傷付いた敗者たちの帰還

「何でも良い!とにかくここを通すな!」
獣の断末魔のような叫喚が止んだのも束の間。巨人達は人間に興味を示さず、一心不乱に森の最奥を目指し始めた。全部奇行種だったのだ。

唐突に戦闘開始の命令が下り、ナマエ達は当初の命令通り森の奥へ侵入しようとする巨人の掃討に駆り出された。アンカーを木の幹に打ち込み、ワイヤーを巻き取りながら巨人の後を追う。巨人達の速力が早すぎて追い付けず、どんどん森の奥へ侵入を許してしまう。ナマエは、ブレードの切っ先で脚の腱を削ぐので精一杯だった。
もう何体の巨人を森の奥へ許してしまったか解らない。おまけに蒸気が立ち昇り、視界が悪い。すると、乾いた破裂音と共に上空に青い信煙が浮かんだ。
総員撤退――。
馬に乗ってカラネス区へ帰還するという指令だ。戦闘開始も唐突だったが、戦闘終了も唐突だった。

周囲は絶命した巨人から発せられる熱い蒸気が充満しており、湿度が高い。顔に張り付いた汗が鬱陶しくて、ナマエはジャケットで拭った。
「戦闘中止!全員馬に乗って帰還だ!!」
上官が大声で周囲に向かって叫んでいる。号令と共に戦線離脱して、馬を繋いでいる森の入り口へ飛んで行く。ナマエもそれに従おうと身を翻すと――。

項を削がれて蒸気を上げながら朽ちていこうとする一体の巨人が目に入った。
「……もしかして」
ナマエは項の中を見てみたいと、ふと思った。好奇心や探究心というよりも“単なる思い付き”の方が近いかもしれない。
トロスト区攻防戦で巨人の項部分からエレンが出て来た場面を目撃した時は、何が起きたのか解らなかったけれど。エレンと同じことが出来るらしい女型の巨人の存在を考えれば、そこに何か秘密があるかもしれない。

知りたい。単なる思い付きが探究心へと変わると、彼女の行動は早かった。本隊に合流して壁の中へ帰還することは二の次になり、蒸気がゆらゆらと上がっている巨人の項部分へ、ナマエはアンカーを飛ばした。

「熱っ……」
思っていたより高温の項に着地したナマエは、弱点である項部分――縦一メートル、幅十センチを確認する。既にしっかりと抉られていた。早くしなければ、朽ちてしまう。両手でグリップを握り締め、巨人の分厚い項部分にブレードの切っ先を突き刺して更に肉を切り落とす要領で作業をし始めた。

いつもの要領で、分厚い肉を削ぎ落とすのとは勝手が違った。何より、勢いと遠心力がない分、幾分手間取ってしまう。それでも何とか巨人の肉を切り落とすことは出来た。
項部分を広く切り裂かれた部分から勢い良く巨人の血液が噴き出して、ナマエの顔に掛かった。不快感を覚える前に、顔に付着した血液が蒸気を上げながら消えて行く。熱い蒸気を物ともせず項部分を覗き込んだ。
「何も、ない……?」

項の内部は赤い筋肉質で覆われていただけで、人間なんていなかった。
「エレンは項から出て来たのに、普通の巨人にはいない……?」
巨人の弱点が項部分なのは、確証はないが――そこに人間本体がいるからだと思う。
「項を削がれた時に中身も一緒に削がれている……?」
もっと奥に人間本体がいるのかもしれない。

試す価値はある。ナマエは剥き出しにされた筋肉へ、更にブレードを突き刺して抉ぐるように斬り裂いた。巨人の血液が吹き出し、顔に飛び散ったがナマエはお構いなしに無心で肉を抉り続ける。
巨人の脂と血で刃が鈍くなり、ブレードの刃がボロボロになってしまった。やっとの思いで抉り取ったそこは、頭を支えるための骨が僅かに顔を出したに過ぎなかった。
「そんな……」

解らない。どう考えても、何度考えても何も解らない。どうして人間を喰べるのかも。彼等の正体が人間だという確固たる証拠も。それでも彼女は、考えることは止めなかった。

巨人の唯一の急所である縦一メートル横十センチを、人間に当て嵌めてみると頸椎に値する。グリシャが、カラネス区へ診療に訪れた際教えてくれた。頸椎には、身体を動かすための大切な神経が張り巡らされている。それを今、思い出した。
「確か神経が密集しているから、切られれば即死だって言っていた。それは人間だけじゃなくて巨人にも当て嵌まるのかもしれない……」
ナマエが一人でブツブツと呟いている最中でも、巨人の身体は朽ちるのを止めない。皮膚と肉、やがて骨も朽ちて何の痕跡も残さない巨人を恨めしく思った。

外の世界へ行くためには、敵のことをもっと知らなくてはならない。巨人の研究に熱心な人物が調査兵団内にいると聞いたことがある。無事壁内に帰還したら、その人物を今度こそ訪ねてみよう。入団してから長距離索敵陣形の演習を受けていたから、時間が取れなかったのだ。

エレンの巨人と他の巨人の違いなど興味深い見解が聴けるかもしれない。もしかしたら、どん詰まった“子供染みた仮説”に何か新しい閃きがあるかもしれない。グラつく巨体にナマエはここまでかと思った時、不意に上からジャンの声がした。
「ナマエ!まだこんなとこにいたのか、探したぞ!お前――何……やってんだ……?」
「ジャン……!」
顔に付着した巨人の血と滴る汗が混じり、ナマエの顔に張り付いていた。ローブやズボンにも血が付着して身体のそこかしこから蒸気が上がっていた。
死滅した巨人の身体を食い入るように観察する少女の光景は、はたから見れば異常だろう。

立ち込める大量の蒸気のせいでジャンがどんな表情をしてこちらを見ているか解らなかった。ナマエは朽ちて行く巨人の身体から、ジャンの元へと移動した。
「巨人の項を見ていたんだ。急所が項なのは、身体を動かすための神経が集まっている場所だからじゃないかな?人間と同じだよ」
「……は?」

ナマエの話を聞いて、ジャンの口から戸惑いが漏れる。
「巨人化したエレンは項部分から出て来たでしょ?だから人間本体は項にいるんじゃないかって――」
「お前……、ふざっけんなよ!」
ジャンが突然怒鳴ったのでナマエは驚いたあまり、続きの言葉を飲み込んでしまった。
「壁外での単独行動は御法度だと何度も上官に言われただろうが!さっきまで後ろにいたのに確認したらいつの間にかいなくなってて、何かあったんじゃねぇかって心配したんだぞ!それなのに……、項の中身だの人間と一緒だとか――こっちの心配も知らねぇで……」
心配と怒り。そして脱力感が混じったヘーゼル色の瞳がナマエに突き刺さる。
「あ……」
漸くナマエは、自分本位な行動をしていたと自覚した。同期を危険な目に合わせたということも――。

壁外で勝手な行動は許されない。自分一人の行動が集団に危険を及ぼす可能性があるからだ。
部隊から勝手に離脱したナマエが巨人に喰われたら自業自得で終わりだが、ジャンは違う。危険を冒してここまで引き返して来てくれた。途中で巨人に出くわす可能性だって充分考えられるのに。
「本当に……、肝が冷えた」
怒りを含んだ先程の声と違い、語尾が震えている。
「ごめん、ごめんなさい……。どうしても知りたくて、巨人についてしっかりした証拠が欲しくて――つい自分本位な行動を取ってしまった……」
弁解したところで結果が変わる訳ではないが、ナマエはありのままの気持ちを伝える。そしてもう一度、ごめんなさいと口にした。
「……解ったならもういい。アルミンも顔真っ青にしながらこの近くで待ってる。さっさとここから離れて本隊と合流するぞ」
安堵なのか呆れた溜息なのか、ナマエには解らなかったけど――ジャンが息を吐いた。二人は立体起動のガスを吹かせて森の中を飛ぶ。
ナマエが少しだけ名残惜しそうに後ろを振り返ると、巨人の身体は木々に遮られて見えなかった。
そんな彼女の様子を、ジャンだけが見ていた。

少し進むと、青い顔をしたアルミンが所在なさげに立っていた。
「ナマエ、どこ行ってたの?凄く心配したんだよ!?」
ジャンとナマエの姿を確認して酷く安堵したアルミンが二人に駆け寄った。
「ほら、アルミンにも謝れ」
「勝手に部隊から離れて心配掛けさせてごめんなさい。巨人について調べてただけなんだ」
「調べてた……?壁外で一人でいることは危険だって――」
「アルミン。さっきオレからもキツく言っておいた。責めたい気持ちも解るが、それは帰ってからにしてくれ」
「――無事で良かったよ。怪我はない?」
ジャンの言葉を聞いて、アルミンは何とか言葉を飲んでくれたようだ。
「……どこも怪我してないから安心して。二人とも、心配掛けてごめんね。もう一人で勝手に行動しない」
ナマエは二人に向かってそう言った。もう二度と、同期を危険な目に遭わせまいと。

ジャンとナマエとアルミンは、無事に巨大樹の森から抜けることが出来た。既に集まっていた数人の兵士と共に、本隊と合流するために馬を走らせる。周囲に巨人の姿は一切ない。
「撤退ってことは、作戦は上手く行ったのか?」
「だとすると、今頃あの女型巨人の中にいた人間の正体が解ったかも」
「顔を拝みたいもんだな。巨人の正体もその内解るだろうし」
ジャンがちらっとナマエに視線を投げる。
「……どうやら、そう簡単に事は運ばなかったみたいだよ」
アルミンとジャンがこちらへ目を向けたので、ナマエは本隊が集まっている方へ指をさした。

黄緑色の草原に並ぶ、布で包まれた遺体の数々。疲れ果てたように座り込んでいたり、忙しなく動き回って伝令役に徹している者も、黙々と遺体を荷台に乗せる作業をしている者もいる。
きっと、考えたくないのだろう。身体を動かしていた方が良い時もある。
「あのさ、二人とも……巨大樹の森で話したことは誰にも言わないで欲しいんだ。確証を得た話でもないからね」
“さっきの話”とは、兵団内に紛れているであろう諜報員と女型の巨人の捕獲作戦のことだろう。
「……うん、解った」
アルミンの言葉にナマエは一つ返事した。

アルミン、ジャン、ナマエは本隊に合流すると遺体回収作業に移った。さっきまで青かった空が、いつの間にかオレンジ色に染まっている。一介の新兵に今回の壁外調査の本当の目的なんて何一つ知らされていなくとも、壁外調査自体が失敗に終わったことは容易に感じ取れた。多くの仲間が死に、それに見合うだけの収穫なんて一つもない。

強いて言うならば、女型の巨人の捕獲には失敗したが、巨人化出来る人間――諜報員の存在が明るみになったということだけだろう。とは言っても、アルミンが状況を鑑みて導き出した仮説に過ぎない。
諜報員は人間の姿に戻り、もしかしたら一緒に遺体回収作業をしているのかもしれない。ナマエの頭の中で、そんな恐ろしい考えが首をもたげて来る。何の成果を得られぬままカラネス区に帰還しても、住民からの突き刺すような冷たい視線が待っているだろうことは想像に難くない。

遺体回収の範囲は巨大樹の森の中までに及んだ。壁外での遺体回収は巨人に出くわすこともあるようで、二次被害も多いらしい。最後の最後まで気が抜けないが、幸いなことに巨人の気配は全くなかった。
だだっ広い草原に血が滲んだ布で包まれた何体もの遺体が安置されて行く。ナマエは遺体回収作業に集中した。遺体を布で包み、荷台に乗せる作業を続ける。トロスト区で何度もやったが、慣れないしんどい作業だ。

いつか――。それすらも慣れてしまう時が来るのだろうか。“慣れ”は一種の防衛反応なのかもしれないが、とても哀しいことだと思う。空虚な瞳が無感情にこちらを見つめるので、ナマエはそっと遺体の瞼を閉じさせて布で遺体を包む。
「頭の方を持ってくれ」
「……うん」
両腕にのし掛かるのはただの亡骸なのに、ずっしりと重たい。腕に掛かる重さこそ、エルヴィンが切り捨てた百人一人ひとりの命なのだ。

遺体を荷台に積むとナマエは周囲を見渡した。サシャとコニーは馬に水をやっている。クリスタ、ユミルは荷台を引っ張っており、ライナーとベルトルトが遺体を運んでいた。
「こんなに沢山死んでいるのに、百四期は悪運が強いね……。今のところ生き残っているなんて信じられないよ」
これだけ多くの遺体が並ぶ中で、馴染みの同期達が生きていることにナマエは安堵する。悲惨な状況で安堵すること自体が、間違っているのかもしれないけれど。

次に死ぬのは自分かもしれない。その恐怖は、人類が巨人に勝利する瞬間まで続くのだ。死と隣り合わせで生きて行くことを改めて実感した。ジャンが疲労が滲んだような口振りで、ナマエ――と呼んだ。
「化け物を凌ぐためなら人間性をも捨てないと勝てないって……お前もそう思うか?」

森の中でアルミンが言っていた言葉だ。
「今の流れを変えるには……相応の犠牲は付き物なのかもしれない。けれど……最小限の犠牲で最大の結果が出せる方法もあったんじゃないかな……。何を言っても結果論になっちゃうね」
「もう少し作戦の目的を知っている人間がいれば犠牲も少なかったんじゃないかって思っちまう。オレは臆病者だからな……、自分が死ぬのも仲間が死ぬのもゴメンだ。……況してや、仲間を切り捨てて得た勝利は本当の勝利なのか解らねぇよ」
「万人にとっての正しい選択ってさ、ないと思うんだ。エルヴィン団長にとっては正しくても、他の人にとっては良くない結果を引き寄せるかもしれない」

誰かが選んだ選択の結果から、因果が生まれる。それを繰り返している内に、因果と因果が複雑に絡まり合い――本人達の知らないところで、他の誰かも引き寄せられる。予測不能な因果の結果だ。
「調査兵団はエルヴィン団長を信じるしかない。でも大事なのは、その先に何を見い出せるかだと思う」
ナマエの言葉を聞いて、ジャンの表情に遣り切れない気持ちが覗く。

例え人類が巨人に勝利する一つの方法だとしても。人間性を捨てて得た勝利とは一体何を意味するのだろう――と、頭の良いジャンは悩んでいる。
「……他に何か出来なかったか悩んでいるジャンから出された指示なら、私は受け入れられるかも」
とても人間臭くて、普通の人間だとナマエは思った。
「買い被り過ぎなんだよ、マルコも……お前も」
ジャンが荷台から降りる。ナマエに背を向けたまま思い出すような口振りで語るが、一体どんな表情をしているのか解らなかった。だけど、彼の後ろ姿はどこか寂しそうだ。夕陽に当たっているジャンから伸びる影が濃い。
「前にマルコから同じようなことを言われた。“オレは強い人間じゃないから弱い奴の気持ちも解る。同じ目線で放たれた指示なら切実に届く”ってな。オレは自分が大層な器の人間だと思ってないが、何でアイツはあんなこと言ったんだろうな……」
さわさわと緩い風がナマエの頬を撫で、草原を通り過ぎるように吹いた。
「マルコはジャンのこと、お見通しだったのかも」
「……オレはそんなに解りやすいのか?」
「良くも悪くも、とても人間らしいよ」
ナマエは思ったことをそのままジャンに伝えた。

パン、と乾いた音が上空から鳴った。お喋りは終わりだと言うように。音の方へ目を向けると緑の信煙弾が上がっている。出発の合図だ。
「話し過ぎたな。……帰るぞ、カラネス区壁の中へ」
ジャンがナマエに、馬に乗るよう促した。

調査兵団はカラネス区へ向けて馬を駆ける。行きの時に滾っていた勇ましさはどこかに消え、帰りは重い空気が垂れ混んでいる。ガラガラと並走する荷台の車輪が悲しげな音を立てて進む。壁はまだ見えて来ない。
「巨人だ!」

誰かが声を上げた。ナマエは声がした方へ顔を向けると、後方から二体の巨人が追って来ているのが確認出来た。しかも良く見ると、二人の兵士が巨人を引き連れて来たようだ。誰かが赤い信煙弾を打ち上げた。
「このままでは追い付かれる!」
「戦うしかねぇのか!?」
アルミンとジャンの切羽詰まった声が聞こえた。周囲はだだっ広くて大きい建物はおろか、木々もない。立体起動装置を使うことは困難だ。
「あっちからも巨人が……!」
誘われるように現れた何体もの巨人の姿。このままの速力だと追い付かれてしまう。全滅してしまう。
「本当に……ッ、やるんですか!?」
「――やるしかないだろう!!」
荷台に乗っている二人の兵士は苦渋にまみれた顔をして、積まれた遺体を一体ずつ放り出した。

それを機に、それぞれの荷台から回収した遺体が次々と遺棄されることになった。遺体は放り投げられた後、硬い地面に叩き付けられ平地に転がる。転がる遺体に見向きもせず、踏み荒らしながら走って来る哀れな大きい人影。嗚咽を漏らしながら、仲間の遺体を棄てている彼らの姿は痛々しい。アルミンもジャンも、歯を食いしばっている。言葉なんて何一つ出て来なかった。
出て来たところで、慰めにもならない。

きっと、今までだって持ち帰れなかった遺体は数え切れない程あるだろうから。ここで全滅しないために――生きて壁の中へ帰還するには、これしかないのだと――喉までせり上がって来る悔しさを飲み込んで、遠くへ転がって行く遺体を皆見つめていた。
全ての荷台から遺体を棄て去ると陣形全体の速力は上がり、命辛々巨人の大群から逃れることが出来た。

その後一度だけ休憩を挟んでから、一行は壁に向かって馬を進めた。聳える巨大な壁と旧市街地が目の前に現れて、カラネス区へ続く門を潜る。予想していた通り、冷たい視線と罵声が待ち受けていた。

夕陽に染まった街並みの中を、調査兵団はまるで見世物のように練り歩く。
「今朝より数が少なくなってないか?」
「早朝から叫び回って出てったと思ったら……」
「こいつらのシケた面見れば解る。闇雲に死にに行っただけで、大した成果も上げられずに帰って来たんだろ」
「元々期待はしてなかったけどな」
取り巻く民衆から大きな溜息と野次が上がる。一行は皆、突き刺す視線から逃れるように下を向いて悔しそうに歯を食いしばった。

壁の外で必死に戦って生き延びて帰って来ても、何かしらの成果を持って帰らなければ意味がない。調査兵団をはじめとした各兵団は貴族からの莫大な支援を得ているが、民衆も高い税を納めている。壁の中の民は納めた税に見合うだけの成果を兵団に求めている。
だから、何も得ることなく帰って来た調査兵団を詰るのだ。民衆が汗水流して得た金貨や銀貨を調査兵団は溝に捨てているようなものだから。
今回の壁外調査の是非は全て団長であるエルヴィンが問われる。

「すっげーよ、調査兵団!あんなにボロボロになっても戦い続けてるなんて!」

どよめく群衆に混じって、無邪気な声が一つナマエの耳に入る。その声の方へ緩慢な動きで視線を向けると、多くの野次馬に紛れて少年がいた。
彼から注がれる純粋な羨望が内包された眼差しにナマエは既視感を覚える。

あれは五年前のシガンシナ区での光景。生まれて初めて見た、巨人に立ち向かう“自由の翼”が背中に生えた英雄達。彼等は深く傷付き――絶望を瞳に宿していた。あの時、ナマエも壁外から生きて帰って来た調査兵達を見ていたけれど。
まさか詰られる立場として故郷に帰って来るなんて、あの頃は予想していなかった。あんなに純粋な瞳を真正面から見れない。勇ましく外に出て、沢山の仲間が巨人に喰われただけ。大きな戦果がある訳でもないから、民衆から冷たい視線に耐えるだけだ。

ナマエは目線を少年から逸らした。今の彼女にとって、彼の瞳の輝きは余りにも強い毒性を持っているから。
「あ……」
声が小さく漏れた。野次馬の中に、ミーナの母親の姿を見付けた。野次を飛ばすこともなく、痛ましい表情をしたまま調査兵団一行を眺めている。やがて野次馬達の人影に紛れ、ミーナの母親の姿は見えなくなった。
先月の攻防戦でミーナが戦死したことは既に遺族に伝わっている筈だ。どんな思いで調査兵団一行を眺めていたのだろうか。
「エルヴィン団長答えて下さい!」
「今回の遠征で犠牲に見合う収穫はあったのですか!?」
「死んだ兵士に悔いはないとお考えですか!?」

エルヴィンを先頭に、罵声を浴びながら調査兵団はウォールローゼ内の本部へと歩を進める。
誰もが下を向き、自分の遣る瀬なさを責めている。失った仲間を想って泣いている。今回の壁外遠征に掛かった莫大な費用と損害による痛手は、調査兵団の支持母体を失墜させるには誰の目から見ても一目瞭然だった。


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