馬鹿ばっか


 21

 踏んだり蹴ったりとはまさにこのことだろう。割れるような頭の痛みに最悪のコンディション。

「っクソいてぇ……」

 数分気絶してただけだと思ったが、どうやら違うようだ。目を覚ませば見覚えのない場所に来ていた。
 ここは……どこだ。どこかの空き教室のようだが、机も椅子も片付けられており、俺はその中央の椅子に縛り付けられているようだ。身動きはおろか、少し動いただけでも胃の中のものまで締め付けられるような感覚が気持ち悪い。
 なんなのか、今日は厄日か?……いや、今更だ。
 とにかく、この縄をどうにかさえすれば逃げるのは容易そうだ。見張りすらいない静かな部屋の中、後ろ手に束ねられた腕を擦り合わせるようになんとか抜こうとしたときだった。教室の扉が開く。
 そこから現れたのは見覚えのある男だった。
 真っ直ぐに伸びた背筋、艷やかな黒髪、そして俺を見つけると嬉しそうに頬を緩めるこの男は――。

「ようやく目を覚まされましたか、尾張さん」
「能義、お前……」

 能義有人はまるでいつもと変わらない様子だった。それはもう腹立つくらい、まるで悪いことなどしていませんと澄ました顔をして俺の前に立つのだ。
 ムカついてムカついて、言葉にならなかった。睨めば、能義は「まあまあ」などと宥めてくるのだ。

「そう怒らないでください。私はただ尾張さんを連れてきてほしいとお願いしただけです。……こんな手荒な真似、おまけに貴方の体を傷物にするつもりはありませんでした」

 これほどまでに信用ならない言葉も珍しい。
 この男は目的のためならばなんでもすることを知ってる俺は今更コイツの言葉を信じるつもりは毛ほどなかった。
「ほら、見てくださいこの曇りなき眼を」と自分の目を指す能義。曇りしかねえよ。というか喧嘩売ってんのか。
 あまりにも悪びれない、寧ろ何が悪いんだというかのように開き直る能義に突っ込む気力すら沸かなかった。

「……あのな、やっていいことと悪いことがあんだろ。……――目的はなんだよ」

 あまりの馬鹿馬鹿しさに怒りを通り越して言い聞かせるような口調になってしまう。尋ねれば、能義は少しだけ不思議そうな顔をした。

「おや、おかしいですね。それはもうご存知のはずでは?あの空気よりも軽い口の男から色々聞いたんでしょう」

 五条の顔が浮かぶ。やはりと思ったがあの男能義に捕まったのか、つーかどこまで筒抜けなんだよ。無害そうな顔して有害でしかない目の前の男が余計不気味だった。
 そうなると、必然的にこの男の目的は絞られる。
 ――岩片か。

「恋に障害は付き物。あればあるほど燃え上がる二人の恋……というのはよくありますからね、岩片君にはこんなものを予め手渡しております」

『こんなもの』と言いながら制服から取り出したのは封筒のようだ。シワ一つないその真っ白な封筒の中から用紙を取り出した能義はその中身を見せてくれた。
 そこに書かれていたのは至ってシンプルでわかりやすいものだった。

「『尾張元は頂いた』……って、これ……」
「脅迫状です」
「きょ……っ脅迫状……?」

 内容はこの教室に誘き寄せるためのもののようだが、あまりにもベタ、というか岩片がこれを読んだところで『馬鹿馬鹿しい』と鼻で笑って捨てる未来が見える。
 けれど能義はそんな俺に気付くどころか自信たっぷりに微笑むのだ。

「ええ、これを岩片君のロッカーの中にそっと入れてます」

 その能義の言葉に俺は暫し思考を停止させた。
 そして、恐ろしいことに気付く。

「なあ……そもそもあいつ基本ロッカー使わないから気付かねえと思うんだけど」
「……………………」

 沈黙。なんだ、こいつまじでガバガバだな。なんでもやるわりに雑で強引すぎんだよ。なんで俺がちょっと哀れに思わなきゃなんねーんだよ。
 能義は深刻そうな顔をして「なるほど、通りでやけに未使用感あると思ったらそういうことでしたか」と一人納得している。せめて下調べくらいしてくれ。
 ……突っ込みきれねえ。

「こうなれば仕方ありませんね、あまりこの手は使いたくなかったのですが……岩片さんは私の後輩から直接……」

 呼び出させてきましょうか、とかなんか言おうとしたのだろう。能義が携帯端末を取り出したのと、教室の扉が吹っ飛んだのはほぼ同時だった。
 見張り番らしき大柄な生徒が床に倒れ込む。派手な音を立て倒れる扉。そして、元々扉がハマっていたそこから現れた影にぎょっとした。

「尾張!無事かッ?!」

 ……何度目のデジャヴだろうか。聞き覚えのある荒い声に、大柄な生徒に負けず劣らずの長身の男。前もだ、神楽のときも、風紀委員に捕まったときも、こいつは助けに来てくれた。
 なんでここに、という疑問よりもその声が聞こえてきた瞬間、心臓が反応する。「政岡」と、その名前を呼ぼうとしたときだった。携帯を手にしたまま能義は現れた政岡を見て目を細める。いつもニコニコしてる能義には珍しく引きつったものだった。

「……おや、まだ貴方の出る幕ではありませんよ、会長」
「尾張、その顔……ッ!!有人この野郎、よくも尾張に怪我を……ッ!!」

 能義の話聞いてねえし、つうかそっちはお前に殴られた方だ。というツッコミを入れるよりも先に殴りかかる政岡に能義はひょいとその殴りを避けてみせる。
 そして、政岡の射程距離から離れた能義は演技がかった仕草で肩を竦めてみせた。

「貴方は私の計画を丁寧に一個ずつ潰していく天才ですね。……余計な真似さえしなければ放っておいてやるつもりだったのですが、こうなったら仕方ないですね」

 そう、能義が指を鳴らした瞬間だった。残った教室の扉が一斉に開いた。そして現れたのは長身である政岡よりも更にデカくて屈強な生徒ばかりだ。お前ら本当に高校生か?と疑いたくなるほどの人相の悪い輩たちは各々獲物を手に教室へと入ってくるのだ。そして、連中を背に能義は笑った。

「これ以上私の計画を邪魔するのならば会長と言えど容赦するつもりはありません。……ですが、尾張さんを置いてここから出ていくのならば見逃してやっても」
「っしゃオラッ!!歯ァ食いしばれ!!」

 能義のセリフを遮るように政岡の側にいた野郎を思いっきり蹴り飛ばす政岡に、俺も、能義も、そして愉快な仲間たちもが凍り付いた。――ただ一人殴られたことを理解できないまま倒れる不良を除いて。

「会長、貴方……」
「うるせえ、前々からテメェのことが気に入らなかったんだよ!尾張には馴れ馴れしいしよぉ……いい機会だ、かかってこいよ、テメェのその不愉快なツラ俺が整形してやる!!」

 目算二十人以上はいるのではないかという連中を相手にこの煽り、正気の沙汰ではない。頭が痛くなる。馬鹿じゃないのか。相手武器持ちだぞ、リンチだリンチ。こんなの、逃げろよ。

 俺の意思なんて総無視で始まる乱闘騒ぎ。
 千切っては投げ、殴られ、殴り返す。広くはないこんな教室でそんなことやってみろ、敵も味方もわかったもんじゃない。それでも、喧騒の中、政岡に見つかるよりも先にドサクサに紛れて俺を別の場所へ移動させるつもりだったのだろう。一人の生徒が俺の拘束を解いたとき、その鼻っ柱に思いっきり肘打ちを食らわせる。

 何をやってんだ、本当。思いながら、捕まえようとしてくる連中の胸倉掴んで近くの不良連中に向かって投げ飛ばした。遠くでは政岡の咆哮が聞こえていた。
 そして、十分もせずに片は付いた。

 死屍累々、額やら鼻やらから血を垂れ流して呻く魍魎たちの山の上、連中から取り上げた木刀を手にした政岡の前、そこには同様バットを手にした能義が立っていた。
 二人共、無事ではなかった。特に政岡の方は頭から血が流れてる。けれどもそんなこと構うものかと睨み合う二人。そのとき、ほんの一瞬。確かに時間が停まった……そんな錯覚を覚えた。
 艷やかな髪を乱れさせた能義は、目の前の政岡に向かって薄く笑い――そして倒れた。

「っ、政岡……」

 ……こいつ、まじでやりやがった。
 乱暴に竹刀を投げ捨てた政岡は、そのまま俺の元へとやってくる。俺の前までやってきた政岡、その額からは血がだらだらと流れている。よく見ればボタンも引き千切られてるし、背中になんか刺さってる。

「お前、無茶苦茶過ぎだろ。……血も出てるし、刺さってるし」
「こんなの、全然痛くねえ」

「嘘だ」と擦り剥けた頬に触れれば、政岡は俺の手を握り締めた。触れただけで火傷しそうなほど熱く、硬い手のひら。

「……尾張に比べたら、全然痛くも痒くもねえよ」

 まるで、褒められるのを待つ犬みたいな顔でそんなことを言うのだ。
 ああ、と思った。全部を許したわけじゃない、今だって思い出したくないほどムカつくけれど、それでもこうして助けてくれた政岡を前にすると何も言葉が出なかった。ありがとうも、余計なことをするなとも、何も言えなくなる。俺は、ぐちゃぐちゃになっていた政岡の髪をそっと撫でた。くすぐったそうな目、それでも、政岡は俺の手を振り払うことなく受け入れるのだ。

「……お前って、本当に……」

 馬鹿みたいに真っ直ぐで、おまけに有り得ねえことも平気でするし、かと思えば変なところで気にするし、まじで理解できない。
 けど、そんな政岡だからこそ、なんだか今回も来てくれるのではないかと心の何処かで期待していた自分に気付いた瞬間、体の力が抜けそうになる。

「っ、お、わり?」
「……っ、……」
「お、おわ……尾張……?!」 

 ああ、くそ、なんだこの気持ち。ムカつくのに、腹立つのに、いつも通りの政岡を見るとそんな鬱憤もどっか行くくらいほっとしている自分に気付いてしまった瞬間、困惑する。政岡に刺さっていた小型のナイフを引き抜けば、やつは少しだけ息を漏らした。脳内麻薬で痛みが麻痺してるだけだ、感覚がないわけではない。そんなの、俺よりも喧嘩慣れしてそうなこいつの方が詳しいに決まってるのに、こんな無茶するのだから手のつけようがない。
 取り出したハンカチで政岡の額の血を拭えば、政岡は目を細めた。

「ぁ……」

「あんま、無茶なことすんじゃねえよ」ありがとう、という言葉は喉で突っかかって出てこなかった。それでも、政岡は気持ち良さそうに目を細め、「わかった」とだけ応えたのだ。

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