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なまえが天皇の御所へとやって来て丸二年が経とうとした頃。雑仕女の仕事も板につき、雑仕女の身分でありながら複数の雅男たちに求婚されてきたのだった。初めこそ驚き深々頭を下げ逃げるようにしてその場を立ち去ったが次第に慣れてきたなまえ。身分の高い女性は結婚の時以外、男性に顔を見せない決まりのあるこの世の中で、雑仕女なのだから当たり前だがあまりに綺麗な美貌を隠す事なく惜しみなく晒したなまえはもはや御所内の男たちにとって「目の保養」であった。相変わらず彩子に大切に思われて、幸せを願われている。
『彩子様にこれをお届けして......、』
とある日。御所を慌しく駆け回るなまえ。広い御所内を足早に歩くなまえは曲がり角で誰かとぶつかりそのまま尻餅をついた。
『痛っ......、はっ!も、申し訳ありません!』
自分のことよりとにかく相手のことを...と慌てるなまえ。無理もない。雑仕女である自分より身分が下の位の者などこの御所内には存在しないのだ。
なまえは彩子へ届けるものを握りしめ立ち上がろうとする。その時、目の前にはスッと綺麗な手が伸びてきたのだった。
『えっ.......』
「すまなかった。怪我は?」
その手から辿り視線を上げていく。目の前に立つ男と目があった瞬間なまえは驚いて目を見開いた。あまりの綺麗な顔に言葉を失ったのだ。
「...どうかしたか?」
固まるなまえが怪我をして立てないと思ったのか男はその場にしゃがみ込み視線を合わせると「痛むか?」となまえに問う。距離が縮まり突如目の前に現れたあまりにも綺麗なその顔面に我に返り「平気です...!」と勢いよく立ち上がった。
『.....もっ.....、申し訳ありませんでした.......!』
深々と頭を下げとにかくその場から逃げようとしたなまえだが「そなた、雑仕女だな?」と確認するような声が聞こえ慌てて立ち止まる。話しかけられて無視するなど雑仕女の自分には到底できないことだ。
『は、はいっ.....。』
「中宮様の雑仕女、確か名は....なまえと言ったか。」
そう言うと逃げようと少しだけ離れた距離をゆっくりと詰めていく男。散々雅男たちに求婚されてきたなまえだがこんなにも「綺麗な男」を見るのは初めてで、どうにもこうにも逃げたくなってしまう。
『そうでございます......。この度は大変失礼致しました......。』
見る限りとても高価であろう羽織を着た男はなまえの言葉に「構わん」と一言返すと目の前でピタッと立ち止まりなまえに微笑みかけた。
「近くで見れば見るほど、とても美しい。」
『はっ.....?!』
まさかそれは、自分のことなのだろうか.....。なまえは考えた。今何に対して「美しい」と言ったのだろうか。これで私自身のことかと思い返事をして、「そなたのことではない」などと返されたら恥ずかしさのあまり爆発してしまいそうだ。なまえは必死に考えたが結局のところなんと返せばいいのかわからず黙り込んでしまったのだ。
「.....まだ、名を名乗っていなかったな。」
しばらくの沈黙の後、男はそう切り出した。なまえは少しだけ顔を上げて男に視線を合わせる。目が合うなり優しく微笑んだ男が口を開いた。
「宮廷の警護をしている。藤真健司と申す。」
『藤真.....健司.......。』
その名は幾度となく耳にしてきた。優秀な逸材であり圧倒的な美貌。それ故に女子達から次々に側室を希望され、正室はもちろん側室も多く持つ色男だと。なまえは初めて見る藤真健司の美貌にひどく納得した。通りで色男と噂になるものだ......と。
『.....あっ、失礼致しました。藤真健司様.......。』
なるほど、この人が藤真健司......なんて名をそのまま復唱してしまったなまえは呼び捨てにしたことを謝り深く頭を下げた。そんななまえに「そなたは謝ってばかりだな」と笑う藤真。
『健司様は私のような者が、会話を交わしていい人物ではありませんので......。』
「何を言う。やめろ。」
実際雑仕女であるなまえの身分は幾分と下であり、御所の警護を任されるほど天皇から信頼を受ける藤真健司はなまえにとってそれはそれは遠い身分のずっと上の者であった。それに加えて精力的に力を伸ばしつつある藤真家の棟梁。そんな男が雑仕女である自分を対等に扱おうとするのだから、女子から人気があるのも頷ける。
「なまえと言ったな。」
『は、はいっ.....。』
「また会おう。近いうちに、すぐ。」
藤真はそう言うと「急ぎの用がある。失礼する。」そうなまえに頭を下げその場を去っていった。
『.......ど、どうしましょう.......。』
しばしその後ろ姿を見つめていたなまえではあったが、自分が関わるべき人じゃないと言い聞かせ本来の業務に戻るのだった。
この出会いが運命を変える(彩子様、帝より預かり物です。)
(ご苦労。.......あら?顔が赤いわね?)