馬鹿ばっか


 07

「……ん、元くぅーん。起きてぇ、死んじゃダメだよぉ。元くんてばぁ」
「起きましたか?」
「はっあなた様はふくいんちょー!ダメですよぉ、患者の容態は悪化する一方ですー」
「それは本当ですか。困りましたね。こうなったら我が一族伝統の秘技を使うしかありませんか……神楽先生、“あれ”を」
「ま……まさかふくいんちょー、“あれ”を使うつもりですかっ」

 股間にきっつい一発食らって意識飛んで、それからどれくらい経つだろうか。
 全身の気だるさと下腹部の違和感に魘されていた俺は頭上から聞こえてくる騒がしい声にピクリと瞼を震わせる。
 そのままゆっくりと目を開けば、まず見慣れないヤニが染み込んだ天井が視界に入った。
 そして、

「……おお?おおお!ふくいんちょー!患者が生還しましたよぉ!」

 こちらを覗き込んでくる見慣れない黒髪の男のドアップが映る。
 そのでかい声にギョッと目を丸くした俺は、そのまま慌てて飛び起きた。
 拍子に目の前の黒髪の男とデコをぶつけてしまい、男は「あうっ」と情けない声を上げる。

「おや、もう起きてしまいましたか。丁度今から秘伝の注射を注入して差し上げましょうと思いましたのに」

 じんじんと痺れる額を押さえると、黒髪の男の隣に立つ見覚えのある美人さんはそう微笑みかけてくる。
 能義だ。なんでここに能義がいるのかわからなくて、寝起きで余計混乱してしまう俺はその下ネタに突っ込み損ねてしまう。

「でもよかったぁ〜、元くん起きないから心配しちゃったよぉ」

 能義の隣の軽そうな男はそうヘラヘラ笑いながら額を擦る。
 どっかで見覚えのあるアホそうな顔に間延びした声。

「えっと…………神楽?」

 見慣れない黒髪の男に、そう恐る恐る確認すれば黒髪もとい神楽麻都佳(ニュータイプ)は「そうだよぉ」と笑う。
 突然変異した神楽をまじまじと見詰めるがよく見ると変わったのは髪色だけだ。

「風紀のやつらにさあ、カラスプでぶしゅーってやられちゃったんだよねぇ。もーまじ意味わかんねえしさあ、しかも俺だけ!」

「こうなったら元くんも真っ黒黒にしてやるぅー」そう襲い掛かってくる神楽の顔を手で押さえながら、俺はゆっくりと上半身を起こす。どうやら神楽の黒髪の原因は染髪スプレーを使われたからのようだ。神楽だけっていうのが気になったが、俺にまでその被害がなかっただけましだろう。
 ふがふが言ってる神楽から視線を外し、俺は辺りを見渡した。見る限り、先程の仰々しい集団は見当たらない。ここが風紀室ではないことは一目瞭然だった。
 きちんと片付けられ、物が少ないがどこか堅い雰囲気のある風紀室とは対照的に散らかっててなんだかよくわからない雑貨や家具などの私物で埋まったその部屋は言うならばゴミ屋敷。
 ベタベタとポスターが貼られた壁には『生徒会最強』と下手くそな字で書きなぐられており、なんとか目が痛くなるような配色の家具で埋まったこの部屋が生徒会室的ななにかだということがわかる。
 天井からぶら下がる色つき電球といい、部屋に充満した香水やらアルコールやら煙草の煙やらイカやら食べ残しの生ゴミやらが混ざったような悪臭といい俄信じたくないが残念ながら生徒会室のようだ。
 もう一度言おう、このゴミ屋敷は生徒会室だ。

「……尾張君、目覚ましたんですか?」

 悪趣味な原色の革ソファーに寝かされていた俺はふと聞こえてきた弱々しい声のする方を見る。
 そこにはどっかで見覚えがあるけど名前が思い出せない、そんな印象の薄い顔をした青年がいた。
 あれ、まじで誰だ。照明のせいでまともに利かない視界のお陰もあってか名前が出てこない。

「えーっと……」
「……岡部です」
「ああ、そうだった。岡部だ」

「わりー名前覚えんの苦手でさ」そう影が薄い青年もとい岡部直人に笑い返せば、岡部は少し面白くなさそうな顔をして「気にしないでください」と答える。
 やはり、周りと比べて癖がないせいか結構扱いにくいキャラのように感じた。それもそれで悲しいが。

「俺、途中から記憶ねえからよくわかんねーんだけどさ、結局なにがあったわけ?」

 本格的に苦しそうにもがき始める神楽から手を離しながら、俺は現時点で生徒会室にいた三人に目を向ける。
 岡部と神楽の二人はともかく、能義に関してはなんでここにいるかわからない。
 いや、生徒会室に生徒会役員がいるのは当たり前か。

「では、元さんには私から説明させていただきましょう。風紀には会長を押し付……いえ、会長に任せて三人を回収させて頂きました。因みに私はただのサボりです」

 すごく分かりやすい説明だった。特に最後。
 いつもと変わらない調子で続ける能義は「お礼なら会長たちにお願いしますね」と微笑んだ。
 ……たち?
 能義の言葉に違和感を覚えた俺は、風紀室にやってきた生徒会長・政岡零児と一緒にいた生徒のことを思い出す。
 そう言えば、前に五十嵐から舎弟のことについてちらっと聞いたな。
 俺からしてみれば親衛隊と言った方がしっくりくるが、あれもきっと政岡の舎弟だか親衛隊だかなのだろう。お礼を言うにも、本人たちが見当たらない今どうしようもない。

「それで?政岡たちは?」
「さあ?その内戻ってくるんじゃないでしょうか」

 尋ねる俺に対し、能義はそう対して興味無さそうに続ける。
 そんなアバウトな。と、そこまで考えて俺は重大なことに気付いた。

「つか、今何時なわけ?」

 結構な時間眠っていたような気がする。
 未だふわふわした感覚の中、俺は恐る恐る能義に尋ねた。

「今は、六時ですね」

 しかし、それに答えたのは岡部だった。制服から携帯電話を取り出した岡部はそう答える。
 風紀室に連れていかれてから然程時間はかかっていないことを知った俺は安堵で全身から力が抜けるのを感じた。
 自分と岡部がこうして生徒会にいる今、岩片の見張り……いや、護衛がいないことになる。
 一時安堵したがなにを仕出かすかわからないあのもじゃが野放しになった今、この一分一秒すら無駄にできない。

「あー……んじゃ、俺はそろそろ戻るわ。会長たちには後でお礼言っとく。なんか面倒かけたみたいでわるかったな」

 そうもっともらしい言葉を並べながら俺はソファーから立ち上がる。その拍子に足元に落ちていた書類に気付かずそのまま踏んづけてしまった。慌てて足を退ければ、至るところに靴跡にまみれた書類が落ちている。俺は見なかったことにする。

「えぇ〜元くんもう帰っちゃうのぉー、もっとゆっくりしていこうよう」
「会長が帰ってくるまで然程掛からないと思いますが、待てませんか?」

 どさくさに紛れて抱き着いてくる神楽を剥がしながら、俺は「うーん」と苦笑を浮かべた。
 自分が狙われていることを知った上でこのまま生徒会室に残るのは得策ではない。
 岡部がいるだけまだましなのだろうが、政岡まで戻ってきたときのことを考えるとやはりここに長居する気にはならなかった。
 それに、こうしてなにもなかったように話しているが極力能義に近付きたくないのが本音だ。
 まあだらだら言っても一番の理由は岩片から目を離したくないからだけど。

「やっぱいいわ。ほら、岩片が待ってるだろうし」

 と、言ってから俺は自分の失言に気付く。
 いつもと変わらない笑みを浮かべる能義に岩片の名前に僅かに反応する岡部。
 そして、鬱陶しいくらい俺にまとわりついていた神楽はピタリと動きを止めた。
 微妙な空気に気付いた俺は、このタイミングで岩片の名前を出したことを後悔せずにいられなかった。

「……そうですか、それは仕方ありませんね」

 気まずい空気の中、最初に口を開いたのは能義だった。
 前回のしつこさに、てっきり今回もごねられるかと思っていただけにあっさりと身を引く能義に驚く。
 まあ、俺からしてみれば思いがけぬ幸運だったが、その反面なにか企んでるんじゃないだろうなと勘繰らずにはいられない。

「既に授業も終わってますし、このまま寮に帰ったらどうでしょうか」

 提案してくる能義に無言で頷き返す。
 どちらにせよ岩片の現在地を確認しなければ動くに動けない。

「場所はわかりますか?」
「なんとか」
「なんなら送りますよ」
「一人で大丈夫だから」

 どうしてもついてきたいのか、声を掛けてくる能義に俺はそう言い返す。
 無意識に語尾が強くなり、少しだけキツい言い方になってしまったが能義は「わかりました」と笑いながら頷いた。含みのあるその笑みに若干癪に障ったが、ここでムキになっても能義の思う壺だろう。俺はソファーから立ち上がる。

「岡部、お前も帰るか?」

 衛生的な意味で空気の悪い生徒会室内。
 立っていた岡部に声をかければ少しだけ緊張したような顔をしたが、先ほど岩片に会うといった俺の言葉を思い出したのだろう。控え目に、こくりと頷いて見せた。

「じゃあ、俺らも戻るから。色々面倒かけて悪かったな」

 生徒会連中の気まぐれのお陰で厄介事に巻き込まれたのも事実だが、助けられたとも事実だ。
 一歩遅かったけど。
 そうお礼を言い、俺は岡部とともに生徒会室を後にする。てっきり駄々を捏ねるかと思っていた神楽は最後までなにも言ってこなかった。

 生徒会室を出て、まず俺は岩片と連絡を取った。つくづく携帯電話は便利な機械だと思う。岡部と一緒にいることだけを伝え、岩片から現在地を聞いた。岩片は学生寮に戻っているようだ。一人で帰れたのか心配だったが、どうやら五十嵐も一緒らしい。
 詳しくは会ってからということで、俺たちも学生寮へ向かうことにした。
 岩片と五十嵐が一緒だということは恐らくアレだろう。岩片が五十嵐に出した条件を思い出す。
 親衛隊候補リスト。五十嵐が岩片に会いに行くなんてそれしか思い付かない。
 まあ、早く戻るに限るな。五十嵐が岩片に力負けするようには見えないが、もしかしたらというのもある。それに、俺自身さっさと部屋に戻って休憩したい気持ちがあった。

 岡部という客人を引き連れ、俺は岩片と五十嵐がいるであろう学生寮の自室まで戻ってくる。
 生徒会室を出て校舎から学生寮に映るまでが大変だったが、在校生である岡部がいたお陰で途中道に迷いながらも帰ってくることができた。

 学生寮、自室前廊下。
 扉に取り付けられたドアノブを捻れば、鍵がかかっていた。
 なんとなく嫌な予感がして、制服をまさぐり取り出したカードキーを使って扉を開く。
 そこには、岩片が一人ソファーで名簿のようなものに目を通していた。
 そして顔を上げ、部屋に上がってくる俺たちを見た岩片は「ん、おかえり」と口元を緩める。

「一人か?」
「まあな」

 どうやら既に五十嵐は戻ったようだ。
 まさか岩片が失礼な真似をして怒らせたんじゃないのだろうかと思考を働かせてみるが答えは出ない。
 それに、岡部の前だ。いくら岩片が親衛隊と認定しようと、現時点ではあまりこちらのことをベラベラ話さない方が得策だろう。

「おっ直人、ようこそ俺のマイルームへ」
「……あ、おじゃまします」

 どこか恐縮する岡部に対し「どーぞどーぞ!」とテンションをあげる岩片は言いながら岡部をソファーまで誘導する。
 そんな二人を横目に、気が利く俺は飲み物を用意してやることにした。

「さっきは大変だったなー。大丈夫だった?」

 言いながら、向かい合うようにソファーに腰を下ろす岩片。
 恐らく風紀室に連行されたことを言っているのだろう。ああ、思い出しただけで下半身が痛み出してきた。

「俺は……まあ。ああいうことは特に珍しいことでもないんで」
「まじで?しょっちゅう教室まで入ってくんの?」
「風紀委員長の野辺君は教師からの信頼も厚いからよくああやって生徒指導のために呼び出されることも多いんですよ」

 信頼が厚いだって?あの変態眼鏡が?
 冷蔵庫を開き、中に入っていた炭酸ジュースの2リットルペットボトルを取り出しながら二人の会話に眉根を寄せる。
 色々無茶苦茶すぎるあの男が信頼されるような人間には思えなかったが、学園を牛耳る生徒会を含め不良を嫌悪している野辺のことを考えればもしかすれば不良連中を疎ましく思っている教師陣からしてみれば優等生なのかもしれない。
 髪だけで不良のレッテルを貼られた俺や岡部からしてみれば迷惑この上ないが。
 三人分のグラスにジュースを注ぎ、俺はそれを二人がいるテーブルまで運ぶ。
「どうぞ」と言いながらグラスを置けば岡部は申し訳なさそうにペコリと頭を下げ、ふんぞり反って背凭れに背中を預ける岩片は一瞥しただけでなにも言わずにグラスを受け取った。この態度の差といったら。岡部の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいところだ。

「教師に信頼って……風紀ってそんなに力あんの?」

 そう更に深く突っ込んでくる岩片に、岡部は「力というか……まあ、その……」と口ごもる。
 玉潰しという小賢しい技を趣味特技としている時点でハッキリとした野辺の実力はわからない。だからこそ岡部は答えられなかった。

「ハジメ、そういやお前も連れていかれたんだろ。どうだったんだよ」

 ここで俺に振るか。
 岡部に詰問しても仕方ないと悟ったのだろうが俺としては思い出したくない。が、そんな個人的な理由で口を紡ぐことはできない。

「……まあ、強いんじゃねえの」

 躊躇いなく男の急所を潰しにかかるぐらいは。
 ちょっとクールな感じに決めたのに決まらないのは悪趣味な野辺鴻志のせいに違いない。
 言ってから真剣に語っているじぶんが恥ずかしくなってくる。

「へぇ、そんなに強いんだ」

 俺の言葉に対し、岩片は意外そうに呟いた。
 もしかしてこいつ野辺のこと詳しく知らなくて親衛隊にするとか言ったんじゃないだろうな。
 まるで初耳とでも言うような岩片に『あいつはやめとけ!』と止めたいところだが、岡部の手前ぐっと堪える。

「ってことはなに?ハジメがそんな風に言うなんて喧嘩でもあったわけ?」

 本当にこいつはなにも知らないようだ。
 興味津々になって根掘り葉掘り聞き出してこようとする岩片に岡部は苦笑を浮かべる。

「喧嘩というより……指導ですね」

 岩片に尋ねられ、そう口を開く岡部に俺は慌てて「岡部、言わなくていい」と制する。
 ぶっちゃけた話金的喰らって気絶したなんて岩片に知られたくない。
 が、咄嗟にとった言動が裏目に出たようだ。

「なんだよ、指導って」

 瓶底眼鏡をキランと光らせた岩片はそうあくまで穏やかな笑みを浮かべ、向かい側に腰を掛ける岡部に迫る。野次馬根性にも程がある。
 生き生きし始めた岩片に迫られ動揺する岡部は俺の視線に気付いたようだ。
「ええと」と口ごもる岡部は冷や汗を滲ませた。

「……あまり、面白い話じゃないですよ」
「面白い面白くないとかの問題じゃないだろ。俺はなにがあったか知りたいんだよ」

 そしてとどめを刺すように真剣な顔をした岩片は「二人の友達として」と続ける。
 パーティーグッズのような瓶底眼鏡と前半のもろ本音発言に対し取って付けたようなくっさい台詞のお陰で色々台無しだ。
 取り繕うならもう少し丁寧に取り繕えよと内心突っ込みつつ、ちらりと岡部に目を向ける。岡部の様子が可笑しい。見掛けだけ真摯な岩片に見据えられ目を丸くした岡部の瞳が僅かに輝いていた。
 まさかこいつ、真に受けたんじゃないだろうなこんな言葉を。

「岩片君がそこまで言うなら……」

 やばい。結構まともなやつと思っていたがこいつもこいつで結構あれなのかもしれない。
 情に流されやすいのか、そんなことを言い出す岡部になんだか胃が痛み出してきた。

「おい、岡部。いちいちこいつの言うこと真に受けなくて……」
「ハジメ、おかわり」

 あまりにも単純な岡部に呆れたように笑いながらそう言いかけたとき、岩片がいつの間にかに空になったグラスをテーブルに置いた。

「俺、コーヒー飲みたいなあ。ブラックで」

 そう言う岩片は、言いながらソファーの側に立つ俺を見上げる。
 お前コーヒー飲めないだろ。そう言い返そうとして、遠回しに岩片が俺を追い出そうとしていることに気が付いた。

「岩片君、コーヒー飲むんですか?」
「俺んち、両親がコーヒー愛好家でさー小さい頃からミルクの代わりにコーヒー牛乳飲まされて育てられたからさ、六時間置きにカフェイン取んなきゃダメなんだよな」

 ここまでデタラメな嘘をつけるのもスゴいと思う。
 そして「へーそうなんですかー。俺、苦いの苦手なんですよね」と恥ずかしそうにはにかむ岡部の疑い無さもスゴいと思う。でも尊敬はしない。
 だろ?と得意気に答える岩片はそのままちらりとこちらを見た。
『さっさとしろ』そう岩片の唇が動く。
 もちろん俺も岩片もカフェインを飲まないこの部屋にコーヒーが置いてあるはずがなく、それをわかってていながらそんなことを言うのだろう。
 確か寮内に自販機があったはずだが、買うには一度部屋を出なければならない。恐らく岩片はそれを狙っているようだ。

「わかったよ。買ってくりゃいいんだろ、買ってくりゃあ」

 言いながら、眉間にシワを寄せた俺は岩片と岡部を背に部屋を出た。
「いってらっしゃーい」と語尾にハートが飛びそうなテンションで手を振ってくる岩片が恨めしくてしょうがない。だからと言って抵抗してはなにされるかわからない。
 渋々部屋を出た俺は小さく溜め息を吐く。
 岩片のやつ、相変わらずあざとい真似をしやがって。思いながら廊下に出た俺は、この階に付属したラウンジにあったはずの自販機を目指して部屋の前から離れた。

 ◆ ◆ ◆

 学生寮、ラウンジ。

 岡部が岩片に余計なこと言ってないか心配になった俺の足は自然と早くなり、いくらか道に迷ってからようやくラウンジまで辿り着く。
 クーラーがついてるからかラウンジには数人の生徒が溜まり場にしているようだったが、俺は躊躇わずそのままラウンジの扉を開いた。
 その際近くに溜まっていた生徒数名に見られたが、生徒たちはにやにやと笑うばかりで特に突っ掛かれることはなかった。
 岩片にパシられて気が立っていたいた俺はなんとなくイラつきつつ、構わずそのままラウンジの中に入る。

 クーラーがガンガンに効いたラウンジ内には結構な人数がいた。
 中央の大人数ようのテーブルに集まるように立つ数人の生徒。
 他にもラウンジ内にはいくつかのチームに別れてて、一番近くにいた生徒に睨まれた。
 が、特に絡まれることもない。
 薄暗いラウンジの中、自販機を見つけ出すことは然程難しくなかった。
 自販機前に座り込んでいる生徒がいたが、ソファーにふんぞり返る岩片に比べれば造作もない。
 気にせず自販機まで歩いていき、カードキーを取り出す。
 この自室の扉の開け閉めに使うこのカードキーには電子マネーやらなんやらが備えており、この学園での財布代わりになるらしい。詳しくは忘れた。
 取り敢えずそのカードキーを使ってブラックコーヒーを買う。
 これだけじゃどうせ岩片は飲めないだろう。
 そう考えた俺はついでにパック牛乳を買っていってやることにした。

 ガコンと音を立て落ちてくる飲料に、腰を屈めた俺はそのまま缶コーヒーとパック牛乳を取り出そうとする。
 そのときだ。仕舞いそびれたカードキーを手にしたままの腕を掴まれ、そのままカードキーを取り上げられる。
 正直、不覚だった。缶コーヒーとパック牛乳を手にした俺は片腕でそれを支え、振り向き様に相手の手首を掴む。
 そして、そこに立っていた人物に目を丸くした。

「元くんいたいよぉー……」

 薄暗いラウンジ内。
 背後に立っていた神楽麻都佳はそう情けない声をあげる。
 その手の中にはカードキーがあり、手首は俺に掴まれていた。

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