けぬように、クリスタは雪を踏み締めて一歩ずつ進む。目的地である崖下の山小屋を目指して。
 雪の粒が顔に当たって痛い。気温も氷点下を回り、四肢の感覚は麻痺しそうだ。空腹で力も残っていない。既にクリスタの体力は、限界を超えていた。
「クリスタ」
 クリスタより一メートルほど後ろから、ユミルはずっと呼びかけていた。ユミルは決して、クリスタを追い抜こうとしない。動けなくなったダズを、助ける素振りすらない。ただ一定の距離を保ち、クリスタの様子を観察しながら歩く。足取りに疲労感はない。
「諦めろ」
 ユミルは先ほどから、そればかり言っている。クリスタは首を縦に振らなかった。それどころか、一度もユミルへ助けを請わなかった。助けを求めるのは、お門違いだと分かっているから。
「お前さぁ、やっぱりダズを助ける気ねぇだろ?」
 耳許から声が聞こえた。試すような声音だった。足を止めると、いつの間にか隣にユミルが立っていた。無表情のまま、こちらを見下ろしている。一体、何を考えているのか。クリスタには分からない。
 おもむろにユミルは口を開く。そしてクリスタへ、畳みかけるように囁いた。
「さっき危ないって言ったが、このままじゃ自分も死ぬって自覚はあるんだよな。このまま死ぬつもりだったんだろ?なぁ?」
 うるさいく唸る吹雪の音は、消え失せた。
 たった一言、違うと否定すれば済むのに。クリスタ・レンズは皆の女神様だから、他の人間を道連れに自殺する悪い子じゃない。ユミルに助けを求めてしまったら、足を引っ張ることなる。ユミルが目的地の山小屋へ到着出来ず、彼女の訓練順位に響いてしまうのだ。クリスタのエゴのせいで、迷惑かける訳にはいかない。

 まだユミルには、歩く体力は残っている。このままクリスタ達を追い越して、先に山小屋へ向かうべきだ。なのに頭の中にある言葉の羅列が、口から出て来ない。何も答えられないクリスタへ、更にユミルは声を低くして追い討ちをかける。まるで耳許で、悪魔が唆すような口振りだった。
「ダメだろ?クリスタは良い子なんだから。この男が助かるためにはどうすべきか、私に聞いたりする姿勢を一旦は見せとかないと。なぁ?文字通り死ぬほど良い人だと思われたいからって、人を巻き添えに殺しちまえば、そりゃぁ、悪い子だろ?」
 じわじわと、クリスタの心を蝕んでいく。もう聞きたくない。このまま聞いていれば、良い子のクリスタ・レンズは死んでしまう。ハリボテの箱は空っぽだ。吹雪に吹き飛ばされてしまう。
「違う……!私は……、そんなこと……」
 否定するだけで精一杯だった。クリスタ・レンズは、とっても良い子で皆の女神様なのだ。悪い子じゃない。なのにユミルの言葉は、するすると身体に馴染んでいく。
「お前だろ?家から追い出された妾の子ってのは……」
 確信を得た質問の仕方だ。ユミルの言葉に、クリスタは息を呑む。ドクドクと心臓が嫌なほど跳ねた。隣に立つこの女は、何者なのか。
「血は直系だが、不貞の子に不相応だったので揉めた挙句、いっそ殺しちまえば全て解決すると話は転んだが……せめて名を偽って慎ましく生きるなら見逃してくれてやれと。そうやって、訓練兵に追いやられた少女がいるってな」
 その人物を探すために、わざわざ訓練兵団に入団したというのか。ならば、この女は教会の回し者だ。そうでなければ、物好きにもほどがある。しかしクリスタの読みは、呆気なく外れてしまった。
「安心しろ。誰にも話してないし、この情報は売ったりしない」
「それじゃあ、何で……?」
「さぁ?似てたからかもな」
 ぽつりと呟かれた言葉には、ひとつも悪意はなかった。ユミルの目的も、クリスタには何ひとつ分からなかった。その後も訓練兵団の生活は、誰からも脅かされることなく――ただ平和に過ぎた。ユミルはクリスタの秘密を誰かに話したり、売ったりすることはなかったのだ。

 ※

 ようやく、長い夜は終わりを迎えた。地平線から、眩しいほど光り輝く朝日が顔を出す。夜闇に慣れた目に沁みる。
「お前……胸張って生きろよ」
 まるで遺言みたいなことを口にするユミルは、朝陽を浴びて神々しく――とても美しかった。
「ユミル?待って!!」
 ナイフ片手に急に駆け出す彼女へ、クリスタは手を伸ばした。手の先を掠め、彼女は屋上から飛び降りたのだ。落下する獲物に手を伸ばす巨人の群れ。ああ、喰べられてしまう。この世界で、クリスタ・レンズではない――ヒストリア・レイスを見ようとしてくれた唯一の人が死んでしまう。
「ユミ、ル……?」
 隣から、困惑するナマエの声が聞こえた。朝日よりも濃度が高いオレンジ色の閃光。ビリビリと振動する空気と強い風。目が焼けそうな光の中から、一体の巨人が姿を現した。
『偶然にも、第二の人生を得ることが出来て、私は生まれ変わった!』
 雪山訓練の時、ユミルはそう言っていた。あの時は、どんな意味なのか分からなかった。
『ユミルとして生まれたことを否定したら、負けなんだよ!』
 あの言葉の意味を、クリスタは深く考えなかった。
 閃光の中から現れた小柄な巨人は、塔に群がっている巨人達の項を噛み千切っていく。獣に似た大きな叫び声を上げて。鳥のように俊敏に飛び回り、狙った獲物は逃がさない獰猛な獣のように。
 目の前で繰り広げられる光景に、ナマエ達は言葉を失ってしまう。まさか目の前で同期が、巨人化するとは誰も想像出来なかった。衝撃の事実を目の当たりにして、呆然と立ち尽くす。
「ウソだろ。ユミルまで巨人に……」
「エレンと同じ知性巨人。巨人の皮を被った、人間……!」
 コニーとナマエの声は震えていた。
 項を齧り取られた巨人は、塔に激突する。大きな横揺れに流されたクリスタは、真っ逆さまに滑り落ちる。
「クリスタ!」
 ナマエは手を伸ばすも、指先を掠めただけで届かない。このままでは、クリスタが巻き込まれてしまう。寸でのところで、ライナーがクリスタの足を掴んだ。
「あ、ありがとう、ライナー……!いっ、いたた!ライナー、足!」
 クリスタの呻き声は、ライナーに聞こえていないのか。ライナーは無表情のまま、どこか遠くの方を見つめている。
「ライナー、もう良いって!離せよ、足!」
 コニーは大声でライナーに呼びかけた。ようやく、力を込めて握っていた手を離す。
「すまん……」
「ううん、助かった」
「クリスタ、大丈夫?」
 ナマエの呼びかけに、クリスタは平気だよと答えた。
「クリスタは知っていたのか?ユミルが巨人だったって」
 コニーの問いに、全員が再び下を覗き込む。ユミルだった巨人は、今もたった一体で何体もの巨人と戦っている。
「知らなかった。いつも近くにいたのに、こんなことって……。信じらんないよ、三年間ずっと一緒にいたのに……嘘だ。そんなの……嫌だ……」
 鋭い爪で敵の顔面を引っ掻く。項に噛みつく。一匹で暴れ回る巨人の姿に、ユミルの面影は全くない。クリスタは信じたくない気持ちで、胸がいっぱいだった。
「つまり、あいつは……この世界の謎の一端を知ってたんだな。全く……気づかなかったよ」
「正体を明かし、兵団に貢献することも出来たはずだ。エレンみたいに。それをしなかったのは、それが出来なかったから……なのか?」
「待てよ!?エレンは自分が巨人になれるなんて知らなかったんだろ?でも、ユミルは何か……巨人の力を知ってた風だぞ」
「つまり、自傷行為は巨人化の引き金になるって知っていたってことよね?」
「まぁ、ナイフの使い道なんてそれくらいしかないしな。それにしても、あいつは……どっちなんだ」
「どっちって?ユミルが人類の敵かもしれないってこと?」
「考えてみりゃ、あいつはどんな状況でも我関せずって涼しい顔してたぜ。こんな力隠し持ってたんだもんな。何考えてんのか分かったもんじゃねぇよ……」
 ユミルは人類の味方なのか。それとも敵なのか。クリスタは、一度も考えたこともなかった。だって、まさか巨人化出来るなんて思いもしなかったから。
「……一体ユミルの目的は、何なんだ」
 ユミルが人類の敵なんて有り得ない。彼女は見た目よりも、ずっと単純なのだ。クリスタは、ようやく気がついた。吹雪の中、行われた雪山訓練。あの時に感じた僅かな違和感の正体だ。

 クリスタ達がいる場所の真下に、目的地である山小屋の明かりが見えた。しかし山小屋に行くには、山道をぐるりと遠回りしなければいけない。近道するには、崖を降りるしかない。しかし、歩けないダズを降ろすにはロープが必要だ。確か二人の所持品に、ロープはなかったはず。ユミルはあの時、何と言ったか。クリスタは記憶を手繰り寄せた。
『ここからダズを下に落とす。運良く無事に落ちた先に人に気づいてもらえば、もしかしたら助かるかもな』
 落ちて死ぬだけだと抗議するも、ユミルにうるさいと人蹴りされてしまったのだ。私がやっとくから、先に行っとけ――と。ドン、と押されてたクリスタは、ゴロゴロと転げてしまった。急いで戻ると、ユミルとダズの姿はなかったのだ。クリスタは疲れ切った身体を叱咤し、山道を降った。息を弾ませ山小屋に到着すると、既にユミルの姿があった。ダズは助かったのだ。
 どうやってダズを助けたのか、ユミルに問うても教えてくれなかった。
『私がその秘密を明かした時、お前は……』
 という意味深な言葉を残して。
 あの時のユミルは隠していた巨人の力を使って、崖下の山小屋までダズを運んだのだ。クリスタは、ようやく真実に気がついた。
「これが、あなたの秘密だったんだね」
 どうして巨人の力を持っているのか。何で、クリスタの秘密を誰にも言わなかったのか。人類の味方なのか、敵なのか聞きたいことは山ほどある。
「ああ、ユミルが……!」
 ナマエは、今にも泣き出しそうな声で叫んだ。 
「……ユミル!」
 丁度クリスタ達の真下で、ユミルが数体の巨人に片足を掴まれている。ビキビキと軋む厭な音が響く。ユミルは鋭い爪で、塔にぶら下がっていた。この塔も既にボロボロだ。崩れるのも時間の問題である。一瞬だけ、ユミルと目が合う。
「あ、あいつ!手を離した!?」
 手を招く巨人の海へ、ユミルは落ちていく。クリスタを見つめながら。
「まさか、塔の損傷を気にしているのか!?」
 眼下には、沢山の巨人に喰われるユミルの姿。肉は裂けて血は噴き出し、辺りは蒸気で満たされる。クリスタは唇をきつく噛む。口内に鉄錆の味が広がった。
「……そうだよ。巨人の力を自分一人で逃げるために使うことも出来たはず。あの身体の大きさじゃ、ここの巨人全てを倒すことなんて出来ないよ。今ここでユミルが闘っているのは、私達を命懸けで守ろうとしているから」
 何体もの巨人は、ユミルを喰らい尽くそうと手を伸ばす。このままでは彼女は――。
「何でよ、ユミル……!」
 私がここにいるのは、全て自分のためなんだ。そう言っておきながら、自らを犠牲にしてまでクリスタ達を守ろうとしている。
『私はこの名前のままで、イカした人生を送ってやる!』
 仲間を助けるために、命を使うということ。これがユミルにとって、イカした人生なのか。クリスタには、少なくとも納得出来なかった。
「何で……!」
 あまりにも酷く矛盾している。口では憎まれ口を叩いておきながら、どうして他人のことばかり優先するのだ。雪山訓練の時もそうだ。さっさとクリスタを置いて、一人で先に行けば良かったのだ。
「死ぬなユミル!!」
 我慢ならなくなったクリスタは、ナマエの制止の声を振り切って塔の淵に立ち上がった。そして、腹の底から思いっ切り吠えた。
「こんなところで死ぬな!なに良い人ぶってんだよ!そんなにかっこ良く死にたいのか、バカ!性根が腐り切ってるのに、今さら天国にいけるとでも思っているのか、このアホが!!」
 自分のために生きろって言ってくれたのはユミルなのに。どうして他人のために死のうとするのか。クリスタには、その矛盾が何よりも許せない。
「自分のために生きろよ!こんな塔を守って死ぬくらいなら、もうこんなもんぶっ壊せ!!」

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