馬鹿ばっか


 06

「おい」

 話が終わり、さっさと校舎へ向かう岩片の後を追って渡り廊下へ向かおうとしたときだ。
 ふと、背後の五十嵐に呼び止められる。

「なんだよ」
「お前、あいつとどういう関係だ」

 ここに来て何度目の質問だろうか。
 五十嵐から問い掛けられ、そんなに俺たちの関係が不思議なのだろうかと今さら気になり出す自分がちょっと可笑しくて俺は笑う。

「ただの腐れ縁だよ」

 そして、決まったように答えるこのやり取りも何度目だろうか。
 なんて思いながらそう簡潔に答えた俺は「それじゃ、またな」とだけ呟き、先に行った岩片の後を追い掛ける。通路を出るまで、背中に突き刺さった五十嵐の視線が痛かった。

 五十嵐と別れ、俺と岩片はギリギリの時間で教室入りする。
 丁度席に座る前にチャイムが鳴っていたが、担任の宮藤は咎めるどころか「ちゃんと朝起きるとか偉いな」と喜んでいた。生徒が生徒なら教師も教師だなと思ったが、この扱いは嬉しいのでまあいい。
 転校して二日目。昨日のような野次馬はなくなったが、その代わり教室の外には別のものがいた。

「ハジメくーん、ハジメくーん」

 半分以上の机が空席になった教室にて。
 隣の席で岩片と岡部がゲームで遊んでいるのを横目に黒板前の宮藤の声を聞き流していると、ふと教室の外から間延びした声が聞こえてくる。
 因みに今休み時間でもなんでもない授業中だ。そしてもう夕方だ。

「ハジメ君ってばあ、無視しないでよー」

 確かに退屈な授業に飽きていたがこんな展開求めていない。
 あまりにも寂しそうなその声に恐る恐る声がする方に目を向ければ、開いた扉の影から生徒会会計・神楽麻都佳がちらちら覗いていた。というかはみ出ていた。
 堂々と話し掛けてくるなとか名前を呼ぶなとか今授業中だろとかなんで皆何事もないように授業に集中してるんだとか色々突っ込みたいことはあったが追い付かない。
 ちらりと岩片に目を向ければ偶然目が合った。
『どうしよう』と目で話しかける俺。『無視しろ』そう小さく岩片の唇が動く。どうやらこの前神楽にもじゃと言われたことを根に持ってるようだ。私怨かよと思いつつ、まあ妥当だなと自己完結させた俺は岩片の言い付け通りなにも聞こえないことにした。
 しかし、それがまずかったようだ。

「ハジメ君てばあ!無視しないでよお!」

 情けない声を上げながら教室に入ってくる神楽はそのまま俺の席までやってくる。
 うわーんと大袈裟に泣き真似をする神楽はしがみついてこようとしてきた。
 咄嗟に危険を察知した俺は椅子から立ち上がり神楽を避ける。
 そしてそのまま神楽の脛に椅子を蹴り当てれば、「ゔっ」と悲痛な声を漏らしながら神楽はそのまま踞いた。

「ひ……酷いよぉハジメ君、俺挨拶しただけなのにぃ」
「うわっ、わり。つい癖で」

 膝を抱えるように脛を押さえる神楽の元に慌てて俺は駆け寄る。
 昨日能義と五条のことがあったからかやはり防衛本能が強くなったようだ。
 ぐすぐすと泣き出す神楽に謝れば、隣の席でゲームをしていた岩片は「ぷっ」と小さく吹き出す。慌てて咳払いをし誤魔化す俺は神楽に「大丈夫か?」と声をかけた。

「無理ーもうだめだってぇ、絶対ヒビ入っちゃったよこれ足動かないよぉ」

 こんなモヤシみたいなやつでも生徒会に選ばれているのだから多少丈夫で出来ているのだろう。
 わざとらしく大根演技をする神楽になんか元気そうだなと思いながら俺は「頑張れ」とだけ答えた。
 そのまま何事もなかったかのように席に戻ろうとすれば、ガシッと足首を掴まれる。

「ねえハジメ君、責任取って保健室までおんぶしてよぉ」

 言いながらすがるように俺の足元抱き着いてくる神楽。
 確かに足を出したのは俺だが、それほど強くした覚えもない。
 どっからどうみても健康優良児な神楽に泣き付かれ、暴力を振った側の俺は断るに断りにくくなる。
 どさくさに紛れて尻を揉んでくる神楽の手を払いながら俺は助けを求めるように岩片に目を向けた。

「せんせー、神楽君が足骨折したらしいので保健室までおぶってほしいそうでーす」

 すると、なにを思ったのか岩片はそう黒板の前に立つ宮藤に発言する。
 それまで特に興味無さそうに授業を続けていた宮藤は「そーか、よし任せとけ」と言いながら持っていた持っていた参考書を閉じた。
 宮藤に教室から引っ張り出されそうになり、慌てた神楽は「や、もう大丈夫っ元気になったから!いらない!いらないって!」と声を上げながら俺を盾に逃げる。素晴らしい逃げ足の早さだった。

「……あのなあ、いくらお前が授業出なくてもいいけどな、授業妨害だけはすんなよ」

 そう溜め息混じりに続ける宮藤は言いながら壁にかかっていた電話型インターホンの受話器を手に取る。
 教師としてそのゆるい発言はどうなのかと思いつつ、腰にしがみついてくる神楽の腕を剥がす俺。
 どこかに内線電話を掛けているようだ。なにか受話器に向かってなにか話している宮藤に気になりつつも、尚もしがみついてくる神楽に「ほら大丈夫なんだろ」と言いながら強引に立たせようとしたときだ。

「失礼させていただこう!」

 仰々しいデカイ声と共に開きっぱなしの教室の扉から数人の生徒が入ってきた。
 きっかりと分けられた七三の黒い髪に細いフチの眼鏡。上まで全てボタンを掛け、キチンと着こなした制服。そして、その左肩には『風紀』と刺繍が入った腕章。
 一見インテリっぽそうなその眼鏡の生徒を筆頭にゾロゾロとやってくる数人の生徒。
 いずれも風紀の腕章をつけ、そして暑苦しいまでに制服をきっちりと着込んでいる。
 また変なやつが来た。
 いきなりやってきた集団に何事だと目を丸くする俺に「出た」と顔を青くする神楽。
 昨夜、能義と五十嵐から聞いた風紀委員の話をちらっと思い出した俺はただならぬ嫌な予感を感じた。

「おーご苦労さん。問題の生徒はそこに。授業妨害にサボり、後はそっちで調べてくれ」
「了解した。後は俺たちに任せて宮藤先生は授業の再開を」

 風紀のリーダー格らしきインテリ眼鏡の生徒に、宮藤は「ああ」と頷き持っていた受話器を置く。
 どうやら先程の内線電話の先は風紀委員だったようだ。
 ゾロゾロとやってきた風紀の連中は神楽を見付けると俺からむしるように乱暴に捕らえる。

「痛い、痛いってばあ!もう!離してよぉ!」

 駄々っ子のように手足をばたつかせる神楽に構わず風紀委員は数人がかりで教室の外まで引き摺り出す。凄まじい荒業だ。
 神楽に掴まれ乱れた制服を直しながら遠い目をして見送っていたとき、まだ周囲に残っていた風紀が自分を見ていることに気付く。
 そして、

「なにをしている。さっさと連れていけ」

 やってきたインテリ眼鏡は俺の腕を掴み上げ、そう吐き捨てるように続けた。

「……はい?」

 素で意味がわからなかった。
 まさかこのインテリ眼鏡は俺が神楽と一緒にはしゃいでいたと勘違いしているのだろうか。
 いや、まあ確かに騒いでいたかもしれないが、冗談だろ。
 呆れたようにインテリ眼鏡を見詰めていると、不意にくいくいと制服を引っ張られた。
 何事かと目を向ければ、ゲーム機片手にこちらを見上げてくる岩片が小さく口を動かす。
『こいつ、親衛隊候補。素直に言うこと聞いとけ』
 確かにそう岩片は言った。
 親衛隊候補だって?このインテリ風紀が?
 再びインテリ眼鏡に目を向けたとき、近くの席から「うわわっ」と間抜けな声が聞こえてくる。

「えっ?俺?俺もですか?」

 焦ったような特徴のない声。岡部だ。俺同様風紀委員に囲まれた岡部は顔を青くする。
 先ほどまで我関せずでずっとゲームをしていた岡部が何故目を付けられるのかがわからなかったが、よく考えなくてもそれが問題なのだろうか。

「なにボサッとしている。さっさと歩け!」
「いッ……てぇ」

 瞬間、インテリ眼鏡に背中を強く押される。
 いや、叩かれたと言った方が適切なのかもしれない。
 じんじんと痛む背中に気を取られていると今度は髪を掴まれ、インテリ眼鏡は俺を引き摺るようにして歩き出した。
 力が強い。少しでも歩くことを渋ったら髪を引きちぎられそうで、嫌々ながら俺はインテリ眼鏡についていく。
 神楽や岡部のように複数の風紀委員に連行されるよりかはましなのかもしれないが、一方的に嬲られていい気はしない。
 今すぐ振り払いたいところだが、岩片に忠告を受けた今素直に言うことを聞いていた方がいいのかもしれない。
 それにしても岩片といい五条といいこのインテリ眼鏡といい、俺は眼鏡運が壊滅的に悪いようだ。そんな下らないことを考えつつ、俺は引っ張られるがままインテリ眼鏡についていく。


 恐らく、このインテリ眼鏡が昨日岩片が言っていたもう一人の親衛隊候補なのだろう。

 風紀委員長、野辺鴻志。
 制服の乱れを一切許さない模範生徒。変なところで熱血で校則違反者には容赦がない。生徒会役員を筆頭に不良を嫌う、ある意味不良よりもタチが悪い男。そして、バカ。
 以上が、ここ短時間でこの親衛隊候補のインテリ眼鏡・もとい野辺鴻志についてわかった事柄だ。

 風紀室にて。
 解放されると同時に背中を蹴られ転倒させられそうになるが、なんとか手をつき醜態を晒すことにならずに済む。
 一足先に引き摺られてきた神楽は床の上で伸びていて、遅れて連行されてきた岡部は神楽同様壁際に踞ったまま動かない。死屍累々、なんて言葉が過る。
 数人の風紀委員が並ぶその室内、俺は目の前に立つ男に目を向けた。

「貴様、見慣れない顔だと思ったら噂の転入生か。ふん、通りでチャラチャラした身形をしているはずだ。頭が悪そうな髪の色だな。一人でちゃんと制服を着ることも出来ないのか」

 高圧的な口調に高飛車な台詞。
 テーブルに立て掛けられていた竹刀を片手にそう詰るように俺を見下ろす野辺鴻志はそう冷たく笑う。後方の二人が気絶しているのは紛れもなくこの竹刀のせいだ。
 膝をつき、正座させられる俺の顎の輪郭をなぞる竹刀。
 竹刀の先端の固いゴムの感触が触れ、なんとも言えない不快感が込み上げてくる。
 野辺がこの竹刀を大きく振りかぶればきっと俺の顎はどうにかなるだろう。しかし、野辺鴻志はそれをしない。

「なんだ貴様、その生意気そうな目は。なにか言いたいことがあるようだな」

 無いわけないだろ。大有りだ。そう怒鳴りたいところだがここは我慢。
 岩片が口説き落としやすくするため、俺はなるべく野辺の気を損ねないよう心掛ける。

「にやにやして、気味が悪いやつだ」

 悪かったな、生まれつきなんだよ。
 自慢の爽やかな笑顔をにやけ面と形容されるのはなかなか屈辱的だが、生憎これくらいで感情的になるほど熱い性格はしていない。
 これから、自分がなにされるかについては床で眠っている二人を見て大体理解していた。ぐりぐりと竹刀の先端で軽く頬を突かれ、そして野辺は竹刀を持ち直す。
 正直、悪趣味極まりない。こめかみに添えられた竹刀に俺は独特の緊張感に力んで、背筋が伸びるのがわかった。

 風紀委員長の趣味。それは不良を嬲ること。
 因みに不良の定義は染髪しているかどうかのようだ。岡部が連れられ、岩片が無事な理由からそれしか考えられない。
 なんて現実逃避しながら俺は竹刀を振りかぶり人の頭に向かってフルスイングしようとする野辺を横目に見た。
 視界に迫る竹刀に、『うわっやべこれ顔向けちゃダメじゃん』と無意識にとった自分の行動に内心冷や汗を滲ませる。
 思ったより、自分が竹刀でボコボコにされてる姿を思い浮かべるくらいの余裕はあった。
 あったからだろうか。
 俺の防衛本能が働き、気付いたら目先まで迫った竹刀に手を伸ばしていた。
 パシッと乾いた音が響くと同時に、手のひらに凄まじい重力がかかる。
 手首に違和感が走り、腕にかけて痺れるような鈍い痛みが走った。

「…………」
「…………」

 そして、沈黙。
 岩片からの命令を忘れ、保身に走った俺は自分が掴んでいる竹刀を見て凍り付いた。
 やっちゃった。
 同様、まさか受け止められるとは思っていなかったらしい野辺は俺を見下ろしたまま動かない。
 静まり返る風紀室内。
 この展開はまずい。恐ろしいくらい凍てつく空間に、そう悟った俺は機転を利かせることにした。

「じゃあ、テイク2ってことで……」

 瞬間、再び振りかぶった竹刀に思いっきり殴られた。
 人が慣れないボケやってんだから少しくらい相手してくれてもいいんではないだろうか。
 ここまでくると生徒会の(悪)ノリの良さが恋しくなってくる。あれもあれで嫌だが。

 頭部に二発、頬に一発。腹を蹴られて踞ったところに仰向けにされ、思いっきり踏みつけられる。ぐりぐりと上履きの裏で腹部を踏みにじられうっかり昼食が出てきそうになったが慌てて口と鼻を塞ぎギリギリスカ注意なことにならずに済んだ。
 優等生面してとんだバイオレンス男な野辺は咳き込む俺を見下ろし、手にした竹刀を下腹部に突き付ける。

「ふん、なかなかタフなやつだな」

 笑う野辺。演技かかったような尊大口調にニヒルな笑み。こいつ結構中二病入ってそうだななんて思いながらも、竹刀の先端で股間を軽くぐりっと弄られた俺は背筋が凍るのを感じた。
 これだ。神楽と岡部が失神した原因であり、一撃。
 先程まで顔面に食らっていたものをこれから一番デリケートかつ純真な部分を潰されると思えば自然と全身に冷や汗が滲んだ。

 風紀委員長、野辺鴻志。趣味は不良いびり。
 そしてその中でもお気に入りは玉潰し。
 ただの変態だ。

「どうした?先程までの余裕そうな笑みはどこへ行った。ああ、可哀想に。こんなに縮み上がってるじゃないか。なんだ、怖くて仕方ないのか?そんなに下半身が大切か。まあそれもそうだな、女子と交尾するしか楽しみがなさそうな猿の顔をしている。丁度いい機会だ、二度と射精出来ないようしてやる。どうだ、嬉しいだろう?もう煩悩に悩まされずに済むのだぞ!俺に感謝したまえ!」

 そして電波だった。

 口を開き大きな高笑いをする野辺に周りの風紀委員たちは何人か顔を逸らし肩を震わせる。
 なんとか無表情を保っているがどうやっても笑っているようにしか見えない。
 噴き出すのを堪えているせいか何人か不自然に頬が膨らんでいた。
 本来ならば一緒になって指さして笑いたいところだが、そんなアホみたいな当て付けで下半身の危機に晒されている俺からしてみればふざけんな笑うなこっちの身にもなれとしばき倒したいところだがそんな真似をしてみろ。岩片がぷりぷり怒るに決まっている。
 しかし、だからといって流石に玉を潰されるのはやばい。でも風紀委員には手を出すなと言われている。じゃあどうすればこの状況を回避出来るだろうか。
 答えはただ一つ。俺じゃない誰かが風紀委員に手を出せばいい。
 とは思ってみたが、今ここにいる部外者で意識があるのは俺だけだ。
 一番使えそうな神楽は真っ先に潰されていた。南無。
 アニメや漫画ならここでピンチヒッターが登場するはずなんだが、やはりそう上手くいかないのだろうか。
 逸そのこと、どう回避するかより被虐嗜好を身に付けた方がいいかもしれない。そう血迷った思考を働かせたときだった。

「……転入生、いいことを教えてやろう」

 狙いを定めた野辺はそう低く囁く。
 先程までのハイテンションはどこへいったのか、そう静かに口を開く野辺に俺はつられて固唾を飲んだ。

「俺は貴様のように充実した毎日を送り、世の中を楽しんでヘラヘラ笑っているような輩が大嫌いだ」

 僻みじゃねーか。
 そう突っ込みそうになるのと野辺が竹刀を振り上げるのはほぼ同時だった。
 そして、その瞬間風紀室の扉がガンッと大きな音を立てる。どうやら扉を蹴られたようだ。
 扉越しに『いって』と小さな声が聞こえたような気がしたが聞こえなかったことにする。
 そして、再度気を取り直して風紀室の扉が勢いよく開いた。

「おいコラてめーなにやってんだこの糞眼鏡ぇえ!」

 凄まじい巻き舌の怒声とともに現れたピンチヒッター。
 俺は声のする方を見ようとして、それよりも先に振り下ろされた竹刀が下腹部を突く方が早かった。

「──〜〜〜〜ッ!!」

 最早声にならなかった。
 先端にかかる体重に目を剥いた俺の意識はそのままブラックアウトする。
 最後俺の視界に入ったのは、いつしか岩片と揉めていた会長様様と数人の生徒だった。

 home 
bookmark
←back