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あの日、私は一枚の紙切れを拾った。


『…はい、どうぞ。』

「…うす。」


視界の端にとらえた紙に書かれた名前。幾度となく女子たちが噂をしていたその名前に多少の動揺がありつつもすぐさまそれを持ち主に差し出した。


受け取った持ち主はさっさとその場を去り私はしばらくその後ろ姿を見つめていた。


『るかわ、かえで…』


幾分と整った容姿に寡黙な雰囲気、それでおいてことバスケットとなると寡黙ながらも熱く燃えるスタープレイヤーなんだとか。噂になるのも納得がいくほどに彼の魅力は抜群だとたった数秒の間にそう思ったのだ。


あの日、私は一枚の紙切れを拾った。


のちの人生を変えることとなる、運命の紙切れ…を。

















湘北のスーパールーキーこと流川楓、通称楓くんに告白されたのは彼が入学して二ヶ月が経った頃だった。初めて顔を合わせた日から何故だか頻繁に廊下や通学路で鉢合わせしていた私達は気付けば「こんにちは」「うす」と挨拶を交わす仲へと進展していた。普段と変わらないなんてことない日の夕方に学習塾に向かう私と、練習を終え自宅へ帰る途中の彼はやっぱり偶然にも遭遇し一言挨拶を交わした後に彼は私を引き止めた。


「…気になる。」

『…えっ…?』

「なまえ先輩に会えると、すげぇ嬉しい。」


一度も名前を呼ばれたことはなかったし私だって呼んだことはなかった。けれども超有名人の彼と違ってなんてことない湘北の三年生である私とでは住む世界が違いすぎた。それなのにあっさりと彼の口から出た私の名前。そしてその圧倒的な威力を持つ言葉に頭の中は真っ白だった。


「わかんねぇけど、これからも会いたい。」

『…会いたい…?』

「たまたまじゃなくて、ちゃんと。」


今思えば彼らしい「告白」だったなとそう思う。自分の気持ちに嘘はつけない真っ直ぐなタイプにしてかなりの不器用。恋なんていう感情に出会したことがなかったらしい本人の後日談も参考にすればやっぱりこの時の楓くんからしてみたら未知の感情だったに違いないなと、やっぱりそう思う。


「先輩は、俺に会いたくない?」


白黒はっきりつけようとする彼に圧倒された私は核心をつくその質問に頭の中はパニックだった。それでも、好きでもない人にこんなことを言われてもこんなにも頭の中が爆発するなんてことは無いんだろうなぁとそう思ったし、顔を合わせ挨拶を交わすたびに今日も会えた…とどこかで胸を高鳴らせていたのもまた事実であった。


『…会いたい。』


素直に口に出す。二つ歳が離れていることも、私が先輩だということも、彼がこの間まで中学生だったことも全部含めて私は彼の「告白」に良い返事を出した。ほんの少しだけ満足そうな顔になった楓くんの顔は今でも忘れない。


『…ちょっ、!』

「してぇと思ったら、する。」


どこまででも本能的に生きる彼が早々キスしてきたことも、もちろん忘れない。











『…もう、ここでいいよ。』

「…なんで?」


手のひらにジワッと汗が滲む。それをギュッと握り拳にして私は彼の方を向いた。無表情の中でもわかる不思議そうな顔で私が発する言葉を待っているようだった。


夢を叶える為専門学生となり二年が経った晩夏、制服を着た彼と向かい合って立つ。私の実家へと続く道の道中、家の前まで送らせてくれないの?と言いだけな彼に向かって意を決して口を開く。手のひらの汗がひどくなっていくのがわかった。


『…別れよっか、私たち。』

「…は?」


楓くんは珍しく口を開けたままフリーズし「何言ってんの?」と呟いた。一秒一秒があまりにも重くのしかかりまるで数時間のように長く感じられた。夜という時間帯もあり時折涼しい風が吹くも私の手のひらは湿ったままだ。


「なまえ、なんとか言えよ…」

『アメリカ…やっぱり、別れてから行った方が楓くんの為になるんじゃないかなって、そう思ったんだ。』


交際を始めて丸二年。最後のインターハイで有終の美を飾った楓くんは卒業を待たずにアメリカ留学が決まっていた。もうすぐ、後何日かで彼は旅立つ。適当に時間を作って会いに来ると言った彼だったが私はそれに賛同出来なかった。


「そんなこと、一言も言ってねぇ。」

『余計な気苦労をかけたくないの。時差も環境もまるで違う。私は楓くんにスッキリした気持ちで行って欲しい。』

「…なまえは俺のこと、好きじゃねぇの?」


楓くんの瞳は揺れていた。こんな彼を見たことがない。そうさせているのは私かと思うと悲しいほどに心が痛んだ。


『好きだから、言ってるんだよ。』

「…俺にはわかんねぇよ…」

『好きだから、離れたいの。』


バスケットをしに、夢を追いに、その為にアメリカへ行く彼に纏わりつく邪念全てを払い除けてあげたかった。ただただ夢だけを追って欲しかった。壁にぶつかって心が折れて立ち直れない日々が待ち受けていたとしても。彼にとって私は必要な存在なんだと、いまいちそう信じきれなかった。


「…なまえは…それが、本心?」

『…うん。』

「俺と別れたい…?」

『…うん。』


楓くんは「わかった」とだけ言い残し私の前から去っていった。頑張れも気をつけてねもありがとうも言えなかった私を残して、彼は数日後予定通りにアメリカへと旅立ったらしい。


時折空を見上げてみる。ごく小さく見える飛行機、澄み渡る空…この向こう側には彼がいるのだろうか、とその全てが楓くんを連想させる。


『…頑張れ、負けるな…』


言えなかったその言葉を青空に向かって投げかける、そんな日々を過ごしてあっという間に六年が経った。スポーツニュースに度々登場する「流川楓」という名前。少しだけ大人っぽくなった見た目に随分と筋肉がついた体。相変わらず色が白く髪の毛は真っ黒で背も何センチか伸びたとかなんとか。


『今日も元気そうで、なにより…』


生存確認さえ出来れば満足なのだった。試合結果を放送している最中、彼がダンクを決めた瞬間にテレビの電源を切った。お風呂に入らねば…と疲れ切った自分自身を奮い立たせる。持ち帰った雑誌をテーブルに置き椅子から立ち上がればずっしりと全身重たい体にため息が漏れた。





君と私の六年間


(…疲れた、今日も本当に…)




















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