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「なまえ、本当に来てくれないの?」

『うん、帰る。ごめんね。』


定時になり会社を出た。同期の親友は今から合コンなんだと張り切って、ついでに私にも声をかけてきたけど生憎行く気にはなれなかった。


二十五歳、三十手前での結婚を望むのであればそろそろその相手を見つけておきたいところだ。現在…というよりもうずっと彼氏という存在はおらず、これまでの人生で何度か交際の申し込みを受けたこともあったけれどその全てになんとなくノリ気がせず尽く断ってきていた。


神奈川に越して十一年。就職を機に生まれ育った地元へ戻ろうかとも思った。でもそれもなんとなく気分が乗らなくて、気づけば横浜で一人暮らしをしていたわけだ。そのどれもこれもちゃんとした理由があって、「なんとなく」なんかじゃないっていうのは自分が一番よくわかってはいるんだけれど…


『迎えに来てくれないじゃん、馬鹿…』


果たして馬鹿は約束を守らないあの人か、はたまた中学生の戯言を信じて待ち続ける自分…か。


今日もまた一人で歩く帰り道はなんだか寂しくて。いつまで期待してるんだろうなって、そんなことを思っては虚しくなる。もうすぐ四月。新入社員だって入ってくる。いつまでこんな生活を続けるべきなのか…


「…みょうじ?」


ふと名前を呼ばれて人混みの中で振り向いた。


誰…?


雑踏の中、その姿は見えなくて気のせいにしてはハッキリ呼ばれたな…と再び前を向いて歩く。その時だった。パシッと腕を掴まれて人混みの中を掻い潜るようにして進んでいく。以前も体験したようなその出来事にあの日を忘れない自分の心がざわついた。


もしかして…、


「…久しぶり、みょうじ。」

『うわっ、福ちゃん?!』


パッと手が離れて振り向いたのは中学、高校と同じ学校へ通ったバスケ部の福田吉兆こと福ちゃんだった。お洒落な私服を着こなした福ちゃんは全然歳をとっていなくて、相変わらず無表情だと怖さを感じる顔付きだ。


『うわぁ…すごい久しぶりだね…元気だった?』

「うん、みょうじは?」

『元気だったよ。っていうか、よくわかったね?』


私の言葉に福ちゃんは歩きながら「わかる、みょうじのことなら」と言う。なんだよそれ…と少し照れつつも隣に並べば福ちゃんは真っ直ぐ前を見たまま口を開いた。


「ジンジン、すごい活躍。」

『…そういえば福ちゃん、そんな呼び方してたね。』


突然出てきたその名前に心がドキッと反応を見せた。高校時代もこの福ちゃんとは同じ学校だった上によく話す方であったのに、その名前を出してきたことは一度もなかったはずだ。陵南と海南の試合も定期的に行われていたみたいだったけど、私もまた部活をやっていた為観戦できたことは一度もなかった。その活躍は何度も耳にしていたけれど。


「次の試合で決まる。獲れるかもよ、得点王。」

『…うん、そう…だね…』


神宗一郎。Bリーグの川崎に所属するスリーポイントシューター。今シーズンの調子は極めて絶好調で残りの数試合全てを待たずしても圧倒的な二位との差に、次試合で得点王が確実になるのではとニュースになっている。


神宗一郎。彼がごく普通の一般人で、中学卒業以来その名前を耳にする機会が無かったとしたら…きっと私は十年間もどこかで彼を待ち続けたりはしなかったはずだ。


高校時代、大学時代、神宗一郎の名はバスケット界では有名であった。そして大学を出るなり今度はBリーグでその名を馳せる。中学時代の細くひょろっとした彼はもういなくて、テレビや写真で見るたびにその成長ぶりに驚いた。


今やそんな有名人が、私を迎えに来る…?


そもそもあの約束を覚えている可能性はどのくらいあるのだろうか?毎日忙しくてバスケットでいっぱいで古い記憶は順番に頭から抜け出していないだろうか?かれこれ十年だよ…私は変わらないけれど、神くんは…


「…観に行く?」

『試合?ううん、行かないよ。』

「…行けよ、観てあげて。」


福ちゃんはそう言うとスッと私の前へ何かを差し出した。それが何かは会話の流れで見なくてもわかる。


『福ちゃんのじゃないの?人気だって聞いたし、簡単に人にあげちゃ…』

「…俺よりもみょうじが行った方がジンジンも喜ぶ。」


福ちゃんはそう言うと私の手を掴み手のひらにチケットを乗せた。


『……福ちゃん、白状するよ。』


ジッとその紙切れを見つめ、私はそう話し出す。福ちゃんは静かに聞いてくれていた。


紙切れに書かれた「川崎」という文字に、神くんが所属するチームのその名前に、私を気にしてくれる福ちゃんのために、私はもう自分の気持ちに素直になろうと、そう思った。見て見ぬふりはもうやめる。ずっとやめたかったけど、怖くて向き合えなかった。


『神くんね、中学の卒業式で私に言ったの。』

「…十年後、迎えに行く…」

『うん。今がちょうど十年。私ね、ずっとその言葉を信じて生きてきたの。』


最初は、転校生としてやって来た不安を増加させてくるような存在だった。だって、挨拶したくたって目は合わないし、話しかけても素っ気ない。それでも会話を交わすたびに少しずつ縮まっていく距離に嬉しさを覚えたのも事実だった。三年でクラスが離れた時はガッカリしたし、もう話すこともないのかなって寂しくもあった。


『だから…、最後まで信じ抜きたい。』


手のひらにある紙切れを福ちゃんに返す。何も言わず静かにそれを受け取ってくれた。


『迎えに来るって、あの人が言ったから。』

「約束を、守るのか。」

『自分から会いに行ったら、なんだか…違う気がするでしょ。』


私の言葉に福ちゃんは「みょうじで良かったよ」と言う。その言葉の意味を深く知りたかったけれど福ちゃんはそれを残し「じゃあな」と背中を向けた。


『福ちゃん……ありがとう。』

「幸せに、な。」


彼は人混みの中に消えた。たどり着いた自身のマンション。テレビをつければちょうどスポーツニュースを放送していた。神宗一郎が得点王に王手だとどこもかしかもそんなことばかり言う。いつからこんなにバスケットは有名になったんだ…?やっぱり彼がかっこいいからか…?


『そうですね、ファンクラブもあるって噂ですもんね。』


いっそのこと、熱愛やスキャンダルが出るような人だったらなぁ…完璧に諦めがつくのに。何をバスケ一筋になってるんだか…













『お疲れ様でした。』


定時を少し過ぎた頃会社を出た。桜が咲いている。手を伸ばせば届きそうな位置にあって、それでも触れるのが惜しいくらいに綺麗だと思った。


「…なまえ。」


耳に入った綺麗な声。スッと心にも入り込んでくる。ドキッと音を立てた心が急に熱くなる。姿を確認せずとも全身の体温が上がっていった。


ゆっくり、ゆっくりと振り向いた。ジッとこちらを見つめ桜の木の下で頭に桜の花びらを乗せた神くんが立っていた。


『…変装、しないの?』


なんでそんなことを…と我ながら呆れてしまう。再会に相応しい言葉を瞬時に考えたどり着いた答えがこれだ。ちっとも可愛くない…と落ち込む私に神くんは笑った。


「別に、撮られても平気。どうせ家族になるから。」

『………』


神くんはそう言って私に近づいた。その拍子にヒラッと花びらが落ち、それはなぜかタイミングよく私の手のひらに収まった。


「やっぱり十年かかった、遅くなってごめん。」

『…どうして、十年…?』

「立派に養える男になるまで、それくらいかなって思ったんだよ。…中学生の俺がさ。」


ギュッと手を掴まれ包まれる。温かいその体温が私のものなのか彼のものなのかよくわからないけど、もうどっちでもいい。


本当に来てくれたんだなぁ…って、どこか他人事のようにそんなことを思った。神くん約束覚えてたんだ…とか、ずいぶん筋肉ついたなぁ…とか…


「ちゃんと、待っててくれた?」

『待ってなかったら?』

「…それでも、手に入れるよ。」


神くんは笑った。私がちゃんと待っていたことなんてお見通しだと言わんばかりの顔で。包まれた左手の薬指にスッと何かが通った。目を向ければキラッと光るものがついていた。


「俺と、結婚してください。」

『…よろしくお願いします、得点王。』

「…ありがとう。」


中学生の頃よりもずっと表情が穏やかで、そして優しい顔つきになった。神くんは大胆にも私を抱きしめ「よかった」と呟く。その安心したような口調に彼なりに緊張していたんだなってなんだかとっても嬉しくなった。


『これって、交際ゼロ日婚ってやつ?』

「…十年愛じゃない?」

『やだ、ちょっと、ロマンチックじゃん。』

「…ロマンチックだろ、充分。」







十年越しのプロポーズ


(ここに越してきて。あの部屋使っていいよ)
(すごいところに住まわれてたんですね…)
(そりゃ二人で住むにはこれくらいじゃなきゃ)
(あらかじめ私も人数に含まれてたわけね…)
(…何その顔、引きましたって言いたいんだな)




B→












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