点と線の距離

 その巨人の出で立ちはどうも不可解だった。家屋を押し潰すように仰向けに横たわるそれは、だらしなく口元を開いたまま。ギョロリとした両目は不気味な程静かで、ナマエ達から視線を外さずに、じっと見つめている。その巨人を不可解たらしめているもの。それは、頭と胴体のサイズに合わない細過ぎる四肢だ。
 骨と皮だけの細い手足では起き上がることも歩くこともおろか、自身の身体すら支えることが出来ないのだろう。これではいくら人間を喰いたくても動くことすらままならない。
ならば浮かび上がる謎が一つ。
「じゃあ、コイツ……どうやってここまで来たんだ?」
ゲルガーが至極まともな疑問を口にする。周囲の警戒心が高まって行く中で――ナマエは人知れず、巨人の真実に一歩近付けたような、一種の高揚感に近いような気持ちを抱きながらその巨人を見つめていた。
“巨人の正体は人間”という荒唐無稽な己の仮説とも願望とも言えない考え。おぼろげで不明確だったものが、少しずつ明確に形を帯びていく興奮感。彼女の心臓は大きく鼓動する。
「とにかく……周囲を警戒しながら二人一組で生存者を探す。もしかしたらどこかにまだ隠れているかもしれないからね」
リーネの言葉にコニーが縋るような顔をした。
「ベルトルト。オレはコニーと一緒に周囲を捜索するからお前はナマエと行動してくれ。無茶はするんじゃねぇぞ」
「……ああ、解った」
「この後、破壊された壁の暫定箇所を特定する。日没後のことを考えて松明を余分に確保したい。各自準備しておけ」
ゲルガーがそう言った。
 巨人が出現してから、ゆうに六時間は経っているだろう。巨人の大群が、どの辺まで侵攻しているか分からない。あまりここには長居出来ないが、出来る限り情報収集をしなければならない。情報は多ければ多い程、対策を練ることが出来るのだ。ナマエはベルトルトと一緒に静かな村を歩き回った。




 村は不気味なくらい静まり返っていた。空から大岩が振り落とされたのだろうかと考えてしまう程、石造りの家屋の屋根や壁が吹っ飛び、扉の木屑、窓硝子が辺り一面に散らばっている。ラガコ村の状況は思っていた以上に酷く、死の気配に包まれている。人の気配は微塵もない。
 どの家屋も全て破壊されていた。木っ端微塵にしなければ気が済まない――異常な執拗さを感じさせる程の惨状。不自然な光景を目にしたナマエは、一つの民家の前まで走る。
 壁も屋根も破壊された民家。外から中が丸見えだ。
「ナマエ!一人で行動しては駄目だ!もしかしたらどこかに巨人が隠れているかもしれないんだよ、危ないだろう!?」
そう言ってベルトルトは、慌てて彼女の方へ駆け寄る。諌められてもお構いなしに民家の前にしゃがみ込み、ナマエは散らばった木材や瓦礫を手に取って考え込んだ。異常事態を物ともしないナマエも、どこか変なのかもしれない。
 ここラガコ村は壁が破壊された想定エリアから最も近いだろう。逃げ遅れて犠牲になった村民だっている筈なのに、その形跡の欠片すら見当たらないなんて。本部からローゼの施設に移ってから、ナマエは気持ち悪い違和感ばかり感じている。
「一体どうしたんだよ、急に……」
「ねぇ、ベルトルト。何か…… だと思わない?上手く言えないんだけど、巨人の襲撃を受けた割には綺麗過ぎるというか……」
「血痕とか死体がないってことかい?」
「うん……。民家の破壊が巨人によるものだとしたらもっと血生臭いと思うんだ」
 この間のトロスト区みたいに。あの時の惨状を思い返せば、ラガコ村との差異は顕著だ。
 夥しい血液の臭いの代わりに、辺りは砂塵が舞っている。巨人が喰い零した肉片すら見当たらない。ベルトルトが少しだけ思案するように沈黙した後、ナマエの考えに賛成しつつ――もう一つの可能性を示唆する。
「確かに一理あるけれど……巨人の襲撃を事前に感知して全員避難したのかもしれないよ」
「仮に襲撃される前に、全員がどこかに避難出来たと考えて……誰もいない村を襲うこと自体巨人らしからぬ習性じゃない?家屋に隠れている人間を襲うなら解るけど……意味もなく壊す理由って何かな」
「奇行種の可能性はあるんじゃないか?施設に迫って来た巨人の集団が、林に到達してから一斉に走り出して来るなんて、誰も想像出来なかっただろう?」
“出来なかった”というより“しなかった”というのが近いかもしれない。
 何故なら巨人の殆どが通常種であり、奇行種の数は多くないと講義で習った。それに奇行種は、個体によって行動パターンが予測出来ない。だから、捕食対象の人間がいない村を襲う巨人がいてもおかしくない――ベルトルトは、そう言いたいのだろう。確かに、と納得してしまう。規律の取れた行動を取る奇行種の集団というのはとても珍しいとナマエも思う。
 例えあの巨人の集団が奇行種だとしても、仰向けのまま起き上がることすら出来ない巨人について説明は出来ない。民家の上に横たわっている理由は、別にあるのではないか。
「仰向けになっていた巨人ってさ、空から降って落ちて来た訳じゃないだろうから……破壊された箇所から入り込んだと考えるにしては、手足の構造に問題があると思うんだけど。ベルトルトはどう考えてる?」
「這って来た可能性だってある。徒歩で移動したと考えてしまうから、あの巨人が尚更異質に感じるんじゃないか?」
ベルトルトが困ったような口調で言う。
 彼自身もこの状況に困惑しているのだろう。その反面、淀みなく質問に答えてくれる。とても周囲を注意深く観察しているようにナマエは思えた。ベルトルトはそつがなく、何でも器用に物事を片付けてしまう節がある。彼のやり方が他人から見て、積極性に欠けていると判断されてしまう要因だろう。
 元々状況判断能力が高いベルトルトだから、ナマエの考えや仮説を聞いて――自分なりの考えと照らし合わせ、状況判断しようとしているのかもしれない。ナマエの仮説がベルトルトにとって、何か大きなものを齎らす訳ではないだろうが。
「……つまり人が避難したこの村を襲ったのは新種の奇行種で、身動き出来ない巨人は這って移動してあの家の所で力尽きた。ベルトルトはそう考えているの?」
「うん……。でも、君は納得してないように見えるけど何か解ったの?」
 ナマエは頭の中を占めている考えを一旦締め出して、ゆっくり立ち上がる。エレン以外で巨人化出来る人間がいる可能性を考えてみる。
 女型の巨人の正体も、人間だとアルミンは述べていた。“巨人の正体は人間”。仰向けに横たわる不可解な巨人も元を辿れば、ラガコ村の住人という可能性はどうだろうか?そうなれば、コニーに何て伝えれば良いかナマエは解らなかった。すなわち、あの巨人はコニーの知り合い――もしかしたら家族の可能性だってあり得るのだから。
 そもそも“巨人の正体が人間”なんて言っても絶対的な根拠もないし、ジャンとアルミンの時と同様に信じて貰えないだろう。
「……ううん、何も解らないよ」
結局ナマエは、そう言った。
 それから二人は付近の民家を調べて見たものの――生存者を見付けることが出来なかった。案の定、巨人に遭遇することもなかった。ひとまず松明用の木の枝を確保して、ゲルガー達と合流する場所に戻ることにした。
 合流場所に行くと、あの不可解な巨人の前でコニーが力無く項垂れている。その様子だけで、何となくこの村の現状が把握出来てしまう。ナマエとベルトルトに気が付いたのはライナーだった。
「おう。お前達の方はどうだった?」
「こっちには生存者はいなかったよ。そっちは?」
ナマエが報告すると、ライナーは落胆したように息を吐き出した。
「そうか……。オレ達も生存者を見付けることが出来なかった」
「オレの故郷は、もうどこにも……無くなっちまった……」
 コニーはぽろぽろと涙を零して、痛みに堪え兼ねるように呟いた。落ち込むコニーをライナーが慰めている。きっとライナーも、帰れなくなった故郷とラガコ村を重ねているのかもしれない。
「誰か……死体を見たか?」
ゲルガーの問いに各々否定する。
「そんなことがあるのか?巨人が一滴の血も流さずに集落を壊滅させるなんてことが……」
 今ここで、コニーを地獄の底へ突き落とすような考えを口にするのは憚れる。そもそも信じて貰えない可能性が高いから――ナマエはベルトルトの考えを口にした。
「私達が知らないだけで、そういう行動を取る奇行種がいるのかもしれません」
「新種の巨人ってことか?だけどよ――、」
ナマエが答えるとゲルガーは訝しげに異を唱えようとしたところで、リーネが遮るように口を挟んだ。
「全員逃げたんだよ!誰も喰われてないってことだ。家族も、村の人も……きっと!巨人を発見したのが早かったんだ」
「そうか……!そう、ですよね!?」
リーネの言葉に縋るようなコニーの姿はとても痛々しい。ライナーも辛そうに顔を顰めている。胸が痛むような心境に、どうにか耐えようとしているようだ。
「ああ。巨人に喰われて一切痕跡が残らないなんてあり得ないよ」
「松明は揃ったな。これより、壁の破壊箇所を特定しに行く。出発するぞ」
休ませていた馬の手綱を引いてゲルガーが言った。

 ラガコ村を出発して馬を進めること少し。そろそろ陽が暮れて夜が顔を覗かせようとしていた。
「仰向けで動けないあの巨人を見て――何を考えていたんだい?」
「私、そんな変な顔していた?」
 唐突な質問が横から飛んで来た。
ナマエは、隣で馬を走らせているベルトルトに目を向ける。彼は緊張した面持ちでこちらを見返している。
「先輩方は警戒していたしライナー達は呆然としていたのに、君だけは――どちらでもないように見えたから」
ベルトルトは肯定も否定もしなかった。
 ちょっとした感情の機微を感じ取った彼は、やっぱり周りをよく観察しているとナマエは思う。
「巨人の正体に一歩近付けたような気がして、気持ちが昂ぶったの」
「巨人の……正体?」
「“元を辿れば人間”っていう考えが、あながち間違っていないんじゃないかって――」
「それを……コニーに伝えるつもりなのかい?あの巨人はラガコ村の住民の可能性が高いって?」
ナマエが言い終わる前にベルトルトが急に慌てたような、狼狽したように――少なくとも彼女には――そう映った。
「可能性の話であってまだ解らないけど、そうであったらと思ったから……。あんなにショックを受けているコニーには酷かもしれないけど――」
「言うのかい?それがコニーを更に傷付ける……残酷なことだとナマエは承知した上で?」
 身動き出来ない巨人の正体はコニーの知り合いかもしれない。もしかしたら、友人――家族かもしれない。そう言われて“ハイ、そうですか”と彼がすんなり納得する訳がない。当たり前なことではないか。自分の考えを信じて欲しいという欲求を満たすためだけに、仲間を傷付けて良い筈ない。好奇心は時に鋭利な刃物になり、誰かを刺し兼ねないのだ。
 ナマエが黙ったまま何も言わない様子に、ベルトルトが慌てたように謝って来た。
「……ごめん。いくら何でも言い過ぎたね」
「ううん、ベルトルトの言う通りだよ。しっかり調べて結果が出てないまま、私は自分の考えが合っているって思っちゃった……。不用意に誰かを傷付けてしまう可能性もあるのを失念していた……」
いつもライナーの陰に隠れていて、他人と上手く距離感を保つ。決して深く関わろうとしないベルトルトをナマエは不思議に思っていたけど。
「ベルトルトが本音でぶつかって来てくれて……少しだけ嬉しかった」
ナマエは口元を緩めてそう言った。



 すっかり夜が濃くなり、ストヘス区にある憲兵団支部の広場にいくつもの松明が灯される頃。
「一体、何がどうなってんだ……?」
半ば強引に駆り出されたエレンが、しんどそうに荷台に座る。松明の灯りの中でも、エレンの顔色が良くないのでまだ本調子ではないようだ。
「それをこれから確かめに行くんだろ」
エレンからお前もいたのかという視線が返って来たので、ジャンは取り敢えず視線を投げ返す。
「オレもいちゃ悪いかよ」
「別に」
エレンが素っ気なく返したので、ジャンは相変わらず小憎たらしいヤツだなと思った。
「でも、巨人がいる壁を巨人が破るかな」
「前にもあったろ。オレ達が住んでいた町に――」
「あれはだった」
エレンの言葉にアルミンが思案顔のまま答えると、ミカサが質問する。
「アルミン、一体何を考えてるの?」
「あの壁ってさ、石の繋ぎ目とか何かが剥がれた跡とかなかったから、どうやって造ったのか解らなかったんだけど……巨人の硬貨の能力で造ったんじゃないかな」
 その言葉に、ジャンはハッとする。
 思い浮かぶのは、先日の捕獲作戦のこと。アニがまとっている硬い水晶体だ。あれと壁が同じ性質なら硬化の汎用性は高いだろう。エレンもミカサも思い当たることがある様子だ。恐らく、ジャンと同じことを思い返しているのかもしれない。
「巨人が……壁を?」
「何で巨人から身を守る壁の中に巨人がいるのかは別として、問題は――エレン。お前がその能力を使えるかどうかだ」
「はぁ!?そんなこと急に言われてもよ……。まだ実験の最中でこの力がどんなものなのかオレ自身も解んねぇんだぞ」
「まぁまぁ。僕の話しは仮説だから」
ジャンがエレンと睨み合っているとアルミンが間に入って来た。
 アルミンの仮説は正しい。先日の壁外調査と、女型の巨人アニ捕獲作戦でそれが実証されている。ジャンは溜息を一つ吐く。
「まぁ良い。とにかく、軟禁中のあいつらが無事かどうかも気掛かりだ。さっき廊下を通ったら、擦れ違いで聴こえたんだが……数名ずつの班を編成して、東西南北に別れて付近の住民へ避難するよう呼び掛けをしているらしい」
「つまり……、最前線にいるってこと?」
ジャンが齎した情報にミカサが反応する。やっぱり同期の動向は気になるらしい。

「お待たせ。案外準備に手間取っちゃってさ」
 声の主を見て四人が敬礼するとハンジが、良いよそんなのしなくてもと言う。そうは言っても、ハンジの隣には、眉間に皺を寄せた“人類最強”がいるのだ。ジャンはリヴァイとあまり話したことがないから、余計に緊張してしまう。
「あれ?君達何しているの?もうそろそろ出発する時間だよ」
ハンジから言われて、ジャンは思ったより立ち話してしまったことに気付いた。
「じゃあな、お前ら。また後で」
そう言って隊列の前方へ向かった。
 ちらりと後ろを振り返ると、ハンジとリヴァイの他にもう一人荷台に乗り込んだところが見えたが、誰だか解らなかった。
 今回はエレン達とエルミハ区まで向かってから、ジャンとは別行動になる予定らしい。壁の穴の箇所をエレン達が確認しに行っている間、エルヴィンが憲兵団を人類の最南端であるトロスト区まで降りて来るよう交渉するとのことだ。それまでジャンはトロスト区で待機することになっている。
 橙色に染まった広場の前方にはエルヴィン率いる調査兵団が集まっていた。開門を知らせる鐘が響くと、先頭にいるエルヴィンから号令が発せられる。
「ウォールローゼの状況が解らない以上、安全と言えるのはエルミハ区までだ!そこで時間を稼ぐ……行くぞ!」
重い扉がゆっくりと開かれ、先頭から馬を走らせた。
 門を潜ると、目の前は松明以外の目印はない。一面の暗闇がジャンの視界に広がる。闇夜の中、調査兵団の集団はオレンジ色の松明の列を作って行進した。

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