君が好き編
二万打リクエスト「トロピカルランド」続編
「なまえ」
俺が名前を呼ぶとなまえは「ん?」だなんて可愛い声を発しながら俺の方へと振り向いた。初めて彼女を可愛いと思った頃からずっと変わらない、その眼鏡をかけた姿も、眼鏡の奥の綺麗な瞳も。俺の思いは増していく一方で、バスケしてる時以外の全てにおいて俺の頭の中にはなまえがいる。
こんな生活を始めて気付けば七年もの月日が流れていた。常にピッタリと隣にいることが許された高校時代。ただ上手くなりたい、その思いひとつでアメリカへと向かい離れての生活となったここ数年。共に過ごした七年の半分以上は遠距離だと思うとなんとも言えない変な気分になるけれど、それでも俺の思いは変わるどころか強くなる一方だった。
『どうしたの?…あ、バスケしたくなった?』
いつかのおさげは卒業してサラサラの長い髪にいつもの眼鏡。なまえが着ているトレーナーはスポンサーとして俺についているナイキが新しく発売したトレーナーで、わざわざ「彼女さんの分もどうぞ」だなんてプレゼントしてくれたものだ。
「いや…」
『何、呼んだだけ?』
ニコニコと笑ったなまえはやっぱり可愛くて何年経ったとしても俺の心の中の何かがピクッと反応してしまう。部屋のカーペットの上に座りソファへと寄りかかっていた俺が立ち上がりダイニングテーブルに腰掛け書物に目を通すなまえへと近寄る。案の定読んでいたのは小さな名探偵が事件を解決しまくる漫画の最新刊で俺が近づいた事に気付きながらも顔は上げずに「何?お腹でも減った?」とノールックで聞いてくるじゃねぇか。
「…おもしれぇか、そんなに」
『うん、まぁ……』
「久しぶりに帰ってきたってのに、名探偵に夢中ってか」
『昨日流川くんを空港に迎えにいく途中で買ったの。』
久しぶりに帰国した今回も空港でこそ「おかえり」と俺の帰国を喜んでくれていたっていうのに、昨晩気を失わせるくらいまで抱いてしまったことへの仕返しなのかあたかも俺がここにいることが当たり前のような態度で軽くあしらってくるのだから困ったもんだと思う。
それにしても俺は自分でも呆れるくらいになまえのことが好きで、まぁこれは今に始まったことじゃねーんだけど、アメリカでもチームメイトに何かあるたびに「なまえ!」と独特のイントネーションでからかわれることも多くて、その度に人の女の名を気安く呼ぶんじゃねーとブチ切れそうになる。俺をそこまでさせるなまえがすげぇのか、はたまた俺がおかしいのかそこは定かではない。
なまえを好きすぎて宮城センパイ曰く「重い彼氏」となってしまった俺の嫉妬の対象は当然漫画や二次元とはいえなまえの好きなその小さな名探偵や名探偵の元の姿にも及ぶわけで。クソ、頭がいい男がタイプなのか…とか、意外とキザな奴が好きなのか?とか、もうどうしようもない考えを巡らせ続けた結果、とうとうその名探偵の漫画について信じられないほどに詳しくなってしまったのだった。
工藤新一という男を敵対視するのなら、まずはソイツがどこのどんな奴なのかを知っておく必要がある。女優と推理小説家の元に生まれたソイツはサッカーにおいては超高校級で抜群の運動能力を持ち合わせながらも探偵として活躍し、警察に頼りにされるほどの存在らしいじゃねぇか。なんて野郎なんだと勝ち目がなさそうな自分に舌打ちする。
次第にヤツを知っていくなり、幼稚園時代からずっと思い続けている幼馴染がいることを知り、姿が変わった今もなお、ありとあらゆる手段を使って常に隣に居続けては事件から守っているらしい。
初めこそ嫉妬の対象でしかなかったソイツ。いつもいつもなまえが幸せそうな顔して読んでるその漫画。俺にとっては邪魔な存在だったはずが、何故だか知れば知るほどに他人事に思えなくなっていって…気付けば映画もほとんど見たし、工藤新一に関わる人物のほとんどを説明できるくらいには詳しくなってしまった。そしてようやく幼馴染と結ばれて恋人同士となった時は思わず「やったじゃん…」と心で拍手を送ったくらいだった。おめでとう…。
「…散歩、行こう」
『お散歩…いいね、今日天気も良いし。』
なまえには絶対に秘密だ。俺がこんなにも名探偵について詳しい男になってしまったなんて。なまえの好きなものを一緒になって好きになってしまったなんて。いや…好きではねーよ。絶対好きじゃねーし。
一人暮らしをしているなまえのマンションから出て運動だとこじつけてエレベーターを使わず階段で下りる。なまえは「しんどい…」と呟きながら俺に引っ張られる形で階段を下りていく。ったく、ちょっとは運動しろってんだ、推理馬鹿め…
手をとり並んで歩く秋を迎えた街並みはとても穏やかで時折吹く風に寒さを感じる瞬間もあった。商店街や秋によく見るような花が並んだ公園をゆっくりと散歩する。なまえは空を見上げては「良い天気だなぁ」と呟きジッと俺を見つめてくる。
「…どうした?」
『流川くんと散歩なんて…変な感じなんだよ。』
「どういう意味だよ」
『夢みたいってこと!』
いつもあの空の向こう側でバスケットしてるわけじゃん
なまえはそう言ってやっぱりまた空を見る。青く澄んだ空に雲はひとつもなくて、どういったタイミングなのか俺らの頭上を一台の飛行機が飛行機雲を生み出しながら前へ前へと進んでいく。あと数日したら俺もまたあれに乗って日常へと帰る。ここを去りなまえに「またな」と告げてこの空の向こうへ…
「…なぁ、」
『うん?』
まだ言わずにおこうと思っていた。次のシーズンが終わったら…。絶対にそこで良い成績を残して、なまえが喜ぶような花束やなんやらをたくさん抱えて、それで迎えに来ようって、そう思ってた。
「…結婚するか」
けれどもどうにもこうにも予定通りになんていかない。だって俺は名探偵コナンにハマるつもりなんかさらさらなかったんだ。なまえの好きな俺以外の男なんてたとえどんなやつだとしても俺には邪魔者だったはずなんだ。
『…結婚、』
「アメリカ、一緒に来て」
今はまだ言うつもりなんてなかった。だけどなまえの全てが俺を満たして俺を狂わせるんだ。その可愛い顔が、安心する香りが、綺麗な瞳が、なまえの全てが早く俺のものに、俺だけのものになってくれたらいい。
『…行く』
秋の香りが漂う静かな公園で俺はなまえを抱きしめた。指輪も大きな花束もなんも用意してないっていうのに、計画通りになんてなにひとついってないっていうのに、それなのに俺の心は信じられないほどに満たされ、幸せがどんどん湧き上がってきて…
「幸せにします」
『…よろしくお願いします。』
なぁ、見てるか。お前に続いて俺もやったぞって、漫画の中の世界を生きる人物に向かって気付けばそう語りかけている自分がいた。
この空の果てまで君と共に(…っし、挨拶しに行くか)
(どこに?)
(なまえん家と俺ん家の親に)
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