馬鹿ばっか


 12

 場所は変わって写真部部室前。
 岡部につれられてやってきた俺たちは、案内されるがまま中に入る。

「すげー写真の量だな」

 部室に入るなり「うっわなんかイカ臭っ」と声を上げる岩片を他所に俺はキョロキョロと室内を見渡す。壁を埋め尽くすように一面に貼られた様々な写真。岩片の言う通り、そこには健全な男子高生の自室のような青臭くじっとりとした空気が漂っていた。

「持ち帰るわけにもいかなくて燃やすのも勿体無いという写真などをうちの部では部室飾るようにしてるんです」
「ハメ撮りばっかじゃねーか」
「あ、そこら辺は前の先輩たちのです。ちゃんとこっちに普通のもありますよ」

 部屋の中央に置かれたテーブルを避け、そのまま部室の奥へと歩いていく岡部。
 確かにこれは処分しにくいなとかそれ以前の問題じゃないのかこれはとか色々言いたいことはあったが中々タイプの子の写真もあったので許す。

「岡部は撮ってねーの?」
「俺は撮ったものは持ち帰る派なので」
「へぇ、直人が撮ったハメ撮り見てーな」
「ちっ違いますよ……っ!ハメ撮りなんかにわざわざカメラ使いません!」

 岩片の下品なセクハラにじわじわ顔を赤くさせる岡部はそうぶんぶんと首を横に振る。まともな反応だ。安心した。「動画じゃないと意味ないじゃないですか!」なんか変なこと口走ったように聞こえたけどきっと聞き間違いだな、そうに違いない。

「取り敢えず、パソコンでしたね。こっちです」

 そして、何事もなかったかのように落ち着きを取り戻す岡部は奥に取り付けられた扉を開いた。
 案内されるがままついていけば、どうやらそこは機材置き場のようだ。
 そして更にその奥には撮影所になっていて、なかなか本格的だななんて感心せずにはいられない。そんな俺を他所に岡部は機材置き場の近くに置かれたパソコンの元へ歩いていき、そして足を止める。

「ってあれ……?誰か人が……」

 不思議そうな顔をする岡部につられ、パソコン付近に目を向ければ起動したパソコンのそのすぐ側には見覚えのある後ろ姿があった。
 艶やかな黒髪に細身の背中。岡部の声に反応したそいつは「ん?」とこちらを振り返る。

「……おや、あなた方は岩片さんと愉快な仲間たちではございませんか」

 生徒会副会長、能義有人だ。
 愉快な仲間たちに纏められたのはなかなか癪だったが突っ込みどころはそこではない。

「能義?なんでお前ここに……」
「私ですか?ちょっと機材を借りに来たんですよ」

「もしかしてあなた方もですか?」能義も能義でまさかこんなところで遭遇するとは思っていなかったようだ。そう尋ねてくる能義に対し、岩片は「まあな!」と元気よく返す。ほんと返事だけはいいな、こいつ。

「って、あの、副会長……ここって関係者以外立ち入り禁止なんですが……」

 そんな岩片とは対照的に呆れたような顔をする岡部は恐る恐る指摘する。
 それに対し、能義は「まあ、そう細かいことはお気になさらず」と微笑んだ。こいつの場合お気になさらすぎだ。

「ほら、パソコンを使いたいのでしょう」

「ああ、プリンタなら使用中ですのでお待ちください」微笑む能義は笑顔のままそう続ける。
「プリンター?」能義の言葉が気になり、言いながら俺はパソコンの側に置いてあったその機械もといプリンターに目を向けた。
 能義の言う通りプリンターは起動中で、そこからはポスターサイズに引き延ばされた一枚の写真が出てくる。
 なにを印刷しているのだろうか。そんな好奇心に擽られ、そのまま覗き込んだ俺は出てくるその写真に凍り付く。
 どこか見覚えのある建物の室内。露出した足元。プリンターからは徐々に上半身が現れ、下腹部を隠すように制服を抱えるそれはどっからどう見ても数時間前の俺だ。

「なに?それもハメ撮り?」
「いいえ、これは二年A組のOさんの露出プレイ中激写した生写真だそうで……」

 隣から覗き込んでくる岩片に対しそうなんでもないように答える能義。
 胸元まで現れたところで我慢出来なくなった俺は全身が現れる前にプリンターから乱暴に紙をもぎ取った。

「ああっ!なにやってるんですか!」
「あっわり、手元狂ったわ」

 悲痛な声を上げる能義に対し、そう笑いながら背後に写真が印刷された紙を持っていった俺はそのまま全力でぐしゃぐしゃに丸める。心臓停まるかと思った。というか絶対ちょっと停まった。
 そして、なんで能義はこの写真持ってんだよ。

「A組ってうちじゃん」
「他校だろ他校、んな変態うちの学校にいるわけねーだろ」

 どうやら間一髪岩片は見えなかったようだ。
 バクバクと煩くなる心臓を落ち着かせつつ、俺は動揺を悟られないよう岩片に笑いかける。
 その矢先、

「ん?また出てきた」

 不意に、プリンターを見ていた岩片がそんなことを言い出す。
 なんですと。
 ぎゅっぎゅと形が無くなるくらい力入れて写真を握り潰していた俺は静かな音を立て続々と俺の写真が写った紙を吐き出すプリンターに目を見開いた。

「ああ、一応五十枚設定していたのであと三十枚は出てきますよ」

 こいつはなにか俺に恨みでもあるのか。慌てて束になったそれを隠すように抱えるが、間に合わない。腕から溢れる写真が印刷された紙になんだかもう泣きそうになった。

「ん?あれ……これって尾張く……」

 そして、俺の腕からひらりと滑り落ちたコピー用紙を拾った岡部はそう目を丸くさせ、咄嗟にそれを奪い取った俺は岡部に目を向ける。

「おいっ岡部今すぐ印刷を中止させろ!」
「え?は、はいっわかりました!」

 そう紛らすように声を上げれば、ビクッと肩を跳ねさせた岡部は慌ててプリンターを弄る。
 焦りすぎてつい語気が荒くなってしまい後悔したが今は感傷に浸っている場合ではない。
 慌てて散らばるコピー用紙を拾い上げていると、「せっかく生徒会室用と自室用とロッカー用と保存用とぶっかけ用で確保しようとしましたのに……」とかなんとか能義が言い出した。ぶっかけ用ってなんだよ。いや知りたくもないがなんだよ。意味わかんねえよもう。

「これで全部だな」
「ハジメーあと一枚プリンターに挟まってんぞ」

 そう大体の紙を集め終え、俺が小さく一息ついたときだ。
 岩片はそんなこと言いながらプリンターからはみ出るそれに手を伸ばした。
 やばい。そう直感したときには時既に遅し。

「……って、ん?」

 俺が振り返ったのと岩片がコピー用紙を手に取り、片面に印刷されたそれを見るのはほぼ同時だった。
 やばい。やばい。やばい。
 やばい。
 心臓が煩くなり、全身からぶわっと変な汗が滲む。
 コピー用紙に印刷されたそれを見詰めたまま黙り込む岩片。
 走る沈黙に、なんだか時間そのものが止まったような錯覚を覚えた。
 いや、いっそのこと止まってくれた方がよかったのかもしれない。
 分厚い瓶底眼鏡のその下、その双眼は確かにコピー用紙を見ているのだろう。
 慌てて奪いたかったのに動揺と焦りで全身が硬直し、こんがらがった脳がまともに機能せずその場から動けなかった。
 機材置き場に走る重い沈黙。

「なんだ、これハジメじゃん」

 その沈黙の中で、最初に口を開いたのは岩片だった。
 いつもと変わらないおどけた調子の弾むような明るい声。コピー用紙から顔をあげた岩片はそう口を開けた。正直、なんだか肩透かしを食らったような気分だった。
 いつも通りの岩片の様子に少なからず安堵する反面、レンズ下の表情が読めないだけに不安になる。それらを拭うように、俺は「んなわけないだろ」と口を開いた。

「コラに決まってんじゃんコラ。なんで俺が裸で出歩かなきゃいけないんだよ。ほら、早く渡せって」
「あ、なんだコラですか。へえ〜コラにしてはよく出来てますよね、副会長がしたんですか?」
「いえ、私は先程部長から連絡を受け元さんの生写真を一枚一万円で売ると聞き駆け付けて来たばかりのただの客人です。五条部長曰く本物だそうで」
「ないない。生写真とか言って合成写真を高値で売り付ける魂胆なんだろ、あいつ。信じんなよ、絶対信じんなよ。能義も、こんな写真にバカみたいな金出すなよ。あいつの懐潤してどうすんだよ」

 我ながら上手い言い訳を見付けたと思う。
 数日前、五条と初めて会ったとき能義から五条がそういう専門の常習犯だということは聞いていた。感心はしないが、それを理由にこの写真の真偽をあやふやに出来るなら本望だ。
 まあ、いくら偽物だと偽ってもそれが本物だと知っている俺からしてみればじろじろ見られれば不快極まりないのだが。

「で?そのごじょーとかいうやつはどこにいんの?」

 そんな俺たちの会話を聞き流しつつ、人の写真片手にそう能義に尋ねる岩片。マイペースにもほどがある。
 岩片からの問いに対し、尋ねられた能義は「ああ、もうそろそろ来るんじゃないでしょうか」と思い出したように答えた。

「早く来ねーかな、ハジメのこんな写真撮るとかやっぱすげえわ」
「だから俺じゃないって言ってんだろ」
「そうか?時間帯とかこれ今朝のじゃん。しかもこの太ももから膝のラインといい適度に筋肉がついたふくらはぎの膨らみといいハジメっぽいんだけどな、ほら」
「ああ、確かにそうですね。この首筋から肩の滑らかさといい仄かに色付いたちくふぎっ」

 コピー用紙とこちらを交互に見てくる二人のねっとりとした視線が気持ち悪すぎて我慢出来なかった俺は近くにあった箱ティッシュを能義に投げ付けた。
 スパンッといい音を立て顔を赤く腫らした能義は「おや、私の顔を狙うとはなかなかやりますね」ととかなんとか余裕ぶった態度を取っていたがその目には若干涙が浮かんでいる。つーんときたようだ。

「俺じゃねーって言ってんだろ、しつこいな。ほら、返せって」

 そんな能義を無視して俺はにやにや笑いながら写真を撫でる岩片からそれを取り上げた。

「ったく、最近ハジメカリカリしてんなあ。カルシウム取れよカルシウム」
「こんな合成写真作られて喜ぶやつがいるか」
「俺」
「お前は末期だ」

 残り最後の一枚をシュレッダーに入れ、それがただの紙切れに変わるのを見送った俺はパソコンの側にいた岡部に目を向ける。

「岡部、今すぐさっきのデータ消せるか?」
「ええっそんな……いいんでしょうか」
「大丈夫だって。んで代わりにこの写真五十枚印刷してくれ」

 パソコンに近寄った俺はディスプレイに表示された画像データからとある写真を選ぶ。
 画面いっぱいに現れるのは先程俺が撮った五条の写真だ。
 もとい、鼻血をだらだら垂らしながら太ももを汚しつつ便所の床の上で全裸正座しカメラ目線で恍惚の笑みを浮かべるアザだらけの変態の写真だ。

「あのこれって……」

 現れた顔見知った先輩のいじめ写真にぎょっとする岡部はじわじわ顔を青くさせ、不安げな表情で側に立つ俺を見上げてくる。
「岡部、頼むよ」そうあくまで優しく笑いかければ「わっわかりました、わかりましたからそんな怖い顔しないでください……っ!」と泣きそうな顔をする岡部はパソコンの前にへばりついた。
 そんなつもりはなかったのだが、やはり流石の出来事に顔に出てしまうようだ。

「もう削除してしまうんですか?」

 頬の筋肉を緩ませるように揉んでいると、しょんぼりとした能義が尋ねてくる。
「見逃すわけないだろこんな写真」そのままそう即答すれば、「記念に一枚くらい貰おうかと思いましたのに」と能義は大袈裟に肩を竦めさせた。なんの記念だ。

「あいつのぼったくり写真にそんな金使うなよ。それなら俺に金渡してくれたらいくらでも脱いでやるっての」
「いくら出したら中出しいけますか?」
「本当お前わかりやすいよな」

 脱ぐだけって言っているだろ。
 っていうか大体これ自体ジョークなのだからそんな期待するような顔をして財布取り出さないでくれ。普通に怖い。
 椅子に座ってディスプレイに向かい合う岡部が本格的に作業に取りかかり始めるのを眺めていると、それを遠巻きに眺めていた岩片は「まあ確かにそれもそうだな」と珍しく神妙な調子で口を開く。

「俺の場合見ようと思えばいつでもシャワー浴びてるところ突撃できるわけだしあわよくばそのままうっかり挿入して最後まで無料で済ませることも「お前はそんなに俺との間に塞がらない溝を作りたいのか」


 数分後。
 作業を終えた岡部から五条のセミヌード写真(ポスターサイズ)計五十枚を受け取った俺はそれを束ね纏めていると、部屋の扉が開いた。
 言わずもがな、その場に現れたのは五条祭その人だ。

「副会長ー現生五十万ちゃんと用意しましたかー?」

 今朝の眼鏡とは違うタイプのお洒落眼鏡をかけた五条は能天気な声を上げながら室内に足を踏み入れ、そこにいた俺たちを見るなり「って人多っ!」と声を上げた。
 開口一言金を要求してくる五条に今更呆れはしない。
 きっと五条もまさか自分の全裸写真がポスターサイズに印刷されているとは思ってもいないはずだろう。

「ああ、先ほどの五十万の件ですがやっぱり無しでお願いします」

 そんな五条に対し、そう柔らかく微笑む能義は「元さんが無償で売ってくれるそうなので」と静かに付け足した。
 いや誰もそんなこと一言も言っていない。ちゃっかりなにを言っているんだこいつは。
 そんないきなりの能義の言葉に「元さん?」と不思議そうな顔をして室内にある影に目を向ける。そして、目があった。

「って、うそっ尾張なんでお前ここに……!!」

 まるで幽霊かなにかでも見たかのようなリアクション。
「岩片がお前に用があるんだってよ、五条」そんな五条に対し、本当は今すぐ殴りかかりたいところだったがそれをぐっと堪え俺は表向きの用件を口にする。

 俺自身の目的は五条の写真を消すことだったが、あくまでも今現在俺は岩片の付き添いでやってきている。
 岩片たちの前で下手なことを言って先ほどの写真のことを掘り返されあまつさえ本物だったとバレるようなやり取りをするのは賢くない。
 そして、俺の言葉に対し「岩片?」と不思議そうな顔をした五条は傍にいた岩片を「って、ぎゃあっ!生王道君!」と奇声を上げた。

「なにもしかして俺脇役主人公ルート確定?親衛隊にフルボッコ?でもここ可愛いチワワいねえ!むさ苦しい野郎しかいねえ!クソッ!勿体ねえ!チワワにリンチされたかったのに!!」
「なに言ってんだこいつは」

 いつもに増してハイテンションな五条の独り言に対し流石の岩片も呆れたような顔をしている。
 そんな岩片に対し、能義と岡部は「気にしないでください、いつものことなんで」と声を合わせた。無駄に説得力がある。そして、こいつも無駄に順応性が高いようだ。

「んーまあいいや、俺のこと知ってんなら話は早いな」

そう言いながら五条に笑いかける岩片。

「五条祭ってお前のことだよな」
「え?なに?俺指名?まじで?尾張がやたら俺に対して酷いと思ったらなるほどな!!俺フラグか!あっはっは!やばいな!つーか腐男子×王道ってどうなの世間的に。寧ろ俺はオールオッケー!美少年とかまじ美味いし!サブから攻めポジション昇格とかうめえ!!総受けもいいけどやっぱ脱処女より奪処女童貞卒ぎょ「いいから人の話を聞けよ」ぎゃべっ!……おわりひゃんひどひ……」

 あまりの話の進まなさに我慢できなくてそう怒鳴ったらビックリした五条は後頭部を壁にぶつける。これは俺が悪いのか。

「あれでも結構痛気持ち良いかも……癖になる……やだ……自分の無限大の可能性が怖い……」

 と思った矢先嬉しそうな顔をして喜んでいたので無視することにした。俺もお前が怖い。


「はしゃぎすぎてすよ、部長。岩片さんがドン引いているじゃないですか。あ、因みに私も引いていますが」

 そう笑顔で続ける能義を余所に、俺は「おい岩片、用があるんならさっさと済ませろよ」と岩片に耳打ちをする。するとなにか考えていた岩片は「おー」となんとも力が抜けるような返事を返してくれた。そして、そのまま分厚いレンズを五条に向ける。

「ってわけで、俺お前のことさあ興味あんだよな。良かったら仲良くしてくんね?」
「セックスを前提によろしくお願いします!!」
「なにを言ってんだバカかお前は!」

 岩片の言葉に息を荒くし、そのまま差し出された岩片の手を握り締める五条。
 あまりにも無謀すぎる五条のアホさ加減に堪えれなくなってそう慌てて止めようとしたら「おっ尾張君、落ち着いて……!」と慌てた岡部に羽交い締めされる。
 どうやら俺の剣幕から五条を殴ると思ったようだ。勘違い甚だしい。
 そんな俺の心境を知ってか知らずか、五条の馬鹿発言に唇の両端を吊り上げなんとも嫌な笑みを浮かべた岩片は「へえ、なに?お前俺とヤりたいわけ?」と怪しく五条に笑いかける。
 まずい。変なスイッチが入った。別に五条のケツがどうなろうと知ったこっちゃないが岩片と五条が交わってる姿なんて想像したくないというか見たくない。

「……おい岩片」
「うっせーなハジメ、お前は黙ってろよ。俺が話してんだろ?」
「……っ」

 慌てて岩片を落ち着かせようとしたが、それを察した岩片に先に釘を刺されてしまう。
 命令され、なにも言えなくなった俺は小さく口の中で舌打ちをした。
 そして、五条に向き合った岩片はにやにやと相変わらず気持ちの悪い笑みを浮かべる。

「祭だったな、まー悪くねえな!仕方ない、そんなに俺とヤりたいんなら「無邪気KY受けと思ったら確信犯小悪魔誘い受け!!気に入った美形の前だけ変装を解いて誘惑する糞ビッチ王道君まじ萌えんだけど!!これはイケる!!」誰が糞ビッチだ!犯すぞコラッ!」

 と思った矢先。見事岩片の台詞を塞いだ五条は岩片の逆鱗に触れてしまったようだ。
「?!」いつもの調子で話していたと思ったらいきなり五条の顔面を思いっきり拳をめり込ませる岩片に俺は目を丸くする。
「スペア二本目いったあああ!!」という悲痛な悲鳴を上げ吹っ飛ぶ五条。
 岩片がキレた……!
 今まで一度も岩片が人を殴るところを見たことがなかっただけに一瞬なにが起こったかわからなくて、どうやら驚いているのは俺だけではないようだ。

「岩片君も落ち着いて……!」

 俺から離れ、慌てて岩片を宥める岡部。いつもながら損な役回りである。
 そして、そのまま五条に目を向けた岡部はバランスを崩し床の上に座り込んでいた五条に「大丈夫ですか?」と声をかける。

「でも、五条先輩も悪いですよ。岩片君はその王道君だかなんだかとは違います。二次元と三次元を混同させるのはやめてくださいっていつも生徒会の皆様に怒られてるじゃないですか!」
「あーいたたた……なんだ、なんかちまいのがいると思ったら平凡か」

 鼻血を拭いながらのろのろと立ち上がる五条にちまい言われたのが癪に障ったようだ。岡部は「岡部ですっ」と言い返す。

「なんだよお前だってコスプレ好きだろうがイベント入り浸るくらい」
「ですからそれとこれとは違うといってるじゃないですか!そもそもただ似ているという一般人となりきろうとしているレイヤーを一つに纏める時点でそれは双方を馬鹿にしているということになりますよ。失礼じゃないですか!いくら身近にコスプレ以外で漫画やアニメのキャラクターに似ている人がいてもせめてこっそり写真撮ってこっそり後付けて住所調べるくらいで我慢してください!接触でもしたら変質者と勘違いされて通報からの即補導ですよ!」

 寧ろそれは変質者より質の悪いなにかだと思う。
 目を血走らせ矢継ぎ早になにかを力説する岡部から若干心の距離を置かずにはいられない。
 そんな岡部のとんでもストーカー論に対し人の話を聞いていたのか聞いていないのかティッシュを鼻に詰める五条は納得したように「なるほどな!」と満面の笑みを浮かべた。
 なるほどじゃねえよ。

「っていうかさ、今までずっと気になってたんだけど岡部って結構ヲ……」
「とにかくっ、五条先輩、もう岩片君たちを怒らせるような真似はしないようお願いします」

 岡部の口から出てきたコスプレだとか二次元だとか聞き慣れない単語が気になり、そう思い切って尋ねようとしたところを慌てて話を仕切る岡部に遮られる。
 こいつ、なかなかやるな。

「ところでその眼鏡ってやっぱ変装なの?ちょっと外してみろよ、変装前と変装後の写真ネットで腐女子どもに売り付けたらどんくらいいくかな。いや変装前なら美少年マニアにも高く行くかもしんねーぴぎゃっ」

 そして、案の定岡部の話を聞いていない五条は岩片の瓶底眼鏡外そうとして岩片から強烈なビンタを食らっていた。
「お願い!顔はやめて!せっかくの美形設定なのに!」だとか騒ぐ五条。
 もうどこから突っ込めばいいのか、五条が想像以上にはしゃいで鬱陶しいので俺は能義に頼んで五条を拘束してもらうことにした。

 そして数分後。
 どこから取り出したのか縄を取り出した能義は五条を椅子に縛り付け部屋の隅に放置する。

「ぁん……縄でちんこ擦れて気持ちいい……ああっ尾張のえっちな視線が俺の体を舐めるように隅から隅まで……ああっ!勃起ちんぽ気持ち良いいん!」
「能義、そいつの口も塞いどいて」
「了解しました」

 そしてまた数分後。
 ガムテープで口を塞ぎ強制的に五条を黙らせた俺たちは適当な椅子に腰を下ろし臨時プチ会議を始める。

「おい岩片、まじでこいつと仲良くすんのかよ」

 部屋の隅でもごもご言いながら椅子をガッタガッタ揺らす五条を一瞥し、俺はそう確認するように岩片に尋ねる。
 先ほどのことで、五条と岩片の相性が悪いことはよくわかった。
 というかあの楽天的な岩片がキレるというのもよっぽどだ。
 いつも殴られても殴り返さないから喧嘩苦手なのかと思っていたがもしかしたら思っているよりも弱くないのかもしれない。そう思ったが、ただ単に五条がひ弱なだけという可能性の方が大きいだろう。
 とにかく先ほどのインパクトが強過ぎて、今はそこまではないがやはりちょっと戸惑う。

「岩片君、友達は選んだ方がいいと思いますよ」

 そう尋ねる俺に対し、岡部はそう同調してくる。お前もな。
 そんな俺たちの言葉に、岩片は深く息を吐くように「まあな」と口を開いた。

「確かに俺に対しての礼儀を弁えてないやつだけど情報収集が得意なやつが身近にいた方がいいだろ」
「だからってあいつに拘らなくてもいいだろ、ほら、五十嵐も結構集めてたじゃねえか」
「五十嵐の情報源がこいつなんだよ」

『こいつ』と言うところで岩片はまだガッタガッタやっている五条に目を向ける。
「まじで?」それは初めて聞いた。というか五条と五十嵐ってすごい相性悪そうなんだが。

「おや、よくご存知で。部長は盗聴盗撮の常習犯ですからね、それらを商売道具として使っているんですよ」

 そんな俺たちの会話に聞き耳を立てていた能義はそう笑いながら口を挟んでくる。
 盗撮はわかったが、盗聴もか。犯罪すれすれじゃねーかと呆れたが、どうやら能義もそれは同じのようだ。

「私たちも彼の悪癖に困ってるんですが、利用者が多い分潰すにも潰せず。なるべく他の連中に使わせないようしていたのです」

 ふうと小さく溜め息を吐いた能義だったが、すぐに笑みを浮かべる。
「しかし、今回のようなデマが他にもあるとしたらわざわざ潰さなくても勝手に自滅しそうですね」なんだか思ったよりも大変そうだ。
 そう笑顔で続ける能義に、俺は驚いたように目を丸くして五条を見る。

「情報収集って金になるんだな」
「ハジメには無理だろ。お前ピュアだからなんでも信じるし」

 ぼやく俺に対し、岩片はそう相変わらずの調子で続ける。
 ピュアってなんだよ。喜べばいいのかこれは。

「まあ、取り敢えずやっぱここはあれだな」

 そして、すっかり調子を取り戻した岩片はそう口を開く。
 わざとらしく焦らすような言葉を口にする岩片に、お望み通り俺は「あれ?」と尋ねてやることにした。
 すると、岩片はよくぞ聞いてくれましたとでも言うかのように得意気な笑みを浮かべる。

「調教師の腕次第ってことだよ」

 そうにやりと唇の両端を持ち上げ嫌な笑みを浮かべた岩片はそう続けた。
「……調教師?」普段普通に過ごしていたら聞かないであろうその単語に俺は眉を潜める。
 ただわかることは一つ。絶対ろくなことじゃない。

 home 
bookmark
←back