『雨、止みませんね』
「そうだな」
傍から見た私達は穏やかに会話を楽しんでいるように思えるだろう。何人かの目には甘酸っぱい青春の一コマとして映るかもしれない。
しかしとんでもない、今の私は未だかつてないほどの極限状態に追い込まれている。これでも心の中は大荒れなのだ。
噂のあいつ episode4雨は勢力を一定に保ち、アスファルトを激しく叩く。その上を重い足取りで踏みしめつつ、ついた溜息の数は如何ほどか。単に自宅に帰るのならこれ程までに落ち込まないが、今向かっているのは蛮骨先輩の家。先輩が雨に濡れてしまうのが偲びないと思ってとった行動がまさかのお宅訪問に繋がるとは…。
『(どうしよう)』
着いたら適当な言い訳を並べて帰ってしまおうか、などと思考を巡らせていた。その時、不意に隣からやべ、と声が上がる。
「コンビニ寄っていいか?晩飯買うの忘れてた」
『自炊はしないんですか?』
「そんなのしたことねーよ。毎日ラーメンか弁当喰ってる」
マジですか。弁当やインスタント食品だらけの毎日だなんて考えただけでゾッとする。男の一人暮らしってそんなものかな。そう思いはしても、出来合いの物ばかり口にしていては体に毒。だからほんの気遣いで忠告したのだ。「そんなものばかり食べてちゃ体壊しますよ?」って。
「じゃあ、おめぇ作ってくれるか?」
『…へ?』
「お、ちょうどいい所にスーパーが!」
『ちょっ…』
私に拒否権はないのか。先輩は強引に腕を引き、スーパーへと大股で歩いていく。
…ああ、もう何と言うか五秒前の私を盛大に罵ってやりたい。
*
それから十分後。
スーパーから出てきた私と先輩の手には白いビニール袋がぶら下がっている。もうどうやってもお宅訪問は回避できそうにないので、現在の私の表情は(諦めで)比較的穏やかだ。しかし、
『先輩、オムライスて…』
「笑うなって!」
いいえ、笑わずにはいられません。
店内で先輩が目を爛々とさせて食べたいとリクエストしたのはオムライス。思わず吹き出してしまった。可愛いとこあるじゃない。
「いつまで笑ってんだよ。着いたぞ」
『ふぇ…?』
スーパーから五分も歩かないうちにその声はあがった。顔を上げた先には、新築っぽい綺麗なアパート。取り敢えず窓に○○組とか書かれてなくてホッとした。
『…お邪魔します』
ドキドキと鼓動を高鳴らせながら、ドアから部屋内へと足を踏み入れる。
部屋の中を一目見て、まずびっくり。散らかった男の部屋を想像していたのに意外に綺麗…と言うよりシンプル。広過ぎず狭過ぎずのワンルームには生活に最低限必要なものしかなく、無駄なものは一切ない。
「これ使えよ」
『あ、すみません』
取り敢えずはと座らされたソファーで借りたタオルを手に、濡れた肩を拭きながら部屋全体を見渡す。するといきなりである、先輩はバサバサと豪快にシャツを脱ぎ始めた。無論私の目の前で。
『…っ!?』
なぁにやってんのこの人ォォ!?いけない、取り乱してしまった。しかし予告も無しに目の前で半裸になられて動揺しないわけがない。一気に顔に熱が集中し、紛らわせるように買い物袋を漁る。
『お…お腹すいたでしょ、早速作っちゃいますね!』
「ああ、頼むな」
真っ赤になった顔に気付かれないように足早にキッチンに移動すると道具と材料を一式並べた。包丁やまな板、フライパン。調理に必要なものは一通り揃っているが、それらが使われた痕跡はない。本当に出来合いのものしか口にしてなかったんだなぁ。そう思うと少しばかり可哀想になる。同時に今日は私が家庭的な料理を振舞おうと闘志を燃やすのだった。
それからは、背後でソワソワする先輩を注意したり。二人して玉ねぎに目を痛くしながらも調理は順調にはかどり、
『出来たっ!』
これ程までに綺麗な形に仕上がったのは初めてで、思わず笑みが漏れた。あとは、卵の表面にデコレーションを施すのみ。鼻歌をBGMにケチャップの赤で卵の上に絵を描いていく。
そうして無事に描き終えた後、卵の上に描かれていたそれにふと気付いた。そして愕然とする。黄色い卵の上に赤く誇張していたのは、ハートだ。
『(何描いてんだか)』
「良い匂いだな。出来たのか?」
『は…はい!』
先輩の声に焦った私はハートマークを誤魔化すためにケチャップで描き足し、出来上がったオムライスを彼の前に持っていく。
『どうぞ!』
「おー美味そうだな。…で、卵の上のこの絵は何だ」
『桃、です』
不思議がるのも無理はない。オムライスに描かれているのはハートをひっくり返して花弁をつけただけのもの。自分でも訳の分からない絵が卵の上に浮かんでいるのである。
先輩はその桃をじっと見つめるも、まあいいやとスプーンを持ってオムライスを口へと運んだ。私は固唾を呑んでその様子を伺う。
「美味い」
『ほ…本当?』
「ああ、久々にこんなに美味ェの食べた」
美味い、その一言で頬が緩む。彼の笑顔を見れば作ってよかったと心底思えた。ガツガツと子どもみたいに口に頬張るその姿に安心した私は、漸く自分のオムライスに手をつける。まさにその時、
「毎日おめぇの料理が食えればいいのにな。いっその事一緒に住んじまうか?」
そんな爆弾発言をするもんだから、嚥下しかけたオムライスが喉に詰まってむせた。先輩は歯を見せて笑っている。何を馬鹿なことを…。冷静を装ってそう答えたけれど、心中は動揺で乱れる。そのためか、一瞬あらぬことを考えてしまったのだ。
この人と一緒に過ごす毎日はきっと楽しいんだろうな、だなんて。
噂のあいつと新婚気分気付き始めた恋心(ってか、何でグリンピース避けてるんですか)
(何でって、それは…)
(もしかして嫌いとか…?可愛いなぁ)
(なっ…その可愛いって言うのやめろよ)
(じゃあ残さず食べてくださいね。食べるまで可愛いって言い続けます)
(う…分かったよ)
To Be Continued...
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