B







交際ゼロ日婚だとか、十年愛だとか、都合のいいように色々な言い方があるけれど、十年もの間互いを信じ続けてきたという現実は、いざ共に暮らし始めるとどうだろう。少なくとも俺はそんなにうまくはいかないなと、そう思った。


「…どうした?」

『あ、ううん…洗い物しよっかなって…』


なまえは時折こうしてぼうっと俺を見つめることがある。そこにどんな意味が込められてるのか、今の俺にはわかりかねるんだ。ふとした瞬間に見せる不安げな顔がどうも脳裏に焼き付いて、もしかして俺との生活に不満が…?と思わずにいられない。


十年間、彼女だけを想い生きてきた。側から見たら気持ち悪いのかもしれないけれど、あの日自分の心に素直になり真っ直ぐに伝えた「迎えに行く」という約束をどうしても守りたかった。


皿を洗う彼女の元から食器と食器がぶつかる音やスポンジを泡立てる音が聞こえる。エプロンをつけたその後ろ姿を見るなり俺の心は容易に高鳴る。俺ん家になまえがいる。ただそれだけで信じられないほどに満たされた。


…少なくとも、俺は。


十年想い、やっと結ばれた。けれどもそこはゴールではなかった。互いを想い続けていただけであって、恋人のように交際をしながら数々の困難を共に乗り越え、数え切れないほどの思い出を作ってきたわけではなかった。俺らの間にあるのはただひとつ、「互いを信じる」という強い思いだけだ。


気付けば彼女のことを何も知らなかった。何も知らないままプロポーズをし、承諾され、早々来週籍を入れる。俺にとって今更彼女がどんな子だろうともはや関係ない勢いであって…格好がつくように得点王を獲ってから迎えに行くという願望も自分で叶えたくらいだったから。


『神くん、お風呂沸いてるよ。』


けれどもなまえはどうだろう…?俺のことをいまだに名字で呼ぶ彼女は…


『間違えた。そ、宗一郎くん…!』

「…一緒に入る?」

『うぇっ…?!』


顔を真っ赤に赤面しながらパクパクと口を動かすなまえは完全に風呂前にのぼせていた。何もしてないのにこの調子だ。今から夫婦になろうってのに…


「俺先に入ってるから、待ってるね。」

『えぇっ?!嘘っ…!』


皿洗いの途中にこちらを向くからぼたぼたと泡がキッチンマットに垂れている。もはや見て見ぬふりをしてさっさと風呂場へ急げば後ろから「うそ〜…?!」と声がした。嘘じゃない、切実に共に入りたい。


「……って、来ないつもりか……」


全て洗い終え湯船に浸かってもなまえは来なかった。俺までのぼせるわけにもいかないと浴槽を出るなり急いで頭を拭く。文句をいくつ言ってやろうかとリビングへ向かえば縮こまって体育座りをしたなまえがソファの上に座っていた。ちょこん、と効果音が出そうなくらいだ。


「なんで平気でそうやって、約束破るの?」

『……だって……、』


瞬時に気付く。何だか様子がおかしい。正面に立ち膝を曲げ視線を合わせれば彼女の目には涙がたまっていた。今にもこぼれ落ちそうな勢いだ。


そんなに、俺との風呂が……?いやでも、なんだか違う気がする。


「…ごめん、ちゃんと話、聞く。」


俺が隣に腰掛ければなまえはとうとうポロッと涙をこぼし鼻をすすった。時折俺に「ごめん」とそう謝りながら。


『…結婚、怖くて…』

「…どうして…?」

『何も知らなくて…やっていけるのかって…』


やっぱりな…と思う自分がいた。いきなり「迎えにきた、結婚しよう」だなんて、そんなのが通用するのはドラマと映画の世界のみ…って、今の俺ならそう思うけど。まぁ、十五歳の儚く柔い頃の俺じゃ想像もつかなかったよな…


「俺はなまえがどんな子だろうとそんなの今更であって…なんだって構わないけどね。」

『神くんは…どうして、そう思うの…?』

「だって。好きになったのがなまえの心だったから。」


こころ…とリピートするなまえ。溢れる涙を手で拭ってやれば照れ臭そうに「ありがとう」と言う。さっきからいちいち可愛いな…と俺の頭の中はそんなことで常にいっぱいだった。


「転校してきた初日に俺の名前聞いてきたでしょ?」

『うん、覚えてるよ…』

「珍しい名字だから、何らおかしくない反応だった。でもなまえはなんだか違った。」


あの日君は俺の下の名前を聞いた。神宗一郎と聞くなり「そういちろうくん」と俺の名を何度も呼んだ。そして言った。


「かっこいい名前だねって、下の名前を褒められたのは初めてだった。」


神という珍しい名字に食いつく人はたくさんいる。むしろ名を名乗れば何かしらの反応がくる。それが理由になり周りは揃って俺を「神」と呼ぶ。珍しいから。かっこいいから。ジンという響きに耳が慣れてしまっていた。


「家族以外で初めてだったよ。あんなに宗一郎って連呼されたのは。」


存在感を持たなかった下の名が彼女によってスポットライトを浴びた。結局周りに合わせるように彼女もまた俺を「神くん」と呼ぶようになり、それは自分もそれになろうとしている今も続いているのだけれど。


「俺、呼ばれたいと思った。なまえにずっと、「宗一郎」って呼んで欲しかった。」

『…宗一郎、くん…』

「…うん。大好きだよ、なまえ。」


あの日からずっと特別だった。その特別が俺を十年もの間奮い立たせた。好きという気持ちと、その好きで十年も戦ってこられたという二つの絶対的な揺るがない思いが俺の中には存在している。だからこそなまえのことをよく知らなくても、何の思い出も無くても、俺は平気なんだ。


「十年も待てた。好きっていう気持ちだけで。だから俺はどんなことだって出来ると思うんだ。」

『…知らなかった、宗一郎くん…そんなこと思ってたんだね…』


なまえはそっと俺の頬に手を伸ばした。優しく触れられて、真剣な話をしてるっていうのにドキッと体が反応する。まだ再会して日も浅く、ようやく越してきてくれたばかりで落ち着かなかったからこうして触れ合うなんてこともしてこれなかった。


『これから…ゆっくり、知っていきたい…これで、いいのかな…?』

「どんなに時間がかかっても、俺達なら大丈夫だよ。」


たくさん思い出を作っていこうと、そう約束を交わし自然と抱き合った。もう一度ちゃんと…と耳元で決意を告げる。


「俺と、結婚してください。」

『…よろしく、お願いします…』


ポロポロと再び彼女の目から涙が溢れた。でもそれは先程までのものとはもう違う。輝きを纏い美しいほどの笑みと共に溢れてくるのだから。その全てを永遠に愛し抜こうとそう固く誓うのだった。
















You’re special to me!


(ジンジン、結婚おめでとう)
(フッキー、本当にありがとう!)
(幸せにな…みょうじのこと)
(…任せて。フッキーの分までね)














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