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無事に大学二年になった。
『初めまして。本日より二週間教育実習でお世話になります。海南大学教育学部二年のみょうじなまえと申します。』
スーツを着てヒールを履いてそう頭を下げればパチパチパチと教室内から拍手が起きた。照れ臭くて「よろしくお願いします」が笑いながらになってしまうけれど、どこからか「先生ー!よろしくー!」と叫ぶ元気な声も聞こえて。うわぁ、若いなぁ…あんま変わらないはずなのに…
初めに所属になったのは三年生のクラスだった。特進コースまではいかないけれど、普通科の中でも勉強が出来る子が集まったクラスらしく、生徒の半分以上は運動部に属しているとのことだった。文武両道…まさしく海難の象徴…
『担当は現代文と古典です。少しずつ授業もしていきます。皆さんとたくさんお話がしたいです。よろしくお願いします。』
再び起こる拍手。なんだか優しいなぁって、そんなことを思って心が温かくなる。
担任の先生がホームルームを始める間、このクラスの名簿を眺めていた。所属先の部活名まで記入されていて確かにクラスの八割は運動部、そしてどれも強豪と呼ばれるところだ。えらいなぁ、本当に…
席順通りに書かれた名簿。教室の後ろからみんなの後ろ姿を眺める。あの子が山田さん…長谷川さん…岩田くん…
早く覚えて仲良くなれるように…頑張ろう…
『お疲れ様でした。明日もよろしくお願いします。』
だいぶ遅くなったな…と思いながら職員室を出た。廊下は既に暗くて灯がついているのは体育館と部室棟くらいだ。体育館は、バスケ部かな…?
『えらいなぁ…こんな遅くまで…』
確か、受け持ったクラスにひとりだけ、バスケ部の男の子がいたな…すごく変わった名前で…えぇっと…
「…なまえ先生?」
『うわっ…ビックリした…』
ぼやぼや考えながら歩いていた私が玄関についた頃ふと名前を呼ばれた。驚いて振り向けばそこには随分と背の高い男の子が立っていた。
あれ…確か、この子…
『…じん、くん?』
「あれ、もう名前覚えたんですか?」
よかった…当たった…そうだよ、この子だ。唯一のバスケ部。
『ちょうど今、神くんのことを考えてて。』
「…なまえ先生は、天然の人たらしですか?」
『えっ…?』
今、なんて言ったんだ…?神くんは「いえ」と言って綺麗な顔で笑ってくる。部活後なのか大きな鞄を持ち首にはタオルをぶら下げていた。
『あ…部活、終わった?』
「はい。たまには早く帰ろうかと。」
『えっ…この時間で早い方なの…?』
まさか…すごい…と思いながら「そうですよ」と笑う神くんの返答を聞いていた。正門まで並んで歩くなり実はバスケット部のキャプテンであることや、去年まで怪物級の先輩がキャプテンをしていたこと、今年は海南にしては弱いんだと言われてしまっていることなど、たくさん話をしてくれた。
「だから見返すんです。逆に気が楽っていうか。」
『そっか…神くんは負けず嫌いなんだね。』
「当たり前です。やるからには勝つ。」
静かに意気込む彼を見て、温厚そうで優しそうな見た目の裏にメラメラと燃える闘志を持った子なんだなって、そう思った。そりゃそうじゃなきゃ超強豪の海南でスタメンを張るどころかキャプテンなんて務まりやしないか。それに加えてあのクラスで勉学にも励むなんて…
『毎日ちゃんと寝てる?』
「…ぶふっ、なんですか…それ?」
私の心配に神くんは何故だか笑った。あれ?なんか聞き方おかしかったかな…と思いつつ「バスケも勉強も大変そうで…」と付け加える。
「あぁ、そういうこと…」
『ごめん、なんかおかしかった?』
「夜更かしするようなこと、してばっかりじゃダメだよって…言われてるのかと。」
どういう意味だ…?と首を傾げる私に「わからないならいいです」と私よりも大人っぽい表情で笑う神くん。あれ、私…年上だよな?
「なまえ先生は、どうして先生になろうと思ったんですか?」
『…一見何を言ってるのかわからないのに、正解を見つけ出した時ハッとすることが国語にはたくさんあるの。』
私の唐突な言葉にも神くんは静かに相槌を打ってくれた。
『筆者が何を伝えたいのか…とか、この古文は何を意味してるのか…とか。現代に生まれた私達に古文の解読は難しいけれど、昔の人の思いを知った時に寄り添えたみたいで嬉しくなる。』
日本史でも同じ気持ちになるんだけど…と続ければ神くんは「圧倒的に文系なんですね」と笑った。確かに私は理系は苦手だ。数字や公式、記号なんかはさっぱりわからない。
「答えを見つけ出す…確かにそうかもしれませんね。」
『それが面白いの。隠されたものを探し当てる、探偵みたいでしょ。』
共に正門を出た。神くんにどちらに曲がるのか問えば「送ります」とサラッと言われてしまった。なにっ…?!最近の高校生は…ったく…
『ダメだよ、早く帰らないと。』
「…彼氏が迎えにくるとか?」
『そんな人はいません。私の心配はいいから神くんは…』
まだ話の途中だというのに「左?右?」と問われる。もう…と思いながらも「左…」と言えば私を置いてさっさと歩き出す神くん。
『ほんとは家、どっち?』
「本当に左です。こっちであってます。」
それが果たして真実なのか、私にはわからなかったけれど、神くんは今日は朝練がなかったから自転車ではなくバスで来たんだと教えてくれた。
「先生は歩いてきたんですか?」
『今日早起きしたし天気も良かったから…足痛くなるからスニーカーで歩いてトイレでヒールに履き替えたの。』
「ハハッ、朝から元気ですね。」
神くんの笑顔はとっても綺麗だ。柔らかく優しい笑顔が印象的で、やっぱり日々厳しい中を戦い抜く戦士には見えなかった。ギャップってやつか?こりゃ抜群にモテるだろうな…
『…っていうか!仮にも先生だし生徒と歩いてるなんて…!』
「…だったら、俺が練習着に着替えましょうか?」
ジャージだったら隣並んでてもおかしくないですよね?
神くんの提案にビックリしながらも「やっぱり一人で帰るよ」と言えば「それはできません」とハッキリ返された。うう…意外と頑固だ…意思が固い…さすがキャプテン…
『えぇっと…どうしよう…?』
「それじゃ、少し怖いですけど…」
神くんはそう言うと街灯のある道路から細道へと入っていく。辺りは暗く彼の言う通り少し怖い。
「ここならほとんど人が通らないですし、誰かに見られる心配もありません。方角的に合ってますよね?」
『あ、あってます…』
キュッと掴まれた手。繋いだまま神くんは「暗いですね」と笑った。温かい手。繋いでいるのは私と神くんの手なのに、そのはずなのに、どうしてか違う子が頭に浮かぶのだった。
「…なまえ先生!」
『…おわっ、神くん!』
あっという間の二週間を終えて私は先生から大学生へと戻った…はずだった。大学での講義を終え帰るために校内を歩いていた頃、そう呼ばれて振り向けばそこには制服姿の神くんが立っていた。
『あれ?部活は?』
「今日は僕だけ休みです。」
『僕だけ…?』
まだ明るい、午後の四時にいかないあたりだ。完全に神くんは部活の時間であってこんなところで会うなんて…高等部の方から歩いてきた神くんは「大学の練習に顔を出すことになっていて」と言った。
『だからこっち来たんだ!体育館なら向こうの…』
「いいんです、見学まであと二時間あるから。」
そうなんだね?と笑う私に「一緒に帰りましょう」と彼は言った。ついでに「帰るところですよね?」と念を押される。
『いや、そうですけど…一緒に?』
「もう堂々と帰れるでしょ?先生じゃなくなったし。」
ほら、行きますよ!と神くんは私の手を引いた。ついでに夕方の六時まで勉強を教えてほしいと言う。
『いいけど…うちお菓子とか、なにもないよ…』
「勉強するのにお菓子は要りませんよ。第一俺、夕方からバスケやらなきゃだし。」
それもそうか…と謝れば「相変わらずですね」と微笑まれる。神くんは今日も変わらず大人っぽくて、前回同様たくさん話を聞かせてくれた。まさかそんな姿を誰かに見られているとは思いもせず、私は彼と共にマンションへ帰るのだった。
ねぇ、先生のことが知りたいです(やっぱり神くんは勉強もできるんだね…)
(いえ、そんなことは)
(苦手なものは?)
(…手に入れたいものなら、ありますけど)
神くんの一人称「僕」と「俺」をあえて使い分けてます!