番外編






「順番が逆になっちまったけど…」


なまえちゃんもお腹の子も必ず幸せにするから、俺と結婚してください。


私はそんな洋平くんの言葉を思い出していた。激しい痛みに必死になって耐え「頑張れ、もう少しだ!」と励ましてくれる洋平くんの腕を掴み「ゆっくり息吸って!」と的確な指示を出してくれる助産師さんに従ってなんとか鼻から息を吸う。


「次のいきみで出すよ、ゆっくり呼吸整えてー!」

「最後だ、なまえちゃん、頑張れ…!」


とてもじゃないが言葉では表現できない初めての痛み。私以上に汗をかく洋平くんがなんだかおかしい。いちにのさんでタイミングが来て、洋平くんの腕からベッドのサイドへと持つ部分を変えて残った体力気力、全てを出し切った。


「…、おめでとう!元気な女の子だよ!」


生まれたてほやほやのか細い泣き声は声を出す度にどんどんと音量を上げていき、次第にこの部屋中に赤ちゃんの鳴き声が響く。勢いよくスルッと体内から大きいものが出ていった感覚と激しい痛みが途端に無くなったこと、そして何より「終わった…」という思いが重なりぼうっと天井を見上げたまま動けない。呼吸を整えチラッと横を向けば洋平くんは目に涙を溜めて助産師さんの方を眺めていた。


「産まれた…産まれたんだな、本当に…」

『うん…、洋平くん、ありがとう…』


私の言葉に洋平くんは「何言ってんだよ」と笑いながら泣いていた。


「ありがとうはこっちのセリフだろ…、本当にありがとう、なまえちゃん…よく頑張った…」


元気な赤ちゃん、産んでくれて本当に…


洋平くんはボロボロと涙をこぼしていた。こんなにも涙脆い彼は本当に珍しくて、グッタリとしながらも笑みが溢れる。体重を測られオムツをはめられた産まれたての我が子は助産師さんに連れられて私と洋平くんの前に現れた。まだシワシワで目も開いてない。


『すごい…ちっちゃい…、可愛い…』

「…よく頑張ったな、ありがとう…!」


洋平くんは助産師さんから赤ちゃんを受け取った。タオルに巻かれた小さくてふにゃふにゃしたその子を恐る恐る抱いている。小さい、けれども立派な命だ。思っていたよりも色々な意味でずっしりと重みを感じるらしく洋平くんは「すげぇ…命の重みだ…」と感動していた。


「ようこそ…俺らの元に来てくれて、ありがとうな…」


















「ただいま、いい子にしてたか〜?」


帰宅するなり早々と我が子を抱き上げる。お風呂上がりでホカホカした体の娘を抱えては「可愛い」を連呼する親馬鹿ど真ん中の洋平になまえはほんの少しジェラシーを感じながらも「おかえり」と亭主の帰宅を出迎えた。


「うん、ただいま。今日は何してた?」

『公園行ったり、買い物行ったり、活動的だったよ。』

「そっかー、たくさん出かけたんだなー!」


先日二歳を迎えた娘は高い高いをされとても嬉しそうにキャッキャと喜んでいる。なまえの話を聞けば適当に相槌を打ち、視線は全て娘に注がれ、二人だけの世界に入り込む。なまえはそんな洋平と娘の関係にヤキモキすることも多かった。我が子相手になんてことを考えているんだと冷静になれる部分もあるのだが、あまりの洋平の溺愛ぶりに脳内がついていけない。


「パパもなぁ、今日も頑張ってきたんだよ。」


ニコニコしながらスーツのまま話を続ける洋平。嬉しそうな娘はお気に入りのお人形を持ってくると「パパ」と洋平を呼びお人形遊びへと誘っている。呼ばれただけでさらに緩くなる洋平の頬。「遊ぶか〜」ととっても乗り気だった。


『洋平くん、ご飯は?』

「食べる、けど遊んだ後にするよ。」
















「ねぇママ、聞いてくれる…?」

『うん、どうしたの?』


時が経つのは驚くほどに早かった。洋平となまえの娘はもうすぐ中学生になる。午後七時、夕食を終えた二人はリビングに腰掛けると娘はなまえに向かって口を開いた。


「あのさ、年上と付き合ったことある?」

『無いけど…何、どうしたの?』


女の子は成長が早いこともわかっていたし、テレビを見るなりあの俳優がかっこいいだの、あの人の方がイケメンだの話し合うこともある。それでもなまえは驚いていた。OL同士が話すような内容だ、と。娘はまだ小学生なのに…と。


「中学に入ったら、付き合おうって言われて…」

『年上の、男の子に…?』

「うん…」


年上とはどのくらいなのだろうか…中学生の恋愛だからと甘く見てはいけないような気がして娘に歳の差を尋ねようとした時だった。


「…何言ってんだ、お前。」

「うわっ、お父さん…!」


突然リビングの扉が開き、そこには無表情、スーツ姿の洋平が立っていたのだった。


「な、なんでもなーい…!」


しまった…といった顔をした娘はその場に立ち上がるとしらっとリビングから出て行こうとする。しかし洋平がそんなことを許すはずもなく「待て」との一言にギクッと肩を揺らして立ち止まった。あらまぁ…とそんな二人を困ったように見つめるなまえがいる。


「…詳しく、聞かせてもらおうか。」

「ま、ママ…助けて…」


娘はガッチリと洋平に腕を掴まれ再び椅子へと座らされていた。


「相手は…?」

「あ、相手は…その…、」


モゴモゴとハッキリしない娘に目で語りかける洋平。観念したのか娘はハァ…とため息を吐いた後に口を開いた。


「流川くん、です…」


その名前を聞き洋平はガタッと立ち上がった。勢いよく「ダメだ」と言い放つ。あまりの勢いになまえも娘もビクッと震えた。


『ど、どうしたの…洋平くん…』

「ダメに決まってるだろ、流川んとこの長男だな?」


そうなの?楓のとこの…?となまえが問えば娘は「うん」と素直にうなずいた。流川楓はなまえの幼馴染にして、長年交際していたバスケ部のマネージャーであった先輩と早々籍を入れていた。若いうちに子供を授かっておりなんとその長男に娘が気に入られたというではないか。


「うちの娘をたぶらかしやがって…」


完全に怒りモードに入った洋平に二人は目を合わせて眉を下げる。独り言のようにぶつぶつと止まらない洋平。鬼のような形相だ。


「流川んとこのジュニアめ…、何が付き合おうだ…」


洋平の頭の中は「断固反対」という文字で溢れかえっていた。うちの可愛い可愛い娘をたぶらかす奴がいるのであれば、たとえそれがどんな相手だろうと許さないっていうのに、あろうことかほど近くに住んでいる流川の長男だというではないか。


流川んとこの男とは絶対に関わらせない。アイツん家に男の子が生まれ、うちに生まれたのが娘だった時点で決めていたことだった。洋平は二人がなまえと楓のような「幼馴染」になることを避ける為に流川家とあまり関わりを持とうとしなかった。だって、そんなのうちの娘がなまえちゃんの二の舞になるだけだろ…


流川に惚れて恋に落ちて、親の美貌を受け継いだあのジュニア相手に、うちの娘が泣く思いをするんだとしたら…?そんなの許すわけにはいかないんだ…


「嫁いびりだって考えられんだろ…」

『よ、嫁いびり…?ちょっと、洋平くん…?』


なまえの声などもはや届いていない。洋平はぶつぶつと呟き考えを巡らせる。


もし仮に、付き合いましょう、結婚しましょうなんて流れになったら?流川ジュニアの母さんは、あの超絶美人マネの先輩だぞ…?あんな綺麗な人が母さんだったら間違いなくマザコンだろ…マザコン息子と結婚して、うちの可愛い可愛い娘が姑にいびられたらどうすんだ…そんな苦労させてたまるかよ…もう流川関連であんな思いすんのはなまえちゃんで終わりにしたいんだよ、馬鹿…


「…花道んとこか、リョーちんとこの息子にしなさい。それ以外は認めない。」

『…洋平くん…』

「認めないったら認めない!流川んとこの息子はダメだ!」

『桜木くんちと宮城さんちの息子ならいいんだね…』

「百歩譲ってアイツらなら許してやるって言ってんの。」


彼らにも選ぶ権利があると思うけど…とは言わずにおいたなまえ。娘はいつの間にかリビングから出て行っていた。洋平は彼女の影がないことにハッと気づき「流川はダメだぞ!」と娘の部屋に向かって叫んだ。返事は聞こえてこなかった。


『もう…大丈夫よ、あの子にも選ぶ権利があるわけだし…』

「ダメだ。流川ジュニア…何個上だったっけ?」

『二つだよ、もうすぐ中学三年生ね…早い…』

「ったく、女に興味が出始める時期じゃねぇか…」


同じ中学に行かせるべきじゃねぇかもな…ともうすでに間に合わない受験を考え始める洋平になまえは耐えきれなくなってハハッと笑った。


「な、なんだよ…」

『だって…おかしいんだもん。そりゃ心配になるのはわかるけど…あの子が決めることだよ、見守ろうよ。』

「…ダメ、ダメったら、ダメ。」


クスクスと笑い続けるなまえ。洋平はそんななまえにチュッとキスを落とす。


『わっ…、』

「俺はそうやって、アイツにも笑っててほしいんだよ…」


なまえちゃんの笑顔も娘の笑顔も、俺が守る。本当はわかっている。娘に関してはいつか誰か、守ってくれる相手が現れるんだって。でもまだその時が来ないでほしいなって。その相手が…なまえちゃんが惚れた男の息子じゃ嫌だなって…、そんな自分のわがままが溢れ出してしまった。


「…花道んとこの息子、めちゃくちゃいい奴なんだけどなぁ。」


洋平もなまえも、まだ知らない。数年先に「娘さんをください」と、流川楓そっくりな男の子が家に挨拶に来るだなんて…










後もう少しだけ、君のそばに





流川くんのカノジョシリーズの最後に出てくる流川ジュニアも登場しました〜(^^)





Modoru Susumu
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