七人の囚人と学園処刑場


 第四話

「あ、あの、宰様…?」

 技術室前通路。
 半ば強引に陽太を無理矢理連れ出した俺はそこで手を離した。
 名残惜しそうにする陽太には敢えて触れない。

「お前、木賀島に絡むのやめろ」
「えっ?!どうしてですか?!あいつは宰様に無礼を働いた男ですよ!」
「…だからだよ」

 認めるのは癪だが、陽太にははっきりと言わないと伝わらない。

「俺はあいつと話したくもないし声も聞きたくねえ。だから二度と口を利くな」
「ですが、宰様……ッ」
「俺の言う事が聞けねえのか、陽太」
「……ッ!」

 苦虫を噛み潰したような顔をして押し黙る陽太はまだ納得していないのだろう。
 いつもなら「はい!わかりました!」と喧しいくらい元気な返事を聞かせてくれるはずなのに、おかしい。

「おかしいですよ…こんなの…ッ、辛い思いをしたのは宰様なのに、どうして宰様が我慢しなければならないんですかッ?然るべき罰を受けるのはあのゴミクズド底辺男の方ではありませんかッ?俺には理解できません、どうして宰様はあいつを庇うようなことをするんですかッ?!」

 次第に荒くなる語気。長い前髪の隙間、覗く虚ろなその瞳は血走っていて。
 思わず、その気迫に圧されそうになったがここで退いてしまえばこいつが暴走するのは目に見えてる。
 何度も何度もこいつの尻拭いさせられるのは御免だ。

「別に庇ってねえだろ!どう考えたらそうなるんだよッ!馬鹿かてめぇ!」
「なら、俺に任せて下さい、宰様!俺が、あの男に復讐します。宰様の痛み、いや、それ以上の苦痛を味わせて………」
「いい加減にしろって……」

 まともに人の話を聞こうともしない。
 痛みで硬直し始めた掌を硬く握りしめ、拳を作った俺はそのまま陽太の胸倉を掴む。
 そして、

「言ってんだろッ!」

 思いっきり、そいつの顔面に叩き込もうとした寸でのところで、殴るのを思い留まった。
 高く振り上げた拳に、目を見開いた陽太はそのまま固まって。一気に熱が引いていき、俺も、そのまま動けなくなる。

 旭陽太は、親から虐待されていた。そのことを思い出したら、殴れなかった。
 それでも、俺がしようとしたことは変わらなくて。
 舌打ちをし、陽太から手を離した俺は開いた傷口から滲む血液を制服で拭う。

「宰様……」

 名前を呼ぶ、 震えたその声。
 陽太に背中を向けたまま、そのままその場を後にしようとした矢先だった。

「……ッ」

 背後から、ぬっと伸びてきた手に抱き竦められた。

「っ、おい……ッ!」

 背後から伸し掛かる他人の重さに、心臓が止まりそうになる。
 なにを思ったのか、抱き締めてくる陽太はそのまま肩に顔を埋めてきて。

「ごめんなさい、俺が、俺が間違ってました…っ!すみません、お願いします、嫌いにならないで下さい…ッ!」

 すぐ耳元、掠れたその声はどう聞いても涙声で。
 項に濡れた感触が触れ、陽太が泣いているのだと気付くのにそう時間は掛からなかった。
 そして、泣いていると判れば、とうとう俺は動くことが出来なくなって。

「……」
「わかりました、俺、宰様の言うとおりにします。あいつのこと、人間と思わないようにします。無視します。だから、お願いします、宰様」
「……」
「お願いだから、置いて行かないで下さい……ッ」

 ぐずる陽太の嗚咽が、触れられた箇所から伝わってくる。
 これで、一先ず木賀島との一悶着は落ち着くだろうが、あいにく俺は人の慰め方というものを習得していない。

「もういい、わかったから。……泣くなって。鼻水つくだろ」
「ず……ッす、みません…俺…俺……っ」

 小さい頃から、こうだった。何か事あるごとに泣く陽太が泣き止むまで一緒にいてやった。というか、こいつが掴んで離してくれないのだ。
 置いて行かないでと言いながらもしがみついて離れようとしない陽太だ、俺が置いていこうとするものなら死に者狂いで追い掛けてくるのは想像つく。
 それでも、泣いているこいつを振り払うことが出来ない辺り、俺も甘いのかもしれない。

 あまりにも情けない泣き顔をお披露目する陽太にハンカチでもくれてやろうかと制服のポケットをあさったが、なにも入っていない。
 ああ、そういや何もなかったんだったな。なんて思った時。不意に、ポケットから何かが零れ落ちた。チャリンと小さな音を立て落ちるそれは制服のカフスボタンだった。
 金属製の校章が刻まれたそれは、恐らく引き千切られた時のだろう。いくつかボタンがなくなっていたと思っていたが、周子が取っていたのだろう。
 それを拾った俺は、そこでピンと閃いた。
 これって、使えないだろうか。無一文の俺たちが探している、コインの代用に。
 これは、使えるかもしれない。
 ボタンを握りしめ、「おい」と抱き着いてくる陽太を振り返ろうとしたとき。

「あの、宰様っ」

 涙声の陽太に名前を呼ばれる。
 顔を上げた陽太の頬は涙で濡れてした。
 潤んだ瞳で見上げてくる陽太に、ただならぬ嫌な予感を覚える俺。

「……なんだよ」
「あ、あの、すみません、宰様の言葉遮ってしまって…」
「だからなんだよ」

 恥ずかしそうにもじもじし始める陽太に若干苛つきながらも促せば、陽太は「その」と言葉を詰まらせた。

「音楽室のこと、覚えてますか?」

 恐る恐る、俺の顔色を伺う陽太。
 音楽室。忘れたくても忘れるはずがない。
 心臓に悪いほど目覚ましになったあのピアノのことを思い出し、気分が悪くなる。

「あの時の、その、お願い……今、使ってもいいですか?」

 お願い?
 聞き慣れない単語に、思い出したくない記憶を遡る。そして、思い出す。
『ちゃんとおとなしく出来たらなにか一つ好きなもの、褒美にやるよ』
 暴れる陽太を宥めるため、自分がそんな口約束を交わしたことを思い出した。
 てっきり聞こえてないのではないだろうかと思っていたが、どうやら陽太はしっかりと思い出していたようだ。
 まずい、と背筋に嫌な汗が流れる。

「お願いって、欲しいものってやつだよな。……でも、今すぐ用意は出来ないぞ」
「いえ、あの……大丈夫です。俺のほしいものは、ここにあるので」

 すっと、陽太の手が離れる。
 それも束の間、伸びてきた陽太の無傷な方の手が、俺の頬に触れた。
 白く、長い華奢な指先に、全身が強張った。

「宰様、キ……キスを…」
「は?」
「キスを下さい」

 宰様の唇を、身の程知らずの俺に。
 そう、頬を紅潮させた陽太に、見事俺の嫌な予感は的中した。

「キス、って……」

 何を言い出すんだ。こんな時に。
 呆れて開いた口も塞がらない。

「すっ、すみません、ほんとおこがましいことを言っていると自分でもわかってます、けど、それでも、少しだけでいいから…っ」

 しどろもどろと、それでも必死になって頼み込んでくる陽太に絶句する。
 キス?なんで俺が。意味がわからない。理解できない。

「あの、宰様……?」
「…他にないのか」
「え?」
「それ以外で、他にだ」

 そう尋ねたときだった。
 あれほどキラキラして俺を見ていた陽太の瞳から一瞬で光が消える。

「なんですか……それ、俺、なんでもお願いを聞いてくれるっていうから頑張ったのに、宰様、どうしてそんなこと言うんですか…?そんなに、そんなに俺に触るのが嫌なんですか?そうですよね、こんな、蛆虫同然の俺に宰様…嫌ですよね…」

 自虐的な言葉とは裏腹に、恨めしそうに顔を歪めた陽太は露骨に機嫌を悪くしていて。
 ああ、もう、本当面倒臭い。そう思う反面、確かに陽太には危険な目にも遭わせたのも事実で。
 だけど、それとこれとは別だ。

「悪いが、そういうのは…」
「でも、でもっ、なんでもくれるって言ったのは宰様の方じゃないですかッ!嘘だったんですかッ?」

 気が昂っているのだろう、目を見開いた陽太の声に耳が痛くなる。
 安請け合いした俺の自業自得ということか。

「だからって、おかしいだろ。…なんでキスだよ」
「どうしてそんなに嫌がるんですか?」
「……は?」
「たかがキスじゃないですか、どうしてそこまで嫌がるんですか?あの、俺、宰様が嫌でしたら目を瞑って頂いてもいいんですよ。すぐ、すぐ済みますので…ホント…俺のことが嫌だったら他の子のこと考えて下っても構いませんから」

「それとも、そこまで意固地になって嫌がる理由でもあるんですか?」興奮しているのか、口早に問い詰めてくる陽太にギクリと全身が強張る。
 キス。嫌な思い出は、ある。思い出と呼ぶにはあまりにも真新しい記憶だが。

「ッ宰様、」

 伸びてきた手に、腕を掴まれた。その強い力に、息が詰まりそうになった。

「嘘を吐いたんですか、俺に」

 睨むような、陽太の目に、一瞬、正気を失った木賀島と重なる。
 瞬間、全身からドッと嫌な汗が溢れ出した。

「嘘吐いたんですか、俺に…っ、…宰様も……ッ」

 怒りか、はたまた別の何かか。
 体を震わせる陽太の全身から滲み出す悪意に圧倒されそうになる。

「別に、嘘とかじゃなくて…ッつ、」

 掴まれた腕が軋む。
 このままではマズイ。何度も振り払おうとするが、身が竦んでしまい思うように動けなくて。

「っ、わかった」

 陽太を止めるため、咄嗟に俺は叫んでいた。

「したらいいんだろ…っ!だから、手、離せよ…ッ」

 ピタリと動きを止めた陽太の全身から、溢れ出すほどの悪意が一瞬で消えた。
 目を見開いた陽太は硬直する。

「ほ、本当ですか……?」
「しろって言ったのはお前の方だろ…ほら、いいから離せ…ッ!」
「あっ、す、すみません!俺…!」

 恥ずかしそうに頬を染めた陽太は飛び退くようにして俺から手を離す。
 無自覚なのか、ころころ変わる表情は最早豹変と言った方が適切だろう。
 つい無理矢理されそうだった雰囲気だったので、勢いで承諾したが、今更ながらそのお願いの内容には呆れずにはいられない。
 キスをする。それが陽太の願いだった。
 こんな状況で、こんな状況だからこそ頭がおかしくなっているのだろうか。陽太にとってどんなメリットがあるのか理解できないが、俺にとってデメリットしかないことには違いない。

「……」
「宰様……?」
「……いや、なんでもねえ」

 こうなったらやけくそだ。
 相手は陽太だ。意識する必要はない。ただ、ぶつかったと思えばいい。

「おい、なに目、開いてんだよ」
「えっと、その…記念に」

 なんの記念だ、と突っ込む気にすらなれなくて。
 その代わり、俺は陽太のネクタイを掴んだ。
 そのまま、自分の目線にまで陽太の顔を持ってくる。

「……閉じれよ」
「宰様の顔を目に焼き付けておきたいんです。…だめ、ですか?」
「……」

 断るにも相手にする気になれなくて。
 とにかく、さっさと終わらせて技術室に戻ろう。
 思いながら、俺は陽太の唇に軽く自分の唇を押し当てた。

「………ほら、これで」

 約束通りだ。そう、陽太から顔を離そうとした矢先。
 不意に伸びてきた陽太の掌に後頭部を押さえ付けられる。
 そして、

「んっ、ぅ……ッ」

 再度、唇に押し当てられる陽太の唇の感触に俺は目を見開いた。

「ッ、ぅ、む……ッ」

 深く、角度を変えては唇を貪られる。
 嫌な予感はしていたものの、まさかここまでとは思わなくて。
 驚きのあまり目を見開いた俺は、慌てて陽太を突き放そうとするけど、体が石のようになって動かない。
 嫌な汗が溢れ出す。
 全身を支配する、木賀島との嫌な記憶。

「っ、ん、宰様……宰様宰様宰様宰様…っ」

 興奮した陽太の囁くような声が、次第に遠くなる。
 咥内の酸素ごと唾液を啜られ、その息苦しさに目眩を覚えて。

「んッ、ぐ……っ」

 隙間を探すように唇に這わされる濡れた舌先に、ぐっと唇を閉じた俺はそのまま顔を逸らそうとする。
 しかし、固定された後頭部のお陰で身動きが取れなくて。

「つかささま、好きです、大好きです…ッ」

 うわ言のように繰り返し呟く陽太は執拗に俺の唇を舐めてきて。
 木賀島のことがあっただけに意地でも、口を開きたくなかった。
 代わりに、俺は血が滲み始めた掌で陽太の胸を突き飛ばす。

「っ、宰様…?」
「約束が、ちげえだろ……ッ」

 そう、濡れた唇を拭い、睨みつければ陽太はきょとんと目を丸くする。
 そして、不安そうに眉尻を下げる陽太。

「す、すみません……宰様からキスして頂いたのにも関わらずお返ししないのは無礼かと思い…つい」
「何がついだッ!ふざけるなッ!」
「つ、宰様、怒ったんですか?すみません、俺はなんてことを…っ!すみません、罰を与えて下さいッ!どんなことでもしますので!」
「っ、お前なぁ……!」

 腰を低くしてぺこぺこ謝ってくる陽太だが、やつから悪びれた様子が伺えない。
 何より、頬を赤らめて何かを期待するように俺を見詰めてくるのだ。そんなやつの口から出た謝罪を信じろというのか。
 陽太のやつにまで舐められている、いや、物理的ではなく馬鹿にされているというその事実に非常に腹が立つ。
 相手にしたところで時間の無駄だと思い、踵を返せば流石に狼狽えたらしい。陽太は「宰様!」と慌てて引き留めようとしてくる。
 本来ならば無視して立ち去るつもりだが、元々ここにやつを呼び出した目的はキスをするためでもなんでもない。

「……っ二度と、木賀島を相手にするなよ」

 振り返った俺は、立ち竦む陽太を睨み付ける。
 キスもするな、という命令を口にするのもバカバカしくなったので俺はそのまま技術室へ戻った。

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