ハローウエディング


 小学生の頃。
 リビングに置かれた、児童書や絵本の並んだそう大きくない二段の本棚の中に一つだけ不似合いな写真集があった。写真集と言ってもいやらしいものではなく、ナントカと言う女優が唯一出した写真集だった。
 学校から帰ると誰もいない家で、その写真集を観るのが好きだった。10年近く経った古い本らしいが、丁寧に保存がされていたのか色褪せもなく綺麗なままだった。
 いくつかある中から一番好きだったのは、真ん中見開きページで、女優が沢山の光の中で微笑んでいるものだった。白いドレスの様な服を着て、それは幸せそうな笑顔をこちらに向けている。キラキラ輝いていて、幼心にも美しいとか、そう言うことを思った。
 一目惚れだった。風の中で白いスカートがふわりひらりとはためいている。
 その女優の美しさもさることながら、俺は「スカート」というものにその時から夢中になった。

 母親は少し、普通とは違うところがあった。純真で素直だった俺がある日「スカート(正確には、写真集の中の一ページを開き、スカートの部分を指差した)を穿きたい」と言うと、怒るでも笑うでもなく、「こういうスカートが穿きたいの?色はこの色でいいの?」と、細かに聞き返してきた。
 それから二、三日すると、母親は古着屋で子供用の、要望通りのスカートを購入して穿かせてくれた。
「ほら、ひらーってしてみて。わあ、可愛い」
 それからも度々スカートを購入してくれたり、希望のものが無ければ母親が手を加えて、理想のままのスカートを用意してくれた。

 それを「女装趣味」と呼び、世間は「変態」と蔑むことを知ったのは中学生になってからだ。
 俺のスカート趣味はあくまで個人的に楽しむものだったし、数少ないふわふわで可愛いらしいスカートを汚したくなかったから外に穿いていくという欲求はそもそも思い浮かびもしなかった。
 それでもスカート姿を母親に写真で撮ってもらったり、自分で撮ったりして眺めていた。母親はいわゆる美形の顔をしており、それに似た自分も中々な美形である事を自負していた。本棚に増えたアルバムには、そんな自分のスカート姿が収められていた。
 ある放課後のこと、数少ない友人の一人が家に訪れた時だった。遊ぶ物の少ない部屋で友人がそれを手にした時、俺は止めるのを一瞬躊躇った。
 もしかしたら、彼だってこの趣味を理解してくれるかもしれない。アルバムに収まった写真を褒めてくれるかもしれない。
 結果は、汚い物を見る友人の目と、薄っぺらい理解の言葉が全てを物語っていた。

 翌日から世界は一変する。
 俺がスカートを穿いて写真を撮っていたと言う趣味は一気に学校中に知れ渡った。男子は俺をホモと呼び、女子は嫌悪の目で俺を見た。
 子供の噂は大人にも広まるらしい。子供会で顔を合わせて見知った大人達は「やっぱり片親だから」「父親がいないと……」そんな事をヒソヒソと話していた。
 俺には確かに父親がいなかった。でも母親は一人で働いて俺を養ってくれたし、貯金があるからとそこまで不自由な思いをした事はなかった。父親がいないと、何?誰もそれは教えてくれない。
 子供の噂が大人に感染し、そしてまた子供へと戻っていく。
「お前、父親がいないからオカマになったんだろ」
「お前男が好きなのかよ、気持ちわりー」
 突き飛ばされたり机に落書きをされたり、持ち物がゴミ箱に入っていたり、トイレに閉じ込められ水をかけられたり。
 俺はどうしてそんな目に合うのかわからなかった。父親がいなくてスカートが好きだと、なにがいけないのか、俺には理解できなかった。
「俺は別に男なんか好きじゃない」
「はあ? だってスカート穿いてるじゃん」
「スカートと、誰が好きかは関係ない」
「スカート穿くのは女だろ。お前は女だ」
「おーんーなー」
「おーんーなー」
「俺は女じゃない」

「学校、別に行かなくてもいいのよ」
 と言ったのは母親だった。取っ組み合いの喧嘩になって学校に呼び出され、二人での帰り道。そういう選択肢もあるのだと、示してくれた。

「お前、ホモなんだろ」
 様々な専門分野の併設される専門学校で服飾科に進学した俺は、またつまらない事で人に突き飛ばされ貶される日々を送っていた。
「どうして」
 度々ちょっかいをかけてくる篠宮(シノミヤ)は服飾科ではなく、体育科の生徒だった。一般教養や選択体育の授業が被るから顔を覚えていたけれど、ホモ呼ばわりされる筋合いはなかった。
「スカート穿いて踊ってるって」
「ポールダンスでもして男誘ってんだろ」
 仲間を連れてニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべている。それに嫌悪を示すと、篠宮は俺を睨みつけた。
「お前本当は女だろ? 調べてやるよ」
「わからないんだけど」
 俺に手を伸ばす篠宮を制止して、俺は疑問を投げかけた。
「確かに部活ではスカートを穿いてる。コンテンポラリーっていうジャンルの、バレエとかそういう踊りなんだけど、スカートが一番映えるダンスだと俺は思ってる」
 俺はダンス部に入っていた。部長は気さくな人で、俺がスカートのふわりとひるがえるのが好きだと話すとわかってくれたし、他の部員も自由な理解者達だった。
「でも、どうしてスカートを穿いて踊ることが、ゲイって事になるの?」
「はあ? スカート穿くのは女だろ。女じゃないのにスカート穿くのはホモだ」
 またそれ、と俺はうんざりした。
「どうしてスカートを穿くのは女性なの?」
「はあ? お前頭いかれてんのかよ。女が穿くのがスカートなんだよ」
「穿いてる人に女性が多いってだけでしょう。法律で禁止されてるわけじゃない」
「っうるせえんだよ、黙れ変態ホモ野郎」
「夜鷹(ヨダカ)ってほんと馬鹿」
「え」
 篠宮に殴りかかられる瞬間、腕を掴まれそこから連れ出される。駆け出した俺たちを追ってくる連中は、人ごみに紛れて見えなくなった。

「夜鷹、せっかく顔の形いいのに殴られたらもったいないだろ」
 その人に連れ込まれたのは美容科の一室で、そいつはヘアメイクが専門の居抜(イヌキ)だった。
「……居抜は俺の顔、ほんと好きだね」
「うん、超好み」
 言いながら心配そうに頬をペタペタと触る。居抜はゲイを公言していたが、人当たりの良い性格もあって美容科の生徒とは仲が良いらしい。
「あんなの適当にあしらって逃げちゃえばいいんだよ。相手したってなんだかんだ言いがかりつけてくるんだから」
 居抜が親身になるのは、居抜自身そういう経験をしたのだろう。
「だって、俺わかんないんだよ。なんでスカート穿いたらいけないの? 法律で決まってないだろ。女だってズボン穿くのに」
「うん」
「俺は、誰よりもスカート大事にしてるし」
「たしかに」
「誰よりもスカート、似合うんだよ」
「うん、夜鷹のスカート姿、すごく可愛くて素敵だよ」

「俺が小学生の時、家にはある女優の写真集があって、ずっとそれを見てたんだ。白くて綺麗なドレスを着た女の人が、光の中で微笑んでる。頭の中に今でも焼き付いていて、それが俺の理想で、俺の憧れなんだ」
「うん」
「それは、俺の母親だって最近知ったんだけど」
 女手一つで育ててくれた母親が、かつて世間で注目されていた大女優だったと知ったのはここの最近の事だった。
 例の写真集の女優をインターネットで調べて出てきた情報は、どこまでが本当でどこまでが嘘なのか、誹謗中傷も少なくない。
『世紀の大女優、妊娠で映画主演を降板。相手の男性はわかっておらず、現在妊娠5、6ヶ月目と見られる事からその時期共演した俳優Oと噂されるが事務所は否定。古くから交友関係にあった監督Dとの噂も……』
「別に父親が誰だろうと、どんな事情だろうと構わないんだけど。母さん、たまに、指輪を見つめてるんだ」
「結婚指輪?」
「まあ、結婚してないから、婚約指輪? よくわかんないけど、大事そうに見つめてるんだ。なんかそれが悲しくて」
 母親は指輪の一つも着けず、極めて質素に暮らしていた。そんな母親がふと、たまに、タンスの奥にしまった箱を取り出し、ちょこんと収まった小さな宝石の光るそれを静かに眺めていた。
「毎日笑顔なのに、その瞬間だけは、なんか……俺じゃ母さんのこと、幸せに出来ないんだって思わされて」
 きっと母親だって結婚したかったのだろう。それが幸せの在り方だ。でも、俺が出来てしまい、女優としても干され、世間から消され、きっと何もかも俺が奪ってしまったんだ。
「当たり前だよ、だって夜鷹は、夜鷹が幸せになるために生まれてきたんだから」


「うう、緊張するんだけど……」
「信じてるよ、居抜」
「う……プレッシャー」
 居抜の持つ筆が、俺の唇を鮮やかな赤に染めていく。
「ああ……すご、夜鷹、すごい綺麗」
 メイクが終わったのか、居抜は少し離れて、呟くように言った。
「ねえ、本当にその格好で良かったの?」
「うん、一度着てみたかったんだ」
「……はあ、夢見たい」
 夢見心地の居抜と二人、誰もいない貸切の教会で手を繋いで歩く。自分で作った白い華やかなウエディングドレスと、居抜のメイクで、想像した通りの自分がいた。
 ステンドグラスから光が注ぎ込み、俺たちを照らす。
 形式だけの結婚式に、誓いのキスを添えた。

終わり


萌え皆無、終わりが雑(まとまってない)のでボツに
- 8 -


[*前] | [次#]
ページ:





戻る