15
場所は変わって生徒会。
ノックの必要もないだろう、扉を開けば会長机に両足放り出して座る男がいた。その両脇には同じ顔の人間が二人並んでいて。ゆっくりと上げられるその面には、以前のような笑みはない。
「あっ、尾張元っ!お前、なんてタイミングで……」
「そうだぞ、今生憎会長は忙しくてだな……悪いけどまた時間を改めて……」
何を慌ててるのか、双子の会長補佐は俺を追い出そうとしてくるが、そんな二人の背後、ぬっと立ち上がった政岡はそのまま二人を押し退けるようにして俺の前までやってくるのだ。
こうして、まだ明るい時間帯、明るい場所で向き合ったのは酷く久しぶりのように感じた。
見下ろすその目は昨夜とはまるで違う。何も感じない、そうさせているのか、あのときの怒りも、動揺も全部押し殺したような無だ。
「か、会長、待って、ストップ!ストーップ!だめですよ、穏便に……!」
伸びてくる政岡の手。掴みかかられるのかと思った瞬間、慌てた結愛か乃愛、どちらかがそれを止めた。
恐らくこの双子の補佐たちも俺に掴みかかると思ったのだろう。――自分たちにしたみたいに。
政岡は止める二人に息を吐き、「お前らは外に出ろ」と声を掛ける。……普段と変わらない、優しい声。俺には聞かせないような、優しいそれに、二人も落ち着いたようだ。俺と政岡を交互に見上げ、それから、すごすごと生徒会室をあとにした。
俺と政岡、それ以外の人影はない。この男と二人きりになることにこんなに緊張するとは、自分でも思わなかった。
双子が出ていってから、やつに文句を言うタイミングを失った俺。そして、そんな俺が口を開くよりも先に、やつが言葉を発する方が先だった。
「――……お前から会いに来てくれるとは思わなかった」
第一声、そんなことをいけしゃあしゃあという政岡に頭に血が昇る。よくも、そんなことが言えたものだと。
お前が、それを言うかと。
「っ、よく言えるな……人に見張りまでつけておいて」
「……見張り?おい、なんのことだ」
「とぼけるなよ、五条に余計なことをやらせやがって。ずっと、見張ってたのか、俺を……っ!」
必死に落ち着かせていた怒りも、この男を見たら止まらなかった。あんだけ好き勝手した上に監視されるような真似をして、本当は最初からそのつもりだったのか。待ち伏せしてたのか。俺を。
「おい、落ち着けって」
「尾張」と、肩を掴まれ、真正面から目を覗き込まれると息が、詰まりそうになる。ベッドの上でみたときと同じ光景に、角度に、真剣な目に、何もかもが重なり、条件反射で全身の血液が沸き上がりそうになる。
「……何があったんだ、説明しろ」
なんで、こんなやつに宥められなければならないのか。なによりも、その言葉に、声に、あれほど波立っていた心が僅かに平静を取り戻す自分が嫌だった。
政岡に一連の事情を説明すれば、その表情が険しくなっていく。そして話し終えたとき、政岡はなにかを思いついたようだ。
「まだ五条と能義はお前の部屋に居るのか?」
「今は、わかんねえけど……」
「おい、結愛!乃愛!」
政岡が声を上げれば、バーンと扉が開き双子の補佐たちが「はーい!」と飛んでやってくる。
「今すぐ尾張の部屋に行って能義と五条いねえか探してくれ。部屋にいなかったら五条だけでいい、俺のところまで引っ張ってこい。尾張の部屋はわかるだろ?」
「僕たち会長に何回も行かされたからわかりまーす!」
「じゃあすぐに頼んだ。見つけ出したらお前らの好きなもの買ってきてやる!」
「やったー!会長大好き!」
「やっぱり僕らの会長サイコー!」
相変わらず現金な双子であるが、すっかり元気になった主に二人も安心したらしい。バタバタと騒がしい足音とともに生徒会室から飛び出す結愛と乃愛に、俺は呆気取られていた。
「……そんなことしなくても、お前が直接連絡したらいいんじゃないか?」
「知らねえ」
「……は?」
「あいつが俺とグルだとか言ってんだろ?言っとくが、俺は何もしてねえからな。……あいつは何か隠してるに違いねえ。直接吐かせりゃそれが早えだろ」
「……っ、う、そだろ」
「……今更お前に信じれなんて言わねえよ。けど、俺以外のやつがお前の周辺嗅ぎ回ってんの無視できねえだろ」
「……っ」
嘘吐け、それも演技なんだろ。なんて、言うのはタダだ。けれど、俺は知ってる。こいつが演技が下手くそで、平気な顔して嘘を吐けるほど器用なやつではないと。
会いたくなかったのに、自分から突っかかって、逆に嗜められて、俺が疑おうとしてるって心も読まれて、それでもやつはそれを受け入れる。
……なんだよ、こいつ。なんで、そんなに。
「……落ち着くまでここにいろ。ここなら、好き勝手入ってくるやつなんて早々いねえだろうし。俺は、外にいるから」
「……なんで」
「俺と二人きりは嫌だろ」
俺の返事を聞くよりも先に、政岡は「何かあったら呼んでくれ」とだけ言って生徒会室を出ていく。
一人取り残され、怒りをどこにぶつければいいのか分からないまま俺は暫くその場から動けなかった。
なんなんだ、なんで、お前が。なんでお前が俺より傷ついたみたいな顔をして、笑うんだよ。
掴みかかりたかったのに、体が動かなかった。あいつと同じ空間にいなくて済むならそれがいいってわかってるのに、それを自覚してる政岡が腹立たしかった。
それから、俺は生徒会室で結愛と乃愛が五条を連れ戻すのを待っていた。時計の針の音が響く。もうとっくに授業も始まってる。
本当に政岡じゃないとすれば、五条は誰を庇ってるんだ?そもそも、なんのために。心当たりは逆にありすぎるくらいなのだが、何故五条が政岡の名前を口に出すつもりなのかが気になった。
俺に悪印象を植え付けるために?そもそも、能義は五条が俺の部屋の天井裏にいることを知っていた?勘だとしても、眠っていたという五条が動き出したあのタイミングを早々狙えるものなのだろうか。
能義の顔が浮かぶ。あの食えない男は政岡と違い平然と嘘を吐く。さも五条を追いかけてきたような素振りで部屋に入ることもできるのではないか。そして、予め五条と打ち合わせしていた通りに人の部屋の天井ぶち破り、五条を捕まえる。……素振りを見せる。
なんて、考え過ぎだろうか。だとすれば、能義がどこまで知っているのかが気掛かりだった。
そもそもあの副会長様は言動全てが胡散臭くて仕方ないのだ。
俺と政岡を仲違いさせるためか?そう考えたが、あくまで憶測でしか過ぎない。
そう一人ぐるぐると思案していたときだった。
「会長ー!お待たせしましたー!」
「キモ豚眼鏡捕まえて来ましたよー!」
扉が開いて結愛と乃愛が戻ってきた。
そしてその二人の間には五条が白目剥いて気絶してる。
何があったんだ。なんて一目見りゃわかるが確認せずにはいられない、何があったんだ。
「あれ?会長は?」
「外で待ってるって言って出て行ったきりだけど……よく引っ張ってこれたな、逃げ足相当素早かった気すんだけど」
「こいつはねえ、適当な餌撒いてりゃすぐ飛んで来るんだよ。そこをズドン!としたらもー一発でしょ」
「逆にこいつほど捕まえやすいやつもいないよなー」
こいつ、と言いながらピカピカに磨かれた革靴の爪先で蹴られる五条は気絶しながら「ありがとうございます!」とうわ言のように呟いてる。なんだこいつ、怖。
「能義は……一緒じゃなかったのか?」
「副会長?ああ、僕たちが見たときはこいつ一人でウロウロしてるみたいだったけど」
「そうか」
疑心が確証となった瞬間だった。
能義が本当に五条を探していたというのならこんなに簡単に開放するだろうか。考える俺の横、双子は慣れた手付きでうんしょ、うんしょ、と五条を縛り上げてる。見事な亀甲縛り、プロか。あとそれ俺にまで視覚ダメージが来るんだが。
「会長居ないんだったらどうしよーこいつ」
「部屋の酸素も奪われちゃうしー、物置にでも転がしておく?」
「なあ、少しこいつと二人にさせてもらっていいか?」
「ええ?あんたと?まあ、会長には何も言われてないし別に僕たちは構わないけど」
「そーそー、もし怒られても駄目なことは駄目って言わなかった会長が悪いんだし?僕らはしーらないっ!」
「……悪いな」
「せっかく捕まえたんだから逃がすなよ!」
「ああ、肝に銘じておくな」
いい加減なのか、ゆるいのか、二人は「じゃ、会長によろしく」と声を揃えて生徒会室を後にする。
嵐のような二人だった。静まり返った生徒会室内、政岡がどこに行ってるのかというのも気になるが問題はこいつだ。俺は、目の前で白目いてうーんと唸る亀甲縛り男もとい五条の頬をぺちぺちと叩く。
「おい、五条、起きろ」
「おい」と少し強めに揺さぶれば、ふがっとだけ反応し、それからまたぱたりと横に倒れた。
……絶対にこいつ起きてるだろ、と思ったが、起きる気はないらしい。こうなったら、と扉の外に目を向ける。
「……あ!生徒会室の外で結愛と乃愛がイチャイチャしてる!」
「まじで?!どこどこどこどこ?!」
俺は無言で五条の頭を叩いた。
「あうっ!ごめんて!だって尾張絶対怒ってると思って!起きれるわけねーじゃん!」
「うるせえ!狸寝入りならもっと徹底的に狸寝入りしろ!!」
「あ!!怒るところそこなんだね?!!」
「それで、わかってるんだろ?俺が何を聞きたいのか」
「優しい尾張が余計怖いんだけど……?」
「いいからさっさと言え。お前、本当は誰に命令されてあんなところにいたんだ?」
「だから、それは会長様だってーー」
「能義だろ」
その名前を出した瞬間、先程までメソメソ泣き真似をしていた五条が動きを止めた。そして、
「……僕ニホンゴわかんない」
もう少しまともな誤魔化し方があるのではないかというほど分かりやすいこの男に怒りすら覚えなかった。
「能義と組んでたんだろ。別に怒らねえから言えよ」
「……本当に?」
「ああ、俺は能義と違って気は長いからな」
「嘘じゃん、絶対嘘じゃん!この子全然目笑ってないんだけど!あと俺の首徐々に締めていくんですけど!」
「いいからさっさと言えよ」
「ちょ、うそ、全然短気じゃん……?!わかった、わかったから取り敢えず床じゃなくて柔らかいところに寝かせて……?」
「お前が俺の質問に答えたらな」
「ぐぬぬ……っ!尾張が冷たい……!でもそういうところもやぶさかではない……!寧ろドライな尾張も気持ちいい……ッ!」
「……」
「わかった、わかったから!無言で俺の縄締め上げていくのやめて?!絵面的にモザイク必須になっちゃうからね?!」
こいつといると調子が狂う。悪意しかねえのになんでだろうか、敢えてそういう風に演じてるのならば最早才能だ。
「……それで?」
「取り敢えず、えーと……まあそうだな、この間お前を放ったらかしにして部屋空けたのはごめんな」
「別にそんなこと一言も言ってねえし別に露ほど気にしてないんだけどな」
「え?まじ?それで怒ってんじゃねえの?」
ええ?!嘘だろ?!って感じで驚愕する五条に、寧ろ何故俺がそんな理由で怒らなければならないのかと呆れる。
……確かに気にならなかったといえば嘘になるが、それを言ってしまえばこいつがまた調子に乗りそうなのでノーと首を横に振った。
「なんだよ……そうか、なーんか凹んじゃうなあ。尾張結構俺のこと好きなんだと思ったんだけど」
「そんなことはどうでも……」
「じゃあ、会長のことは?」
一瞬、息を飲んだ。レンズ越し、こちらを真っ直ぐに覗き込んでくる奴の目に、言葉に詰まる。
「っ、お前……」
「別に、俺は誰が誰を好きになっても全部美味しいからどうでもいいんだけどさ、それでもわりとお前のことはフツーに好きだからなるべく応援してやりたい気持ちはあるんだけどね」
「やっぱり、見……」
「それは、見てない。なんも見てねえし、副会長にも言ったとおり俺はなーんも知らねえよ」
「悪いな、期待に添えず」そう、笑う五条。
直感でわかった、こいつはやはり見ていたのだと。それでも、知らないふりをする。なんでだ、なんて、考えたくない。嘘吐けって思うのに、言葉が出ない。
散々人を掻き乱してきたくせに、ここで恩を売るつもりか?それともただの同情か?どちらにせよ、腹立つ。腹立つのに、何も言えなかった。
「……お前は最低だな」
「そこは、結愛ちゃん乃愛ちゃんっぽく最低キモオタクソ眼鏡豚野郎って言ってくれよ」
「なんで能義に言わなかった?」
「なんのこと?俺は副会長様に嘘も隠し事もしたことねーよ」
「大根役者が」と吐き捨てれば、五条は無言で笑う。目を伏せ、やれやれと言わんばかりの笑顔。
「なあ、尾張ちゃん、そろそろこれ外してくんない?……俺の間接死にそうかも」
「だめだ、お前逃げるだろ」
「泣きそうな可愛い子置いて俺が逃げると思うか?そんなやつ男じゃねーだろ」
「散々逃げてきたやつが言うと重みが違うな」
「やべ、すげー手厳しいな」
言いながら、当たり前のように立ち上がる五条にぎょっとする。パラパラと落ちる縄。そして、袖口に隠された小ぶりのカッターナイフの刃をしまい、五条は肩を回し、逃げるわけでもなく俺の隣に腰を下ろすのだ。
「能義有人の目的は政岡零児のオッズを下げ、尾張からの心象を最悪にすること。そして、最もオッズの高い人間を勝たせることによりその高オッズの賭け金を横から掻っ攫うことである」
一瞬、何を言ってるのかわからなかった。
固まる俺に、五条はぐぐ、と猫のように背伸びをしながら続けるのだ。
「実際問題、現状人気が集中してるのは会長様で、この間の録音のこともあって皆会長様が勝つと信じてんの。けど、その場合会長が勝ったところで配当金はたかが知れてる。だから副会長様はある人間にターゲットを絞ったんだよ、その人物を勝たせると」
「っ、……誰、だよ……そいつ」
「容姿ももっさりしてて得体の知れず不気味で非力でオタクっぽくて、生徒会役員のように特定の支持層もいない。それでいて、最も尾張と近い場所にいる人間。……まあ、一人しかいないわな」
「――……岩片」
五条ははいともいいえとも言わなかった。
けれど、そんなやつ俺の知ってる中では一人しかいない。
「副会長様は自分が勝とうだなんて頭っから思っていないんだよ。変な人だよな。好感度気にして行動制限するよりも、他人巻き込んで好感度を操作して、けれど欲しいものは確実に手に入れる」
ああ、確かにあいつらしいと思う。そして、五条はそれに協力していた。そんな五条が何故俺にそんなことを話すのか、それだけが理解できなくて。
「どうしてそんなこと言うんだ、って?」
「怒られるんじゃないのか、あいつに」
「まあな、副会長様は怖いし俺も金はほしいし、けどまあ……なんつーか、これは全部夢の話なんだけどな」
「夢?」
「あんなに馬鹿真っ直ぐで暑苦しいくらい好きだの愛だの言ってる人間見てたら、なんか馬鹿馬鹿しくなってきたんだよな」
「……っ」
「ああ、これは夢の話なんだけど」って繰り返す五条に、顔が熱くなる。こいつ、と睨むが、五条は「だから夢だって」と笑うばかりで。
「それに、賭け事なら結果がわかんねえ方が気持ちいいだろ?副会長様にはそれを知ってもらいてえなって思っただけだよ」
「……本当最低キモオタクソ眼鏡野郎だな」
「俺の性格知ってて俺を選んだ副会長が悪いんだよ」
ありがとうとも思わないし、ぶん殴ってやりたいという気持ちもあるが、それ以上に尤もらしいその言葉に思わず「それもそうだな」と言葉が漏れた。
理解したつもりで全然分かっていない、それは俺も能義も同じかもしれない。
「それで、結局尾張は会長様を選ぶのか?」
単刀直入。どうせ分かってて聞いてるのだと思うと腹立つ以外の何者でもないが、こいつに何を隠したところで筒抜けだと思うと誤魔化す気にもなれなかった。
「……そういう約束だからな」
「王道く……岩片は知らないんだよな」
「そもそも会ってねえし」
「岩片凪沙の居場所なら俺知ってるけど会いに行かないのか?」
「いい。……つか、別に会いたくねえし」
そう言えば、五条は「ふーーん」とこっちを見てくる。
あまりにも腹立つ顔だったので、「なんだよ」と見返せば、やつは「いんや、別に?」と肩を竦めた。
いつもなら聞いてもいないことをべらべら言ってくるくせに、なんだこの男は。
「……気持ち悪いから言いたいことあるなら言えよ」
「岩片なら岡部のところ泊まってたみたいだぞ」
「へ」
「……いや、顔に気になりますって思いっきり書いてあったから」
「……っ書いてねえし、気になってもねえから。……なんなんだよ」
「一応だって、一応。まだ見かけてねえし多分まだ寝てんじゃねーの?」
だからなんだよ、と言いかけて、やめた。こいつは俺の反応を楽しんでるのか知らねーけど、余計なお世話にも程がある。
つか、そもそも気になってねえし。
「あっそ」とだけ言い返したときだった、ガラッと勢いよく生徒会室の扉が開かれる。
そしてそこにいたのは、赤茶髪の男、もとい生徒会長様だ。
「五条ッ!!テメェ……!!」
ズカズカと部屋の中に入ってきた政岡零児は、ソファーで寛いでいた五条を見つけるなり血相を変えて迫ってくる。
そしてぶん殴られそうになる直前、五条はソファーの上から転げ落ちるようにそのパンチを回避した。惜しい。
「っぶねぇ……!!か、カイチョー様いきなりそれは……ぐぇっ!!」
「テメェ勝手に俺の名前出したらしいなぁ?テメェのせいでこちらと迷惑被ったんだぞ!!」
「ごごごごめんなさい〜〜!!悪気はなかったんです〜〜!!ほんのちょっと会長様と仲良くなりたかったというか……その、ゴニョゴニョ」
這いずって逃げようとするもののやはり政岡の方が優位のようだ、首根っこを掴み、思いっきり引き上げる政岡に五条は青い顔をしてぷるぷる震えてる。あと口でゴニョゴニョ言うのやめろ。
今にも殴りかかりそうな(というかもうすでに殴りかかってるが)政岡。ただでさえ疲れてるところを隣で乱闘など勘弁してほしい。渋々二人の仲裁に入ることにする。
「政岡、その件のことはもう大丈夫だ、五条から話は聞いた」
「尾張……っ、だけど……」
「別に、お前がムカつくんなら好きにしてもいいけど……俺は戻るからな」
そう、ソファーから立ち上がり、そのまま生徒会室を出ようとすれば「あ、おい!尾張!」と慌てた政岡の声が聞こえてくる。
「待って、好きにってまさかエロ同人みたいな真似するんじゃないですよね?!」
「テメェみてえなやつ相手に誰がするかッ!!!」
……仲いいのか悪いのか、廊下の外まで聞こえてくる二人の言い争いを背に歩いていると、いきなり背後からドタドタと足音が聞こえてきた。
そして。
「っ、尾張……!」
咄嗟に肩を掴まれ、全身が硬直する。
振り返れば、そこには息を切らした政岡がきた。
そんなに全力疾走しなくてもいい距離なのに、やけに真剣な顔をしてこちらを見るあいつに俺は、咄嗟に言葉が出なかった。
固まる俺に、自分の行動に気づいたらしい。「悪い」とあいつは情けない顔をして俺から手を離す。どうやら、俺が触れられたから驚いたと思われてるらしい。それが癪で、俺は、敢えて何も応えなかった。というよりもだ。
「……おい、五条は……」
「あいつは……結愛と乃愛を呼び戻して見張っとくように言い付けてるから大丈夫だろう」
「大丈夫って……」
だったらなんでついてくるんだ。
「……今から、どこに行くんだ?」
「別に、どこだっていいだろ」
「……尾張」
「いちいち付き纏われなくても、お前との約束は守るよ。……どうやったってアンタには力で勝てそうにないしな、また同じようなことされちゃ堪ったもんじゃねえ」
口にして余計なこと言ってしまったなと思った。
忘れたいのに自分からほじくり返してはコイツが罪悪感のつもりなのか渋い顔をするのを見て余計不快になって、不毛だと思ってても皮肉や嫌味の一つくらい言ってやらなきゃ気が済まなくて。
政岡は、やっぱり怒らなかった。ただ、俺に視線を向けるのだ。まだ日の明るい時間帯、正面に立つやつを観るとどうしても不整脈が起きるらしい。
「……お前の身になにかあったら困るんだよ。だから、嫌だろうが付き合わせてくれ」
「なるべく視界に入らないようにするから」なんて、申し訳なさそうにこの男はぬけぬけとそんなことを言ってみせるのだ。正直、頭にきた。当たり前だ。俺からしてみればお前といる方が危険だ。言ってやりたかったが、あまりにも馬鹿真面目な顔をして言われたらなんだかもう言い返す気にもなれなかった。
「……勝手にしろ」
どうせ、俺が嫌だと言ってもついてくるつもりのくせに。
政岡は一瞬驚いたような顔をして、「ああ」と返事した。俺は、そのときにはもうやつの顔を見る気にもなれず歩き出していたのでどんな顔をしてたのかなんて知らないが、その声からして嬉しそうなやつの顔が浮かんだ。
←back