生物委員会委員長防衛隊隊長

中在家長次の朝は早い。
まだ薄暗いうちから布団を抜け出し、すっかり馴染んだ深緑色の装束に着替える。布団を畳み押入れにしまうと、同室を起こさないように静かに部屋を出て、向かう先は早朝鍛錬………ではなく、まず飼育小屋。
生物委員会の面々が日々可愛がっている毒虫やら爬虫類やら猫やうさぎや鳥や犬などがわんさかいる飼育小屋の一角、彼の恋仲である平澄姫が育て躾けた山犬二匹が、近付いてきた気配に身を起こし警戒心露に唸り声を響かせる。
それに右手を上げて答えると、鼻に皺を寄せて唸っていた栗と桃は吊り上げていた目をくりくりに丸め、可愛らしくぷりぷりと尻尾を振り、威嚇の唸り声はぴゅーんという甘えた声に変わった。
黒と赤の頭を金網から指だけを通してつついてやると、嬉しそうに耳を寝かせる栗と桃。
もっともっととせがむ二匹に恋仲の姿が重なり長次の目尻が下がるが、残念なことに今はそこまで時間がない。
また後でな、と低い声で呟いた彼はくるりと二匹から視線を逸らし、小屋の柱や壁、屋根に至るまでに貼り付けたり打ち付けたりされている夥しい量の紙を引き剥がしに掛かった。
彼が躍起になって引き剥がしている夥しい量の紙は、全て澄姫に宛てられた恋文。
有知高才文武両道天香国色才色兼備とまあ色々完璧な澄姫は学園の中でも恐ろしい程人気が高い。そんな彼女はとっくの昔から長次だけに夢中なのだが、2人が恋仲になった今でも彼女を慕う者は多く、その中でも諦めきれない者がこうして毎晩彼女の可愛がっている山犬の小屋やら色んな場所にしたためた恋文を残していく。
それらを無言でバリバリと引き剥がしていく長次の目に嫌でも飛び込んでくる内容は、見ているこっちが恥ずかしくなるような愛の言葉に眠れぬ夜に慕情を詠った和歌、その中でも彼が口角を吊り上げるのは、背筋が寒くなるくらいの下種な文面。
中にはとてもじゃないが正視できない妄想を綴った気分を害するものもあり、長次はそれをぐしゃりと握り潰してげらげらと笑い始めた。
飼育小屋の手紙を全て剥がし終えた長次は不気味な笑顔のまま今度はくのいち長屋の入り口にある柱から同じように貼り付けられた手紙を剥がし、こんもりと山になったそれを抱えてこっそり学園を抜け出し裏々山へと向かった。
沼のほとりで小さな火を起こし、ついつい笑ってしまった恋文に書かれていた学年と名前をしっかり覚え、火の中にばさばさと恋文を放り込んでいく。
ゆっくりと燃え始めたそれらが煤となって空に舞っていくのを見届けて、長次はいつもの無表情で学園に戻っていった。


厄介な事務員に見つからないようにと気を配り学園に戻った長次の目に、ふと飛び込んだのは深赤と深緑。
妙な胸騒ぎを感じてそっと忍び寄ると、遠目にもしっかり認識できた美しい恋仲と同学年のよく知らぬ男。
詰め寄られているらしく困惑している澄姫に、深緑は何かを話しながら紙を押し付けているのが見え、長次の口角がまたもや凶暴に吊りあがる。

「お願いします!!中在家と恋仲なのはわかってますが、俺のこと知って欲しいんです!!」

「だから、今はそれどころじゃ…私急いでるのよ」

「すぐ済みますから!!俺のこと知ってもらえれば、きっと中在家より…」

「はぁ!!?」

静かな早朝の学園に必死な深緑の声と不快感を露にした澄姫の声が響く。深緑の一言に彼の持つ手紙を払い除けようと手を振り上げた澄姫だが、それより一瞬早く2人の間を貫いたものに慌てて手を引っ込めた。
まるで警戒線のように2人の間に引かれた縄標は、深緑の手から目にも止まらぬ速さで手紙を奪い、ドゴンと正門から延びる壁に突き刺さった。

「…私より…何だ……誰の女に、声を掛けている…」

縄標が伸びてきた先から姿を現した不気味な笑みの長次に、深緑はひぃっと情けない悲鳴をあげてその場から逃げ去った。
その背を睨み続けている彼の隣で、澄姫もまた嘲け笑うように鼻を鳴らした。

「何が“俺のこと知ってもらえれば長次より”よ。知ったらますます長次が素敵に見えるだけじゃない」

情けない男、と吐き捨てた澄姫は男の背中が見えなくなってようやく無表情に戻った長次にそっと寄り添う。

「…おはよう、長次」

心底嬉しそうに微笑んで、少しだけ恥ずかしそうに朝の挨拶を告げた彼女を長次はそっと抱き寄せて、優しい声でおはようと囁いた。
澄姫に送られた恋文は彼の手により煤と化し、彼女に届くことはない。


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