彼視点
「.....ねみぃ、」
電車に揺られて意識を手離しそうだった俺はなんとか目をかっぴらいて最寄駅で下車した。トボトボと家への帰路につき数分。家の前へ辿り着くなり日課となっている隣の家、すなわちみょうじ家の道路に面した二階の部屋を見上げてみる。
「あれ....電気付いてねぇな....?」
そこは毎朝俺が通うなまえの部屋で、普段なら俺が帰ってくる頃には明かりがついているんだけど今日は珍しく真っ暗で。風呂にでも入ってんのかな...とぼんやりそんなことを考える俺は遠くから近づいてくる話し声に慌てて自分の家の門の中へと身を潜めた。
『そうなんだ....意外だなぁ....。』
「そうかな?あ、ここみょうじさん家?」
『そうだよ。送ってくれてありがとう。』
聞き覚えのある声だという俺の認識は当たっており声の主はなまえだったのだけれど。あろうことか隣には背の高い男がいて楽しそうに話しながら帰宅したではないか。胸のざわめきが半端ない俺が震える胸を抑えながらコソコソと盗み見する限り、どうやら塾帰りらしく「またね」と手を振ってなまえは家へと入っていった。そんなアイツの姿を見届けるなり男は暗闇に去っていく。
そうだ、今日はなまえが塾に行く曜日だった...。しかし普段なら塾があるとはいえ俺が帰ってくる頃には部屋に明かりが灯っているわけだし、どう考えても今日の帰宅は少し遅い気がする。
「.......誰なんだよ........、」
そして思う。あの男は誰なのだ、と。
「なまえ、起きろ。」
『.....あ、おはよう.......』
おはようと返そうとした時、なまえの部屋にある勉強机の上に置いてある一枚の紙切れが目に入った。ぼやぼやと目を擦っているなまえをよそに俺はその紙切れに手を伸ばす。
「....オーケストラ?」
デカデカと書かれた文字をつい声を出して読んでしまった俺になんてことなく普通に「そう、オーケストラ」と返事をしたなまえ。
『来週友達と聴きに行くの。』
「え、なまえ....音楽に興味あった....?」
『最近ね、結構ハマってて。』
そう言ってベッドから起き上がったなまえはうーんと伸びをするといつも通り眼鏡をかける。オーケストラという今まで無縁だったカタカナが頭の中をぐるぐる回る俺をよそに「朝練間に合う?」と心配そうに顔を覗いてくる。
「.....んあっ、そ、そうだ.....行ってくる......」
『うん、頑張ってね。』
おう、と返事をするのに精一杯でなまえに新たな趣味ができたことを必死に受け入れようとする脳とは裏腹に俺の心は果たしてその友達とは一体誰なのだろうか、答えの出ない疑問に永遠と悩んでしまいそうだ。
「高野.....」
「お、おう、藤真....」
何か用?と俺の様子を見るなり警戒した顔をする高野。別に用はねぇってのになまえ見たさに来た俺が適当に「日本史貸して」といえば高野は「さっきまで使ってたんだよ」と自席に取りに行っていた。高野と程近い距離に位置するなまえの席へと目を向けて俺は慌てて目を見開いた。
「えっ、あの男.....!」
あろうことか、なまえの元には以前見た塾帰りになまえを家まで送っていた男が立っているではないか。席に座るなまえとなまえの元に立ち何か話しかけているように見える。
「.....笑ってやがる.....、」
なまえは何かを話しかけられ楽しそうに笑い、見上げる形となって何か答えている。会話は聞こえてこないものの随分と仲が良いように見えるそれにザワザワと騒がしい心が燃えるように熱くなってくる。
「お待たせ....はい、日本史。」
「あぁ、サンキュ.....」
「俺もみょうじさんに課題見させてもらおっと...じゃあな、藤真。」
高野のその一言に俺は咄嗟に「待て」と呟いた。
「....え、何?」
「....お前、課題くらい自分でやれよ。情けねぇなぁ。」
呼び止めた理由を考えずに先に声に出してしまった俺がなんとか理由をつけて高野にそう言えば「教えてもらうんだよ、だからいいだろ」と言い訳し始める。それから続けて聞いてもないのに「みょうじさん頭いいんだよ」とわかりきったことを言ってくる。んなこと何億年も前から知っとるわボケ。
「沖田だってみょうじさんに教えてもらってから成績良くなったとか言ってるし...」
高野はそう言ってなまえに目を向けた。仲良く話している二人を見るなり「沖田ばっかずるい」とかなんとか文句を言いながら二人の元へと駆けて行った。間に入るなりデケェ声で「俺にも教えてよ」となまえに懇願している。
「....同じクラスみてぇだな....。」
名を沖田というらしいその男はどうやら塾だけではなく翔陽に通いクラスまで同じというとんでもない邪魔者だったのだと気付く。
「....沖田か、吹奏楽部の。」
「....吹奏楽部?!」
通りすがりの花形がボソッと耳元で情報を追加してくるため俺は慌てた。
「それ本当か?!」
「あぁ、吹奏楽部の部長だろ。結構有名人だぞ。」
お前には及ばないけどな...と付け加えた花形の言葉なんぞ耳には入ってこない。
「こりゃ、もしかしたら.....もしかするのか.....?!」
今朝見たばかりの「オーケストラ」という俺の脳に新しくインプットされたカタカナが、「吹奏楽部」というこれまた縁の無かった部活の部長をつとめるらしいその男と結びつき、なまえの言う「友達」がまさにアイツなのでは、と心配そうな花形をよそに俺はひとりで震えていた。
強力ライバル出現(....花形、俺も...吹奏楽部に入るよ....)
(....藤真、みょうじの熱が移ったのか?)