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「....はい。」
なまえがコンビニへと出かけている間、流川家にひとりの訪問者がいた。流川はインターホンを確認するなり扉を開ける。
「流川くん....こんばんは....。明日からなまえ、高校に行かなきゃいけないから....。」
訪問者はなまえの母、晴子であり流川に向かって紙袋を差し出した。中には湘北の制服やら鞄やら登校に困らないものが詰め込んであった。
「....渡しとく。」
「なまえがお世話になって....ごめんなさい。ご迷惑じゃなかったら....もう少し、預かってもらってもいいかな....?」
今のままでは家に戻ってきても、あの子の居場所がないの....
晴子はそう言うと流川に頭を下げた。娘であるなまえを思う気持ち、旦那である花道を思う気持ち、その二つが絡み合いどちらの味方でもある晴子はこのまま無理になまえを家に引き戻しても何も解決しないと思ったのだ。その全てを流川は悟り「わかった」と呟いた。
「責任持って預かりマス....」
「ありがとう....。何かあったらすぐに連絡してください。」
晴子はそう言って流川の部屋を後にする。桜木家に戻る道で晴子はぼうっと考えた。一人娘のなまえはよく兄弟を欲しがっていた。こんな時、頼りになる上の兄や姉がいたら、何か変わっていたんじゃないか。そんな存在に流川が今なっていると思うと、できる限りの範囲内で娘に寄り添ってもらえたら...。
「流川くん.....もう少し、お世話になります.....」
『それじゃ、行ってきまーす。』
「.....待て。」
『痛っ....!何!別に掴まなくたって止まるよ!』
湘北の制服へと着替えたなまえが流川家の玄関を出て行こうとするなり流川はそんななまえの腕を掴んだ。なまえが解放された腕を痛がりながら「何?どうしたの?」と問えば流川はなまえに千円札を差し出した。
「....昼飯、これで食え。」
『....いやいや、悪いよ。』
「じゃ、飢え死にするんだな。いってらっしゃい。」
流川はあっさりなまえを見捨てリビングへと入っていく。残されたなまえはよくよく考える。確かにいつもと違いお弁当もない上財布の中身はたかが知れている。菓子パンひとつ買えるかどうかの瀬戸際で腹ぺこを我慢しながら授業を受けるのは御免だ。
『待った.....!ありがたく、いただきます!』
「....よろしい。餓鬼が遠慮すんな。」
流川はそう言って、千円札を受け取ったなまえを優しい目で見た。「お昼に千円も使っていいんだ〜」なんて喜んでいる彼女はそんな優しい流川の視線に気付きやしない。
「チャリ貸してやる。気を付けていけよ。」
『ありがたい.....了解しました!』
「....ぶはっ!おまっ....今、なんつった?!」
「なんつったんだよ!桜木ジュニア!」そう職員室でひとり大声を上げて周りの先生からの注目を浴びているのは三井寿だ。
『ミッチー、声でかいから。黙って。』
「お前が....!変なこと....言うから....。」
段々と語尾が小さくなった三井は小声で「すみません」と周りの先生達に頭を下げた。
「で?なんでそうなったか教えろよ。お前いつのまに流川と仲良くなったんだ?」
朝から職員室に入り浸るなまえは開口一番「おはよう」ではなく「流川楓の家から来た」と三井に告げたのだ。
「てか待て!もしや、そんな関係じゃねーよな?」
『違うよ。家から来たのは本当だけど居候の身だから。』
三井があらぬ想像をし慌て始める中、なまえは「お昼に千円も使えるの〜」なんて昼食の時間を楽しみにワクワクしている。
「....いくら親子喧嘩で家出したとはいえ、あの流川がお前を同居人として迎え入れるとは...。」
『何?流川楓ってそんなに薄情者なの?』
「そりゃまぁ....他人に興味ねータイプの人間だろ。」
基本他人に興味ねー上に面倒なことは嫌いな冷徹男だと思ってたけど...随分変わったな、と三井は呟いた。「へぇ」と興味あるのかないのか微妙な反応をしたなまえはそう言うと「じゃあね」と手を振って職員室を出ていこうとする。
「....待ちやがれ。何が「じゃあね」だ。」
『痛っ...ミッチーやめてよ!暴力教師め!』
ハァ?!と大声を上げた三井は再び職員室の注目の的になるのだが今回は周りの反応など気にせずなまえに向かって舌打ちしている。
「あのなぁ!そんなこと聞かされて、そのままなわけにいかねーだろ!」
ごもっともな意見を言う三井に「なんだ、教える相手間違えた」だなんてため息をつくなまえ。この後一日を終えるまでの間に何度も廊下で会うなり「家帰れよ!絶対だぞ!」と三井に念を押されたなまえではあったが授業を終えるなり向かった先はやはり流川の元であった。
『ただいまー。』
「.....おかえり。」
早々撮影を終えるなりリビングでくつろいでいた流川が返事をする。「撮影どうだった?」となまえが聞けば「普通」と答える流川。同居数日にして既に落ち着いた二人の距離感。制服をハンガーにかけ部屋着に着替えたなまえが勝手にエプロンをして台所に立てば流川は「買っといたから」と呟いた。
『ありがとう。楓ちゃん出来る子だねぇ!』
「....ったく。ガキのくせに生意気すぎ。」
撮影終わりに買ってきてと朝渡されたメモ通り流川はしっかりおつかいも済ませていた。日頃から晴子の隣で料理をする機会が多いなまえは帰宅早々夕飯を作り始める。流川はそんな様子をリビングからバレないように覗いていた。アメリカから帰国しこの場で一人暮らしを始めて十年あまり。立派なキッチンはついてるものの十年経っても綺麗なままだ。所謂それは使っていないことを示しており、日頃から外食やデリバリーが多く人を招き入れない流川にとってキッチンで誰かが料理を作ってくれるのはとても珍しい出来事であった。
『....いい包丁だけどピカピカだなぁ。』
これもこれも、使った形跡なし。
野菜を切り刻みながらそんなことを呟くなまえに流川は「どあほう...」と静かに呟く。料理のために束ねられた髪の毛、エプロン姿、一応来客用にと買っておいたスリッパを履いて鼻歌まじりに料理を作る後ろ姿。そんななまえの姿を見て流川は少しだけ胸が温かくなる、そんな気持ちであった。
たとえコイツがどあほうの娘でも、預かってるだけの居候であっても、制服を着る高校生だとしても。
誰かと共に暮らし、同じ時間を共有する。普通に見えるそれがいかに「特別」なことか、流川は身をもって知ったのであった。
誰かのために生きてみる(...案外悪くねぇな...)