七人の囚人と学園処刑場


 第二話

 進藤も少し横に眠ると言ってから暫く経った頃。
 俺も少し眠るかと思ったが、神経がまだ過敏になってるらしい。廊下の方から聞こえてくる物音だけで反応してしまい、休める気がしなかった。

「……右代君?」

 不意に、教室の片隅で眠っていた周子が目を覚ましたようだ。此処に来る前は具合悪そうにしていたが、少しは休んで顔色がましになっている。
 進藤から聞いた話を思い出す。
 あのことが本当なら、こいつが具合が悪くなっていたのは――。

「……君、起きてたのか」
「別に、眠くねえし……それに、もしものとき全員寝てたら一緒だろ」
「その時のために見張りを用意したんだろ」
「だから、もしものときだろ」

 俺が言わんとしていることに気付いたのだろう、周子は視線を逸し、「そうだね」と頷いた。
 陣屋の言葉を聞いてからというわけではないが、やはりこんなところですやすや眠れるかというのが本音だ。

「……」
「……」

 沈黙。周子は何かを言おうとしているが、言い澱んでいるようだ。こちらから話題を切り出そうかとも思ったが、ここには陽太も進藤もいる。ここでするべき話ではない気がして、俺は黙って周子から視線を外した。

「あの、右代君……」
「なんだよ」
「……いや、その……」

 普段ハキハキと話す周子には珍しく歯切れが悪い。
 普段なら苛つくはずなのに、何故だろうか。特に気にならなかったし、寧ろ、その先の言葉は出て来ない方が良い気がしたのだ。

「うし――」
「周子、お前、陣屋のことどう思う?」
「……え?」
「やっぱり偽物だと思うか?」

 話題を変えさせるにしては強引過ぎただろうか、自分でも思ったが他に思いつかなかった。
 出鼻を挫かれた周子はきょとんと目を丸くする。

「陣屋君は……僕は直接会ってないからわからないけど、少なくとも右代君のことを助けてくれたのなら、悪い人ではないと思う」
「珍しいな、お前がそんなこと言うなんて」
「僕は正直もうわからない。良い人も悪い人も、助けてくれたことだけは信じたいと思うよ」
「……」

 大分疲れているようだ。そんな風に弱音を吐く周子が意外だったが、同意せざる得ない。
 知ってるつもりでも何一つ理解していないことなんてザラにある、ここに来て初めて陽太の腹の中を見たような気がして落ち着かなかった。

「こんな状況だから全員疲れてきてんだろ、お前も。らしくねえこと言うくらいだしな」
「そうだね、きっとここに連れてこられる前の僕なら右代君がこんな風に話を聞いてくれるなんて想像できないだろう」
「……ッハ、確かに」

 人の話なんてどうでもいいし興味ねえと思うのに、なんで俺があの周子を慰めるような真似をしてるのかと思うと笑えてくる。周子は少しだけ目を丸くして、そして俯いた。

「――ごめん」
「なんだよ急に」
「今まで、君に酷いことを言ってきたことを思い出して」

 今度はこっちが驚く番だった。
 同時にぞわわわと全身に寒気が走る。確かに今思い返してみればこいつとまともに話せたのだってここに来てからだし、それまでは印象としては胸糞悪い奴だったけれど、そんな風に今更掘り返されると気持ち悪いというか、本当になんなんだこいつは。

「やめろ、素直なお前気持ち悪いんだよ。サブイボ立ったじゃねえかよ」
「き、気持ち悪いまで言わなくてもいいんじゃないか……?!」
「別に謝ってほしいとか思ってねえし、それなら俺だって同じだろ」
「……それは」
「じゃあ俺が『あのときは悪かった、ごめんなさい』って謝ってきたらどうする?」
「気持ち悪いな」
「そういうことだよ」

 ちょっとムカついたが、納得してくれたならいい。別になかよしこよししたいわけではないし、謝ってほしいとも思ってない。どうだっていい。だから余計なことを言うなと釘を差せば納得した周子は「わかった」と頷いた。

「僕は、駄目だな。君の方がしっかりしてる。……全然駄目だ、ここにいると何が正しくて何が間違ってるのかわからなくなる」
「そんなの決まってんだろ、ここに閉じ込めてきた連中が悪いんだよ。それ以外はなんでもねえ。連中ぶっ殺したって正当防衛で許されるはずだ」

「現に、殺されたやつもいるんだ」そう、返せば周子は頭殴られたみたいな顔をしてこちらを見て、そして、そうだね、と掻き消されそうなほどの声量で口にする。
 周子は真面目だ、それも生がつくほどの真面目野郎。自分のされたことしたことを絶対に許してはならない、忘れてはならない。そうしなければ、周子のような人間は呑まれそうになる。俺は周子の背中を叩いて、そのまま教室を出た。

 周子をそっとしておいた方が良い気がしたのだ。
 扉を出れば、そこには篠山がいた。
 静かだと思えば木賀島の姿が見当たらない。視線だけこちらに向けてくる篠山に、「木賀島は?」と聞けば篠山は「トイレに行くと言ってどっか行きました」と当たり前のように答えた。

「一人で行かせたのか?」
「はい、わざわざ一緒に行く必要もありませんし見張りの方が大切だと思ったので」
「一言くらい声かけろよ」
「別に伝えるまでもないかと。それに、皆さんお休み中でしたし」
「…………」

 篠山もよくわからないやつだ。けれど、冷静だしやつの言葉は一理ある。正直木賀島の身に何かあってくれた方が俺としては万々歳なのだが、黙っておく。
 木賀島も木賀島だが、篠山もよくわからないやつだった。素行不良なわけではないのに木賀島と仲がいいなんて。
 変わったやつではあるが、頭も悪くないし。

「まだ何か用ですか?」
「なあ、さっき地下から上がってくるまでに何があった?」

 単刀直入、話を聞くならこいつが一番だと思った。
 篠山はやはり表情を崩すことなく、それでも俺をじっと見据えたままその薄い唇を動かした。

「なに、とは」
「そのままだよ、お前ら様子おかしいだろ。何があったんだ?」
「進藤篤紀、それとも周子宗平ですか」
「二人は関係ねえよ、俺の勘だ。けど、その言い方じゃ何かあったみてぇだな」
「…………」

 篠山は小さく息を吐く。

「別に隠すつもりではありませんでした。ただ、皆疲れてるので休む方が優先すべきかと思っただけです。その後、事情を説明するつもりでした」
「何があったんだ」
「進藤篤紀が死んだと思ったんでしょう、死体を回収しにきた男がいました」
「殺したのか」
「相手は銃を持っててもおかしくない。それならば先手を打つべきだろうと」
「言い出したのは木賀島だろ」
「よくわかりましたね。……那智はナイフを持っていました。どこで拾ったのかは知りませんけど、お陰で、手間は掛かりませんでした」

 ナイフ、と言われて手のひらが痛んだ。
 あの野郎、科学室から凶器を持ち出したのか。やはりいっぺん身ぐるみ剥がしておくべきだった。

「それで、その死体は。なにか鍵とか持ってなかったのか」
「カードキーを持っていました。どこのものかわかりませんが、カードキーを使える場所を探せばここから脱出する手掛かりになるかもしれませんね」
「カードキーか。お前が持ってるのか?」
「いえ、那智がそのまま持ってますよ」
「……木賀島、便所に行ってるって言っていたよな。どれくらい経つ?」
「時計がないのでわかりませんが、十分程でしょうか」
「……ッ!」

 嫌な予感がした。咄嗟に走り出そうとして、伸びてきた篠山の手に掴まれる。細い指先、振り払おうとすればすぐに離れるだろうが、「どこに行くんですか」と見据えてくるその真っ黒な瞳に動きが止まってしまう。

「あいつ、絶対余計なことしてるだろ、探さねえと」
「大丈夫ですよ、那智は。ああ見えて馬鹿ではありませんので」
「……お前、分かってて行かせたのか?」
「そう遠くには行かないと言ってましたので、もし何かあれば呼べばすぐ駆け付けるとも」
「それを信じたのか?馬鹿だろ……ッ!」

 もしあいつが脱出する道を見つけられたとしても一人で抜け出す可能性だってあるし、逆に見つかって犬死する可能性もある。どちらにせよ、勝手な真似をするべきではないはずなのに、篠山は何が悪いのかまるで理解していないような目で見てくるのだ。

「逆に、右代宰、貴方は何をそんなに恐れているのですか。那智は貴方達を休ませるために一人で行ったのにそこまでして慌てることですか」
「お前は……もっと賢いやつだと思ってたんだがな」
「那智と何があったか詳しくは知りませんけど、貴方の方こそ冷静を失ってるように見受けられますよ」
「どうしてそこまであいつを過信するんだ」
「過信してるつもりはありませんが、強いていうなら……どんな八方塞がりでも彼に任せておいて失敗したことは一度もないので」

 盲信してるわけではない、けれど、明らかにこいつが見ている木賀島と俺の知る木賀島は別人のような気がしてならない。こいつと話していても埒が明かない。そう思って、俺は篠山の手を振り払い、教室前から移動する。
 今度は篠山は止めなかった。
 そう離れた場所にいないはずだと篠山は言っていた。ならばと辺りを散策する。静まり返った静かな薄暗い廊下の中、自分の足音だけが響く。


 見慣れた校舎内。ただ、窓がある箇所が全て鉄板で打ち付けられているということ以外は全て過去に戻ってきたかのように記憶のままだった。

 咄嗟に飛び出してきたはいいが、俺一人で木賀島の凶行を止めることができるのか。相手はナイフを持っているらしいし、念の為、武器になりそうなものがないか探そう。思いながら校舎内を彷徨いていたとき、便所を見つけた。そこからは照明の明かりが漏れている。
 そして、異臭。
 そこで思い出す。周子が男子便所で目が覚めたと言っていたことを。そして、一緒にいたはずの枚田が死んだということを。
 ――まさか、ここか?
 校舎の中にはいくつも便所があるが、この吐き気を催すような匂いからしてその可能性は高いだろう。
 正直、行きたくなかったが、もしかしたら木賀島がいるかもしれない。
 そう思い、なるべく遠くから仲を覗き込もうとして――見つけた。派手な茶髪に、広い背中。

「おい、木賀島!」

 そう、咄嗟に木賀島を呼べば、便所の中ぼんやりと佇んでいたやつはゆっくりとこちらを振り返る。

「あれ、宰〜〜?どうしてここにいるの?」
「それはこっちのセリフだ、お前、こんなところで何してるんだっ!」
「何って……便所だよ。それ以外ないでしょ〜?」

「けど、これじゃ無理そうだなぁ」と木賀島は目を細めた。
 どういう意味だ。トイレの奥、一つの個室を眺めていた木賀島に、好奇心に駆られた俺は咄嗟に男子便所に踏み込んだ、そして、すぐに後悔した。
 足を進める都度濃厚になる鉄の匂い。脈が早くなる。
 全部で四つある個室の内の奥から二つ目の個室、そこを覗き込んだ瞬間、息を飲む。込み上げてくる胃液に、咄嗟に口を抑えた。

 赤い花だと思った。
 便器から噴き出すように壁一面どころか天井まで飛び散った血飛沫に、木賀島は「痛そー」と笑った。
 幸い、死体らしきものはない。が、黒く干からびた肉片のようなものが至るところに散らばってるのを見れば、脳裏に当時の残状を想像してしまい具合が悪くなった。

「枚田……」
「枚田?ああ、委員長が言ってたやつね。ってことは、ここやっぱ委員長が閉じ込められてたって場所であってるんだ」
「おい……戻るぞ」
「ええ?もしかして宰吐きそうなの?便器あるしそこで吐いててもいいよ、なんなら背中さすさすしてやろーか?」
「っ、帰るぞ、木賀島ッ!!」

 いち早くここから出たかった。枚田の悲鳴が聞こえてくるようで、充満した死臭に耐えられなかったのだ。
 咄嗟に木賀島の腕を掴むが、やつはにやけた顔のまま俺を見下ろし、そして笑った。

「え、やだ」
「……っ、お前……」
「ハハ、そんなにプリプリしないでよ。大丈夫、用が済んだら皆とところに戻ってあげるからそんな心配しないで、ね?」

 戻って“あげる”という言葉にムカついて、咄嗟に胸倉を掴みそうになるが、木賀島は「おわ、危ね」と当たり前のようにそれを避ける。

「やめなよ、宰弱いんだからさ、俺弱いものイジメとかしたくないし。ね、ほら仲良くしよー?」
「っ、お前は、本当に勝手なことしかしねえな……っ!」
「ハハ――許可なく人を殺したり?」
「――ッ!!」

 自分から触れていくとは思わなくて、思わず動きを止める。固まれば、逆に木賀島に腕を取られた。
 しまったと思ったときには遅い。
 噎せ返るほどの血の匂いの中、今はもう固まった血で汚れた壁に押し付けられ、ぎょっとする。

「きが……ッ」
「その様子からして、ルイルイから何か聞いたんでしょ?ま、別にいいけど、それでわざわざ俺の身を案じてここまで来たんだ、宰は。……かわいーね」
「ッ、離せ、この……ッ」
「え〜?何言ってんの〜?……俺と二人きりになりたくてここまで来たんでしょ〜〜?」

 そんなわけあるか、と声をあげようとして、唇を撫でられた瞬間全身が凍り付いた。
 噛み付くように貪られたときの記憶が蘇り、全身が硬直する。どっと溢れ出す汗。近付くやつの顔に耐えられず、俺は思いっきり拳を握りしめ、やつの鳩尾に叩き込んだ。

「っ、ぐ」
「退け、この変態野郎……っ!!」
「っ、は……宰ちゃんまじ、容赦なさすぎ……ッ普通ガチで殴る……?」

 木賀島の腕から抜け出し、距離を取る。木賀島は「わかった、わかったから」と両手を上げて降参のポーズを取った。

「何もしないって〜、ほら」
「……いいから戻るぞ」
「仕方ないなぁ〜……けど、少し待ってて。気になることがあってさぁ」
「なんだよ、気になることって」
「……ん〜、別に大したことじゃないんだけど〜」

 言いながら、血塗れの個室に入る木賀島。当たり前のように個室の鍵を閉めるあいつに血の気が引いた。

「おいっ、勝手な真似するな!また妙なゲームが始まったらどうするつもりだよ!」
「……と思ったんだけど、何もないねえ」
「はあ……?!」

 マジでこいつの頭どうなってんだ。もし便所の入り口が閉まれば俺まで閉じ込められないというのにこの男は。クソ、何一つ反省もしてねえ。

「いい加減にしろ、出てこいって!」
「わかった、わかったってば〜。……全く、注文の多いお姫様だなぁ」
「っ、誰が……ッ!」

 個室の扉が開き、ピンピンとした木賀島が出てくる。そのまま何事もなかったように入り口へと戻る木賀島に、「おい」と掴みかかれば、木賀島は笑って足を止めた。
 そして、掴んだ拳を包み込むように握り締められる。

「ワンワンとセックスするのが大好きな宰姫でしょ〜?宰にピッタシじゃん」
「……っ、は?」
「……クソキモ陽太のキモさにまた磨きかかってんだけど、宰さぁ〜、あいつと何したのぉ?」

 最悪だ。最悪だ。バレてないと思っていたのに、やっぱりこいつ大嫌いだ。ニヤついた目で覗き込まれ、血の気が引いた。「ねえ」と絡みつく長い指に、指輪の感触に、蘇る様々な記憶に一瞬、言葉を忘れた。

 home 
bookmark
←back