不安編







「.....個展?.....こ、個展を、開く?!」

『うん、そうなの...個展開いてみないかって!』


パァッと明るい表情、キラキラとした眼差しで俺を見つめるなまえ。珍しく少しだけ息も上がっていて、遊びに来たと思ったら慌てて部屋へと上がり込んできた様子が伺える。よく見りゃ普段なら玄関に綺麗に揃っている彼女の靴も乱雑に脱ぎ捨てられていた。


『健司くんに早く伝えたくて...急いで来ちゃったの....』


キラキラキラッと眩しい瞳はだんだんと曇っていき、何も言わないまま固まった俺に「健司くん、喜んでくれないんだね...」としょぼんとした表情になるなまえ。


あぁ、別にそういうわけじゃないって.....!


「ち...違うんだよ、なんつーか...凄すぎて、だな...」


俺もまだ信じられなくて...と続ければなまえは再びパァッと明るい表情で「私も!」と続けた。ニコニコと幸せが溢れ出たその表情はとてつもなく可愛くて今すぐにでも押し倒してドロドロに抱いてやりたいんだけど......


『健司くん、一番に招待状渡すからね!』

「お、おう....!」


俺の心は複雑であった。大学四年になってついに最高学年になってしまったと思った矢先、彼女であるなまえが個展を開くなんてそんな信じられないことを言うからだ。そもそもまだ画家ではなく東京芸術大学に通う四年生だっていうのに、そんなことが出来るのだろうか...と信じがたい俺は、待てよ....とよくよく考えてみる。


二年時にコンクールで最優秀賞をもらったなまえの絵は確かに大阪にある大きな美術館に飾られた。あれは本当に凄かったしみんなにめちゃくちゃ自慢した。その後も順調に賞を取り、思えば去年一年間はなまえにとって大躍進の年で、ありとあらゆる賞を総なめし、一気に画家としての才能を開花させた驚くべき一年だったのだ。その分近付く男の影も増えて、俺の心は騒がしく落ち着かない一年だったことは言うまでもない。


確かにそれじゃあ次は個展を開くとなってもおかしくないのか....


俺の頭がそう理解し始めて、嬉しさ半分、喜べないドロドロとした黒いものが半分、その間でどうにか彼女の前だけでは喜びを分かち合う自分でいたいと奮闘する中、なまえはニコニコと幸せそうな顔で一枚の紙切れを眺めていた。


「....それは、......?」

『見て。私の個展のリーフレット。』


見せられたそれには「みょうじなまえ、初個展」と書かれ、展覧会における日付と場所が書いてあり、間違いなくなまえの絵と思われる絵画が背景に薄く載っていた。右隅にはなまえの顔写真も載っていてその写真があまりに可愛かった俺は、彼女の手から奪い取るとギロッと凝視してしまう。


「....個展の、お知らせ.........。」

『えへへ、学校中に貼られてて恥ずかしいんだぁ。』


...ダメだ。俺はダメだ。多分、いや、絶対的にダメだ。


「なまえの人気が高まるだけだろうが....!」


鼻唄を歌いルンルンで俺の部屋のソファへと座ったなまえに届かない声量でそう口に出した俺。無理だ、ただでさえ徐々に名を馳せていくなまえに対して不安でいっぱいだっていうのに...個展なんて開いてしまっては....!


「....俺のなまえに手出しはさせねぇからな...、」

















『こんな広いところで開けるなんて...いまだに信じられないや。』

「マジですげぇなぁ.....」


ついに迎えた個展初日。午後から登壇し話をする予定のあるなまえは朝から綺麗なドレスに身を包んでいた。どさくさに紛れてぼうっと眺める俺の視線に気付いたなまえは「これ、有名なデザイナーさんが手掛けたんだって」と興奮気味で俺に伝えてくる。


『一体いくらするのか、聞きたくもないよね...』


怯えながら着用するなまえはメイクもバッチリで髪型も綺麗に纏められていてそのまま他の奴の目に触れる場所へ行かせてしまうのが惜しいくらいだ。今すぐにでも俺だけのものだって見せつけてしまいたいけれど...生憎ここは美術館の控え室で、先ほどからバタバタと人通りが激しい。


特別に控え室へと通してもらえた俺は一応スーツで、控え室には来たものの個展会場にはまだ足を踏み入れてはいない。一番最初に見せたいとなまえにはもう見てきていいと言われたけれど、招待状も貰ったし、しっかりと「客」としてなまえの絵を眺めたかったから、他の客と同じようにオープンしてから眺めることにする。


「...よく頑張ったな、ここまで。」


彼女の前では格好がつく自分でいたい。よしよしと頭を撫でればなまえは嬉しそうに微笑んで「ありがとう」と照れたように笑った。


あぁ、可愛い....マジで心臓に悪いくらい本当に可愛くて....


『あ、そろそろ時間だから行くね。』

「....おう、俺も外で入館時間まで待つよ。」

『健司くん居ると安心するから、登壇の時まで帰らないでね。』


そんな可愛いこと言われて、俺はどうすりゃいいんだよ....


困ったように笑いながら「頑張れよ」と手を振れば「ありがとう」となまえはものすごく綺麗な顔で微笑み去って行った。


「....とにかくなまえを守ることに、徹するのみだ....!」










「....は?!」


外へ出れば既に美術館の前には大行列が出来ていた。その全てがまさかなまえの個展目当て...ってことはないだろう。だって他のフロアでは別の個展も開催中だって言ってたし、まさかここまで集客するなんてことは....


気がおかしくなりそうな俺が最後尾へと近づけば目の前の男二人組の手には俺の部屋にも飾ってある彼女の個展のリーフレットが握られていて。


うわ、なまえ目当てかよ、コイツら.......


そう思うと途端に首を締めたくなるけれど我慢しなきゃいけねーな...。


「ヤベェよなぁ、みょうじなまえ。マジですげぇわ。」

「俺もこの人くらい才能あったらなぁ....。」


芸大に通っているのかはたまた画家になれなかったのか定かではないが男たちはそう言うと「しかも可愛いんだよな」と続けた。それが何を指す「可愛い」なのか同じ男として瞬時に判断した俺は左手で握り拳を作る。


「そうなんだよ!でも合コンには一切参加しないって噂だぜ?」

「うわぁ、きっと彼氏でもいんだろ。ガードが固くて外出を許さない彼氏が!」

「意外とヒモ男かもよ?この人の将来に期待して金目当てとか?」

「案外ダメ男に引っかかるタイプかぁ?!」


.....こんの野郎共め.....!!


俺の握り拳が胸の辺りまで上がってきて、ついには振りかぶり一髪殴ってやろうかと思っていた時だった。


「あれ、藤真さん?」


俺を呼ぶ声が聞こえて振りかぶった拳のまま後ろを振り向けばそこには見知った顔があって。


「.....神、」

「どうしたんですか?そんな物騒なポーズ決めて。」


相変わらずあっけらかんと失礼なことを言う神に拳を下ろした俺が「お前こそ....」と呟いた時、いつかのコイツの態度を思い出した。


そうだ、忘れもしない高三の国体....。合宿の時にたまたま海でスケッチしていたなまえとランニングしてた俺らが会って....そしたらコイツ、なまえの絵見て「ほしい」とか「絵が上手い子がタイプ」とか.....言ってた!!


「....何もそんな警戒しなくても。俺は純粋に絵を見にきたんですよ。」


俺の心情を悟ったらしい神が「まぁまぁ」と俺を宥めてくる。クソ野郎め....と舌打ちすれば「まぁでもこれじゃ、心が休まらないでしょうね」と神は苦笑いをしている。


「....うるせーよ、ほっとけ。」

「これからはもう一人前以上の画家ですからね、あのニュースのおかげでみょうじさんの注目度が一気に上がった。」


神の言葉がやけに引っかかりぼうっと眺めていれば「あれ?もしかして知らないんですか?」と驚いたように目を見開いてくる。


「...ニュースって、何?」

「嘘.......まぁ、近すぎると見えなくなることってありすよね。」


呆れたように笑う神は携帯で何かを調べると「ほら」と俺に画面を見せてくる。


「....現役芸大生の絵画、大手企業が三億で落札希望....?」


ゆっくりと声に出した俺が記事の見出しを読めば神は「そういうことですよ」と言う。


「....は?どういうこと?」

「だから、これ!」


記事をタップした神が見せた画面にはより詳しいことが書いてあって。


「....東京芸術大学四年生みょうじなまえさんの絵を大手企業の取締役が気に入り、三億で購入する意思を示した。これにより東京芸術大学は現在本人と確認しているとの意向を示した。なお、みょうじさんは本日より東京都の美術館において初となる個展を開催する.....。」


つらつらと読み、読む文がなくなった途端俺の脳はフツフツと沸騰するかのように何かが沸き上がった。


「.....さ、三億円......?」

「そうですよ。三億で買いたいって言われたそうです。」

「....は、はぁ?!だってそんなこと、何も言ってなかった....」


と俺が言えば神は「これついさっきですよ」と答える。


「まだ本人の耳には届いてないかもしれないですね。このニュースのおかげで個展は間違いなく賑わいますよ。」


神はそう言うと「俺に敵意剥き出してる場合じゃないですよ藤真さん」と笑ってくる。


「...なんだよ、それ...さ、三億って.......?!」

「有名人の恋人は大変だなぁ。」


神の言葉に深くため息をつく。これじゃあしばらくなまえは時の人となり、人と関わることだって増えていく一方だろう。魔の手が差し掛かってくるような気がして身震いが止まらない。気が付けば俺と神の後ろには最後尾がどこなのかわからないほどに人の行列が出来ていた。







俺を置いていかないで


(...俺には三億以上の価値があるってんだ、馬鹿野郎)






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