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「信長、日本史勉強してるの?」

「神さん...そうなんすよ...日本史の成績があまり良くなくて...個人的にテストを受けることになりまして...」


そう言って信長は開いていた資料集に目を向ける。中学生の頃習ったであろう日本史の範囲。いかに自分が勉強をサボってきたのか信長は高校に入り思い知ったのだった。海南大附属高校は神や信長が所属するバスケットボール部をはじめ、様々な部活動が優秀な成績をおさめているものの、文武両道を掲げているだけあって神奈川屈指の進学校であった。


「あ......神さん、日本史得意でしたよね?」

「うーん...まぁ...。信長よりは出来るかもね。」


悪気なさそうに笑った神に清田は「それなら!」と資料集を差し出す。


「この本能寺の変ってところなんすけど......」


特別テストを受けるほど日本史が得意ではない信長ではあったが、よくよく勉強してみると興味が湧く箇所が多々あった。その中のひとつにあがったのが本能寺の変であり、それは信長と同じ名前の武将が命を落とした現代にも語り継がれる有名な戦であった。


「織田信長が逃げることができなかったのはわかります。包囲されたって書いてあるし...。でも......」


そう言って信長は資料集を指さした。


「この息子の...織田信忠は逃げられたんじゃないっすかね?」


信長は純粋に疑問に思ったのだ。織田信忠という武将は、父親である織田信長が包囲されたと知った時、父の近くには居らず、別の寺にいたのだった。その寺はまだ明智の手が回っておらず逃げるチャンスはあった。その上、信忠は父の救出が不可能だと判断すると、真っ先に近くに居た親王一家や女性達を優先的に逃したのだった。


「この状況で冷静に判断して皇太子の家族を逃して...その後逃げずに戦いにいくだなんて...」


そう言った信長はえらく悲しそうな顔をした。その表情を神は見逃さない。


「じゃあ信長がもし「織田信忠」の立場だったらどうするの?真っ先に逃げるの?」


神がそう問えば信長はハッとした。そして時間を使ってたっぷり考え込み、そのうち「わかるかもしれないっす...」と呟く。


「確かに...言われてみれば...俺も逃げずに戦ったかも...」


信長の問いに神は笑った。それは優しく穏やかな笑みであった。信長の隣に腰掛けて同じ資料集に目を通す神はゆっくり口を開く。


「信長、この織田信忠っていう武将は若くして命を落としたし、父親と比べてさほど有名ではないけれど、とても優秀な人間だったんだよ。」

「そうなんすね......」


信長は何故だか心の中が熱くなった。自分の命よりも仲間や他人を優先した勇敢な武将。偉大なる父親の影に埋もれがちな勇敢な人間の存在を知ることができ、なんだか嬉しくなったのだ。


「それと......この人は相当な苦労人だった。」

「父親が偉い人だったからっすか?」


神は信長の返答に「それもあるけど」と言う。


「11歳で政略結婚して奥さんをもらったけど、まだお互い幼くて、名前だけの結婚で顔を合わせたことはなかったんだ。」

「11歳?!すげぇ......」

「二人は仲が良くて、手紙のやりとりやプレゼントを贈ったりして距離を縮めたみたいだよ。」


顔を合わさずとも互いを想い、互いの存在を大切にしていたのだと信長は感心した。


「二人は一度も会わないまま5年経った頃に、両家の仲が悪くなって婚約は解消された。」

「会わないまま......?」


信長の問いに「うん、一度もね」と答えた神。会えずとも互いを思いやり、純粋な恋心だけで5年もの月日を過ごしたっていうのに...今では考えられないなぁだなんて信長は感心していた。


「それから信忠は、側室はもらったけど、絶対に正室はもらわなかった。正室は空けておいたんだよ。」

「その婚約者だった人のために...?」

「そう。いつか会えるかもって思ったんじゃない?」


いつか...会えた時のために...。信長はさほど冴えていない自身の頭をフルに使って考えた。織田家の人間でありその上あの「織田信長」の血を直に受け継ぐともなると、女の人には困らなそうだし......。それなのに顔も見たことない相手のことを思い、本命を空けておいた......。


「元婚約者の女の子は武田信玄の娘でね、仲が悪くなった織田と武田はそのうち戦うようになった。」

「えっ......そっか......敵になったんだ......」

「うん。武田が滅びた時、相手の大将は織田信忠だった。」


信長は「えっ...」と声を上げた。好きな相手の家を潰したということになる。想い続けていた相手の一族を滅ばせたということは......


「それって............」

「信忠にとっては心苦しかっただろうね。でも、自分の私情で戦を拒むわけにはいかない。戦国時代って強いものだけが生き残る、残酷な世界だったんだよ。」


だからこそ美しい。純粋な「好き」という気持ちが美しく輝いて見える。取っ替え引っ替え出来た立場だっただろう。それなのに想い続けて苦しみ続けた信忠の真心はとても綺麗で、信長は何故だか胸に痛みを感じた。


「それからしばらくして、信忠は迎えの使者を出したと言われている。」

「迎え......?」

「正室として、嫁いでくれないかって。その子のところへ部下を送り込んだんだよ。」

「もしかして...やっと結ばれたんですか?!」


自分で質問して信長は「違う」と自分で答えを出した。そんなわけない。何故だかそう思う自分がいる。なんでだろう、初めて聞いた話なのに、信じられないくらい胸が痛い、苦しい.....。


「女の子が嫁ぐことを決意して信忠の元へ向かっている途中に起きたんだ。」


この、本能寺の変が......。


「じゃあ...会えなかったんすね......」


本能寺の変により父である織田信長と同じように自害を決意した織田信忠。父の救出が不可能だと知ると親王一家を逃し、自らも刀を持って戦った。長年想い続けた相手とは結局の所出会えなかった。天下人である父親の影に埋もれ、過小評価されがちであり資料集にもさほど詳しく載っていない。


信長は思った。織田信忠という男の、激動の戦国時代を生きた26年の短い人生はもっともっと評価されるべきだと。資料集で一文で片付けられてしまう存在なのはもったいないと。武将としても「男」としても優れていた男がこんな大昔に存在していたのだと。


「その女の子は信忠が亡くなった後、出家して尼になった。」

「尼......」

「武田一族と信忠の冥福を祈り続けたんだって。」


神は続けた。「誰の元にも嫁がなかったみたいだよ」と。


「生涯独身だったんだって。もうそろそろ会えたかな?」


そう言って神は窓の外を見つめた。信長もまた同じように外を見つめる。長い年月を経て、二人がどこかで結ばれていたらいい。今度こそ悲しい結末を迎えないように幸せになってくれてたらいい。


「神さんは......どうしてそんなに詳しいんですか?」


純粋な疑問であった。神は元々勉強が出来る先輩ではあるが「得意」という理由だけで、こんな細かなことまで知っているのが普通なのだろうか?それとも織田信忠といえばこの悲しい恋が有名なのだろうか?


「俺、何にも知らなかった......」

「誰でも知ってるわけじゃないと思うけど......でも有名な話なんだよ。」


「俺の中ではね」そう続けた神はにっこり笑って信長の頭を撫でた。








悲しい恋の物語











Modoru Susumu
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