C
あの日からいつかは来ると思っていた。
仙道彰という信頼のおける武将と共に連合軍として立ち上がった我々はついに神家の領地に本格的に侵攻し、当主であった者を自害へと追い込んだ。
神家滅亡により領国は増え、戦の勝利を喜ぶ者が多い中、私の心だけはどこか奥底へ落ちてしまったようだった。
私自身が追い討ちをかけた。最後の最後まで神家の当主、すなわちなまえさんの兄を追い込み、逃げ場を作らず自害させた。自分自身で斬る必要がなかっただけまだマシだったのかもしれないが結果的にやったことは同じだ。そもそも私が知らないだけで、知らぬ間になまえさんの親族を斬っていたのかもしれないし、中にはなまえさんが正室や側室として支える主人がいたのかもしれない。
大切な人を斬ったのは私だ。
神家を滅亡させたのも私。
「信長様、ご無事でなによりです。」
「ただいま...鈴......」
鈴の顔を見て、私自身ハッとする。涙目で私の無事を喜び迎え入れてくれたその顔が、見たこともないっていうのになまえさんに思えて仕方がなかった。どこかで泣いていないだろうか。大切な人を斬られたと苦しんでいないだろうか。牧の信長という男を心の底から憎んでいないだろうか。
「随分とお疲れのようですね......」
鈴との間に嫡男も産まれ、父になったというのに、神家へと侵攻する際の私の手は小刻みに震えていた。総大将としてやるべきことがあるというのに、私の頭の中は「本当にこれでいいのか」だなんて見当違いなことで悩んでは答えが出せなかった。情けない。情けないにも程がある。
きっと仙道家との連合軍ではなかったら、私はどこかで躊躇して動けなくなっていたのかもしれない。そう思うと自分がとても怖い。
「信長様、ご無理なさらずゆっくり休まれてください。」
「ありがとう、鈴......心配かけたな.......」
手に入ったものがある。この戦により、犠牲になった命により、得たものがある。けれどもこの戦は私の中ではあまりに犠牲が多かった。
「信長様......」
鈴にこんな顔をさせてしまうくらい、私は情けない男なのだ。
「鈴、許してくれ...こんな私を許してくれ.......」
君を泣かせる私を、泣いている君に違う女子を重ねる私を、君以外の女子を想い戦中に手が震える私を、どうか許してほしい.......
「必ず辿り着くのだぞ。頼んだ。」
「はい、信長様。」
悩みに悩んだ。最後は鈴に許しをもらった。鈴は笑った。「信長様、物語にもありませんよ、そのような素敵なお話は......」そう言って背中を押してくれたのだ。
長らく空いていた「正室」と自分の煮え切らぬ心に決着をつける時がきた。
「どうか......頼む.......。」
信長はなまえの消息を耳にし、使者を送り込んだのだった。それはなまえを「迎えに行く」旨の使者であり、自分と生涯を共に過ごし、「正室」として迎え入れる覚悟を決めて送り出した使者だ。鈴の許可も得て本気を見せた信長は、何を隠そう牧家の当主。強引にでも連れてこようとすればいくらでも可能であったのに、わざわざ使者を送り込み、なまえの意思を聞いてからにしようと決めたのだ。
自分自身、戦中に手が震えるほどなまえを想って毎日を過ごしてきたが、もしかしたらなまえはそうではないのかもしれない。なにせ婚約から十五年もの月日が経過していたのだから。もうどこかへ嫁いだかもしれないし、誰かの正室かもしれない。そう思うと無理につれてくるのは違うと思ったのだ。
もしも、なまえがまだ自分を想ってくれているのなら...。十五年の時を経て、今度こそ「正室」として迎え入れたい。信長は願った。神家を滅亡させた身で何を言うのかと怒られるかもしれない。けれども
会いたい。
なまえの元へ使者が辿り着いた頃、信長は落ち着かない様子で家中を歩き回っていたのだった。そんな様子を見て鈴は苦笑いを浮かべ、愛しさや恋しさを通り過ぎて、信長に長い時を経て「正室」が来るようにと密かに応援したりもしていた。鈴という女子はとてもよくできた人物なのだった。
『信長様の...使いの者...?』
なまえは首を傾げた。悲しみに暮れながら過ごしていたある日、自分のいる武蔵国へ突然「牧家当主、信長様の使いの者」と名乗る男たちが「信長様から伝言を預かってまいりました」なんて言うからだ。
『信長様がなんと申したのですか...?』
文や贈り物を受け取った以来だ。このような関わりを持つのは。なまえは震える手を握りしめた。何を言われるのだろうと身構えた。もし出てくる言葉が神家滅亡に関する謝罪なら怒鳴り散らして追い返そうとも思った。そんな言葉は望んではいない。
「信長様が正室として迎え入れたい、と。」
『えっ.....の、信長様が、仰ったのですか........?』
「はい。なまえ様の心に沿う形で、とのことです。」
それは信長による配慮であった。すぐさまそれに気付いたなまえは目から大量の涙を流した。使者を心配させるほどの。
十五年の時が流れても変わっていなかった信長の気持ち。戦はあれど心のうちは私と同じだったのかと、もしかしたら同じように苦しんでいたのかと、なまえは胸がいっぱいになった。
『......行きます。行かせてください......。』
その想いに応えたい。私などを迎え入れたって滅びた家の娘では政治的にも何の力にもなれないのに、それでも使者を出して迎えに来てくれて、私の意思を尊重しようとしてくれた信長様のその全ての想いに応えたい。
なまえは信長の元へ行くことを決めた。
今までのどの瞬間よりも緊張する面持ちで信長の元へと向かった。どんな顔で会えばいいだろう。考え出せば止まらなくて、長い長い道中も一瞬に感じられるほどだった。
なまえが信長の元へと向かう道中で、だった。
牧家の存続に関わる大規模な戦、のちに「本能寺の変」と呼ばれ語り継がれる歴史的な戦いが始まったのは。
なまえは何も知らなかった。自分の訪問を信長も喜んでくれると信じてやまなかった。今後こそ会えるんだと思い込んでは疑わなかった。
信長の身に何かが起ころうとしているだなんて想像もしなかった。
君を想い続ける