日常編







いつも通りの朝練、その最中だった。


「みょうじ!!」

「危ないっ!」


二つのコートに分かれて行われる練習。俺らとは反対側のコートから聞こえたそんな叫びにビクッと体が反応した。誰が叫んだかとかそんなのはもうどうだって良くて、叫ばれたその名前に自然と冷や汗が出てしまう。慌てて辺りを見渡せば隅の方でコートに背を向けて仕事に取り組むなまえさんの背後にものすごい勢いでバスケットボールが向かっている最中であった。


「なまえ!」


危ない…!そう思ったけれど瞬時に口に出来なくて「あ…」と情けない声が出る俺を差し置いて、同じコートで練習に取り組んでいた神さんは俺とは真逆で彼女の名前を叫ぶなりものすごい勢いで走り出していた。


バンッ


衝撃的な音と共になまえさんがその場に倒れ込む。やっとの思いで体が動いた俺が彼女の元にたどり着いた時には既に牧さんや神さんが「大丈夫か?!」と必死に声をかけ背中をさすったりしていて、外野からワタワタと落ち着きなく見守る俺は手に汗を握りしめるだけで何も出来ない。


しばらくして「大丈夫です…」とか細い声が聞こえるなり俺も含めた皆は「よかった…」と肩を撫で下ろす。もちろん本人の大丈夫が大丈夫じゃない可能性もあるんだって皆わかってはいるんだけれど、これは満場一致で「意識があること」へのよかったなんだと思う。


「監督、保健室行ってきます。」


とりあえずはよかった…だなんてホッとする俺の目の前でスッと立ち上がったのは神さんだった。あろうことか腕にはなまえさんを抱えていてスタスタスタとその場を離れていく。「頼んだぞ」と言った監督に「はい」と返事をして足早に体育館を出て行った。なまえさんの額からは血が垂れていた。


「……王子様かよ。」


誰かがポツリとそう呟いた。神さんは軽々なまえさんを抱えて出て行ったわけだけれど、それはいわゆるお姫様抱っこという形であったわけで…。大事に抱えて歩く姿はとてもとても綺麗でなんだか…いや、ここは汗臭い体育館のはずなのに…


「…神に任せておけば安心か。」

「そ、そうっすね…」


いつの間にか俺の隣に来ていた牧さんがそう呟く。心なしか牧さんの顔は赤く染まっていて、それは俺もまた同じであろうと自分で推測できる。なまえさんのことは心配だけれど…朝から刺激的なものを見せられたような気がする。













「…あ、なまえさん!」

『ノブ、シーッ!』

「んぐっ……」


朝練が終わるなり保健室に向かい、休み時間にも保健室へと向かったがその全てを「いいよ、俺がいるから」と神さんに帰されてしまった。わかってます。神さんがなまえさんのことをすごく大切に思っていることくらい…だけど少しくらい俺にも心配させてもらえたら…と思っていた矢先、昼休みに購買へと向かう途中でトイレから出てきたなまえさんを発見した。ここは二年生の階であって、彼女が保健室から教室へと戻っていたことがわかり安心してしまう。


けれども会うなりグッとなまえさんの掌で口元を押さえられてしまい息苦しくなった。いや、なんつーか…あの、いろんな意味で苦しくて…ですね……


『ダメだよ、宗ちゃんにバレるから!』

「……ん、んー、んんっ……」

『一日保健室にいろって言われたんだけどね、なんとか教室に戻ってきたの。でも、一歩も席から動くなって約束付きで。』


だからシーッ、とそう言うなまえさん。ようやく俺の口元を解放してくれて深呼吸をする俺に「心配かけたね」と笑ってくる。頬と額にはガーゼが貼ってありその横には冷えピタもついていてなんだか全体的に顔が白くなってしまっている。額のガーゼには薄く血が滲んでいて「あ…」と声を出してそれを教えようと思えば「やばい、宗ちゃん来た!」と彼女は教室の中へと戻っていった。


「元気そうでよかったけど…」


なんだかその場から動けなくて早歩きでなまえさんのいる教室へと入っていく神さんを目で追ってみる。お弁当片手にズカズカとなんの躊躇いもなく入っていった神さんはなまえさんの隣に座るとすぐに彼女のおでこに手を伸ばし少し血の滲んだガーゼを剥がしていた。


『痛っ、宗ちゃんいきなり……』

「血が滲んでる。ジッとしてて。」


手際良くそれを剥がし自身の制服のポケットから消毒液やガーゼを取り出す神さん。


「…で?大人しく授業受けてたの?」

『そりゃあね。どこにも動いてないよ。』

「頭重くなったりしなかった?ちゃんと授業受けれたの?」

『普通に受けたよ。』


「そう」と神さんが返した頃には新しいガーゼが貼られていてなまえさんの首元に手を当てるなり「熱もなさそうだね」とそう言った。なまえさんは「めっちゃ元気だよ」と言うものの「一日安静」という神さんの一言に圧をかけられて静かに椅子に座り直していた。


「部活は?来るの?」

『行くよ。一年生に任せるのも大変だし、気になって休めない。』

「言うと思った。俺練習始まる前にある程度やっとくから、今日は座ってやれることだけね。」


神さんはそう言うと「にしても、どこに向かってパス出してるんだか」と呟く。その声があまりにも怖くて俺は一歩後退りした。


『まぁまぁ、ミスは誰にでもあるし、あの子一年生だからあんまり責めないであげて。』

「…ほどほどにしごいとくよ。」

『宗ちゃん…』


無表情でパクパクとご飯を食べる神さんの「本気」が見えたような気がして俺は見て見ぬ振りをしてその場を離れた。












「神さん、かわります!」

「…いいって言ってるんだけど?」


「すみません…」とガタガタ震えながらその場を離れる一年共。練習前にマネージャーの仕事を一つ残らず手際良く進める神さんに「二年生にそれをやらせるわけには」と進んで声をかけるみんな。そして軽くキレられるみんな。ったく…察しろよ…


「なまえ、これ置いとくからね。足りなくなったら俺行くから声かけて。」

『練習中に声なんてかけられないから私が…』

「声、かけてね?いい?わかった…よね?」


ニッコリと笑う神さんの圧に「わ、わかった」と笑い返すなまえさん。スタスタと練習へと向かう神さんの後ろ姿に「ハァ…」と小さくため息を吐いていた。


「…愛されてるなぁ、みょうじは。」

『宮さん…、今日一日ずっとあんな感じでした。』


へへっと笑うなまえさんは困ったように笑いながらも穏やかな瞳で神さんを見つめていて、それが「特別」あるいは「好き」を意味するんだとわかってはいる。神さんを見たってわかりやすいほどになまえさんのこととなると厳しくなるし、以前牧さんが「みょうじが好きなのか?」と聞かなくてもわかることを聞いていた時も「はい」と答えていた。


正式に付き合ってまではいないあの二人の関係を「羨ましい」と思う自分がいるのも確かで、その理由になまえさんが俺にとっても「特別な人」であるという事実が関係しているのも確かだ。たったひとりのマネージャーで入学当初から一番近い女の人で、いつも優しくて「信長ー」とあの柔らかい声で名前を呼ばれるたびにドキッと心が反応してしまう。


だからってどうこうするつもりもないし、ただ二人の関係を見守ってるだけで充分ではあるんだけど。奪い取るつもりもなければ、そんなことしたって振られるだけなのも目に見えている。


「こういう時こそ素直に甘えるといいよ。怪我したのは事実なんだし。」

『にしても、大袈裟なんですよ。一歩も動くなって、そんなの無理なのに…』

「神の言うことなるべく聞いてあげて。ただでさえみょうじが怪我したことに朝からずっと気が立ってるから。」


「神のために、ね」と笑った宮さんになまえさんは「そうします」と微笑む。その顔がなんだかとっても綺麗で俺は思わず息を呑んだ。













普段より少しだけ早く終わった練習。終わった途端にマネージャー業に務める神さんは相変わらず慣れた手つきでいつ覚えたのだろうというくらいノンストップで綺麗に片付けを終えていた。なまえさんのこととなると完璧すぎて恐ろしい。


綺麗になったフロアにはスリーを打つ神さんがいて少しだけ自主練をしていくという牧さんの元で共に練習に励む俺がいる。なまえさんは体育館のステージ上に座り足をブラブラと揺らしながら神さんのスリーを数えていた。


『宗ちゃんあと五本だよ。』

「…全部入れるよ。」


自主練を終えてもはや神さんのスリーを見届ける側にまわった俺と牧さん。宣言通りひとつひとつを綺麗にリングに放ち吸い込まれるようにして決めていく神さんには「さすが」という声が自然と漏れてしまう。


『ラスト!頑張って!』

「…任せて。」


最後の一本さえも時が止まるような綺麗さを持ったシュートで。まるで今始めたばかりの一本目のような美しさでリングへと吸い込まれていった。神さんは「よし、終わった」と呟き、それを聞くなり牧さんが「戸締りして帰るか」と言う。


『よし、窓閉めてこないと…』


ステージ上に立ち上がり一歩、また一歩となまえさんが歩き出した時だ。頭を抱えるようにしてフラフラとその場に立つなまえさん。様子がおかしいと思った牧さんが「おい…」と声を出した時には既に神さんはバスケットボールを投げ捨ててステージの下へと駆け寄っていて、あろうことかなまえさんはフラッとしたまま勢いでステージ上から落ちたのだった。


「うわっ!」

「みょうじ…!」


俺と牧さんは突然の出来事に驚愕したもののフラッと落ちてきたなまえさんを神さんは見事にキャッチした。しかしあまりの勢いにあの神さんですら床に座り込んでしまって、そのまま床に落ちていたら相当な衝撃だったのだろうと俺はひとりで震えていた。


『宗ちゃ……、ごめん……怪我は……?』


慌てて駆け寄れば頭を抱えながらもそう呟いたなまえさん。神さんはギュッとなまえさんを抱きしめて腕の中に閉じ込めると「馬鹿…」と一言呟いた。


『ごめん……目眩がして……、』

「……帰るよ、送るから。」


ハァ…とかふぅ…とか安心したような、そんなものを繰り返した神さんはそう言ってなまえさんを抱えて体育館を出ていく。俺は慌てて戸締りをして牧さんと共に二人を追いかけた。部室の前で「すぐだから待ってて」となまえさんを下ろした神さんは目にも止まらぬスピードで制服に着替えると再びなまえさんを抱えて今度は女子のマネージャー室へと向かっていく。


なまえさんを抱えるにあたって神さんの荷物持ちに指名された俺は牧さんと共にそんな二人を追いかける。神さんは「マネージャー室って誰かと兼用だっけ?」と聞き「ハンドボール部のマネージャーとだけど、もういないよ」と言ったなまえさんの答えを聞くなり何の躊躇いもなくそのままマネージャー室へと入っていった。


「…さすがに、俺らは…まずいよな…」

「そ、そうっすよね…」


部屋の前でピタッと止まる俺と牧さん。誰もいないとはいえマネージャー室はもちろん女子専用であるわけだし、普段なまえさんがここで着替えていると思うとそう簡単には入れない。帰るわけにもいかなくてその場に立ち止まった俺と牧さんの耳には「自分で着れるよ」と言うなまえさんの声が入ってくるわけだ。


『宗ちゃん、大丈夫だからっ…』

「いいから、万歳して。」


まさか…神さんが脱がそうとしている…?!


あらぬ想像を始めた俺と牧さんは脳内が共通らしく二人して目を合わせ手で顔を覆った。ドキドキと心臓がうるさくて牧さんに至っては「あー…」「えーっと…」とかなんとか声を出している。


「っし、次スカートね。」

『…いいの?』

「いいよ、俺がやってあげる。」


あまりの生々しい会話に顔が熱すぎて気が狂いそうな俺と「あー…」を繰り返す牧さん。そのうちお姫様抱っこされて出てきたなまえさんが「待たせてすみません」と何食わぬ顔で謝ってきた。


『あれ?もう帰りますよ?』

「あ、あぁ…行くか…清田…」

「あ、はい…牧さん…」


平然とした顔で自転車の後ろになまえさんを乗せ「お先に失礼しますね」と笑って去っていった神さん。いなくなった二人を見送るなり俺と牧さんはその場を動くことすら出来ずただただぼうっと立ち尽くすのであった。










僕らはいつだって傍観者


(牧さん……)
(あぁ、清田……)









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