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『父上......』


父の訃報を聞いた時、私の目の前は真っ暗になった。


「なまえ、信濃国へ逃げるぞ。」

『はい、兄上......』


神宗一郎が亡くなったことにより神家の当主は世子であった兄へと引き継がれた。それと同時に下の兄に連れられて住んでいた場所を出る私。信濃国へとたどり着くなり身を守る為息を潜めて過ごす生活はとても苦しく、時たま父上を思い出しては涙を流す日々であった。


神宗一郎という武将はとても勇敢な人であった。どんな時も泣き言を言わず、「人は石垣、人は城、情けは味方」などという意味深い言葉を遺した。信頼のおける「人」の集まりは強固な「城」にも匹敵する。情をかければ人は味方となり自分についてきてくれる。この言葉の意味通り、神宗一郎というひとりの人間の周りには人がたくさん集まり、いつだって周りから信頼されていたのだった。


偉大な父を亡くしたと同時に今のこの現状がとてもやるせない。寂しさを感じれば感じるほど、いつかの幸せであった温かい日常が恋しくなる。


『兄上......、信長様はお元気でしょうか.........』

「なまえ、信長様はそのうち牧家の当主になられるお方だ。心配しなくとも平気だろう。」


下の兄は話のわかる方で、いつか婚約が事実上解消となった時も、「今日から牧家は敵だ」と決意を固め、私の気持ちなど目もくれない父や上の兄たちと違い、「平気か?」と声をかけてくれたのだ。まだ幼かった私にはいきなり「婚約」だの「解消」だの「敵」だの言われてもサッパリだったのだがこれだけは確かであった。


私は信長様が好きだった。


ある日突然届いた文。「信長と申します」と書かれた初めての文。まだ見ぬ信長様に「ぜひお会いしたい所存です」と返事を出したり、「お気に召すと嬉しいのですが...」と届いた髪飾りや櫛、そして私の好きなお花たち。中には手に入れるのに難しいと言われているものや、高価で有名なものが花束となって贈られてきた時もあった。


信長様。私の大切な主人である信長様。牧家と神家の諸事情により婚約は無かったことになってしまったけれど、私の気持ちはあの日から、ほんの少しも変わらないままであった。


『信長様はもうじき牧家の当主になられるのですね......』

「噂を耳にするだろう。」


信じまいとしていた噂。牧家の当主である牧紳一様の隣で、最近は戦に精力的に参加しているという信長様。共に戦い間近で父の戦いぶりを拝見し、本格的に牧家の当主になるべく準備を進めているのだと。私の耳にも届いたその噂がどうか噂であるようにと願ってはみたものの......。


神家と敵対する牧家の当主とならば、いつか神家と本格的な戦を開始するかもしれない。その時に勝つのがどちらであれ、負けるのがどちらであれ、兄が信長様を斬るのも、また信長様が兄を斬るのも、とても見たくはなかった。それに牧家の当主ともなれば、いつか私がつくはずであった「正室」の座も狙うものが増えるであろうし......。もう既にいるのかもしれないし、側室なんかはごまんといるのかもしれない。そう思うととてもとても胸が苦しくてつらいのだ。


『兄上......』

「心配はいらない、なまえ。信長様も兄上も平気だ。いつか戦う日はくるだろう。でも、その時はその時だ。自分の身を守れ。」


信長様が平気でも、信長様が戦うということに私は心配でたまらないし、当主ともなれば信長様は確実に様々な者から命を狙われるのだろう。正室でもない私がこのようなことを心配したって、どうにもならぬことはわかっている。もう文を送り合う仲でもない。それなのに......


頭の中はどうにもこうにも信長様でいっぱいなのだ。


どうか...どうか、つらく苦しい思いばかりしないで、平穏な日々が続きますように......。信長様が様々なことで苦しまず、幸せな日々を送れますように.......


戦国時代と言われるこの世でこのような無茶な願いをする私をお許しください......。























信長様が本格的に家督を継ぎ、牧家の当主となったことを知った頃、私は様々な想いを抱え複雑な心で毎日を生活していた。神家との勃発が起きるたびに寿命が縮まる思いをしたし、いつか全てが信長様の手によって壊されるのではないかと、怖くなったりもした。



それでも私は願い続けた。

信長様がどうかお怪我のないようにと。この世の中を生き抜く武将ではあるけれど、ひとりの人間として幸せな日々を送れるように、と。


信長様が牧家の当主となって六年が経った頃だった。












「なまえ、行くのだ!!」

『ですが...兄上は...!』


牧家、仙道家の両連合軍による神家の本格的侵攻が開始され、私は兄上により信濃国から新府城へと逃された。


「私の幼子を頼む......。」

『兄上......どうかご無事で......』


兄の子供たちを三人連れ私は新府城へと逃げた。牧、仙道連合軍の総大将は「信長様」であると聞き、ついにこの日が来たのだと私の心はやけに冷静であった。縁談が破綻になり敵となった時から、いつかは来ると思っていた。神家が潰されるのかもしれないというのに、私の頭の中では信長様の無事を祈り、どうか牧家当主の総大将に怪我がないようにと見当違いなことばかり考えてしまっていた。










心のどこかで兄上は死なないとでも思っていたのかもしれない。


神家滅亡の一報を受け、身を隠すようにして逃げた先は武蔵国。兄上の子を三人連れた私は頼る相手もいないままひとり、知らぬ土地に立ち尽くしていた。


神家の当主を引き継いだ兄も、私の唯一の理解者でこの子供たちの父であった下の兄もすべて皆、牧仙道のものたちに命を奪われてしまった。


『兄上...........』


信長様の無事を祈り、いつだって最優先であった私の想いびとによって我が神家は滅び、兄たちは皆全て命を落とした。信長様によって滅ぼされ、領地は奪われた。


『いつかは来ると思っていたじゃない......。それなのにどうしてこんなに......。』


この時代を生きていてわかる。戦には「勝ち」と「負け」以外存在しない。むしろそれ以外何もいらないのだ。勝つか負けるか、ただそれだけ。自分の領地をいかに増やせるか。どれだけ天下を統一できるか。そんな世の中で「以前正室であった女子の家系だから」と牧家当主である信長様が、神家相手に手を抜くわけがない。あんなにも各地をおさめている名の知れた武将なのだから、私なんぞお構いなく神家の人間なら斬るに決まってるだろう。そもそも最初に同盟を離脱したのは神家なのだから。


それなのに何故だか悔しくて怖くて涙が止まらない。信長様によって滅ばされたと思うと、今までの淡く輝いていたあの思い出が全て壊されるようで恐ろしい。無かったことにでもなってしまったのだろうか、私が正室であった事実は.....。


『信長様......、一度でいいから、お会いしたいです......』


それでも私の心は信長様を求めた。

憎い相手なのに、兄上を殺し、すべてを奪った相手なのに.....それなのに、会って顔を見て「あの頃の正室だったなまえです」と名を名乗ってみたいのだから自分自身が一番恐ろしい。


移動した先である武蔵国にはよく花が咲いている。いつか、信長様から頂いた花によく似ている淡い色の可憐な花を見つけ私の涙は止まることを知らずに流れ続けた。





花言葉は「あなたを信じる」











Modoru Susumu
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