部室を出てすぐに駆け足ほどの速さで校舎裏へと走った私は、軽く息を切らせつつ巨木の下にいる少年を見下ろした。
「すう、すう……」
少年は眠っていらっしゃった。
……うーんと、えーと、起こした方がいいんだろうとは思うのだけれど、あまりに気持ちよく眠っているものだからなんとなく気が引ける。
「……あ、そうだ」
ふと思いついてゴソゴソと携帯を取り出した私は、ぽちぽちと操作して電話をかけた。
トゥルルルル、と鳴る接続音を数回聞いた後、電話の相手と繋がった。
「もしもし、手塚君?……うん、山川です。うん、あ、大丈夫。ええとね、越前君見つけたんだけど…………え?ああ、うん。えっと、今校舎裏。え、いや……あの、越前君いま寝てて……うん、え、ええっ!?た、叩くの?いや、うん、まあ起こしてみるね。うん、うん……うん、分かった。じゃあね」
通話終了し、パタンと携帯を閉じた。
越前君が見つかった報告をした直後の手塚君がやや焦った様子だった気がしたのは、気のせいだろうか……あと、電話の向こうがやたらドタバタと騒がしかったのも気のせいだろうか。
……なんて考えていても仕方ないので、意を決して私は越前君に近寄った。
「越前君、越前君」
「ん……すうすう……」
「越前くーん、起きてくださーい」
「んん……すうすう……」
何度も声をかけ、ゆっさゆっさと揺らしてもみたけどなかなか目を覚ましてくれない。
ああどうしようかな、もっかい手塚君に電話しようかな、でもな……と思ったその時。
「…………あっ」
ピン、と思いついた。
かつて菊丸君や不二君、モモシロ君に海堂君と多くのテニス部員が耳にした、そしてこの越前君ももしかしたら言われたことがあるかもしれない、あの台詞を。
いけるかな、いけないかな……などと悩んでいる暇はない。
私は深呼吸をして、グッと握り拳を作ったあと、スゥ……と息を吸った。
そして、一言。
「……グラウンド20周!」
「うわぁっ!?」
……ものの見事に成功した。
………………
目を開くなり愕然としつつ周囲をキョロキョロ見回しだした(多分手塚君を探していたんだと思う)越前君に、私はことのいきさつを説明した。
「はあ、そっスか」
「うん、そうなの」
「で、部室に戻れと」
「……だ、駄目かな」
「別に」
「じゃ、行こっか」
「ッス」
随分とまあ、淡々とした受け答えだった。生意気な子だって噂は聞いていたけれど、生意気というより無愛想というか。
……いやまあ、常に挙動不審な私が他人の愛想について言えたことではないけれど。
「ねえ」
「ん?」
「遠回りしません?」
元来た道を行こうとする私に彼は、別の道を指差しながら言った。
「え?……えっと、なんで?」
「そういう気分」
「は、はあ」
もしやこの子、アレかな……サボりたいのかな。
と思ったけどまあ、私に意見など言い出せる筈もないので(というか越前君が私の意見なんて聞く前にさっさと歩いてしまったため)、越前君について行くように私も歩きだした。
道中私たちは終始無言……ではなく、ちょっとではあるけれど会話した。
「今日で最後なんでしたっけ?」
「ん?ああ、罰ゲームのこと?うん、そうだよ」
「よく無事だったッスね、あの2人に振り回されて」
「いや……まあ、うん」
無事ではなかった罰ゲームも若干あったりなかったりだったけどね……あっはは。
「終わって嬉しいッスか?」
「ん……うーんと……微妙、かな?」
「微妙?」
口をついて出た言葉に自分でちょっぴり驚きつつ、私は心中を告白した。
「正直、終わって嬉しいとは思うんだよ。もうあんな……ええと、色々と大変な目に遭わずに済むってね。……でもね、寂しいな、とも思うの」
「………………」
「はじめは友達たちの遊び心で、私も被害者気分だった罰ゲームだけど、でもそのおかげで沢山の人と知り合って、会話して、仲良くなって……ね、私さ、自分で言うのもアレだけど人見知りなんだよ?前の私じゃ、初対面の越前君とこんな風には話せなかった。絶対」
アハハとややはにかみながら笑う私に越前君は「ふーん」と相槌を打ち、続けてこう言った。
「罰ゲームのおかげ……ってこと?」
「……うん。そうだね、そうなんだよね。うん、良かった。罰ゲームやって良かった」
心から、そう思えた。
やがて部室に到着した。
戸を開こうとする私を制して、越前君はコンコン、とノックする。
「入って大丈夫ッスか」
何が大丈夫なのかと思っている間に中から「おっけーだよん!」という菊丸君の声がして、越前君はガチャッと扉を開けた。
そしたら。
パァンッ
……一瞬、銃声かと思った。
………………
サスペンスドラマとかの見すぎだと言われればそれまでだけれど、でもまさか部室に入るやいなやクラッカーの音がするなんて予想だにしていなかった。
そう、パーティーに使うあのクラッカーである。
そうしてびっくりしているところに「罰ゲームお疲れさま〜!」なんて声が揃って聞こえるものだから、展開についていくのにそれはもう必死だった。
要するに現在、テニス部部室で罰ゲーム終了おめでとうパーティーを開催していたのだった。
「まあまあ、飲みなさい飲みなさい♪」
「山川さん、ホラお菓子もあるよ」
「山川センパーイ、写真撮りましょうよー!」
「あ、うん、えと、うん、あの、うん、その、うん、えと……」
ただでさえ突然のこのパーティーに混乱状態なのに、そう矢継ぎ早に話しかけられても対応に困るのだけど皆さん。
いくら人見知りが緩和されたといっても、トーク術が身についた訳ではないのだから。
「お前たち、そんなにいっぺんに話しかけるな。山川が困惑しているだろう」
と、いいタイミングで助け舟を出してくれる手塚君。ホントいい人だと思うよ手塚君。
「山川……すまないな、突然」
「あ、ううん。びっくりはしたけど……でも、嬉しいよ?うん、すっごく嬉しい」
「……そうか。それならば良いんだ」
私に絡もうとする菊丸君やモモシロ君らから隔離するかの如くナチュラルに私の隣に座ってくる手塚君は、目を凝らさないと分からないくらい微妙に、表情を緩めていた。
こ、これは貴重なショットだなあ……思わず照れちゃったよ。私が。
そんな手塚君に水を差した訳ではないだろうけど、不二君が背後から手塚君の肩を叩いた。
「手塚。はい、コレ」
「……何だこの箱は?」
「プレゼントだよ。山川さんに渡して」
「へ?私?」
そんなやりとりを真横で見せられて、つい反応してしまう私。
「ああ、あれか」
「そ、あれ」
あれって一体なに……と思っていた私の手に手塚君から渡された、リボン付きの箱。
開けるよう促され、とりあえずしゅるしゅるとリボンを解いて箱を開けた。
「あ、これ……」
「欲しそうにしてたでしょ?」
それは以前……罰ゲームで不二君菊丸君と一緒に行った雑貨屋で私が、いいなあコレ、と思って眺めていたアロマランプだった。
「え、えっ……え、え、い、いいの、コレ……え、え……」
「いーのいーの!罰ゲーム、疲れたっしょ?それ使って存分に癒やされちゃって!」
「大丈夫ッスよ〜、俺らワリカンだったんで!1人が払った分はそんなに多くないッス!」
手塚君バリアがあってもやはり絡んでくる菊丸君とモモシロ君。
その横では大石君と河村君が孫にお小遣いをやったおじいさんのような顔で微笑んでいて、海堂君は奥の方で顔をふいっと逸らしていて、越前君はいつの間にか座ってファンタを飲んでいて、不二君はカメラを構え、乾君はいつも通りデータだった。
「あ……え、と……」
何か気の利いたコメントを……と思ってみたけど、そう咄嗟には浮かばない。
代わりにじんわり浮かぶのは、涙だった。
「あの、みん、な……その…………あ、あり…………あり…………」
途切れ途切れに震えた声を紡ぐ私に「頑張れ〜」「泣くなよ〜!」とエールが送られる。
いや、涙腺ゆるいのは仕様なので勘弁していただきたい……。
それに、みんなに揃って見られているってのもあって、かなり緊張するんだけど……と思いやや自嘲しつつ。
私は、告げた。
「……ありがとう……っ」
「フゥ〜〜〜〜!」
「いいねいいね〜!」
コラそこ、無駄に盛り上がらない。空気読んで空気。
そんなことを考えながらも緊張の糸がプツリと切れていた私は、涙を拭いつつ、アハハと満面の笑みを浮かべたのだった。
………………
……こうして、私の罰ゲーム生活は終わりを告げた。
もはや全校生徒に知れ渡っていたのではと思う程に知名度の高かった罰ゲームも、月日が経つと共に徐々に忘れられていった。
けれど私は忘れない。
辛いことも苦しいことも泣きたくなることも帰りたくなることも恥ずかしさに悶絶したことも、沢山あったけれど。
決して忘れない。
罰ゲームを通して関わった、沢山の人たちの笑顔と優しさを。
ずっと、ずっと。
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