馬鹿ばっか


 20

 五十嵐の部屋に入る。
 神楽は間違いなく誤解するだろうし、俺が神楽の立場でも疑わしく思うだろう。それに相手は五十嵐だ、何考えてるのかよくわかんねー自己中野郎。
 だから、いつでも逃げるつもりでいたのに……やつの部屋に入った俺はそんな思考が全部吹き飛んだ。

「お……お前、ここで寝てるのか?」
「……それがなんだ?」
「どこで寝るんだよ……ってか、ベッドの上にモノを置くなよ……!」
「丁度いいだろ。……寝るのはあっち」
「そ、ソファー……」

 ゴミ屋敷とまではいかないが、ごちゃごちゃしてる。岩片も大概だが、五十嵐も五十嵐だ。バイクの雑誌やら漫画が乱雑に積まれたベッドの上、その代わりに寝床となってるというベッドにも上着がかかったままだし。
 あー勿体ねえシワになるだろこれ、と呆れながら何故か床に落ちてるハンガーにかけてやれば「おい」と五十嵐が面倒臭そうな顔をした。

「人の部屋のもん勝手に触んな」
「これいいコートだろ、勿体ねえ、もっと大切にしろよ」
「……はあ」

 溜息かよ、こいつ。

「お前、じっとできねえのか。ちょこまかしやがって」
「じっとって……この部屋のどこで寛げって言うんだよ」
「……床?」

 お前も疑問系じゃねえか。
 言いながら、五十嵐は無視してソファーに座り出す。おい、ブレザー尻に敷いてんぞ!おい!

「……信じらんねえ」
「助けてもらったやつに言うことか、それ」
「……う、それは……ありがとう。助かった……」
「あんな野郎くらいさっさと殴って逃げればいいだろ」
「……う」
「……その顔の怪我もアイツの仕業か?」
「……これは、違う。別件だ」

 仮にも自分の仲間に対しての言い草ではないが、そうか、五十嵐は別に仲間だと思ってるつもりはないのか……?神楽も五十嵐のこと嫌ってるようだし……。

「神楽が……」
「あ?」
「あいつが、その……この前のことを、岩片とか、政岡に言うぞって……」
「言わせりゃいいじゃねえか」

 即答だった。
 どれのことを指してるのかこいつもわかってるはずだ、一緒にいたのに、それでも尚平然とした顔でそんなことを言うのだ。

「言わせるって……」
「周りからどうせヤリまくってるって思われてんだろ、お前」
「……っな、そんなこと……」
「お前本人がいくら騒いでも無駄だってことだ。……神楽だって、今ここで俺とお前がヤッてんだろって思ってるだろうしな」

 諦めたような、投げやりな言葉だった。それでも興味なさそうに続ける五十嵐に俺は言葉に詰まる。
 同時に、まさに自分の思考を読まれたようで顔が焼けるように熱くなった。

「一々気にしてんじゃねえよ。俺が言いてえのは、無駄なこと考えんなってことだ」
「……五十嵐」
「投降するなよ」

 真っ直ぐにこちらを見据えるその目に、背筋がびりっと痺れるような感覚を覚えた。鋭い目が、俺を捉えて離さない。
 そして、俺は先程神楽に対して言ったお手付きという言葉を思い出す。

「五十嵐……お前、聞いたのか」
「……まさか本気で政岡を勝たせるつもりじゃないだろうな」

 違う、と言うべきなのか。一瞬言葉が詰まる。
 その反応に、五十嵐も勘付いたらしい。
「本気で言ってんのか」と、鋭くなるその目に俺は何も言い返せなかった。ソファーから立ち上がったやつが、俺の目の前までやってくる。咄嗟に後退ろうとして、なにかにぶつかった。テーブルだ。

「……っ、なんだよ、退けよ」
「アイツに情でも移ったのか」
「それは……違う」
「理由を言え」

 理由、と言われて思い出したくねーもんまで思い出してしまう。察しろよ、と思うのに、バカ見てーに真っ直ぐにこちらを見るこの男は俺の口から聞くまで離さないらしい。
 そんなに、俺がゲームに屈するのが気に入らないのか。

「……もう、どうでも良くなったから」

 それは、嘘ではなかった。
 岩片に棄てられて、自由だと放られた俺にとってやりたいことなどない。寧ろ、平穏に過ごしたいがそれはターゲットである身からしてみればゲームが続いてる限り終わらないわけで。
 ならば、俺がやることは一つ、さっさとこのくだらねえゲームを終わらせることだ。そのためなら別に誰でも良かった。たまたま、政岡が近かっただけであって、それ以上でもそれ以下の理由でもない。

「……なんだよ、怒ってんのか?」
「俺は、岩片凪沙と仲直りをしろと言ったがアイツを勝たせろとは言ったつもりはない」
「……そーだな」
「そうやっていつまで拗ねてるつもりだ」
「拗ねてなんかねえよ、子供か」
「拗ねてるだろ。お前、岩片凪沙のことが好きなんだろ。だから、いつまでも捨てられただとかでヤケになってんじゃねえか」

 一瞬、頭が真っ白になった。目の前の五十嵐を睨めば、あいつはいつもと変わらないキツイ目で俺を見てきて。
「違う」と言いたいのに、唇が震える。恥ずかしい、のか、わからない。けれど、五十嵐にそんなことを指摘され、怒りとかなんやらで頭がこんがらがって……何も言葉が出なかった。
 好きか嫌いかと言われれば――わからない。けど間違いなく普通に生きてたら関わりたくない人種だし、それは今でも思うが、けれどあいつの好き勝手して楽しそうに笑う姿は見ててスカッとしたし、そんなあいつに必要とされることは……悪い気はしなかった。
 けれど、それが好きかと言われれば違う気がする。
 それを、この男に決め付けられてみろ。五十嵐が俺に対してどんな目で見てたのか突き付けられたようで、恥ずかしくなった。
 こいつは、俺が岩片に対して邪な考えを持ってると思っていたのか、ずっと。

「っ、違う……」
「違わねえだろ。だから、アイツに抱かれて舞い上がってテンパったんだ」
「……ッ俺のこと、何も知らねえくせに……」
「知らなくても見りゃ分かる。お前、好きな野郎にレイプされたやつと同じ凹み方してんだよ」

「いい加減割り切れよ」と、五十嵐はトドメを刺してくる。こいつ、やっぱり嫌いだ。大嫌いだ。
 わかっていたはずだ、こういうやつだと。少しでもいいやつと思った俺が馬鹿だったのだ。
 痛いところに塩を塗り込まれて、涙すら出てこねえ。頭の片隅では理解していた、こいつの言葉がこんなにも頭にくるのは的確なところ突かれたからだって。

「っ、割り……切ってる……」
「嘘吐け」
「お前がわからず屋なだけだろ……っ!こんな風に煽られたら誰だってムカつくに決まってんだろ……!」

 多分、これは嘘だ。以前の俺なら一々こんな挑発気にも留めなかった。
 それなのにこんなに動揺させられてることが問題だとこの男は言ってるのだろう。
 そして、俺の反論に五十嵐は顔をしかめ、俺のネクタイを掴む。

「……なら、証明しろよ」

 ぐ、と引っ張られたと思った次の瞬間、唇に柔らかいものが触れた。

 この野郎。
 咄嗟にその唇に思いっきり歯を立てれば、口の中に血の味が広がる。僅かに五十嵐の顔がしかめられるが、ネクタイを掴むその手は離れるどころか胸倉ごと掴んできやがった。

「っ、ん、う゛……ッ」

 話も通じねえし馬鹿力だし、そんな相手にキスされてる状況がただ不快なはずなのにそれよりも力負けしてしまう自分が嫌だった。指先に思いっクソ力入れて引っかくが、びくともしねえ。それどころか、口の中を乱暴に荒らされればされるほど思考がぶれる。
 口の奥で窄まっていた舌の先っぽを粘膜でこすられ、堪らず指先にぎゅっと力が入ったとき、ずぽ、と音を立てて舌を引き抜かれた。
 口を閉じることを忘れ、暫く放心していた俺の耳たぶを摘み、唇を寄せる。

「……割り切ってるんだろ?」

 鼓膜に囁きかけられるような低音に背筋が震える。
 そして、すぐに理解した。この男は人を引っ掻き回して、弄んで、試しているのだと。
 そう思えば沸々と腹の底から怒りが込み上げてきて、動揺も全部一周回って冷静になる頭の中。
 俺は引き攣る顔面の筋肉を無理矢理動かして笑ってみせた。

「ああ、そうだな、全然大したことねえ」
「声が震えてるぞ」
「そりゃ気のせいだ。それか、テメェの願望だろ」

 動揺を悟られたら負けだ。それだけは我慢ならなかった。とにかく言われたい放題は耐えられなかった。言い返せば、やつは「へえ」と、その鋭い目をすっと細めるのだ。
 そしてごく自然な動作で再度、人の唇を塞ぐのだ。

「……っ」

 唇を舐められ、意識とは関係なく体が跳ねる。それを悟られるのが嫌だった。
 試されているのだと、弄ばれているのだと、そう思うと無性に腹が立った。
 どいつもこいつも、人の気なんて知らねえで。

「っ、ふ……っ」

 五十嵐の胸倉を思いっきり掴み、そのまま自分へと引き寄せる。やつのボタンが外れようがどうでもいい、強引に引き寄せ、唇に這わされる舌に俺は自分の舌を絡ませた。

「っ、は……ん……ッ」

 クソみたいに熱い。濡れた粘膜同士がぬるりと触れ合う感触が不愉快だったが、その感覚を殺し、更に俺はやつの胸倉を掴み、深く唇を重ねる。そして、俺は五十嵐から唇を離した。

「これで……満足したかよ」

 吐き気がするほどの血の味の中、ほんの一瞬、呆気に取られる五十嵐の顔が見れただけでもスカッとした。
「おい」と何か言いたそうな五十嵐だったが、これ以上付き合ってられない。

「……神楽から助けてくれた礼は言う。……ありがとな」

 五十嵐が何かを言う前に、俺は部屋から出ていくことにした。これ以上ここにいると今度は何されるかわかったものではない。今すぐにでも唇を拭ってやりたかったが、我慢した。
 やつに強がりだと思われたくなかったから。それだけだ。
 扉を閉める、やつが追いかけて来るよりも先にその場からさっさと立ち去りたかった。
 ……つくづく、面倒な場所に引っ越してしまった感は拭いきれない。

 幸い神楽は待ち伏せしている様子はなかったが、そのフロアを離れるまで俺はなんだか落ち着かない気持ちだった。
 ……飯を食いに行くだけでなんでこんな無駄な緊張感を味わわなければならないのか。解せない。

 ◆ ◆ ◆

 場所は代わってラウンジ。
 ベンチに座って売店で買ったジュースとパンを食って一息ついているときだった。
 後方から足音が複数。
 ちらりと目を向ければ、柄の悪いやつ男たちが複数。中には鉄バット持ってるやつもいる。

「お前、尾張元だな?」
「違いますけど」
「嘘吐くなコラァ!!!舐めてんのか!!こちらと調査済みなんだよ!!」

 ならなんで確認したんだよ。クソ、面倒臭いのに捕まった。丁度食い終わった空き袋をゴミ箱に投げ入れ、立ち上がれば連中は身構える。

「それで?なんの用っすか」
「……岩片渚沙はどこだ」
「…………なんで俺に?」
「しらばっくれんなよ、お前のことは調べたっつってんだろ!……お前、あのムカつく野郎の恋人なんだってなぁ?」
「………………………………は?」
「あの野郎がお前に熱烈な公開告白したのは知ってんだ!赤の他人なんてわけじゃねえんだろ?!」

 そーだそーだ!と野次。熱烈な告白、恐らくそれは俺はいないときに岩片がやりやがった政岡への宣戦布告のことだろう。何を言ったんだ、本当にあいつは。
 頭が痛む、そして、この目の前の奴らをどう対処するかにもだ。

「…………あー……あの、なんつーか……勘違いしてると思うんすけどそれ、あいつが勝手に言ってることなんで。それと、俺まじであいつどこいるかとか知らねえし」
「ふざけてんのか?部屋は急に空き部屋になってるしよぉ、お前もルームメイトなら何かしらねえとおかしいだろうが!!」

 そう、思いっきり先程まで座ってたベンチを蹴り飛ばしてくる不良。まあ、嘘だ。どこの部屋に行ったのか知ってる。あいつの身から出たサビだ、言ってやってもよかったが、なんとなく、まあ、目の前のこの男たちの態度がただ純粋に気に入らなかったのだ。俺は。

「テメェの男庇ってんのか?お熱いじゃねえの」
「あの薄汚え野郎にそこまで惚れ込んでるなんてな。あんなキモ男のどこが良いんだ?」
「余程セックスがよかったんだろ」
「サイテーだ、お前」

 人が黙って聞いてることをいいことにゲラゲラ笑い出す連中の笑い声が頭に響き、頭のどっかがブツって切れるのが分かった。

「あの汚えマリモはやだけど、まあお前くらい顔が良けりゃ抱けねえことも……」

 そう一人が歩み寄ってきて、伸びてきた手に顔を触られそうになった瞬間、体が勝手に動いていた。伸びてきた腕を思いっきり掴み、そのまま引き寄せて顔面に肘を叩き込む。何かが潰れるような音がした。

「っ、ぐ、ぎ、て、んめ……ッ!!」

 そのまま蹴り飛ばせば、殴った男は鼻血を吹き出しながら顔を抑える。一部始終を見ていた周りの連中はまさか俺が抵抗するとは思わなかったらしい。

「こいつ、やりやがった……」
「おい、ぶっ殺せ!!」

 何言ってんだよ、そっちからふっかけてきたんだろう。なんて俺の言葉を聞く耳持たなさそうな野蛮な連中だ。
 頭狙って振り被ってくるバットを屈んで避け、そのままその手を蹴り上げる。
 手から落ちるバット拾い上げ、殴りかかってきた不良2の顎をバットの持ち手で突き上げるようにぶん殴ればそのまま引っくり返って地面でのたうち回り始めた。

「こいつ……っ」
「先輩方、正当防衛って知ってます?」

 獲物を使うのは趣味ではないが、悪いのはこいつらだ。人が最低の気分のところ、唯一安らぐ飯の時間を狙ってきたのがだ。

「……こんなもん持って襲いかかってきたんだ、何されても文句言えないよな?」

 やりすぎると報復が面倒だとわかっていたが、多分、あらゆる理不尽に俺の理性を司る部分がガバガバになっていたのだろう。もうどうだってよかった。要するにヤケクソだ。岩片なんて、どうでもいい。ゲームだってもう勝手にしてくれ。俺を巻き込むな。ありったけの思いの丈を物理的にぶち撒け、気付けば立ってるのは俺だけしかいなくて。一人、地面を這い蹲っていたリーダー格らしき男の顎を爪先で蹴り上げ、顔を上げさせる。
 鼻血でべっとりと汚れたその顔は痛みで歪む。ひっ、と情けない声を漏らす不良に顔を寄せた。

「誰の差金だ?」
「ぁ……が……ッ」
「なあ、先輩。教えてくれたらこれ以上はなんもしねえから教えてくれよ」
「っ、う、……ぅう……」
「あ?なに?」

 舌でも噛んだのか、なんて言ってんのかわかんねえ。埒が開かないのでそいつの携帯を制服から取り出す。取り返そうとする男の顔をもう一回軽く蹴り飛ばしてやればどうやら最初ぶん殴ったところと同じ場所にヒットしたらしく、悶絶し始める不良。お気に入りの白いスニーカーが汚れてしまった。洗わねえとな、と思いながら携帯の着信履歴を調べる。そして、ビンゴ。よく知った名前がそこには記載されていた。

「……なるほどな」

 そこにあったのはあまり見たくない名前だった。
 能義有人。あいつ、岩片にコイツラをけしかけるつもりだったのか。
 それとも最初から狙いは俺か。……どちらにせよ、俺が返り討ちにするとは思わなかったのだろう。
 ……本当に、面倒だな。携帯を仕舞い、俺はまだ携帯を取り返そうとしがみついてくる不良を蹴り飛ばす。
 五条からあいつの目的は聞いていたが、正直、洒落にならない。
 とにかく、岩片に知らせなければ。そう、自分の携帯を取り出そうとして、引っ込めた。
 俺にそんなことをする義理はない。つーか、あいつなら一人でもなんとかなりそうだし。そうだ、知るもんか。たまには俺みたいに痛い目を見やがれ。そう思いながらその場を立ち去ろうとしたとき、背後で影が揺れた。
 風を切る音に反射で振り返ったときだった。
 すぐ目先に迫るバットの切っ先を避ける暇など、俺には残されていなかった。
『お前は爪が甘すぎるんだ』という岩片の笑い声が聞こえたような気がした。そして次の瞬間、凄まじい音が響いた。違う、その音は俺から聞こえてきて。
 ホームラン、なんて口の中で呟く。そしてブラックアウト。
 因果応報とはよく言ったものだ。

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