A







朝起きていつも通り出勤する。ただ一つ違ったことがあるとするなら家を出た瞬間に履き慣れたヒールが折れたことくらいだ。すぐさま別のヒールに履き替えたけれど…なんだか嫌な予感がしないでもない。


『おはようございまー…』

「みょうじ!みょうじっ!」

『は、はいっ、編集長…!』


オフィスにたどり着いた瞬間だった。挨拶もままならず呼ばれた私の名前。もの凄い剣幕の編集長がヒールをバタバタバタと鳴らして駆け寄るなり思いっきり私の肩を掴むではないか。


果たして私は何をやらかしたんだ…心当たりは…やっぱりないぞ…


「…でかしたわ!みょうじ!」

『…はっ、?』


目の前に現れた編集長の勢いのある喜び顔にこんな勢いで褒め称えられる意味がわからずに失礼ながらも「は?」と返事をした自分。だって、何?なんなんだ…?


「あなた、本当にやったわよ!」

『な、なにをで…しょうか…?』


興奮する編集長に隣から「なまえ先輩!」と拍手しながら現れた後輩。説明を求む…と顔で表現した私に後輩は「流川楓ですよ、流川楓!」と大声で叫んだ。


『…は?』

「流川楓が、うちの雑誌のインタビューに答えてくれるって!」

『…はぁ?!』


編集長に肩を掴まれながら顔は後輩のいる左向きで。「は?」を連発する混乱気味の私に後輩は「なまえ先輩のお手柄です!」と拍手をしてくる。一体どういうことだ…?!だって私が楓くんと交際していたことは誰にも言ってなかったはずなのに…


『どういうこと…?だって流川楓は、ファッション雑誌はおろかスポーツ誌にだって載るのを嫌がるって噂じゃ…?』


楓くんはあっという間にバスケット選手として名を馳せ、実力はもちろん、その圧倒的な美貌とバスケット以外に興味を見せない淡々とした佇まいや落ち着いた私生活がまた人気を博しファンクラブまで発足する事態となった。そして彼は私の中でもまたよく名を聞く存在なのだった。


ファッション雑誌の専属スタイリストとして職についた私の耳には常日頃、「○○誌のインタビューを断った」だの「○△誌は門前払いだった」だの、ありとあらゆる雑誌が流川楓を前に手を尽くしては完敗する、そんな情報ばかりが飛び交っていた。インタビューや写真撮影を嫌がる彼はスポーツ誌にすら載りたがらず、そこを差し置きファッション誌が撮影を許されるなんてそんなミラクルは起きるわけなかったはず…なのだが…


「それが!もうなんとしてでも撮影権を手に入れようとありとあらゆる方法を試してですね!うちのスタイリストに湘北出身の人がいるって言ってみたんですよ!しかも二個上で学年被ってますよって!」

『…うそ、うそ…うそ…』

「そしたら過去一で良い反応もらえて。流川さんの方から「名前は?」って聞かれたんです!」

『…まさか…私の名前…』

「みょうじなまえさんですって言ったら、目ぇこんなに見開いて!出るって、そう言ったんですよ!」


…うそだ、うそだ…


これは、何かの嘘じゃ…ないよね…


「やったわよみょうじ、でかしたわ!流川楓と仲が良かったのならそう言ってくれたらよかったのに!」

『…あ、いや、編集長…別に仲が良かったわけじゃないですし…その、あんまり…いや、ほとんど絡みもなくて…』

「そうですか?それにしては…流川さん、なまえ先輩のこと知ってる風でしたよ。」


そんな、馬鹿な…と頭を抱える私はようやく編集長から解放される。しかし編集長はスキップまじりにその場を去りながら「一時間後に来るから」と言い残していくではないか。


『…え、来る…?!』

「はい。一度撮影前に打ち合わせにって。ちょうど一時間後に来ますよ。」

『あ、でも私は…関係ないよね…』


待ってほしい。そもそも合わせる顔がない。あんなに一方的に別れを告げて、今までのお礼も謝罪も出来なかった私が今更どんな顔で楓くんの前に現れたらいいのか…


だって!そもそも私のことなんてもう忘れてるもんだと思ってたんだ。こっちが一方的に覚えては心残りとして感じているだけであって、日々忙しい彼の脳内に私という存在がいるわけない…って、でも私のこと覚えてたってことになるのか…まぁ、あんなに一方的に別れを告げられたら、嫌でも覚えてるものか…


『今日撮影あるからスタジオ行くし…流川楓の件は任せたからね。』

「なに言ってるんですかなまえ先輩、向こうからの指名ですよ。」

『…え?』

「なまえさんがいるんなら、って。先輩のスケジュールは代役を用意しておきましたので。」


じゃ、一時間後に応接室で


そう言い残しにやけた顔で去っていく後輩に「待ってくれ…」と言葉にならない声で呼びかける…も、もちろんスルーされる。伸ばした手はなにを掴むわけでもなく自分の太腿へと落ちた。


どういうことなんだ…私がいるなら、って…


『まさか、文句の一つや二つ言ってやろうって…』


相手は年間何億と稼ぐ大スターだ。もちろん一人で来るなんてはずもないし、掲載にあたって多額な金を要求されることだって…ある…


過去を使って私を地獄に落とす気なんじゃ…


頭を抱えるも悪い方ばっかりに考えがいきだんだんと命の危機すら感じてきた。ここは…もしかしたら逃げた方が身の為か…あ、でも…どんな条件であれそれに合わせて、なんとしてでも雑誌に載ってもらった方が…


売り上げはもちろん、ファッション雑誌に載ったとなればどんな服を着てるのか、どんな髪型に仕上がったのか、ファンなら確実に食らいつき話題になるんだろうな…なんせ楓くんにとって初めてのことなのだから。


「みょうじさん、流川楓さんが来ましたよ。」

『…えっ!もう…?!』


バタバタと走る廊下でまとまらない考えを放り投げる。こうなったら…どんな手を使っても…絶対に雑誌に載ってもらうぞ…


応接室に到着し、しばらくしてから扉が開いた。案内係役の編集長がペコペコと頭を下げながら部屋へと入ってくる。すぐ後ろにはマネージャーと思わしきスーツを着た男性。そしてその後ろには…


『……』


実に六年ぶりとなる、楓くんがいたわけだ。


「この度はお引き受け頂きありがとうございます。こちらが専属スタイリストのみょうじです。」

『あっ…ご無沙汰しております。みょうじです…この度は…本当に…』


ガタッと席を立ち真っ白な頭で言葉を紡ぐ。ジッと向けられた視線に応えることなんてできなくて彼のお腹辺りを見つめて話す私に「…先輩」と声がかけられた。


「…なまえ先輩。」

『…っ、は、はい……』

「久しぶりっすね。」


恐る恐る視線を上げた私と目が合うなりほんの少しだけ口角を上げる楓くん。吸い込まれそうなほど綺麗な瞳に色気が増したような雰囲気。オーラというものが言葉では表せないほどに溢れて出ていて、そのすべてにゴクッと息を呑む。


『そ、そう…だね…』

「すみませんけど、この人俺の担当で。あとはなんだっていいっす。」


そういい残し入ったばかりの部屋を出ようとする楓くん。編集長が慌てて「まだお話が…」と呼び止めるも「必要ない」と言い放った。


「撮影日には来る。金はいらない。」

「…えっ?!そ、それは困ります…!」

「なまえ先輩と会えた。それだけで充分だ。」


あんぐりと口を開けた私を一瞬チラッと見て楓くんは応接室を出ていった。


『へ、編集長…』

「みょうじ、あなた一体…どういう関係だったの?」









それはきっと必然の再会


(さぁ私の奢りよ、すべてを話しなさい)
(へ、編集長……)












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