奪取代理

事務所の奥、いくつものモニターが並ぶ部屋で座り心地の良さそうな椅子に腰掛けていた仙蔵の背後で、ギィ、と扉の開く音がする。

「…珍しいな、どうかしたか?」

振り返りもせず、扉の音だけで部屋に足を踏み入れた人物を断定した仙蔵が声を掛けると、黒いロングコートで口元を隠した大男は小さな声で呟いた。

「……依頼していた…人物が、見つかった…」

「ほう、あの女が“そう”だったか」

くっと笑いを噛み殺した仙蔵が椅子ごとくるりと背後を振り返れば、そこに立っていた長次はどこかもの寂しげに敷かれた赤い絨毯を見つめている。

…幼い頃、事故で両親を亡くした長次は鳳凰神拳の師範代に引き取られるまでの間、スラム街で孤児として生きていた。
食べるものも着るものもなく、本来なら守られるべき時期に命の危機に晒された忌まわしい記憶…しかしそれでも彼が無事に大きくなれたのは、引き取ってくれた恩師ともう1人、心の支えとなる人物がいたから。
身を切るような冷たい風が吹き荒ぶミゼラタウンの隅っこで出会った自分と同じ孤児の少女。親に捨てられた彼女は凍える幼い長次と身を寄せ合い、いつも愛らしく笑っていた。
今は辛いけれど一生懸命頑張って生きていけばきっといつかあなたも私も幸せになれるわ、とまるで呪文のように繰り返しながら。
その言葉の通り一生懸命生きていた長次は恩師に出会い、我が子のように愛され、育まれた。しかし修行のため一旦ミゼラタウンを離れた彼は、ずっとその少女のことだけが気がかりだった。
幸せになれたのだろうか、万が一の事は起こっていないだろうか、そんなことが常に頭の隅にあった彼は、伝承者となったあとミゼラタウンに戻り、彼女を探した。
しかしどこを探しても見つからない。困り果てた彼は【笑顔商会】に依頼をし、支払えない報酬の代わりに組織に属した。
勿論後悔などしていないし、笑顔商会は彼にとってとても大切な居場所になった。創設者の2人とは何だかんだで気が合うし、騒がしい性格の遊は少し苦手だが、心根の優しい八左ヱ門とは仲がいい。
普段の仕事の傍らに仙蔵がちゃんと思い出の少女を探してくれているのを知っているからこそ、彼はしっかりと働いているのだ。
だが自分も成長してすっかり大人になったぶん、彼女も成長し面影も変わってしまったのだろう。なかなか見つからない思い出の少女に焦りを感じ始めていた彼は、先日の地下闘技場で運命の出会いを果たした。
大人になった思い出の少女。すらりと伸びた手足や幼少の頃よりもっとずっと綺麗になった姿には目を見張るものがあったが、変わらないものもあった。
意思の強い、彼女の瞳。
どれだけ姿が変わっても、絶対的確信が持てるあの瞳を見た瞬間、長次は泣きそうになった。
生きていてくれた。また出会えたと。
彼女にまた逢えた、それだけでよかったので、長次は感謝の気持ちを彼に伝えるために事務所を訪れたのだ。


「…そうか。それで?辞表でも持ってきたのか?」

「……いいや…」

意地悪く微笑んだ仙蔵に、長次もうっすらと笑みを浮かべる。

「…もうここは…私の居場所だ…」

しっかりとした物言いにくしゃりと笑った仙蔵は、一枚のメモを彼に投げてよこす。

「ならば一安心。長次にしか頼めない依頼が入ってな、頼まれてくれるか?」

受け取ったメモを開き、内容に目を通した彼はどこまでも底意地が悪く優しい仙蔵の肩を拳でコツンと突っついてから、事務所を飛び出した。





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一方、ミゼラタウンの裏路地をあーだこーだ進んだ所にある薄暗いガンショップ。三郎と留三郎が何やら物色している脇で、壁に掛かったマシンガンを手に取った澄姫がそれで勘右衛門の頬をバシバシと叩きながら歓声を上げていた。

「あー!!これずっと欲しかったのぉ!!ねーぇ勘ちゃぁん、コレ買ってぇ、ねぇ買ってぇ!!」

「あばばば、えへへ、しょうがないなぁ澄姫ちゃんってば、おぼふ」

「きゃー!!こっちも欲しーい!!やっぱ戦車よねぇ!!勘ちゃぁん、コレも欲しーい、ねぇお願ぁい!!」

戦車の上に登り買って買ってとはしゃぐ澄姫を見てだらしなく笑う勘右衛門を呆れ顔で見た三郎がそんなもんどこに置いとくんだよと突っ込みそうになった瞬間、留三郎の携帯が着信を告げる。
一言二言話して通話を終えた彼に視線だけでどうかしたかと問い掛けた三郎は、彼の口から飛び出した言葉に眉を顰めた。

「ダブルブッキング」

「は?」

「なんか小林寺の秘伝書獲って来いって依頼だ。笑顔商会も動いてるらしい」

「ああ、あっちはチャーシューなんとか拳の伝承者がいるからか…あいにくウチじゃ無理だな」

けらけらと笑ってそう締めた三郎だが、次の瞬間背中に柔らかい弾力を感じて硬直する。

「それ、ほしい」

三郎の背中からそう聞こえ、留三郎と勘右衛門が揃って素っ頓狂な声を出す。

「はぁぁあ!!?澄姫おま、本気で言ってんのか!?」

「いやいや、さ、さすがに無理だよ!!道場の秘伝書なんて、警察相手とは訳が違うんだから!!」

必死に無理だと繰り返す彼らに、しかし澄姫はぶんぶんと首を横に振り、いつものように駄々をこね始める。

「ヤダ、ヤダ、ヤダ!!ゼッタイ欲しいの!!死んでも欲しいの!!」

「また変なモン欲しがり始めやがって…!!」

ヤダヤダと繰り返す彼女の絶対に折れない我侭発動にぼやいた留三郎。
Funny Familyの3人は困り果てて顔を見合わせ、とうとう輪になって相談という名目の宥め賺し作戦を練り始めた。そんな彼らを暫く眺めていた澄姫は、イエローのルージュで彩った唇をへの字に曲げて無言でガンショップを飛び出した。





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ところ変わって小林寺。
独特の武術になかなか苦戦させられた長次だが、持ち前の身体能力と鳳凰神拳を遺憾なく発揮し、隈の酷い師範代が振りかざす重たい算盤を蹴り飛ばし、鍛え抜かれたその体に渾身の一撃を叩き込んだ。

「み、見事…!!」

そう言って倒れた師範代から秘伝書を受け取り踵を返したその時、彼の足元にビシビシビシッと銃弾が打ち込まれる。
バック転してそれをかわした長次は弾道の先を鋭く睨み、そして瞬きをひとつ。

「その秘伝書、私にちょうだい」

マシンガンを構えて現れたボディスーツの女。長く美しい髪を風に遊ばせてにっこりと微笑む彼女はイエローカラーゴーグルの奥に煌く瞳で彼を見据えて手を出した。

「ねえ、それちょうだい?」

少女のように無邪気なお強請り。
すっかり強欲に育ってしまった彼女を見た長次は慈しむように目を細めると、大きく跳躍し素早く彼女の目の前に立つ。
突然のことに驚いたのか、引き金を引けないまま目を丸くした彼女の顎にそっと手を添え、秘伝書を持った手でマシンガンの安全装置にロックをかけると鼻先が触れ合いそうな位置まで彼女に顔を寄せ、低い声で囁いた。

「……仕事だから…これはやれない……」

「あっ、あっ、えっ?」

「…だが…今度、街のカフェで…ケーキを奢ってやる…」

「ケ、ケーキ?」

「…食べてみたいと…言っていただろう…苺の乗った、大きなケーキ」

「えっ?えっ?い、いちごはっ、好きだけどっ」

「……ならば約束だ………いい子で、待っていろ…澄姫」

しっかり視線を合わせてそう囁いた長次は黒いロングコートを翻して颯爽とその場を立ち去った。
その場に残された澄姫はガシャリとマシンガンを取り落とし、小林寺の人々がところどころに倒れているのを一瞥もせず、へなへなと腰が抜けたようにへたり込んで真っ赤になってしまった頬を紫の手袋に包まれた両手で押さえる。

「はっ…ハプニング、タイムっ…」

彼女の混乱度合いを示す意味不明な呟きが、風に浚われた。


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