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愛の哲学

「それは愛じゃないよ、マルコさん」


どこで間違えたというのだろうか。
数日前にみさきから言われた言葉が頭の中で反芻しては消えていった。泣き腫らし目を真っ赤にした彼女の顔が忘れられない。

おれの気持ちは愛ではないと言われたが、ではこの気持ちはなんだと言うのか。自分の中でずっとみさきの気持ちや言葉を汲み取ってきたつもりだった。うまく感情を言葉にできないみさきのためにと。それが独りよがりだったということだろうか。

今さらこの歳になって愛だなんだを考えるようになるとは思わなかった。みさきに否定されたとき年甲斐もなく怒鳴りつけたことが罪悪感となって首を絞めてくる。喧嘩自体多くしてこなかったしこういう時はどうしていたのか思い出せない。ああそうだ。おれが謝りに行こうと思ったとき、タイミングよく訪ねてくるんだった。そしておどおどしながら「ごめん」と言うんだ。


「今ごろなにしてるのかね」


こう船が広いと偶然顔を合わせるということも少ない。おれはあれから部屋で考え続けているし意図して会いに行かなけりゃ顔を見ることもないだろう。ただ。会いたい気持ちは少なからずあるが、あの言葉の真意を理解できなければ会ったところで意味はない。でもおれにはそれがわからないのだ。そうでなければ何日もこんなに悩んだりしない。

愛とはなにかなんて突き詰めて考えようとすると案外わからないものである。そもそもそんなのそれぞれの価値観じゃないのか。相手を想う気持ちだって何度言葉にしようと体を重ねようとなかなか伝わるものじゃない。ならあいつはおれの何を見ておれの気持ちを否定したのか。考えれば考えるほどわからなくなっていく。


「好きだと思ってたんだがなぁ…」


大切にしてきたつもりだったのに。みさきにとっては違ったんだろうか。あいつの求めてた愛情はそういうものではなかったというのか。

こんなことをずっと考えすぎて頭はパンク寸前だ。大袈裟ではなく頭を抱えている。まだ自分で考え続けるか、それともいっそ本人に直接聞くか。深いため息をついて迷っていると控えめにドアがノックされた。こんな野郎だらけの船で律儀にノックするやつなんかあいつくらいだ。


「…どうぞ」
「し、失礼します…」


恐る恐る入ってくるみさきから、あからさまな緊張が見て取れる。きっとここへ来るのも勇気を出してきたんだろう。そう思うとうじうじと悩んで行動に移せなかった自分が情けなく感じて恥ずかしい。


「どうした、こんな時間に」
「ごめんなさい。お詫びを言いに来ました」
「詫び?」


たしかにいつも喧嘩をするとみさきから謝ってきたが、果たして今回はみさきが謝る必要があっただろうか。あの時みさきは泣いていた。泣かせたことも、そしてその原因が自分であったのならおれが謝るべきだった。ただ原因がわからないから会いに行けなかったのだが。


「なんでお前が謝るんだよい」
「話も聞かずに生意気言いました」
「それを謝りに?」
「はい」


まあ話は聞かなかったな。というよりも間は十分にあったのだが言葉を理解することに時間がかかってしまいそのうちにみさきが部屋を出て行ってしまった。それに生意気言ったと言うがあれは意見であっておれはそうは思わない。


「それは気にしてない。ただあの時のお前の言葉の真意がいまだにわからない」


何度も考えたことだ。普段使わない頭を使って愛とはなにかなんて哲学的なことを考え続けた。何度も自分の中にある気持ちと向き合って自問自答を続けた。でも結果的に出てきたのは、間違いないみさきへの恋心と、一緒に過ごしてきた穏やかな日々の記憶だった。


「ずっとマルコさんって超能力が使えるのかなって思ってました」
「…そんなわけあるか」


いったいなんの話だ。おれにそんな能力はない。あるとすれば怪我をしても再生することのできる悪魔の能力だけだ。


「でも違うんです。それはマルコさんの優しさだったんだって気づきました」
「優しさ?」


そうなのだろうか。おれからしてみれば超能力だと思った後になぜ優しさだと思ったのかわからない。女心は複雑と言うがまさにその通りだ。やはり近くにいるだけじゃ相手が何を考えて生きているのかなんて想像もできない。みさきには世界がどう見えているのだろうか。



「どういうことだ」
「だって私がなにも言わなくたって頭の中を覗いてるんじゃないかって思うくらいわかってくれるじゃないですか」
「…そうだったかね」
「はじめは嬉しかったんです。こんなに私のことわかってくれるんだって。でもだんだんそれって苦しいんじゃないかって思うようになったんです」


どうしてそこでそうなってしまうのだろう。嬉しいなら嬉しいでそれでいいじゃねェか。なのにそれがなぜおれが苦しむことになるのかわからない。相手のことをより理解できたら自分だって嬉しくなると思う。それだけ相手のことを知っているということなのだから。まあもし本当の意味で理解できていたのならこんな事態にはならねェと思うが。


「私、マルコさんがいつも私に遠慮しているように見えたんです。理解できるからこそ喧嘩や諍いを回避するために一歩引いてるような」


なるほど。少しだけみさきの気持ちの片鱗が見えてきた。引いた覚えはないが言われてみれば遠慮はしたかもしれない。いや、遠慮と言うには語弊がある。ただおれは変わらず穏やかに過ごしたかっただけ。言い争いがないならそれに越したことはないのだから。それを遠慮と思われては少々困ってしまう。単におれが不器用なだけなのか。


「時に遠慮は必要かもしれません。でもなんだか寂しかったんです。マルコさんばかりが我慢してるのも嫌だった。いつからかそれは愛ではなくただの優しさなんじゃないかって思っちゃって…」
「…おれは我慢なんてしてねェよい」
「マルコさんは優しいから…優しさを愛にすり替えてるんじゃないかと、思って…」


ようやく納得した。要するにおれはみさきを不安にさせていたのか。優しさこそが愛だと思ったが、みさきにとっての愛の形はそういうものではなかったということだ。おれが良かれと思ってすることも独りよがりにしかならない時もある。

こういうとき感じるが、愛には時々すり合わせが必要だ。でなければそれは自己満足にしか過ぎなくなる。


「ごめんなさい。マルコさんが大切にしてくれてるのは本当にわかるんです。でも考え始めたら止まらなくなって…勝手に不安になって」
「もういいから、わかったよい」


こうして話していてももしかしたら伝えたいことのほんの少しも伝わっていないのかもしれない。どんなに頑張っても同じ人間にはなれないからな。そうわかっていてもやっぱり伝えたくなるのは、お互いがお互いのことを大切に想っていて離れないでほしいと願うからだと思う。そこには立派な愛があるんじゃないか。


「ああ、おれはお前が大切だ。その気持ちに嘘はねェよい」
「うん。私もマルコさんのことがすごく大切です。大好きなんです」


今なら互いの気持ちになんの誤解もないはずだ。
もしかしたらいつかまた同じような話をする日が来るかもしれない。歩調が合わなくなる日があるかもしれない。どちらかだけが前に進んでどちらかが後ろに下がることもあるかもしれないが、そういう時は離れた分だけまた歩調を合わせて寄りそえばいい。



「もう疑ってくれるなよい」
「じゃあ私の愛は届いてますか?」


当然、と言葉を落として手を引く。そこにはもう泣きそうな表情はない。ようやく穏やかな日々が戻ってきた。




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