A
「久しぶりだな、調子はどうだ?」
「普通です。変わったことは特に何も。」
「そうか、順調そうで良かった。」
それじゃ、心音測るから…と先生は手慣れたように器具を用意した。花形先生に定期的に診てもらうのは心強い上にありがたいけれど、毎度毎度自分との差を見せつけられているような気がして、この辺がグッと苦しくなる時もある。先生は決して俺にマウントをとっているわけではないし、ただ普通に医師として「患者」である俺を心配して診察してくれているのに…
俺はどうやら体だけでなく、心も汚れてしまっているらしい。とても恥ずかしいから言えやしない。
白衣がとても似合う先生。背が高くスタイルも抜群で、もちろん医者だから頭も良い。眼鏡だってファッションの一部かってくらいだし…なんか、なぁ…もし俺が先生に張り合えるとしたら…
背丈が同じくらいってことだけだな、うん。悲しい。
「…うん、問題ない。血を見る機会はあった?」
「ありました。学校でクラスメイトが怪我したり、鼻血出してる場面に遭遇したけど…特に何も。」
「うん、そうか…制御機能も問題なし。吸血欲は?」
「ありません。」
吸血鬼に当然に備わっている「吸血欲」は個人差が著しく、吸血鬼である以上全くないってことはないのだけれど、人間の血を見たところで、動揺せず、自我を保てる鬼は一部ではあるが存在する。
俺も、……それに近い。
そもそも俺が、吸血鬼と人間の間に生まれた「ハーフ」であることが理由としてもっともであるだろうけど、幼い頃から特に吸血欲がなく、先生の作った「カプセル」だけで難なく過ごせてきた。
食欲は無いこともない。気分次第では空腹を強く感じることもある。一般的な食事を摂取することだって珍しくはないけれど、基本的にはカプセルで栄養を全て補える、とても便利な体だ。
「でも、ゼロではない。油断はするなよ。」
「…わかってます。」
…わかってる。油断は禁物だ。吸血欲がほとんど無くたって、俺が「鬼」であることに変わりはない。
いつ何が起きたって、おかしくない。
そんなギリギリのところで生活しているんだから。
「少し時間がかかりそうなんだ。よければ、お茶でも飲んでいくか?」
「…お茶?」
「最近新しく開発したんだ。お茶の粉末なんだけど、香りも良くてね。摂取することで、精神安定の効果が期待出来る。」
「…いただきます。」
苦くも甘くも無く、特にこれといった特徴のないものだった。口当たりは良く、飲みやすくはある。でもそれを口にした途端、心がスッと軽くなるのがわかった。うわ、なんだこれ…と思うと同時に、自分の心の奥深くにあるモヤモヤとした何かが、まるで跡形もなく消えてしまったかのように、俺の心は何も持ち合わせないほどにスッキリしてしまった。
「…す、凄いですね…」
「だろう?どうだ?神にはかなり効き目あるかな。」
「はい…多分、いや、かなり…」
「それはよかった。少しゆっくりしていきな。」
先生はバタバタと部屋を行き来しながら、薬剤師や看護師などと話をし、俺の「カプセル」という名の食事を用意してくれている。一月分をまとめてもらうから、膨大な量になるわけで…本当に、いつも申し訳ないな…
「そういえば、相変わらず女子人気が凄いらしいな。」
「…何の話、ですか?」
「何言ってるんだ、神のことに決まってるだろう。」
あ、あぁ…と俺が理解した頃には先生は既に「噂は聞いてるよ、相変わらずモテ男らしいな」とこっちを見ながら笑っていた。いや、どう考えたって鬼である俺がそんなはずはないし、そもそも医師である先生が、毎回毎回どこからそんな情報を…
「何言ってるのかよくわからないです。」
「ハハッ、興味無し…って顔だな。」
「わからないんですよ、俺…人間でもないのに。」
人は見た目が大事なのか?いや、見た目よりも心の方が、だなんてよく聞くけれど。それじゃ、人じゃない俺は一体何なんだ?俺の何を見てあーだのこーだの騒ぎ立てるんだろう。
この顔?
いつ本能が騒ぎ立てて、化けの皮が剥がれるかわからないってのに…?
「物好きもいたもんです。」
「それじゃ海南の女子生徒のほとんどが、物好きってことになるな。」
「…どうでもいいんで。」
…恋、?
そんなのは「人間」がするものだろう。俺にはまったくもって関係無いし、そもそもそんなものに心を揺さぶられるほど暇じゃ無いんだよ。こちとら生まれた頃からいつ爆発するかわからない爆弾抱えながら生きてるんだから。一回変わってみろってんだ。
「…よし、用意できたぞ。」
「ありがとう、先生。」
「いいえ。もうすぐ、高校も最後の一年になるな。」
時の流れは早いよ…と笑う先生の目線の先にあるカレンダー。一番大きな数字は「2」。あっという間に暖かくなって春を迎えるんだろうって、当たり前のことに何故だか深くため息が出た。
「進路もそろそろ、本格的に考えないとな。」
「適当に働きますよ。では、失礼します。」
俺は半分が人間で、半分がヴァンパイア。半分とはいえ鬼は鬼。もう四捨五入でもすれば俺は基本的に吸血鬼だ。吸血鬼が社会に出て働く…
一件おかしなそれがだが、正体を隠して人間になりきって、普通に生活している鬼なんて、正直ごまんといる。そういう奴らの化けの皮が剥がれた時に、ああやって関係の無い一般人が事件に巻き込まれてしまうのだけど…
でも俺も、「普通」になりたいな、なんて、そう思ってしまっている。
社会のために貢献して、少しでも自分がそれらしく…
人間らしくいられたらいいな、なんて。俺の半分しかない「人の血」が、社会に出ることで濃くならないかな…なんて、実際起こり得ないことにどこかで期待しているんだから、俺は相当な馬鹿野郎だと思う。でも、多くは望まないから…どうか、普通の、安定した暮らしが出来ないかなぁ…
「あ、神!言い忘れてた…!」
「…はい?」
「念の為、入れてあるからな。緊急時に使えるよう、持ち歩いてくれ。」
念には念を。
先生はそう言った。
「…ありがとうございます。」
使う場面なんて来ないだろう。そう思いながらも、処方された紙袋から「それ」を取り出してみる。
白いカプセルだらけの中、一際目立つ真っ赤なカプセル。ふちには「緊急時、一日一錠」とご丁寧に赤文字で見やすいように書いてある。
何かあったら飲め、と。
もしもの時が来たら…と。
「………」
ポケットにしまい込む。過信はいけない。
使う時なんか来なければいいけど…それでも俺は…
前科持ち…だから。