市長特命2

倒れた熊をその階層に放置したまま、エレベーターはまた上昇を始める。もうどれくらい昇ったのだろうか…最上階には永遠に到達しないのでは…と妙な不安が3人の脳裏にちらつく。黒服やら熊やらで有耶無耶になっていた恐怖心が徐々に魔手を伸ばし始めたその時、もう聞きなれてしまった軽い音と共に、流暢な電子音が待ち侘びた単語を告げた。
エデンシティが一望できる展望台の説明を垂れ流すエレベーターから慎重に踏み出した3人は、無言のままくるりと展望フロアを見回し、その一角に不自然に開け放たれた重たいドアを見つけて視線を絡ませる。
非常灯がぼんやりと照らすその扉の先にうっすらと見えるのは、避難経路である冷たい鉄階段。それは下だけでなく上に向かっても続いており、普段は関係者以外立入禁止区域なのだろう、黒と黄色に彩られたポールが寂しげにポツンとその存在を主張していた。
行くぞ、と3人は目だけで言葉を交わし、なるべく足音を立てないように上へ上へと歩みを進める。空調が聞いたエレベータの中とは違う、どこか埃臭い冷たい空気がぞわりぞわりと頬を撫で、八左ヱ門は無意識のうちにこくりと喉を鳴らして腕時計に視線を落とす。
いつの間にか肥大していた恐怖感と、気付かないうちに極限に達していた緊張感で汗ばんだ掌で小さな文字盤をなぞれば、長針と短針はもうすぐで仲良く12の数字を指し示すところ。やたらとキリのいい時間帯になんとなく嫌な予感を感じた八左ヱ門が無言で先頭を進む長次を見れば、彼もまた同じように微かに眉を顰めてその予感を肯定していた。
カン、カン、と無機質な音を響かせる非常階段。螺旋状に巡るその先に重たい扉が出現し、行き止まりを告げる。とうとう追いついた、と萎れかけていた士気を奮い立たせて冷えたドアノブに手を掛けて非常ドアを一気に押し開けた長次と八左ヱ門は、眼前に広がった眩い夜景と突風に息を呑む。

「………!!」

「おほー!!とうとう追いついたぞこの野郎!!」

地上何千メートルという高さで吹く強風に負けないように声を張り上げた八左ヱ門は、勇んでそう叫んだものの、次の瞬間にはへにゃんと凛々しい眉毛を下げて風にはためく自身のベストをそっと押さえた。

「…聞いてない」

「…聞いてないよぉ」

「…想定外も想定外」

「長次ぃ…」

上から留三郎、勘右衛門、三郎、そして澄姫。雁首揃えたFunny Familyは逃げ去ったときとはうってかわって悲壮感溢れる面持ちで腰を抜かしたようにその場でへたり込んでいた。

「…まあ、そうですよね…」

強風吹きすさぶエデンの女神像の頂上、三葉を象った大きな大きな像が頭に乗せている王冠の隅っこに、何ともいえない八左ヱ門の声が転がる。
黒いロングコートをはためかせながら、逞しい腕の中に飛び込んできた澄姫をしっかりと抱えたことによりやっと怒りを収めた長次がなんとかしろと視線だけで訴えるが、その視線を受け止めた八左ヱ門は両手を顔の横にあげて首を横に振った。

「いや、さすがに無理です。処置しようにも道具がないですし、時間も足りません」

いっそ清々しいほどにきっぱりと言い放った八左ヱ門が片時も視線を外さなかったもの。それは数時間前には自分たちの手にあったひとつのアタッシュケース。高級感溢れる艶を放つそれは蓋を開けられており、てっきり涎が出そうな大金が詰まっていると思っていたその中には、げに恐ろしいカウントダウンを表示している電子盤と何本も複雑に絡み合った色とりどりのコード。
その下に覗く黄ばんだ半紙には見たくもなかった爆薬の名前が印字してあり、八左ヱ門は死んだ魚のような目から溢れてしまった涙が付着して濡れた前髪をぐしゃりと掻きあげた。

「あーあ、死ぬときはでっけーおっぱいに埋もれて死にたかったのに…」

何の奇跡か、今まで物凄い勢いで吹いていた風が止み、八左ヱ門の未練タラタラな呟きが全員の耳に届く。下手な時世の句よりもリアリティ溢れるその言葉に、留三郎の三白眼からダバっと涙が零れた。

「そんな…せっかく三葉のコンサートツアーファイナルSS席チケット取れたのに…!!」

「えっ!?私のS席のと交換してください!!」

「えー三郎ずるーい!!勘ちゃんも行きたい行きたぁい!!」

ベストのポケットに隠し持っていたのだろう、可愛らしい桃色のチケットを取り出した留三郎が心底悔しそうに咽び泣けば、何を思ったのか三郎もジャケットの内ポケットから可愛らしい水色のチケットを取り出して留三郎に詰め寄る。それに間髪いれず反応を示した勘右衛門がずるいずるいと喚きたて、その場に寝転んで駄々をこねだす。
万事休すなこの状況でも欲望丸出しな4人を見て呆れたとばかりに溜息を吐いた澄姫は、そういえば自分も例外ではないと気付いて寄り添う長次を見上げ、次の瞬間涼しげな美貌を驚きに染め上げた。

「長次?」

「………なんだ…?」

「どうして、そんなに楽しそうなの?」

長い睫に縁取られた瞳を瞬かせ、不思議そうに問う澄姫に、長次はくっと喉の奥でそっと笑って、強風に嬲られても絡まない美しい髪を撫でる。

「…私は…いや、笑顔商会は……」

突風交じりの強風が、ふいに渦を巻いた気がした。

「…この程度のスリルには……慣れている…」

そう囁くように締め括って、不敵な光を瞳に浮かべた長次の背後で、非常口の重たいドアが勢いよく開いた。

「颯爽登場ブエァ!!すげー風www」

くるくるの髪をばっさばさに靡かせて非常口から飛び出してきたのは、いつの間にかその姿を消していた遊。その剥き出しの腕には5つのリュックサックのようなものが抱えられており、彼女は大急ぎでその場にいる人数を数えると、留三郎、三郎、勘右衛門、八左ヱ門、長次にポイポイとリュックを投げつけた。

「さて逃げまっせ!!それ背負って!!早く!!」

急かすように怒鳴りつけ、自身は既に背負ってきたのか背中のリュックを見せ付け、その脇部分から下がっているもち手の付いた紐をブンブンと振った。

「これな!!これ!!」

混乱しているのか、慌てているためか、それともこれが通常運転なのか…主語が綺麗に抜け落ちている遊にリュックを渡された5人は頭上にハテナを浮かべるしかない。それでも何となく必死感は伝わっているらしく、文句を言わずリュックを背負った5人は彼女の指示に従う。

「オッケ!!じゃあ次美女!!美女は遊ちゃんと一緒に逃げよ!!危ないから遊ちゃんにしっかりおっぱい押し付け…じゃねーやしっかり掴まってね!!」

ぐっと親指を突きたててそう言った遊に、長次と澄姫はリュックの正体を察してぎゅっと抱き合う。

「………澄姫は、私と…」

「私、長次と一緒に行くわ」

「アッ、デスヨネーwww」

思わず溢れた涙を誤魔化すようにぐすんと鼻を啜った遊は気を取り直して全員を王冠の端に並ばせて、すうと息を吸い込み大きな声で回れ右、と号令を出す。反射的にそれに従った八左ヱ門、留三郎、三郎、勘右衛門は、眼下に広がる煌く夜景にごくりと息を呑んで、まさか、と呟いた。

「ちょ、まさか…!!」

「オイ待て待て!!」

「まだ心の準備が!!」

「あっ勘ちゃん急に高所恐怖症になったからちょっと待って待って待って!!」

「はいドゥ−−−−−−ン!!!」

どっと汗をかき始めた4人が慌てて制止を訴えるが、遊は躊躇せず、彼らの背中を蹴り飛ばした。重力に従って落ちた4人の盛大な悲鳴を聞きながらゲラゲラと大笑いする彼女に若干引いた澄姫をしっかりと抱いたまま王冠の端に足を掛けた長次が、ほんの一瞬だけ気遣わしげな視線を遊に向けて、小さな呟きを漏らす。
その言葉に眩しい笑顔を返した彼女は、右手で銃の形を作り、彼の背中に向かってバン、と見えない銃弾を打ち出した。
それに背を押されるように空に向かって跳躍した長次を見送り、遊はピコピコと嫌な音を立て始めたアタッシュケースに視線を移し、覚悟を決めたように夜景に背を向けた。

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