前編
私は幼少期から地味で根暗でネガティブで自分に自信など到底持つことのできない暗い子であった。それによって小学生時代は一回りほど体の大きな男の子たちにいじめられていたし、不幸が移るだ呪われるだって毎日そんなことを言われては人目につかないところで泣いていた。
テレビの中に映るキラキラとした表情で笑う女優さんや雑誌の中で服よりも輝いているモデルさんに憧れては、こんな私には無理だって、そう思っては泣いてを繰り返した。泣いたところで何かが変わるわけではなかったけれど…
中学生になるタイミングで私は親にも誰にも内緒でこっそりとオーディションに応募しようと試みていた。その為に髪も切って流行りの髪型にしてみたし、この間は勇気を出して可愛いお洋服も買ってみた。雑誌の中からメイクの仕方も学んだし化粧品も一通り揃えた。あとは勇気を出して…履歴書を送るだけ…
いじめられていたことを理由に隣の学区への公立中学への進学が決まっていたから、邪魔したり口を挟んだりからかってくるものはいない。環境は整った。一歩踏み出してみたい…前髪の長さの影響で以前よりも視界が広くなった。ひとりで用意した封筒片手に郵便ポストの前で固まること数分。
出してしまおう…でも…こんな奴がモデルなんて無理だって、そう笑われるだろうか…
通りすがりの人全員が私を嘲笑っているような感覚に陥る。「無理だ」「鏡を見ろ」そんな声が聞こえてくるような気がして次第に震えてくる。どうしよう…どうしよう…
その時だった。私の手に握られていた茶封筒はパッと誰かに取り上げられてしまった。慌てて横を見れば「ん…オーディション?」と首を傾げる男の子がいてその手には私の持っていた茶封筒がしっかりと握られていた。
『なっ…なにすん…っ、返して…!』
「…えいっ。」
『あ……!』
えい、だなんて可愛い掛け声と共に私の茶封筒は郵便ポストの中へと吸い込まれていった。あろうことかその男の子は私の許可無しに勝手に投函してしまったのだ。
『な、なにすんの…?!』
「迷ってたみたいだったから。」
『えっ…?!』
「モデル、頑張れよ。なれるぜ、きっと。」
私と同じか少し年上だろう男の子はそう言って私にニコッと笑いかけた。勝手に何するの…と言いたくて握りしめた手。しかし口から出てきたのは違う言葉であった。
『なんで…そんな簡単に、なれるなんて…』
「なれるかなれないかじゃねぇよ。こういうのは夢を追うことに意味があんだろ?」
これで一歩踏み出したんだから、男の子はそう言って「じゃあな」と去っていく。その言葉は私の胸にスッと突き刺さり何かがビリビリと痺れた。合格も何もしていないっていうのに、頑張ろうとしている今を褒められたような気がして、認めてもらえたような気がして、なんだかとてつもなく涙が出そうになる。
『ねぇ!』
「…ん?」
『名前は…?』
「…水戸洋平。君の名前は聞かないでおくよ。」
『どうして…?』
水戸洋平くんは笑った。「モデルになるんだろ?だったらいずれ君の名前を知る時が来る」そう言ってまた笑った。その場から動けない私を置いて手を振りながら去っていく。身長は同じくらい。きっと年齢もあまり変わらない。けれども随分と大人びていたその雰囲気が頭に深くインプットされて、きっと私も彼の名前を忘れたりしないだろうとそう思った。
「見た?今月号のみょうじなまえ!」
「見た!めっちゃ可愛かったよね〜!」
「あのワンピース思わず買ったんだけど!」
立ち寄った書店でそんな言葉を聞き風邪を引いてるわけでもないのにマスクをつけた私はマスク越しについつい頬を緩ませてしまった。確かにあのワンピースは可愛かった。スタイリストさんに言って買い取ろうとしたぐらい。
ティーン向けの雑誌が山積みに置かれている中、その中の一つにはこちらを見つめてにっこりと微笑む表紙に映った「自分」がいて。初めて表紙を飾ったというこのなんともいえない幸福感がたまらなくて、本を買う予定なんかないっていうのに書店にばかり立ち寄ってしまう。
高校生になった私は海南大附属高校に通うこととなった。中学生になるタイミングで応募したオーディションに一発で合格するなり中学時代の三年間は今よりもひとつ若い世代向けの雑誌で「読者モデル」を務めた。何もかもが新しい世界で刺激も多く、ライバルと呼ばれる存在もたくさんいた。自分を変えたい一心が私自身を奮い立たせたし、勝手に応募し合格してしまった私に反対ばかりしてきた親も私の執念に観念したのか次第に応援してくれるようになった。高校に入るなり読者モデルを卒業し、雑誌も変わって正式なモデルとして参加するようになった。初表紙となった今月号は我が家にたくさん飾ってある。
自分の為だけではない。私にとって、オーディションの後押しをしてくれた水戸洋平くんの存在はとても大きく、彼に名前を知ってもらいたい上に感謝の気持ちもいつか伝えられたらいいなという願望がずっと胸の中にあった。今思い返しても煮え切らずにいたあの時背中を押してくれたのはありがたいことであった。
『まだまだこれから……』
山積みになった雑誌に背を向けて店を出る。まだまだここは通過点で、納得すべき場所ではない。よし、また頑張るぞ…そう誓って歩き始めた時だ。
「洋平ん家寄って行こうぜ〜!」
「おー、ついでに飯でも食ってけよ。」
学ランを着た男の子四人、金髪やらリーゼントやらサングラスやら…明らか見た目が派手で「不良」と呼ばれるような男の子たちが前から歩いてくる。その中でも真ん中を歩くリーゼントの男の子に自然と目がいってしまいその場に立ち止まる自分がいた。
着々と近づいてくる男の子四人組。目の前まで来ると立ち止まる私を不思議に思ったのかその子たちも「なんだ?」とその場に立ち止まる。そしてバッチリと目が合うなりリーゼントの子は少しだけ目を見開いて口を開いた。
「お…、君は……」
マスクをしていて顔なんてほとんど見えてないのに、男の子は私を知っているかのような、久しぶりに会ったかのような、そんな雰囲気を醸し出してくる。私が「水戸洋平くん…?」と声を出すのと同時に後ろの三人が「みょうじなまえ!」と声を出し、重なったそれは雑音となってその場に響いて消えていった。
「みょうじさん、久しぶりだな。」
『私の名前…』
「もちろん、有名なモデルさんだろ。なぁ?」
水戸くんは笑った。あの時となんら変わりない綺麗な笑顔でニカッと笑った。あまりにも眩しくて「ありがとう…」と返すのに必死であった。巡り逢うべき人には必ず巡り逢う運命だとかなんとかよく言ったものだと感心する自分がいる。
『水戸洋平くん、だよね?』
「あぁ…よく覚えてんじゃん。」
『忘れるわけないよ…勇気をくれた人だから。』
私の言葉に水戸くんは一瞬固まった後に「俺はなんもしてねぇよ」と笑った。ポカンとしたまま静かに見守っていた後ろの三人が「ちょっと…洋平!どういう関係?!」と騒がしくなり「うるせーって、落ち着け」とそれを制する水戸くんがいた。見た目はおっかなそうだけど水戸くん含めて悪い人たちではなさそうだと思う。
「へぇ…洋平がポストに入れちゃったんだ…」
『うん。でも今思うと良かったなぁって…』
ひとりだったらもしかしたらあのまま投函しなかったかもしれなくて…
私がそう続ければ高宮くんが「にしても再会するなんてすごいよな」と感心している。確かに私もそう思う。縁とは不思議なものだ。
何かに気を遣ったのか「こういうのは二人きりのほうがいいんじゃねぇか…」と呟いた野間くんに水戸くんは「いや、ダメだ。俺と二人なんて誰が見てるかわかんねぇから。」と言い切った。どうやら私がモデルの仕事をしているということに気を遣ってくれたらしく、「この人数ならおっかねぇ見た目のファンに囲まれてたってことで説明がつくだろ」と言ってくれた。どうやら水戸くんはどこまでも気が利く男の子らしい。聞けばやっぱり同い年で、ほど近くにある湘北高校に通っているのだとか。
「すげぇじゃん、ちゃんと夢叶えてさ。」
『ううん、まだまだなの。でもありがとう。』
「そうだな…満足したらそこで終わりだしな。」
なまえちゃんは夢を追ってる姿がよく似合うよ
水戸くんはそう言って笑った。呼び方が下の名前になったことにドキッとしてそれを誤魔化すかのように「ありがとう」と笑う。なんだか不思議なくらい顔が熱くて爆発しそうだった。おかしいな…
「家近くなのか?暗くならねぇうちに帰ろうぜ。」
『うん…!』
なんでだろう、また会える気がした。それは彼が何歳でどこの高校でほど近い距離にいることを知れたからじゃない。ただただ私の勘みたいな、そんなものが反応して、約束をしなくともまたすぐ会えるような気がして手を振ってみんなと別れた。最後まで「応援してるからなー」と声をかけてくれた大楠くんがとっても可愛く思えた。
向こう見ずは天才だ(名前知っててもらえて良かったなぁ…)
中編→