馬鹿ばっか


 06

 岩片と仲直りしろって……おかしいだろ、仲直りもなにもただの喧嘩とはわけが違うのだから。
 一人でいたらずーっと五十嵐から言われた言葉が頭の中がぐるぐると巡ってはムカついて仕方がない。
 だからといって眠る気にも慣れなくて、俺は結局登校することになった。
 ……気分転換に登校ってのも変な話だが、岩片の言われた通り大人しくしてるのが癪だったっていうものある。

 教室は相変わらず閑散としていた。
 丁度英語の授業の真っ最中だったらしい、教壇の上に立っていた宮藤は入ってくる俺の姿を見るなり驚いたような顔をする。

「……おお?尾張、お前具合はもう大丈夫なのか?」
「ああ、ずっと寝てても身体鈍りそうだったから」

 来ちゃった、と言いながら岩片の席を確認する。
 いつもあいつが座ってる後ろの席には誰もいない。その代わり、隣の席の岡部が俺の姿を見て目を丸くしていた。
 ……いや、岡部だけではない。周りの生徒たちもなんだか変なものを見るような目で俺を見てる。あんま嬉しくない注目の仕方だな、とは思ったが俺にはその原因がなんとなくわかってしまうから嫌だった。

「お前なぁ……念の為休んでおくものだぞ、こういうのは。多少治りかけでもな」
「大丈夫って。具合悪くなったらすぐ帰るんで」

 言いながら自分の席へと向かう。宮藤は「知らんぞ」と諦めたように笑い、そして何事もなかったかのように授業を再開させた。
 席に座ると、岡部が心配そうに声を席を近付けてくる。

「尾張君、本当に大丈夫なんですか?岩片君から相当熱が酷いって聞いたんですけど……」
「あいつは大袈裟すぎるんだよな、本当。……そんなに具合悪けりゃ大人しくしてるよ、俺も」
「ならいいんですが……」
「それより岡部。……岩片はいないのか?」

 あいつのことを気にするような真似をしたくないが、無視するわけにもいかないのが現状だ。
 それに、あいつが勝手な真似してまたこっちにまで迷惑被られては堪ったもんじゃない。
 あくまでなんでもないように聞いてみれば、岡部は何か思い出したようにハッとする。

「あ、そ、そうでした。今朝生徒会長と岩片君が揉めたのは知ってますか?」
「あぁ、風の噂でちらっとな」
「知ってたんですね。……その、岩片君が宣戦布告したって」
「宣戦布告っていうか、あいつの場合は病気みたいなもんだからな」

 笑って誤魔化そうとするが、顔が引き攣る。
 あいつの宣戦布告ってのはあれだろう、俺のことは自分が落とすだのなんだのこっ恥ずかしいことを言ったんだろう。ホントその場にいなくて良かったと思うが、向けられる周りの目がそのせいだと思うとどうしようもなく居た堪れなくなった。

「それで、岩片がどうしたんだよ」
「その……なんていったらいいのか……」
「また何かあったのか?」
「岩片、その後どこかへ行っちゃったんですよね」
「どこかにって……」
「連れ去られたわけではないと思うんですけど、今の今まで戻ってこないのでずっと気になってたんです。……けど岩片君がどこに行ったなんて僕には見当付きませんし……」
「別にそんな心配しなくてもほっときゃその内フラッと戻ってくるだろ」

 寧ろ俺からしてみればあいつは常に好き勝手行動している。少し目を離したらいなくなることなんかよくあることだ。そんで人が探しまくってたら何食わぬ顔して戻ってくるんだ、「ハジメ、なんでちゃんとついてこないんだよ」とか勝手なこと言って。

「尾張君……やっぱり岩片君と何かあったんですか?」
「……………………」

 ……俺ってそんなにわかりやすいのか?
 自分ではいつもと変わらないつもりだったが、鈍そうな岡部にまで核心を突かれてしまえば言い逃れようもない。
 さっきの今まで五十嵐に言われたことを思い出し、つい内心面白くない気分だった。

「別に、岡部の思ってるようなことはねえから安心しろよ」
「……だったらいいんですけど、なんか……尾張君元気ないように見えたので」
「俺が?……そうか?」
「それに、尾張君は俺よりも岩片君のことをいの一番に心配してるイメージがあったので……ちょっと意外でした」

 余計なお世話でしたね、と少しだけ申し訳なさそうに項垂れる岡部に俺は言い返す言葉もなかった。
 ……意識しないようにしたのが裏目に出たようだ。なんだか俺は自分が自分で不甲斐ない気持ちでいっぱいになる。

「悪いな、まだ本調子じゃないみたいだ」
「えっ!」
「それにしても岡部はしっかり見てるんだな。……それとも、俺ってそんなにわかりやすい?」
「お、尾張君はわかりやすいというより……なんというか、いつもわかりにくいから余計、わかってしまうというか……」
「?……どういうことだ?」
「ええと、その……俺のことはいいんです。それより、宮藤先生がさっきからこっち見てますね……」

 言われてちらりと教壇に目を向ければ、徐に宮藤は「えー、ごほん」とわざとらしく咳払いをひてみせる。
 直接私語を注意しないところが宮藤らしいというか、なんというか。

「……わり、また後で聞くわ」
「いえ、僕は、別に」

 というわけで授業に集中することにする。それにしても岩片のやつ、勝手なことばっかりしやがって。
 無視してやりたいのに岡部みたいなやつがいる手前完全に存在無視することまでできない自分のいくじなさが憎い。
 ……余計な心配させたくねえけど、だからって仲良くできねえよ、もう。
 そんなモヤモヤを抱えたまま聞く授業に集中できるはずがない。


 あっという間にチャイムが響く。
 授業終了の合図。比較的平和なガリ勉と呼ばれる生徒ばっかが残った教室は平和だった。
 ホームルームまで岩片が教室へと戻ってくることはなかった。そもそも俺が教室にいることもしらねえのかもしれねえな。
 と、そこまで考えてまたあいつのことばっかり考えてることに気づき、慌てて頭を横に振る。
 ……今日から俺は一生徒だ。あいつのことよりも自分のことを考えろ、元。
 なんて、一人念じてると。

「おい、尾張」

 宮藤に呼ばれた。
 顔を上げれば、宮藤はちょいちょいと俺を手招く。この時点で既に嫌な予感するんだけど。

「……なんすか?」
「おい、露骨に嫌そうな顔しただろ今」
「だって、雅己ちゃんに呼ばれてもいいことをないんだもん」
「あのなぁ……いや、確かにそうかもしれんな」
「自信なくすなよ」

 呆れて笑ってると、宮藤は「安心しろよ、今回はそうじゃねえから」とふっと表情を緩める。そして、伸びてきた手に額を触られる。
 びっくりして思わず飛び退こうとしたとき、宮藤の手はすぐに離れた。

「ふんふん……まだ微熱があるな」
「……いきなり触るのは駄目だろ、女子生徒相手ならセクハラですよセンセー」
「可愛い生徒でもお前は男だろ。……身体、本当はまだ悪いんじゃないのか」
「……わかんね」
「わかんねって、自分の体のことだろ。あんま無茶すんなよ」

 ……なんか今日は色んな人に怒られて、心配されてる気がする。けれど愛されてるな俺って気持ちにはならない。
 むしろ俺ってそんなに頼りない?って微妙に凹むし、つーか、なんか、俺ってすげー惨めだ。

「雅己ちゃんって……」
「なんだ、どうした?」
「雅己ちゃんって、過保護だよな」
「か……」
「……ありがと、心配してくれて」

 自己嫌悪がないといえば嘘になるが、今はまともな優しさが身に染みるのも事実で。
 口にしてからなんとなく照れ臭くなる。
 そういや、岩片が馬鹿なこと言ったってこと、雅己ちゃんも知ってるのだろうか。
 ガキの戯言だと思って無視してるのだろうか、気になったが宮藤の表情からは何もわからない。

「お前って、なんか見ててハラハラするんだよな」
「俺が?」
「今のお前は、特に」

 暗喩のように聞こえて、少しだけ緊張する。
 含みがあるようでそのまま受け取ることもできる。

「取り敢えず、今日は真っ直ぐ帰れよ」
「……雅己ちゃんは、岩片と何かあったのかって聞かないんだ」

 無意識だった。なんとなく、考えていたことが口からぽろりと零れ落ちる。
 宮藤は特に表情を変えるわけではない。やっぱり何事もなかったかのように、俺に視線を投げかけた。

「……なんだ、あいつと何かあったのか」

 これは嘘だな、とわかった。
 とぼけたふりしてるのだろう、それでも全く声に感情がないので本当にとぼける気があるのかすら謎だ。

「雅己ちゃんって嘘下手すぎだろ」
「当たり前だろ、俺は素直な人間だからな」

 それも、嘘だな。と思いつつ、つい笑ってしまう。
 わざとなのだろうか、敢えてなのだろうか。宮藤と話してると自然と肩の力抜けるのだから不思議だ。

「一応、相談はいつでも受け付けてるが俺にアドバイスの類は期待するなよ」
「そうっすね」
「……そこは否定しろよ」

 いい加減でルーズでやる気のない教師だが、こういうところが生徒から嫌われないところなのかもしれない。
 教師陣からどう思われてるのかは知らないが。


 宮藤と話したおかげでなんだかスッキリした。
 周りの奴らがやれ岩片を放置するなだとか岩片は大丈夫なのかとかそんな心配ばかりされる中、俺自身のことを心配してくれるやつがいたから余計そう思うのかもしれない。
 宮藤と別れ、俺は仕方なく……不本意ではあるが岩片を探すことにした。
 このままモヤモヤするのも嫌だったし、それ以上にあいつに勝手なことを言われてまーた俺への風評被害に繋がることは避けたかった。
 そう、だから文句のひとつふたつ言ってやると決めたのだ。
 そして、思いの外早くあいつと再会することになった。それは願ってもない、最悪の形でだ。
 校内を歩き回って岩片のことを知ってそうなやつに取り敢えず聞いていく。そうすりゃあいつのことだ、どっかで聞き耳立てて俺が岩片のやつを探してるって知るに違いない。
 ついでに目撃情報があれば万々歳だ。
 そう思っていたが、運のいいことに岩片の目撃情報はすぐに見つかった。

「あいつなら風紀室に入っていくの見たけど」

 クラスメートの男はそう言っていた。
 風紀室。その単語に、俺は昨日の野辺とのことを真っ先に思い出した。血の気が引く。まさかな、とは思いたいが、どうしても気がかりになった。
 行きたくねえけど、岩片が余計なことを吹き込まれる前に突っ込むべきか。悩んでる時間も惜しい。俺はダッシュで風紀室へと向かった。 


 学園内、風紀室前。

「おや、珍しい。随分と愛らしいお客様だね」

 風紀室を見張る厳つい門番たちの前、何かを話していたらしい寒椿は俺の姿を見つけるなり相変わらず薄ら寒いことを言ってくる。

「なあ、風紀室に岩片来てないか」
「ああ、宵闇に紛れし混沌の彼だね」

 だから何なんだその岩片の呼び方が微妙にダークサイド寄りなのは。俺のもそっち寄りにしてくれ。なんてツッコミはさておきだ。

「確かにさっきまで来ていたよ」
「本当かっ?」
「ああ、勿論。僕は嘘をつかないからね。……丁度数分前くらいに出ていったんだけどね」

 ……遅かったか。
 そう理解した瞬間、頭が痛くなる。
 俺がいない間ここでどんなやり取りが交わされていたのか、そのことを考えるだけで気が気ではなかった。

「多分すぐ戻ってくると思うけど……待ってるかい?」
「え?」
「可愛いバンビーナのためだよ。暖かい紅茶を饗させてくれ」

 ニコニコと人良さそうに笑いながら手をぎゅっと握り締めてくる寒椿に思わず後ずさりそうになる。
 ……けれど、確かに宛もなくウロウロするよりかは待ってる方が確実かもしれないが……。

「なあ、中に委員長はいるのか?」
「ああ、委員長なら居ないよ。何やら昨夜から熱に魘されてるようでね。なにやらショックなことでもあったのかもしれないね」
「……………………」

 どれだ、心当たりがありすぎて冷や汗が流れる。
 ……が、野辺がいないと知っただけでもホッとする。

「それじゃ、お言葉に甘えようかな」
「ああ、良かった。委員長がいないから退屈で退屈で仕方なかったんだ。そんな哀れな僕の話し相手になってくれるなんて、君は本当に慈悲深い。まるで女神だね」
「……待ってる間だならな」

 やっぱり早まっただろうか。
 目をキラキラさせる王子様もとい寒椿に気圧されながらも俺は風紀室にお邪魔することになった。
 ボスが不在とは言えど、風紀室の中にも多数の風紀委員がいた。まあ、寒椿のような得体のしれないやつと二人きりになるよりかは遥かにましだろうがそれでもなんだろうか、風紀連中のこちらを見る目が妙に引っかかるのだ。
 ニヤニヤ?ニタニタ?……よくわからないが、人を小馬鹿にするような笑みを浮かべる連中になんとなく察してしまう。
 中にはなんでこいつがいるんだよと邪険にするようなやつもいるし、大方予想はついていたがここまで露骨だと普通に気分が悪い。

「好きに座ってくれて構わないよ」
「ん、ああ。ありがと」
「すぐに紅茶を準備しよう。そこで待ってていてくれ」

 周りの風紀委員たちのことなんて目に入っていないかのように飲み物を準備し始める寒椿。
 実際、風紀委員たちは俺を見るだけで直接何をしてくるというわけでない。いわば置物だ。なら、俺も無視してていいのかな。
 なんて思いつつ、適当なソファーに腰を下ろす。
 テーブルの上に誰かの飲んだあとらしきカップを見つけた。……岩片が飲んだあとだろうか。
 そんなことを考えてると、すぐに寒椿はカップをトレーに乗せて戻ってくる。

「お待たせ、麗しのバンビーナ。君への想いを込めて注いだレディグレイだよ。……君の口に合うと嬉しいな」
「どーも。……いい匂いだな」
「そうだろう。野辺のやつは草臭いなんて言うが、やはり薫りは芳しい方がいいに決まっている。……君がわかる人間で僕は嬉しいよ」

 野辺の言い草も体外だな。俺も正直紅茶の味はわからないので適当に合わせたのだが、予想以上に嬉しそうな寒椿を見てるとまあ悪い気はしなかった。
 そっとカップに口を付ける。突き抜ける花の匂いに、思わず噎せそうになったのを堪えた。
 忘れてた、俺あんま紅茶好きじゃなかった。

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