治安維持

某所に存在する大きな街、エデンシティ。
貧富の差が激しいこの街を統制しているのは白いワンピーススーツを身につけた幼女と見紛うほど愛らしい少女、時友三葉。
彼女は市長という肩書きの他に、この街でも有名な大人気アイドル。
職業柄日夜休む間もなく働いている彼女だが、ここのところはずっと執務室で頭を悩ませていた。

「う〜ん…」

可愛らしく頭を抱えて悩む彼女の目の前には、いくつもの新聞紙。

「食い逃げ事件に熊出没…こっちは宝石強盗かぁ…」

一面記事から三面記事を飾る数多くの事件に溜息を吐き出した三葉は大きな椅子に背を凭れさせ、徐々に悪化していくこの街の治安を憂いていた。

「私の力が足りないからかなぁ…どうしよう…また咲ちゃんに相談…でも、うーん…幼馴染だからって甘えすぎかなぁ?けどやっぱり、市民の皆様にご安心いただくには何とかしないといけないもんねぇ…」

1人呟き受話器を上げた彼女は、もうすっかり指に馴染んだ番号へと電話をかける。






暫く後に、可愛らしいピンクで飾られた執務室にやってきたのは、この国の平和を守るエデン国際警察の署長、綾部喜八郎とその部下である土井半助、そして同じく警察官兼彼女の幼馴染である富松咲。

「お呼びでしょーか?」

「お待ちしてましたぁ。どうぞこちらへ」

彼らを部屋に招きいれた三葉は喜八郎を応接用のソファへ座るよう促すと、自分もその向かい側に腰を下ろし、大きなくまのぬいぐるみを抱えた。

「おやまあ、可愛い」

「あ、ふふっ。このくまさんかわいいですよねぇ。ファンの方からいただいたんですよぅ」

柔らかく微笑んだ喜八郎に笑みを返した三葉はくまのふかふかな頭に顔を埋めたが、直後はっとしてひとつ咳払い。そして、きりりと表情を引き締めて口を開いた。

「えっと、あのですね、警察の皆様方が日々頑張ってくださっているのは重々承知しているのですけれど、ここのところ、事件が続いていますよね?」

重々しい彼女の一言で、執務室の空気がぴりりと張り詰める。警察としては耳の痛い話なのだろう。

「…先月の検挙率は、30%くらいです」

咲と共に喜八郎が座るソファの後ろで立っていた半助が呟けば、三葉はしょぼんと眉を下げる。

「悪い人を捕まえるのは、とても大変なことだとわかっています…事件を未然に防ぐことにも力を入れてくださっているあなた方の負担を増やしてしまうということも勿論…でも、あのぅ…咲ちゃぁん…」

言い難そうに言葉を濁しながら縋るような視線を向ける三葉を見て、半助と咲は困ったように顔を見合わせる。
市長として執務室でよく顔を合わせる彼女はアイドルとしてもテレビでよく見かける。忙しい生活を送る三葉の力になってあげたいのは山々なのだが、何せ彼らも人間、この大きな街で隅々まで目を光らせるのには限界がある。
特に、街外れにあるスラム街、ミゼラタウンにはあの手この手で警察の目から逃れている組織も数多く存在するのだ。
結局『善処します』というありきたりな言葉しか思い浮かばなかった半助と咲が口を開こうとしたその時、ずっと三葉を見つめていた喜八郎がすっと彼女の手を握り、わかりました、と頷いた。

「今月の検挙率、50%まで引き上げます」

「ほっ、本当ですかぁ!?」

「治安維持は我ら警察の勤めですから」

「わぁ、ありがとうございます!!」

自信満々なその言葉に飛び上がるくらい喜んだ三葉に見送られながら、目をまん丸に見開いた半助と咲の背を押して、職務がありますのでこれで、と執務室を出た喜八郎は静かに扉を閉めたと同時に詰め寄られた。

「ちょ、ちょっと!!本気ですか署長!!?30%から50%って、そんな簡単には…!!」

「だって三葉のためだもん」

「いくら三葉のためだからって…そりゃ出来れば私だってあの子の力にはなってあげたいですけど…あ、ひょっとして何か考えでもあるんですか?」

「うん」

青褪めた半助と察しのいい咲に短く答えた喜八郎は、可愛らしいプレートが掛かっている執務室の扉を優しい瞳でちらりと見た後、彼らを引き連れて街へと足を向ける。
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閑静な住宅街を抜け、賑わう大通りを抜け、商店街を抜け、徐々に寂れてきたアパートが立ち並ぶスラム街、ミゼラタウンの手前…そこにそびえるこぢんまりとしたコンクリート剥き出しのアパートに足を踏み入れた喜八郎は、いかにも手作り感満載の看板を一瞥してからその扉をドンドンと叩く。
大した間も置かず中から聞こえた、はいよー、という声を聞き終わる前にガチャリと扉を開けた彼は、確かな手ごたえを感じてにんまりとほくそ笑んだ。

「あだッ!!」

「おやまあ、おおあたりー」

部屋を入ってすぐのところで顔面を押さえてのた打ち回る癖っ毛を満足そうに見下ろした喜八郎は聞こえてきた笑い声に顔を上げて、部屋の中央に設置してあるビリヤード台の更に奥を見てからぺこりと頭を下げた。

「これはこれは、エデン国際警察の署長さん自らお出ましとは」

さらりとした髪をかき上げたスーツの男が嫌味ったらしくそう言うが、喜八郎はさして気にも留めず部屋を見回して口を開く。

「仕事の依頼に来ました。報酬は言い値で後払い、いつもの通り法律を破ったら取り締まりますが、それ以外のことなら大抵は目を瞑ります」

「内容は?」

「スラム街の治安維持」

「片手間になるが?」

「構いません」

淡々と交わされる会話に動揺を隠せない半助と咲。しかしスーツの男はしばし悩んだ素振りを見せた後、長い脚を組みなおして形のいい唇を吊り上げた。

「…いいだろう」

「どーも」

男の返事を聞くなりさっさと踵を返してアパートから出て行った喜八郎。半助と咲に何やら問い詰められている彼を窓から眺めたスーツの男、立花仙蔵は出入り口でまだのた打ち回っている癖っ毛、何やらダンボール箱を漁っているボッサボサ髪、部屋の奥で蝋燭と向き合っている大男を順番に見回すと、にんまりと笑って仕事の時間だぞ、と言った。
一番に反応を示して蝋燭から彼に視線を向けた大男、中在家長次が口元まであるロングコートをばさりと翻し、ボサボサ髪の竹谷八左ヱ門が段ボール箱から飛び出してきた仔猫を抱きとめながらニカリと笑う。
そして出入り口でもんどりうっていた癖っ毛天野遊がずり落ちたサングラスを片手で直してから、黒いロングボトムを黒い手袋に覆われた手で払い立ち上がる。
順番に部屋を出て行った彼らに続き、最後に携帯で誰かに電話をかけながら部屋を出た仙蔵が、ばたりと閉めた扉。
その扉に掛けられた【笑顔商会】という看板が、かたりとずり落ちた。


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