名前というのは個を示すものでとても大事なもの。 いつしか名前を呼ばれなくなった。 それでも名前を呼んでもらっていたいつかの記憶を大事に持って、また呼んでくれるのをひたすら待つ。 あたしの名前を、呼んでください。 あたしの名前を、覚えていてください。 それがウミの記憶になるから。 7.名前という記憶 夢を見た。ウミの世界に蔓延る灰色の建物。色が混ざって汚い人。耳鳴りにしか聞こえない音、声。 ウミはその中を一人の女性に手を引かれて歩いていた。大人と子供の歩幅はあわない。小さいウミは小走りしなければ引きずられてしまう。いいや、小走りでも足りない。走った。それでも大人の急ぐ速度には追いつけなかった。ガクンと折れる足。耳鳴りが一層強くなった。ブチリと聞こえる嫌な音。 地面へと落下していく視界に女性の手にぶら下がった自分の腕がみえた。女性が振り向いた。眉を寄せ皺を作っている。けれど黒い線で塗りつぶされている。なのに口元がみえる。歯を食いしばっていかにも不機嫌を見せるその口は音をだした。 千切れた腕が地面に叩きつけられる。ベチャ。血で真っ赤になった。女性がこちらへと歩み寄ってきた。髪を掴んだ。塗りつぶされた顔。それでも見える怒りの表情。痛み。 女性が倒れた。 こちらへと押し潰すように倒れてきた女性はしかしウミを圧迫することはなく幽霊のようにあるいは元からいなかったように消えた。ビチャビチャと顔に降りかかる赤い液体。目の前には刀を担いだ男が立っていた。その人だけ、色がついていた。 (嗚呼嗚呼嗚呼アァ嗚呼あア嗚呼嗚呼嗚呼嗚アア) 目の奥がギリリと軋んで、痛みで"現実"の目をあけた。 ――――天井。 微かに匂う薬品。 病院? (ちがう) (誰も病院にはつれていかない) ペラリと乾いた音に首を向ければそこにはトラファルガー・ロー船長が医学書を読んでいた。布の擦れる音に気付いたロー船長がこちらへとその不健康そうな目を寄せた。ギロリと突然睨まれて本が強く閉じられる。その音にビクリと驚いてしまった。 「痛みはあるか?」 「え」 「腕に三発。しかも一つは神経を掠り損傷。痛覚はあるか。感覚は。動かせるか?」 「え、あっと・・・」 腕に三発。その言葉に、そういえば撃たれたのだと思い返して腕を見る。腕は肩から手の甲まで包帯が巻かれていた。 「(綺麗に巻かれてる)」 包帯はとても綺麗に巻かれていてついついまじまじと見てしまった。その行為を"手が動かない"と勘違いしたのか覇気のない声で「動かないのか・・・」と落としたロー船長。 「あ、や、まだ動かしてないです。今、今やります」 「っ驚かすんじゃねェよ、たく・・・」 神経を掠り損傷、ということは脳からの指令が届くかどうかわからないということ。痛覚、感触がないのはそれを伝える神経が働いていないということ。腕が少しでも動くことがなければそれは一生使い物にならないということ。 ウミは腕に力をいれた。 力を入れた感じがわからない。筋肉が締まる感覚がわからない。一瞬、ショックで胸に冷たい痛みを感じたが、包帯を巻かれたその腕は震えながらもゆっくりと上へと持ち上がった。まるでわざと揺らしているようにブルブルと震える腕。 ロー船長に「動きました」と視線を向ければ苦い顔。 「感覚が完治するには時間がかかる、か」 「けど・・・結果的には・・・なおるんで、すよね?」 「ああ。ウミがリハビリを頑張ればな」 「あ・・・(あたしの、なまえ)そっか、教えましたねあたし。えっと、ロー船長さん」 不思議とはっきりと覚えている気を失う直前の会話。ロー船長の名前を知ることが出来て特に考えることもなく尋ねたのだ。そうだ。そういったロー船長は朦朧としているウミに名前を尋ねて、そして答えた。そこで終わったのだ。 どうしてあんな命の危機にさらされたときに名前なんて聞いたのだろう。 「(名前を知らないのが、もったいなかった・・・?)」 そうだ。あの時、名前を知らなかった。 敵から偶然ロー船長の名前を聞いたが、真偽がわからなかった。それがなんだかとても勿体無い気がしたのだ。この船のリーダーの名前を知らない。目の前の隈のある男の人を知らない。それは、とても勿体無いことだと。 そして名前だけでも知ってほしかった。 何故そう思ったかは知らないが、ウミという名を知っていてほしかった。それは"死んでしまうかもしれない"ということに対して一人でも多く自分の名前を知ってほしかったからかもしれない。 あるいは、"ロー船長"に知ってほしかったのか。 「さん、は付けなくていい。それと、その腕がそれなりに動くようになるまで世話してやる。・・・ありがたく思え」 「あ、ありがとうございますロー船長(思えって・・・)」 「・・・まあ、いいだろう。それよりだ、」 「(いいって、何が?)」 「お前らいつまでそこに突っ立てるつもりだ?」 「?」 ロー船長のその言葉に扉が開いて、橙のつなぎを着たベポとPENGUINとかかれた帽子の男、キャスケット帽子をかぶっている男が申し訳なさそうにそこに立っていた。 いつの間にそこにいたのか。 まったく気がつかなかった。 扉は開いたというのに一向に入ってこないベポたち。正確には先頭にいるベポの図体が邪魔で後ろの二人が入れないのだが。立ちつくすベポの眼には涙が溜まっていて、心配かけたんだな、と悟るとベポの名を呼んで微笑んだ。 「〜〜〜ウミ、ごめんね!俺、ウミの世話するっていったのに、怪我させた!」 「ベポは悪くないよ。それに、ほら、ロー船長にちゃんと治してもらったからもう大丈夫だよ」 「ウミー!」 無事をこの腕で確かめるためにベポは上半身を起こしたウミに強く抱きついた。 ベポの背中をぽんぽんとあやすつかさ。 ロー船長含め、二人のクルーにとってもその光景は微笑ましいものだった。 (この人たちは) (怖くない人たち) (うん) [mokuji] [しおりを挟む] |